盲目少女と色付く世界(大学祭リメイク版)

赤髪命

本文

 私は、この世界がどれほど美しいのかを知らない。


 ――というか、『知ることができない』という表現をしたほうが正しいように思う。心のどこかでそれを確かめたいと感じても、確かめようがないのだ。


 私は、目が見えない。小学四年生の時、私は病気で両目の視力を失ってしまった。そして、中学校に入学した今でも、私の目は相変わらず視力を失ったままだ。白と黒の輪郭のない、すべてがぼんやりとして何もはっきりしていない世界。それが私の見ている世界だ。


 私が視力を完全に失ってしまった頃、私の両親は、私を近くの特別支援学校に転入させようとした。今思えば、それは私のことをあまり考えていない、盲愛的な行動だったかもしれない。けれど、その当時の私は、心のどこかで、両親の考えが正しいのだと思ってしまっていた。


 しかし、私の友達は、私がそうすることを強く拒んだ。そんなこともあって、私は友達の支えもあり、両親を説得して、今も普通の学校に通っている。そして、友達はそれ以来、私が普通の女の子たちと同じように学校生活を送れるように、色々な手助けをしてくれるようになった。


 初めの頃は、誰かの腕に掴まったり、一人でいるときに白杖を使って歩いたりすることがとても恥ずかしかった。けれど、周りの子たちがとても親切に接してくれたおかげで、私が恥ずかしいと思っていたことが、少しずつ誇らしいことだと思えるようになっていった。


 そんなことを考えていると、帰りのSTの終わりのチャイムが聞こえた。帰りのあいさつが終わると、入学式の日ということもあってか、周りからは楽しそうに連絡先を交換している女の子たちの声が聞こえた。


 ……私なんかに話しかけてくれる子なんていないよね。


 友達ともクラスが分かれてしまっていて、誰かと話すこともない私は、急いで帰りの支度を済ませて帰ろうとした。


「――えっと、高島さん」


 突然、隣から話しかけられ、私の体はびくっとなった。私の記憶が正しければ、隣の席にいるのは、杉山君のはずだ。優しそうな声をしているとは思ったけれど、小学校が違ったから、まだ話したことはなかった。


「えっ、な、なんですか?」


 男の子に話しかけられるのは何年振りかというくらいで、私は慌てた口調で聞き返してしまった。


「ごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど……。その杖、普段から使ってるのかなって思って」


 そう聞かれて、私は急に緊張してしまう。


「――実は……」


 それだけ言って、私は何も言えなくなってしまった。


「話したくないなら、無理に話さなくてもいいよ」


 杉山君は黙ってしまった私を見て、何かを察してくれたみたいで、優しい声でそう言ってくれた。


 ……隣の席だし……、話しておいたほうがいいのかな……。


 少し考えた後、私は杉山君に私のことを話すことにした。


「自己紹介の時も言ったけど、実は私、目が見えなくて……。誰かが一緒にいてくれるときは、この杖は使わないんだけど……。一人でいるときは、この杖を使わないと、段差とかがわからなくて……。でも、これも、もう、慣れてるから――」


 ――だから、気にしないで。


 そう言おうとしたけれど、なぜかそれを声に出せなくて、私はまた黙ってしまった。


「それなら、学校にいる間は、僕のことを頼ってよ」


 そんな意外な言葉が杉山君から返ってきて、私の顔が途端に熱くなっていくのがわかった。


「で、でも……」


 目が見えないからといって、男の子の腕に掴まっているのは、恥ずかしいし、周りから変な誤解をされてしまうかもしれない……。


 私が何も言えず黙っていると、どうやら杉山君は私が恥ずかしがっていることに気が付いたみたいで、「恥ずかしいなら、手を繋げばいいよ」と言ってくれた。


 ……それくらいなら、周りから変な誤解をされることはないかも……。


 私の手に温かく柔らかいものが触れて、とっさにそれを握った私は、そのまま杉山君と一緒に教室を出た。


 * * *


 翌日、昇降口で友達と別れて教室の方に向かおうとすると、私のすぐ横で杉山君の声が聞こえた。


「おはよう、高島さん」


 昨日と同じ優しい声がして、私の手が誰かに握られた。昨日と同じ感触だから、杉山君が私の手を握ってくれているのだろう。軽く引っ張られるような感触がして、そのまま私は杉山君と一緒に教室へと向かった。


「高島さん、教室着いたよ」


 杉山君の優しい声がした直後、教室のドアの開く音がして、騒がしい声が聞こえてきた。


「杉山、お前もう隣の女子に手ぇ出したのかよ」


「違うって。高島さん、目が見えないって言ってただろ? このクラスに知り合いもいないみたいだから、こうやって手伝ってあげてるだけ」


 私の左隣からそんな会話が聞こえてきて、恥ずかしさのあまり私は顔を机に伏せた。


「高島さん、大丈夫?」


 しばらくして杉山君の心配そうな声が聞こえて、私は小さくうなずきながら顔を上げた。


 * * * 


 入学式から二週間ほどが経ったある日の朝、私はいつものように幼馴染の加奈と一緒に登校していた。


「そういえば、侑って、最近いつも学校で同じ男の子と一緒にいるけど、もしかして付き合ってるの?」


「えっ⁉ ち、違うよ⁉」


「でも、侑が男の子と一緒にいるなんて今までだったら絶対なかったじゃん?」


「そ、それは……」


 どうしてか急に言葉が出てこなくなった。確かに学校で杉山君といつも一緒にいるけれど、それは杉山君が私のことを手助けしてくれてるだけで、付き合ってるわけじゃない。ただそう言えばよかったのに、その言葉がどうしても言えなかった。


 学校に着いたところで、杉山君が部活の用事で少し遅れると言ってたことを思い出して、加奈に教室まで送ってもらった。けれど、なんだか杉山君がいないというだけで私は少し寂しくなってしまっていた。


 ……もしかして私、杉山君のことが好きなのかな……。


 そんなことを考えながら、私は教室に入った。


「ねえ、高島さん」


 鞄から白杖を取り出して自分の席に向かっていると、突然後ろから名前を呼ばれた。この前と同じような言葉だったけれど、その口調は杉山君のいつもの優しい口調ではなく、とても冷たい口調だった。


「えっと……な、なんですか……?」


「高島さん、なんで最近いつも杉山君と一緒にいるの?」


「そ、それは……」


「もしかして、高島さんって、杉山君と付き合ってるわけ?」


「えっと……そういうわけじゃ……」


「じゃあ、それならどうして杉山君は高島さんと一緒にいるとき、あんなに楽しそうなの? 付き合ってるわけじゃないなら、あんなに楽しそうにするはずないでしょ? あんたは杉山君と小学校違ったんだから」


「それは、その……」


「どうしていつも杖をついてるような老人みたいな子が杉山君と一緒にいれるわけ?」


「だから、そんなこと……」


「あんたさえいなければ、今頃私が杉山君と付き合ってるはずだったのに!」


 突然大きな声がして、その直後、私の持っていた白杖が弾き飛ばされて、床に転がる音がした。


「あんたみたいな障がい者が、私と同じ普通の学校になんて来なければよかったのよ!」


 そんなひどい言葉が私に突き刺さると同時に、私の体が強く押し倒された。周りからはざわめきと同時に、くすくすと小さな笑い声も聞こえる。私は泣きそうになりながら、何も言えずその場にうずくまってしまった。


「何も見えてないあんたのせいで、私たちみんな迷惑なの! あんたなんて、いなくなればいいのよ!」


 次々と投げかけられるひどい言葉が私に突き刺さって、私の顔を涙が伝ったかと思うと、そのまま止まらなくなってしまった。


 ……あの時、両親の言うとおりに転校していれば、こんなことにならなかったのに……。


 私は後悔でいっぱいになっていて、涙が止まらなくなってしまっていた。


 ……誰か、助けて……。


 その途端、教室のドアの開く音がして、誰かが私の隣に駆け寄るのがわかった。


「高島さん、大丈夫?」


 聞き覚えのある優しい声がして、姿の見えない誰かが、優しく私の手を握ってくれた。この声と手の感触の優しさは、杉山君に違いない。杉山君は私の頭を優しく撫でて、私の頬の涙を拭いてくれた。


「お前ら、高島さんに何してたわけ?」


 少しの間静かな時間が流れた後、私の隣でそう言い放つ杉山君の声は、普段私と一緒にいてくれるときの優しい声からは想像できないくらい、怒りに満ちているような声だった。


「高島さんが杖を持ってるのは、目が見えなくて周りの状態が全く分からないからそのために持ってるわけ。俺といつも一緒にいるのも、俺が高島さんの杖の代わりになってあげてるだけで、別に付き合ってるわけじゃないから」


 冷たい声で杉山君はそう言った後、さらに続けた。


「でも、お前とは付き合えない。他の人をいじめるような奴とは、俺は付き合いたくないから。それに、障がい者だっていう理由でいじめるような奴ならなおさら付き合いたくないから」


 そう淡々と杉山君が言い放つと、私をいじめていた子たちが教室から出ていく音がして、また教室が静寂に包まれた。


 そんな中、私はというと、杉山君が私のことをかばってくれたことに何故かドキドキしてしまっていた。


 ……もしかして私、杉山君のこと、好きになっちゃったのかも……。


 その日以来、私に嫉妬していた女の子たちが私に関わってくることはなく、杉山君のおかげかいじめられたりからかわれたりすることもなくなった。けれど、私の中には、「杉山君とこれからどうしたいのか」という新しい悩みが生まれてしまった。


 * * *


 それから数日後、学校が終わって、校門の前で杉山君といつものように別れ、私は一人で帰ろうとしていた。


「高島さん、今日、一緒に帰らない?」


 私が杉山君とつないでいた手を離そうとしたその時、杉山君が私の耳元で、小さな声で言った。


「えっ? 杉山君って、家、反対側だったよね?」


「あれ、高島さんにはまだ言ってなかったっけ。実は、家族の都合で高島さんの家の近くに引っ越したんだ。だから、これからは高島さんさえよければ、毎日一緒に登下校できるよ」


 杉山君はそう言うと、私の手を握って歩き始めた。私は、杉山君と一緒に帰れることが、とてもうれしかった。


 五分くらい一緒に歩いたところで、私は杉山君にどうしても聞きたかったけれど聞けていなかったことを聞くことにした。


「ねえ、杉山君」


「どうかした? 高島さん」


「この前杉山君、私がいじめられてるときに、助けてくれたよね」


「あの時のことが、どうかしたの?」


「あの時、杉山君以外誰も私のことを助けてくれなかったのに、どうして杉山君は、私のことを助けてくれたの?」


 あの時、教室には私と、私をいじめてきた子たち以外にも、何人か教室の中にいたはずだ。それなのに、誰も私のことを助けようとはしてくれなかった。


 それなのに、杉山君は私のことを助けてくれた。だから、その理由を聞いてみたいと思っていた。


「実は、僕の弟、耳が聞こえないんだ。だから、同じように目の見えない高島さんがいじめられてるのを見てたら、助けてあげないとって思って。障がいを持っている人がそれを理由に悪く言われているのが、どうしても許せなくって」


 杉山君は少し考えた後、そう私に教えてくれた。


 そうだったんだ。私が、目が見えないことを杉山君に打ち明けた時、あんな風に優しく接してくれたのも、私がいじめられた時に助けてくれたのも。全部、私の目が見えないから、杉山君は私に優しくしてくれたんだ。


 そんなことを考えながら歩いていると、杉山君が私に、家に着いたことを教えてくれた。


「また明日」


 私が家に入ろうとすると、杉山君が私の耳元でそう言った。


 ……どうしてかわからないけど、なんだか、少し寂しいな……。


 それから数日の間、私は毎日杉山君と一緒に登下校をしているうちに、家に着いて杉山君に「また明日」と言われた時に、だんだんと寂しく感じてしまうようになった。


 もっと杉山君と一緒にいたい。もっと話していたい。そんなことを考えながらも、私は何もできずにいた。


 夏休みが近づいてきたある日、私は加奈に私の悩んでいることについて相談した。


「実は……」


 一通り私が感じていることを加奈に話した。


「やっぱり、あの男の子のことが好きになったんだ~」


 加奈はそう笑いながら言った後、私の肩に手を置いた。


「侑は、その男の子のことが好きなんでしょ? だったら、その気持ちを伝えてあげないと」


 そう言うと加奈は私の背中を軽く押してくれて、私は杉山君に告白することを決めた。


 そして、終業式の日。私はいつも通り杉山君と一緒に下校していた。


「高島さん、着いたよ」


 いつものようにそう言って私の手を放そうとする杉山君の手を私は握り直した。


「えっと……杉山君……」


 家の前で、私と杉山君、二人きりの状態。私から言わないといけない、と頭では分かっているつもり。


 けれど、いざ杉山君に私の気持ちを伝えようとすると、急にとても恥ずかしくなって、緊張してしまう。


「どうしたの? 高島さん」


 杉山君の少し心配そうな声が聞こえた。


 ……勇気を出して言うと決めていたんだから、杉山君に、私の気持ちを伝えないと。


 この間加奈に背中を押されたことを思い出して、私はようやく気持ちを声に出すことができた。


「実は、この間、私のことを助けてくれた時から、私、杉山君のことが、すごく好きになって……。だから、私と、付き合って、くれませんか……?」


 やっと伝えられた、私の素直な、少し甘酸っぱい気持ち。


「こんな僕でよければ。こちらこそ、これからもよろしくね」


 杉山君も少し驚いていたみたいで、少し間が開いてから、杉山君がそう言ってくれた。


 うう……、「こんな僕で」なんて、ずるいよ、杉山君……。


 だって、目が見えない私にいつも優しくしてくれて、私のことを助けてくれて……。私にとっては、杉山君よりいい人なんていないよ……。


「私こそ、これからもよろしくね、杉山君」


 杉山君のおかげで、白と黒のはっきりしなかった私の世界は、カラフルに変わった。

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