① 耳鳴り

「簡潔にお伝えすると、死にますね。」


「...は?」


目の前の医者が口にした言葉に耳と脳みそが疑いの判決を下して言葉が出た。我が人生において重大発表がされた個室で、自分の神経が伝達され、正常であることを女は感じている。そんな私が、死の宣告を受けるのは甚だおかしな話だ。


「ステージ4のL30ですな。今まで気づかなかったのが不思議だが、もともと貧血持ちか...。すぐ入院をしましょう。お手続きは受付でしますんで入院っちゅうことで。」


「...はい?」


「でもね、今の世の中、いろんな治療がある。生きることはできる。さっきは脅してしまったけど、死にはしません。まぁ、しかし、その後が問題ですなぁ。ご親族の病気がわかった時、どうしてすぐに検査をしなかったんですか?何年前ですか、お父さんの病気わかったのは。」


「13...15年前ぐらいです。母が、しなくていいと、言ったので。」


「...ほーですか。」


病室が、静かになった。

私は会社で受け損ねた健康診断をわざわざ休みを取得して市民病院に受けに来ただけだというのに、こんなことを言われる準備などしているわけでもなく、ただ呆然とするしかなかった。


父の病気がわかった時、母は静かに悲しんでいた。

隠居をした時に、2人で色んなところへ旅行をすると言っていたが、治療法のない病気だとわかった父は坂を転げ落ちるように人としての在り方を堕落していく道を選択した。


それでも、夫婦という形は健在で2人で支え合っていた両親を女は恨むことはできない。


「入院しなければ、どれぐらい持ちますか?」


さらに静かになる診察室の奥の方で、カタンと誰かが何かを落とす音がした。それとともに耳鳴りがする。


「偶然だけどね、30年前、君が小さな町病院で生まれた時の担当したお医者さんは僕のお父さんだ。本当に偶然だよね。僕はまだあの時は学生でね、ちょうど医大の受験前でね、夜中は2階の自宅で勉強してて、そしたら電話が鳴ってね、君のお父さんからだった。その電話を取ったのは僕だ。その時、僕のお父さんはお風呂に入ろうとしてたからね。ははは。そして数時間後に君が生まれてね、君は珍しい苗字だし、僕はよく覚えてるよ。」


医者の胸のところについた名札に、"白木"と書かれたネームがついていた。その名前は幼い時から成人になるまでは風邪を引いたりすれば母に連れて行かれていた町医者の白木医院の先生の名前と同じだった。


「だからってことではないけれど、最善を尽くして君を助けたい。」


医者の仕事内容はとても変わっていると女は思った。

勝手に病気になった人の命を助け、その人の人生も、もしくは他者の人生も立て直したり崩してしまうことだってできるのだから。


「入院しなければ、いつ死にますか?」


言葉を変えて同じ質問をしてみた。

3年前に姉がL30になった。強い薬に精神をやられ、長くて綺麗だった髪が抜け落ちた。神経質な部分に輪がかかり、人にハサミを突きつけ、私を階段から突き落としたことをきっかけに、今は精神病院に隔離されている。


姉は、容姿端麗で勉学のできる、優秀な人だった。


2年前には兄が消息した。勤めていた上場企業が倒産し、大々的なニュースになり、世の中が慌ただしくなっていたが、それらが発覚する数日前に実家に戻ってきた兄はとても冷静だった。そして、3000万の文字が書いてある通帳を私に託し、次の日には居なくなっていた。


兄は国立大学を主席で卒業した人だった。


そして1年前、両親が心中をした。


「...何も対応をしないで、動けなくなるのは、1ヶ月後だね。」


「わかりました。」


診察室を後にしようとする私に目を見開く白木先生はドラマのような言葉を吐き捨てた。


「バカなこと言うんじゃない!きっとご両親も悲しむ!今ならまだ間に合う!」


ベッドの上から動くことも愚か、喉の筋肉が衰えて寝ることさえも恐怖で不眠症になり、腐った魚のような目をした父親を思い浮かべた。


「わたし、、、仕事があるんです。」


今日はお休みだけれど、明日は出勤だ。

明日の仕事に備えなければならない。


「ありがとうございました。」


深々と頭を下げて、女は診察室を後にした。

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