第二章 龍神の少女

第29話 行き倒れの少女

 蛇王の呪いの一件が終わって、早くも一ヶ月が経った。その間、特に珍しい出来事があるわけでもなく、紗雪にこき使われ、休日にはアリアやラミリーやリュウウェルと過ごすといった日々を送っていた。


 だから、今日もまた、その日常の例に漏れず、紗雪からお使いを頼まれていたのだ。内容は、町を出て、二時間ほど歩いた場所にある隣町限定の茶葉を買ってくること。紗雪の奴が、最近アリアに飲ませてもらって、ひどく気に入ったものだから、買ってこいとのことだった。俺が無駄だと思いつつも、自分で行けば良いじゃないか、と言ってみたが、私は領主で忙しいから無理と当然のごとく断られてしまった。


 果たして、こんなものが食客の仕事なのだろうかと悩みながら、歩くこと一時間。街道に一人の少女が仰向けで倒れていた。


 長い綺麗な青い髪をした、美少女だ。年齢は、十八歳くらいだろうか。


 外傷はない。というか、結構大きな声で、お腹が空いたよー、と言っているので、倒れている原因は空腹だろう。


 俺は、自分の手の中にある、本日の昼食を見た。本当だったら、帰り道に景色の良い場所で食べようと思っていたものだ。だが、まあ人命には変えられない。そう思って、その少女に近づくと、その少女は俺の気配を察したのか、随分と余裕のありそうな感じで喋り始めた。


「このままじゃ、お腹が空いて死んじゃうよー。親切な人なら、ここで倒れてる美少女を放っておかないんだろうなー。親切じゃなくても、見返りを期待して放っておかないだろうなー。」


 …何となく、昼食をあげたくない気分になってくる。こいつ、本当に空腹で死にそうなのか?


「こんなところで、倒れてるか弱い美少女を見捨てる人なんていないよなー。いるわけがない。いないに決まってる。」


 チラッ、チラッとこちらの方を見ながら喋り続ける。正直、いい加減うっとうしいので、俺は、手に持ってる昼食を彼女に差し出した。


「えっ、いいの?本当にくれるの?後で、体で払ってとか言われても、無理だけど……。」


「…そんな事は、言うつもりはない。だから、早く食べて、早く帰ってくれないか?」


 平静であろうと努めていたというのに、想像していた以上に厳しい言葉が出た。思っていたより、苛ついていたらしい。多分、この少女は三千年生きてきた中でも、トップクラスで腹が立つ性格をしてる。深く関わり合いになる前に、退散するべきだろう。


「じゃあ、俺は用事があるから、ここで。慌てて食べて、喉を詰まらせるなよ。」


 何とか、三千年間で鍛えられた心を駆使して、最後に気遣いの言葉をかけることに成功する。もう二度と会うことはないだろう。というか、会いたくないと思って、歩き始めると、少女が声をかけてきた。


「ちょっと待ってくださいよ、お兄さん。私、施しを受けて恩を返さないほど薄情な女のつもりはなーい。何でも頼んでよ、体以外なら割と受け付けてるよ。」


 少女は自分の胸をどんと叩いて、自慢げな顔をしている。というか、食事はどうしたのか、と思って少女の方を見てみるが、綺麗さっぱりになくなっている。…食べるの速すぎだろ。


「気遣ってくれるのは嬉しいんだが、今はあまり困ってることがない。代わりに、誰か別の人に親切にしてやってくれ。」


「何で、助けてもらった訳でもない、他人に親切にしなきゃいけない訳?私は、お兄さんに恩を返したいと言っているの。」


 …面倒くさい。ラミリーも大概面倒くさいけど、この少女の方がより面倒に感じる。何より驚くのは、俺とこの少女は初対面だということだ。


 お礼を断っても、延々と引き下がらなそうだし、無視して歩いて行っても、ついてきて延々と文句を言ってきそうだ。


 仕方がない。この少女の望み通り、一つ簡単な頼み事をするか。


「じゃあ、俺は今、隣町に茶葉を買いに行くところだったのだが、代わりに買ってきてもらえないか?」


「…えー、面倒くさい。というか、私隣町までの道を知らなーい。……そうだ、お兄さんが隣町まで道案内してよ。だったら、茶葉を買いに行ってあげる。」


 ………一体、この少女は何を言っているのだろうか?俺が、隣町まで道案内するのなら、別に一人で行くのと何も変わらないのだが。むしろ、このうるさい少女がついてくる分、損している。


 しかし、少女の中でそれはもう決定事項になったようだ。意気揚々と、俺の手を握って歩き始める。


「ほら行くよお兄さん。…ていうか、お兄さんの名前って何?ちなみに私の名前は、南雲。可愛いでしょ。」


「……俺の名前は、京介だ。」


 渋々、自分の名前を教える、金輪際関わりたくなかったため、偽名を使おうかと思ったが、それは流石に悪いという気持ちが勝った。


「あはは、よろしくねー、京介。」


 こうして、ただのお使いに望まぬ同行者ができてしまったのだった。

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