最終章 結局甘さは最上級

第39話 同居生活はさすがに甘すぎる


 責任者兼店長は話し合った結果『跡継ぎ』として私が務めることとなった。毎日いることが難しいガトーさんはパティシエと販売員両方の補助を担当することに。ちなみにオープンしたばかりの今はほとんど毎日こちらに来てくれている。「慣れてきたら隔週になるかな」と。


 私は主に厨房でパティシエの仕事を担当。というわけで売り場は。


「よろしくお願いします」


「……なに。畏まって」

「だってここクビにされたらもう行くとこないし」


 ちょっとクセ者の我が弟、翔斗ひとりに任せることとなった。


 どうなることやら。と思ったけど、その滑り出しは案外順調なものだった。


 賑わいの理由はガトーさんの知名度ももちろんあるけれど、やはりというかこの人のせい。


「いらっしゃいませ」

「こちらでお伺いします」

「僕のオススメです」

「ありがとうございます」


 やっぱり別人だ。絶対に別人。表情、声、お辞儀の角度や細かな所作も、絶対翔斗あいつじゃない。


 東京のマダムにもそのウケは抜群で。瞬く間に噂はお客様を呼びフレジエは一気に人気店になっていった。


 キラキラ王子

 落ち着き王子


 あなたはどっち派? ……って。キラキラの方はニセモノですよ!?


 それはそれとして。


 厨房ではガトーさんと二人きりで作業することになったわけで。


 これまで同じ職場で働いたことはあったにしても、二人きりという状況は初めてのこと。


 他の人の目がない。ある意味で閉鎖された空間。するとなにが起こるか、というと。……え?


「あの……ガトーさん」

「……ん?」

「やりづらい」

「えー」


 二人でお店をやりたい、ってこういう意味ですか!? そういえば付き合い始めの頃も内緒にするのに苦労したんだっけ。


「愛する人を間近で見ていられるって最高の贅沢だよね」


「ひっ、もう、耳元で喋らないでくださいっ」

「あー、ちょっとそれ置いて? 抱きしめたくなった」

「っ、わ!? ダメです。お仕事に集中してくださいよっ」

「してるじゃない。こんなにも」


 ひいいいい! なんかこれまで押さえ込んでた分まで一気に溢れてます!?


「あ、の、おー」


 売り場から聞こえる冷えた声にはっとする。だけどこいつがいてくれてある意味よかったかもしれない。


「お取り込み中すんません。フレジエ完売です。追加ある?」


「あるある! 30分で出ます」


 ほらガトーさん、と促すとしぶしぶ作業に戻ってくれた。これは完全にイナヅカ本店むこうでのシェフとして真面目に働いてる反動だな。もう。フレジエこっちだって遊びじゃないのに!


 それでも彼の作業はいつでも完璧。ほら、カットしたケーキの断面はいつだって完璧に綺麗な半割れイチゴが顔を出す。店名でもある看板商品のこのフレジエは毎日必ず完売する。もちろん他のケーキも妥協や手抜きは一切なし。


 私こそほんとうは彼の作業をずっと眺めていたいくらいだよ。


 住まいは彼の通勤がしやすいように彼が勤めるイナヅカ本店とフレジエの中間地点にしよう、と提案したのに「いや、こっちに寄せよう」とガトーさんがフレジエの近くに決めてしまった。


 どうして? と訊ねてみるとこんな答えが。


「同じ時間にバラバラの方向に出発するよりも、いちごちゃんと眞白の寝顔を眺めてから先に出発する方が幸せだから」


 さすがに笑った。相変わらずの自分勝手くん。


 そんな彼の願いは。


「無理ですよ」

「どうして」

「だってもうこれで慣れてますし」

「なら新たに慣れればいい」

「んー、無理ですよ」

「でももう上司じゃないし」

「でも年上です」

「年上でも家族だよ」

「ううーん」


 早い話が「敬語をやめない?」というもの。実際できないわけじゃないけど、意識するとうまく話せなくなってしまうんだもん。


「あとできるなら『ガトーくん』って呼ばれたい」


 う。言うと思った。


「それも難しいですよ」

「ね、呼んでみて」

「ええー」

「まあ『とっておき』にしておくのもいいけどね」


 ふふん、と笑うとするりと腰に手が回る。自然と唇が触れ合って、目を閉じたらもう彼のペースだ。


「同じ家に住めるって、こんなに幸せなんだ」


 同じことを思っていたから笑ってしまった。


「これを我慢しようとしてたなんて、僕はほんとうにバカだったよ」


 お父さんに感謝しなくちゃですね。



「いちご。ここんとこ剥げてる。直して」

「えっ……これ最初から?」

「なに。俺がやったって言うの?」

「だあって……」

「俺がそんなミスするわけ────


 言い合いの途中でお客様のご来店があると翔斗はたちまち変身するから面白い。


「いらっしゃいませ」


 ショーケースの陰に屈んでくつくつ笑うとぎじっと足を踏まれた。ぐぎゃっ!


「シュー完売です。補充、お願いします」


 く。あとで覚えてなさいよ。



 姉弟仲はこんな調子でとびきり良くはないけど悪いわけでもなく。私はもちろん翔斗の販売員としての実力を認めていたし、翔斗も……。


「へー。このタルトいいね。本店のよりセンスいい」


「ほ、ほんとう!?」

「うん。売れると思う」


 時たまこんなふうに褒めてもくれた。



 一方でガトーさんと翔斗の関係はというと。


「稲塚さん。外掃いてきてもらえます?」

「えー。寒いからイヤだ」

「は? 俺だってイヤですよ」

「じゃあジャンケンする?」

「お、いいっすよ」

「三回勝負ね」

「なんで三回も」


 ……っていつの間にこんなに仲良しに!?


 さすがはあの偏屈なお父さんと仲良くできるガトーさん、ということなのか。こんな難しい性格の翔斗ともいとも簡単に打ち解けたらしい。



「ごめん翔斗、眞白が熱出たらしくって」

「ああ、いいよ抜けて。閉店して施錠までやっとく」


 こんなピンチも翔斗のおかげで乗り越えられたりもした。


 そうして、数年の月日が経ち……。


 いつの間にか『ガトーさん』は『ガトーくん』となり私と翔斗からの敬語もすっかり抜けた、そんな頃。


「はああああー」


 年のいちばんの繁忙期のクリスマスを乗り越えたあと、休み明けの年始から、翔斗がわかりやすくため息をつくようになっていた。




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