207.海水浴(2)

 水着を来た上に薄手のパーカーを羽織り、サンダルで砂浜へと向かう。暑い日差しが照りつける中、目の前に広がる海を見たら駆け出したくなった。


「海だ!」


 クレハが駆け出し、私たちがそれを追う。


「でっかい! 水が気持ちいい!」


 サンダルのままクレハは海の中に入り、その感触を確かめた。その後を恐る恐るといった感じでイリスが海の中に足を入れる。


「冷たい……でも、気持ちがいいです」

「だね。この暑い日差しの中で海の水がとっても気持ちいいと思うよ」

「あははははっ、なんだこれ! めちゃくちゃ進みずらいぞ!」


 イリスは足先で海の感触を楽しみ、クレハはザブザブと海の中を歩く。私はその様子を眺めながら、リュックからシートを取り出して砂浜の上に敷く。そして、リュックよりも大きなパラソルを取り出すと、それをシートの上に影ができるように設置する。


「それはなんですか?」

「これは日よけの傘だよ。疲れたらシートの上で休むでしょ? その時に日が当たらないようにするの」


 これで休憩場所も確保できた。疲れた時、ここに寝そべればいいね。さて、次に大事なのは……。


「じゃあ、クレハ。ちょっと海から上がって」

「ん、分かったぞ」

「イリスもちょっと来て」

「はい、なんですか?」


 二人を呼び寄せて砂浜の上に立たせる。海で大切なこと、それは……。


「それじゃあ、準備体操をします」

「「準備体操?」」


 二人は不思議そうな顔をして首を傾げた。海初心者の二人には馴染みのない言葉だと思う。だから、私は丁寧に説明をする。


「うん。海で遊ぶ時、普段使わない体の力を使うんだよね。そうしたら、突然体がつることがあるの。そうなったら、立ったりすることができなくなって溺れてしまうの」

「そ、そうなのか? ウ、ウチでもそうなるのか?」

「うん、クレハでも突然体がつって動けなくなることがある」

「クレハでもそんな怖いことになるんですか」


 例え運動が得意なクレハでも、普段違う筋肉を使えばつる可能性は大いにある。海の中で体がつって動けなくなり、溺れたら大変だ。だから、そうならないためにも準備運動は大切。


「水があるところは楽しいところだけど、怖い場所でもあるからね。二人とも、それを頭の中に入れて楽しく遊ぼうね」

「分かったぞ。水があるところは初めてだから、注意するぞ」

「私も気を付けます。溺れるって怖いですからね」

「じゃあ。私が体を動かすから、私の動きを真似てね。ちょっと広がってー」


 三人の間に空間ができるように移動すると、準備体操を始める。肩を回して、肩回りの筋肉を解す。次に前屈と後屈をして体を伸ばしていく。すると、前屈するイリスの手がべったりと砂浜についた。


「うわっ、体が柔らかいね」

「おー、そこまで手が付くか?」

「えっ? 普通なんですけど」


 イリスの体が思ったよりも柔らかくて驚いた。今度は後屈をしてみると、やっぱりイリスの体が柔らかいのか凄く後ろに沿った。


「へー、イリスって体が柔らかいんだ」

「ウチはそこまで曲げれないぞ。ほら、見てみろ。こんくらいしかいかない」

「あ、本当ですね。私が一番曲がるみたいです」


 意外な特技を見つけてしまった。それから腰を回して、首を回す。太ももとふくらはぎを伸ばす。この辺りは体の柔らかさは関係ないみたいで、みんな普通に動かしていた。


「はい、準備体操終わり。それにしても、イリスの体が柔らかくて驚いたよ。どれくらい柔らかいんだろう。そうだ、つま先持って足を上げれる?」

「つま先を持って? えっと、こういうことでしょうか?」


 興味本位でイリスにお願いをすると、つま先を持った足が綺麗に上がった。


「うわっ、なんだそれ。ウチは……おっとっとっ! できないぞ」

「私もできないなー……ホラ」


 クレハと二人でつま先を掴んで足を延ばしてみるが、全然綺麗に上がらない。クレハは足は上がるようだが、私は足すら上がらない。くっ、体が硬い証拠か。


「じゃあじゃあ! 足をどれだけ、下にくっ付けられるんだ?」

「下に? うーん、こうでしょうか」


 イリスの足がどんどん広がっていき、ぺったりとお尻が砂浜に付いた。


「すごい! 足があんなに真っすぐになってるぞ!」

「えっ、じゃあ! そのまま、体を前に倒してくっ付けられる?」

「体を、ですか?」


 イリスは不思議そうな顔をしながらも、足を広げたまま体を砂浜にピッタリとくっ付けた。


「うわー、体が変になっちゃったぞ!」

「凄いね、これ。できる人が本当にいるんだ……」


 体の柔らかさを間近で見ていた私たちは騒いだ。すると、イリスがムッとした表情になる。


「なんか、私だけやらされてません? 二人もやってみてください」

「いやー、私たちは」

「やってみてください」


 うっ、これはやらないといけない雰囲気だ。しぶしぶ、その場に座ると足を開いてみる。


「ウチはこれだけしか開かないぞ。やっぱり、イリスが変だ」

「私はこれくらい……」


 クレハは結構大きく足を開けるが、私はあんまり開けなかった。


「じゃあ、前に体を倒してください」


 イリスの指示で体を前に倒す。


「んぎぎっ、体は砂浜に届かないぞ。やっぱり、イリスの体が変だ」

「……全然届かない」


 クレハは体がぴったりくっつくまであと二十センチまで来たが、私は体が全く前に出なかった。そんな私を見ていた二人は不思議そうな顔をして近づいてくる。


「えっ、そんなはずは……」

「はっはっはっ! ノアはふざけているだけだろ?」

「いや、本当に……」


 体が前にいきません。私ってこんなに体が固いの? そう思っていると、背中をグッと押された。


「ほら、前にいきません?」

「もっと曲がるだろ?」

「いててててっ! 無理無理、これ以上曲がらないよ!」

「全然前にいきませんね……」

「ノア、抵抗するな」

「いやいや、本当だって! もう、これ以上、無理ーっ!」


 二人が無理やり押すと体が痛む。それに耐えきれず、強引に体を元に戻した。


「「……」」

「な、何? 本当に前にいかないんだってば」

「イリスもおかしかったが、ノアの体もおかしいぞ」

「ノアの体に鉄の棒でも入っているんですか?」

「二人とも!」


 黙って見てきた二人が言ったセリフに私は怒った。立ち上がって二人を懲らしめようとするが、二人は笑って逃げ出した。


「待てー!」

「ノアの足じゃウチらは捕まえられないぞ!」

「ふふっ、ノアよりも鍛えてますからね」


 余裕の表情で逃げる二人を私は必死になって追いかけた。


 ◇


「あー、しんどい」


 先にシートを敷いといて良かった。シートの上に大の字になって、私は休んでいた。普段体を動かさないから、砂浜の上で全力疾走すればこんな風にもなる。農作業で体を動かしているつもりなんだけどなー、なんだか悔しい気持ちだ。


「うひゃー、冷たい!」

「でも、気持ちいいです」


 顔を上げると二人がサンダルを脱いで海の中に入っていた。気持ちよさそうに海の中に入り、楽しそうにしている。


「さてと、私も動きますか」


 このまま寝そべってのんびり過ごすのもいいけれど、海に来たんだから海で遊びたい。重たい体を起こして、サンダルを脱いで海に近寄っていった。


「あっ! ノアも来いよ! 冷たくて気持ちがいいぞ!」

「一緒に遊びましょう」

「うん!」


 寄せる波に足をつけると、海の気持ちいい感触が伝わってくる。そのままじゃぶじゃぶと入っていくと、あっという間に膝まで海が来た。


「んー、冷たくて気持ちいい」

「なぁなぁ、何して遊ぶ? また追いかけっこでもするか?」

「追いかけっこはもういいですよ。別のことをしましょう」

「別のことかー……何があるかな?」


 難しそうな顔をして腕を組むクレハ。その隣では、イリスは視線を上に向けて、指を顔に当てて考えている。


「じゃあさ、海で泳いでみない?」

「泳ぐ? お風呂みたいにスイスイ歩くことか?」

「あれは、まぁ……泳いではいないな」

「でも、その時も泳ぐって言ってましたよね」

「海での泳ぐとはまた違うんだよ」


 二人とも泳ぐということがピンときていないらしい。住んでいたところは内陸だし、近くに湖も川も海もなかった。泳ぐっていう言葉にも馴染みがないのは仕方がない。


「泳ぐことができるようになると、海はもっと楽しくなるよ」


 海に来たなら泳がなくっちゃね。ちゃんと泳ぎ方を教えて、みんなで楽しもう。

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