パンドラの殺人
森本 晃次
第1話 自殺死体
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年9月時点のものです。今回の時代背景は、時代考証的に曖昧なので、パラレルワールド的なものくらいに見てもらえると、幸いではないかと思います。
途中で、令和の時代と、戦後の時代が、錯誤するようなところもありますが、あまり細かいことは気にせずに、読み進めてくだされば、幸いです。
時代は戦後数年が経っている頃で、まだ、都会には、進駐軍と呼ばれる連中が、夜には街に繰り出して、気軽に笑いながら、女を侍らせたり、買ったりしているというような時代だった。
空襲で壊れた家もまだ満足に復旧しておらず、街中には、瓦礫の山が、あちらこちらにあるという頃であった。
そんな時代に、
「その日の食事、いや、腹の足しになる食事を摂ることがいかに大変であるかなどということは、皆に共通したことであったが、こんなことが、未来永劫続くはずはないと思っている人も多かったことだろう」
と感じていた人もいた。
ほとんどの人は、考える余裕などなく、いかにその日を暮らしていくかというのが大切だったのだろう。戦線から戦時中までに、富豪と言われた人たち、あるいは、財閥系などと言われ、爵位についていた人たちは、戦後のGHQと呼ばれる連中の政策によって、没落することになる。
そもそも、
「戦争を引き起こした原因は、軍と、財閥と呼ばれる人たちに責任があるのだ」
ということを、連合国の連中は認識していた。
もちろん、一番の問題は、
「天皇制」
と言われる、独特な国家元首の存在だった。
「立憲君主」
の国ではあるが、
「天皇猊下のご命令は絶対」
と信じられており、
「立憲君主」
の建前から、天皇に絶対的な権限はあるが、
「独裁者」
ではないのだった。
独裁者といえば、ドイツのヒトラーなどがその例であるが、彼のように、民衆を動かして、絶対的な支持を受け、法律を変えることで、独裁者になっていったのだ。
首相と大統領を兼ねるかのような、
「総統」
なる権力に上り詰めたことで、誰も逆らえなくなってしまったのだ。
そもそも、ヒトラーという独裁者を生んだのは、
「ベルサイユ体制だ」
と言えるのではないだろうか?
第一次大戦で、敗戦国となったドイツ、そのドイツに、
「絶対に払えない」
と言われた賠償金を課し、そんな賠償金を課しておきながら、植民地や領土のほとんどを奪ってしまうと、賠償金を支払うための力もなく、国内は、
「ハイパーインフレ」
などという大混乱に巻き込まれることになるのであった。
パン一個が、何億マルクなどという信じられない状況になり、マルクの札束で、子供が積み木遊びをしている写真があるくらい、貨幣価値は、紙くず同然の時代だったのだ。
そんな時代においてでも、現金が払えないとなると、フランスなどでは、工場を差し押さえたりと、完全に、
「手足を縛っている人間に、金を稼いで来い」
といっているのも同じである。
そんなバカげたことができるはずもなく、それが敗戦国の実態ということになったのだった。
そんな時代において、国民は混乱し、国家に対して、きっと、
「強い指導者」
の出現を願望したのだろう。
おりしも時代は、世界恐慌の時代。
「持てる国」
と言われる戦勝国たちが、自分たちだけが生き残るかのような、いわゆる、
「ブロック経済」
というものを形成し、
「持たざる国」
と言われた、ドイツや日本、中国、ソ連などを切り捨てることを考えたことが、大きな問題だったのだ。もちろん、ソ連は、当時共産主義だったことで、
「資本主義の敵」
と目されていたので、最初から入ることはなかったのである。
さらに、社会情勢のもう一つというのは、奇しくもこの共産主義である。共産主義、社会主義と呼ばれる国々は、世界に、
「社会主義革命を誘発することで、自分たちの同志」
と作り上げようとしていたのだ。
それらのいろいろな問題を、ヒトラー率いるナチスが、演説で国民を誘導していく。
社会主義への反発。自分たちを苦しめている、戦勝国のまさに暴挙ともいえる経済た施策、それらを考えると、ヒトラーの演説は、ドイツという国家の中で、待望の、
「強い指導者の出現」
を意味しているのである。
「プロパガンダ」
というのは、戦争には、絶対に不可欠なことであるということは、今の令和の時代においても分かり切っていることである。
侵略する国、侵略される国という、構図がハッキリおしている戦争であれば、それぞれが、いろいろな言い分を元に、世界に発信するのである。
しかも、今の日本のように、中立ではないが、有事の際には、専守防衛ということしかできず、
「先制攻撃」
が許され合い。
憲法がそうなっている以上、憲法違反というのは、一種の、
「国家反逆罪」
のようなもので、
「どんな犯罪よりも重たい」
といってもいいだろう。
だから、他国で戦争が勃発すれば、いち早く、
「中立」
という立場を保たなければいけないのだ。
なぜなら、中立でないということは、どちらかに加担するということで、もう一方を敵に回しているというわけだ。
ということは、敵に回した国から、攻められても、文句はいえない。
しかも、攻められても、守る一方で、こちらからは攻撃できないのだ。攻城戦にしても、それなりの備蓄と備えをしてこそ、戦ができるのに、日本の場合は、備蓄もなければ、戦争経験もない。丸裸状態、完全に、お濠を全部埋められた裸城同然の、
「大坂夏の陣における大阪城」
のようなものである。
しかも、相手は。世界第二位の軍事国である。最初から無謀なのは分かっているのだ。
しかし、その時のソーリが、
「人気が落ちたことで、世論の同情を買うために、攻められた国に援助を行う」
という、人道を持ち出した形の肩入れが、実は、日本という国を苦しめているということに、国民はなかなか気づかなかったのである。
しかも、血税を、湯水のごとく、その国に送る。
「世界的なパンデミック」
が収まったわけではなく、国内では、悲鳴を上げている人たちが山ほどいるのに、自分の人気取りのために、ソーリは完全に、
「国民を見殺し」
にしたのだった。
それが令和の日本の情けない姿だったのだ。
将来の日本がそんな姿になっているなどと想像もできるわけもなく、それ以上に、その日暮らしというのが、何とも言えなく、辛いものだと思ったことだろうか?
そもそも、時代的には、昭和恐慌のあたりから、日本では、慢性的なモノ不足、さらには、不況が襲ってきていた。
追い打ちをかけたのが、東北地方における、凶作だったのだ。
その時は、農村の悲惨さはすごいもので、
「娘を売らないと、その日の食事も手に入らない」
というほどだったという。
したがって、娘を遊郭に売るための、
「売買ルート」
や、
「相談所」
などのポスターが電柱などに貼られているという時代であった。
その食糧事情問題と、外交、いわゆる、安全保障問題から起こった、
「満州事変」
によって、日本は、最終的には、
「国際連盟脱退」
ということになり、世界から孤立する形になった。
そうなってしまっては、国内の資源が致命的に不足している日本だったが、満州の荒れた地方に、優良な資源を求めるのは無理だった。あくまでも、満州では人口問題だけで、資源に関しては新たな場所を求めるしかなかった。
それが、中国大陸に対しての、、シナ事変であり、さらに、それに対して列強による、油や鉄などというものの、輸出制限だという、
「経済制裁」
だったのだ。
そこで、ある程度の条件を出して、日本に譲歩を言ってきたが、当時中国戦線が拡大しているところで、連戦連勝状態だったので、そんな進言に従うわけもなく、和平工作もうまくいかなかった。
さらに列強は、経済制裁を強める。
「石油、鉄くずなどの全面輸出禁止」
という結構ひどいものであった。
しかし、それにも関わらず、ここで日本は、本格的に資源獲得のために、今のベトナムあたりの、フランス領インドシナ、つまりは、仏印と呼ばれるところに軍を進駐させるしかなかったのだ。
そのため、アメリカと一触即発になった。
ただ、かねてより、イギリスから、
「欧州戦線に、参戦してくれないか?」
と言われていたアメリカは、大統領の一存では戦争はできなかった。
何と言っても、他の国に関わることは、アメリカの伝統的な、
「モンロー主義」
というものに逆らうことで、国民が許さなかったからだ。
だから、国民が納得がいくようにするために、日本を利用し、
「日本が先に手を出したから、戦争を始める」
ということを世論に植え付けようとし、日本を追い詰めて、先に攻撃させるというやり方に矛先を変えた。
要するに、イギリスとの約束通り、ドイツに宣戦布告するために、同盟国である、日本への宣戦布告をする必要があるということであった。
ただ、思ったよりも、日本軍は強く、最初は苦戦したが、最期は何とか、
「本土無差別爆撃」
「二発の原爆投下」
「和平仲介をもくろんでいた相手国であるソ連による、満州侵略」
ということが重なっての。やっと、戦争終結を覚悟した
それが、第二次世界大戦における、その中で日本が戦った、
「大東亜戦争」
というものであった。
そんな波乱万丈な歴史の中で、廃墟となった日本の大都市では、何とか生き残った人と、進駐軍による不幸が行われた。
民衆も大いに混乱したことだろう。この間まで、
「万世一系の天皇陛下の国である、日本を死守するのだ」
といっていたものが、爆弾は降ってこないが、そのかわり、住居、衣類、食料と言った、
「衣食住」
のすべてがなくなってしまったのである。
そんな時代も、すべては、
「ほしがりません、勝つまでは」
という標語があったように、
「日本は必ず勝ち、それによって、困窮から抜け出すことができるので、それまでは、ひもじくても貧しくても、戦争完遂に向けて、国民一人一人が頑張る」
ということだった。
しかし、政府が言っていた、
「必勝」
というものが、崩れたのだ。
いわゆる、日本という国の、今までの対外戦争における、
「不敗神話」
が崩れたのだ。
それまで、
「日清戦争」
「日露戦争」
「第一次世界大戦」
という三つの大きな戦争を勝ち続けてきた。
しかも、今中国に侵攻し、日本人を虐殺する中国を懲らしめているということに、
「日本こそが、勧善懲悪の国なんだ」
という名目で、国民が、
「そんな二音民族の誇りを持って、欧米列強から、アジアを守っている」
という、戦争の大義名分である、
「欧米列強の支配から、東アジアを解放し、自分たちだけで、大東亜共栄圏というものを確立し、独立地帯を作る」
ということで、戦争の名称を、
「大東亜戦争」
と閣議決定された。
戦争が終わると、戦勝国側にとっては、もはや容認できない戦争の大義名分であった。
したがって、
「大東亜戦争」
という表現は、
「言ってはならない」
ということになり、日本が、サンフランシスコ平和条約にて、完全独立するまで、とりあえずということで、
「太平洋戦争」
という言葉を使うように、GHQから言われたのだ。
しかし、実際に独立しても、なぜか、いまだに、
「太平洋戦争」
といっているのはなぜなのだろうか?
まるで、アメリカの腰ぎんちゃくとなってしまった。今の我が国を象徴しているようなものではないか?
日米安保からこっち、日本はアメリカの属国に成り下がり、今までやってきた。
沖縄を始めとする米軍基地からひどい目に遭っても、
「日本国のため」
ということで、地元民は泣き寝入りではないか。
しかも、朝鮮、ベトナムと大きな戦争を背景に、元々日本を非武装国にしたはずなのに、結果、警察予備隊から、自衛隊へという、
「中途半端な軍隊」
を作らざるを得なくなってしまったのだった。
憲法がある以上、このままでは、本当に、
「中途半端な軍隊」
である。
近隣諸国の安全が脅かされている、令和の時代では、本当に見直す時がきたのではないかと、やっと政府も重い腰を上げたということである。
ただ、どう決まろうが、今までの経緯から、ただでは済まないことは分かり切っている。
それを思うと、これからの日本がどうなるか? 難しい問題であろう。
ただ、戦後のあの混乱を乗り越えて、一度は奇跡的な経済復興をしてきた日本である。できないことはないであろう。
そんな時代において、まず、大きな問題として、
「ハイパーインフレ」
というものがあった。かつてのドイツでも起こったように、
「お金はあっても、モノがない」
という時代である。
当然、価格は天文学的に上昇し、貨幣価値などあってないようなものだった。
そこで政府が考えたのが、
「新円の発行」
であった。
「今までの貨幣を使えないようにし、新たに発行する円を新しいお金にしよう」
というもので、いくらたくさんお金を持っていても、両替できる金銭には上限が設けられた。したがって、お金を持っていた人が損をするというような感じだといってもいいだろう。
経済背策にある、中世における
「徳政令」
や、今の時代における、
「民事再生法」
に通じるもので、それらは、一種の、
「債権放棄」
という強力な薬によって、一つの企業を救おうというものだが、新円の切り替えは、それを国家単位でやろうというものだった。
当然大混乱となり、それまでの特権階級、つまり、爵位などというのは、紙切れよりも、薄っぺらいものとなった。
昔は威厳と一緒に、豊かさも兼ね備えていたが、その両方とも、一気に失ってしまうのだから、ほとんど皆没落していくのは当然というものだった。
そんな時代を通り過ぎ、気が付けば、復興が進んだ時代。それは、外部からの環境の違いが大きかった。
かつて、日本が、
「安全保障の最大の防波堤」
とし、明治以降で最大級の問題の場所としていた朝鮮半島。
そこを、南北で、別々の主義の陣営が分割支配を行うのだから、何かがないわけがない。
北部を、シベリアから、満州。そして、日本軍を追って、朝鮮半島になだれ込んできた社会主義陣営であるソ連。そして、日本から入り込んで南部を統治した、資本主義陣営であるアメリカと、それぞれの主義の代表が、朝鮮半島にて対峙する。
ヨーロッパでも、ドイツにおいて、同じような争いが起きていたが、
「ベルリンの壁」
による分断という形になった。
しかし、朝鮮半島では、それぞれの陣営において、独立国が成立し、南北でそれぞれ独立することになった。
だが、両国とも、
「朝鮮半島の統一」
というものを目指し、北朝鮮は、中国、ソ連に許可を得て、武器援助を貰いながら、着々と計画を立てて、南部に侵略した。
しかし、韓国側では、アメリカの判断で、
「北から攻められることはない」
とタカをくくっていて、韓国軍にほとんど武器の供与はなされていなかった。
「戦闘機が一機もなく、火器という面でも、圧倒的に不足していた」
つまりは、戦争ができる状態ではなかったのだ。
丸腰の状態の韓国に、武装した精鋭部隊が攻め込むのだから、数日でソウルが陥落するのも当たり前だった。
そこから起こった朝鮮戦争。
「ソ連とアメリカの代理戦争」
の様相を呈していたので、米軍は、日本にある米軍基地から飛び立っていく。
当然、弾薬や武器が必要になり、日本で生産することになり、その特需が始まるのだ。
そのおかげで、一気に復興は進み、戦後10年ほどで、
「もはや、戦後ではない」
と言われるようになったのだ。
このお話は、そんな戦後の、時代的には混乱が少し収まり、
「特需」
と言われる時代に差し掛かった頃のことだったであろうか?
そんな当時、自殺というのが、人口のうちのどれだけだったのか分からないが、さすがに、爆弾により、毎日人が死んでいたり、占領地において、民間人を含めた日本人が、玉砕をしてきたことを思えば、さぞや少ないのだろう。
しかし、そんな時代を生き延びてきたのに、戦争が終わると、それまでは、
「戦争に勝つためには、我慢をしなければいけない」
ということでできた我慢だったが、蓋を開けてみると、戦争に負けてしまい、それでも我慢しなければいけないという、考えれば考えるほど先がないと思うのは当たり前のことだろう。
だからこそ、
「張り詰めていた緊張が一気に途切れてしまう」
ということになり、自殺しなくとも、生きる気力を失った時点で、死んでしまうという人も多かっただろう。
何もしないと、モノが食えないというのは、どの時代でも同じだが、この時代は精神的なものの張りと、空腹との葛藤となるだろう。
「栄養失調」
で、バタバタを死んでいくという、そんな時代だったのだ。
だから、
「先を儚んで、死んでいく」
という人を、誰が避難できるだろう?
当時生きていた人からすれば、
「生きようと思っても生きられなかった空襲や、玉砕で死んだ人を想えば、贅沢だ」
という人もいるかも知れないが、何のために生き残ったのかということになると、明らかに、
「生きていくことの方が、何倍も苦しい」
と感じる人も多いに違いない。
とにかく混乱の時代で、生きるためには、犯罪でもなんでもしないとダメだったのだ。
戦災孤児などは、靴磨きなどをしたり、かっぱらいでもしてその日の食べ物を集めてこないと本当に餓死することになる。就職もできないし、養ってくれる人もいないのだから……。
この男が自殺を図ったのが、昭和28年だった。
どんな時代だったのかということを、思い起こすことは不可能だろうが、まだ、瓦礫が残っていて、自分の家を持たないバラック住まいの人が多く、通りには、闇市ができていて、普通には手に入らないものは、闇取引が行われていた。
だから、
「ヤミ物資のブローカー」
などという人が物資を回すことで、彼らは儲かり、次第に会社を作ったりして、今の形に近づいてくるのだった。
だが、反社会勢力のような人たちも蔓延っていて、それらの連中が、組を作ることで、暴力団というものが形成されていった。
そんな時代において、一人の男の自殺死体が発見された。
もう、その頃には、自殺者も落ち着いてきたように言われていた。
「この時代を生き抜くだけの力を持っていない人は、とっくの昔に、栄養失調か、自殺で命を落としていただろうからな」
ということが叫ばれていたようだった。
今からでは想像を絶するような時代。今では正直、金さえあれば、何だって手に入る時代。
ただ、
「どっちがいいのだろう?」
と、果たして、昭和の、
「戦後の動乱」
を生き抜いた人たちが見て、今の令和のこの時代を、果たして、
「羨ましい」
と思うだろうか?
今の時代も決してなくならない自殺者。昔とは大いにその風潮は違っているのかも知れない。
しかし、だからといって、
「今も昔も、自らの手で命を奪うというのは、宗教などでは、タブーであり、許されないことだ」
ということである。
「一体、どういう角度で見ればいいというのか?」
考えるだけで、厄介であった。
その死体が発見されたのは、ちょうど、国鉄電車が走っているところの、最寄駅から少し行ったところにある、高架下であった。
列車が通ると、高架下だけに、その音と振動のすごさから、人によっては、
「空襲を思い起こさせる」
ということで、急いで走り去ったり、電車の気配を感じると、高架下前で、立ち止まったことだろう。
それだけ、高架下というところを嫌っている人は多かったのだ。
何といっても、振動は地響きに似ていて、鉄が擦れ合う音は、轟音でしかなかった。
そんな誰も必要以上に、近寄ったり、立ち止まったりすることのないそんなただの通過点でしかない高架下というところ、そこをずっと、
「不気味だ」
と思っている人もいるのも事実のようだったのだ。
ただ、最初は、この死体が自殺であるということは、なかなかわからなかったのであった。
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