第2話 まおちゃんの下僕
「おまえ、あの子とどういう関係なんだ?」
課長にフロアの隅へと呼び寄せられた和弘は、ジロリ睨まれながら問い詰められた。
関係と言われても、なんのことはない。一緒に住んでいる姪っ子である。
兄夫婦の子で、幼い頃から彼が面倒を見ていた。
そのためとても懐かれており、和弘もまた、彼女を大切に思っているという関係だ。
しょっちゅう一緒に遊んでいた。
とりわけ真央ちゃんが好きなのは、夏場の水鉄砲。「シュート!」とお互い言いながら、水鉄砲を撃ちあっていると日が暮れる。
真央ちゃんはあれでいて狙いが正確なんですよ、などと和弘がシメに笑ってみせたのは、課長の猫撫で声になんとなしの不安を感じていたからだった。
「そうか。そんなに懐かれているならおまえの言うこと聞きそうだな」
「え?」
「いいか、あの子をウチの会社と契約させるんだ。あの子を研究したければウチを通す形にする。それだけで途方もない稼ぎになる案件だぞこれは」
ぐひひ、と厭らしい笑いを浮かべる課長。
和弘は真顔になった。
なに言ってるんだ、この人は? しばらく考えて、眉をひそめる。
そんな和弘の表情なんかお構いなしといった顔で、課長は一枚の書類をデスクに置いた。
「とにかく本人に、この特級魔法契約書へと署名させてしまえ! そうすれば親がなんと言おうと、どうとでもできる!」
「子供に特級魔法契約書を使うのは倫理上の問題があるのでは?」
「バカ、倫理上、というだけだ。今はまだ法で整備されてないんだから合法だ」
特級魔法契約書とは、『魔力』を持った人間だけを縛る魔法が込められた、現状ではギリギリ合法というだけのシロモノだ。
魔法がこの世界に溢れ出した頃、黎明の混乱を乗り越える為に作られた一種の奴隷作成魔法。無法者が魔法を手にして抑えの効かなかった時代に生まれた、負の産物ともいえるものだった。
この世界は一枚岩でないので、魔法使いを良しとしない一派が存在する。
そういった勢力が一定の力を持っているせいで未だに法整備されきらない、現代の闇ともいえる魔法契約書なのだった。
「よしいけ、斎堂!」
「え、いやです」
「はあっ!?」
上司は大声を上げた。
「なに言ってるんだ仕事だぞ!? ボーナス抜きにでもされたいか!?」
「いや普通に身内を取りますって」
「バカやろう、首にするぞ!?」
大声を出されれば出されるだけ、冷静になってくる和弘だ。
降ってわいた大金を得られる契約に、課長は我を失っているのだろうと。
確かにチャンスなのかもしれない。契約した真央ちゃんを出向社員の形で各取引先や国家機関にでも貸し出せば、寝てても大金が入ってくる。会社が一気に大きくなる。
しかしもちろん、と和弘は真央の方を見た。
真央の近くには複数の社員が立っている、逃がさない姿勢なのだろう。
だがそれは、真央ちゃんが普通の小学生だったなら、の話だ。
「逃げて真央ちゃん!」
和弘の声に反応した真央が逃げようとする。
しかし社員の一人が、そんな真央の腕をグイと強く掴んだ。
「真央ちゃん! シュークリーム、シュート!」
シュート、という言葉にピンと来たのだろう。
真央はリュックを床に置くと、両手の平を広げた。
そこから勢いよく無数のシュークリームが飛び出て、社員たちの顔にぶつかる。
だいぶ強い勢いだったので、中のクリームがべちゃっと飛び散った。カスタード半分、生クリーム半分の中身でちょっと高級。
「「うわわっ!」」
真央の腕を掴んでいた社員も含め、彼らが皆怯んだ。
社員たちの脇を駆け抜けて真央が和弘の方へとやってくる。
和弘も走った、非常階段のドアを開ける。
「ここから逃げるよ真央ちゃん!」
「わかりましたおにーちゃん!」
真央が走りながら返事をする。
課長の脇をすり抜けた。
「このっ!」
追い掛けてこようとする課長に向かって両手の平を広げると、やっぱりポポポポポン。
無数のシュークリームを手から出して顔にぶつける真央だった。
「さすがの命中率!」
「水てっぽーで鍛えましたから!」
二人は非常ドアを下っていった。後ろから声が聞こえてくる。
「逃がすな、捕まえて強引にサインさせるぞ!」
課長を筆頭に、社員たちも追い掛けてきたのだった。
和弘の会社は駅前近くのビルに入っていたから、繁華街も近い。逃げた二人は街中の雑踏に紛れながら走った。
「真央ちゃんはお兄ちゃんに告げないといけないことがあります」
「なんだい?」
手を繋いで走っている二人。
真央が後ろから、和弘を見つめる。
「実は真央ちゃんは、魔王になってしまったのです」
「は?」
もう一度言って、と和弘が促すと、真央ちゃんは子供とは思えないほど冷静な声で応える。「魔王です」と。
和弘は目を丸くしながら言葉を失った。
少なくともこの状況で言うような冗談じゃあない。
「正確には、異世界からこちらの世界に転移しようとした魔王の魂が、真央ちゃんの中で目覚めてしまったのです。いま真央ちゃんの中には、もとの真央ちゃんの意識と魔王の意識が混在しています」
シュークリームが止まらないのは、その魔王の力が暴走してしまっているからだと言う。
「お兄ちゃんにこの暴走を止めて欲しいのです。そのためには魔王の下僕になって貰う必要があるのですが」
「下僕に、って。どういう理屈なんだ」
「真央ちゃんは下僕とした人間に力を分け与えられます。それでいったん暴走は止まるはずなのです」
下僕とできる人間は一人だけ。
真央ちゃんはお兄ちゃんである和弘にぜひ下僕になって貰いたくて、会社まで来たのだという。
「和弘お兄ちゃん、魔王の……いえ、真央ちゃんの下僕になってくれませんか?」
「もちろんだ、なるよ」
和弘は頷いた。
魔王の話を信じたわけじゃない。なにかの理由で混乱しているのだろうと思っただけだ。でも真央を落ち着かせる効果はあると考えたのである。
「ありがと、お兄ちゃん!」
そう声を上げると、真央は足を止めた。
和弘に
「だいすきです」
真央は和弘の額にキスをした。――途端!
和弘の頭の中に、まるでインストールでもされるかのように、魔法の知識が流れ込んでくる。
(えっ!?)
狼狽えた。真央ちゃんの言うことは、本当だったんだ、と狼狽えた。
流れ込んでくる知識は魔法のことだけじゃあなく、見知らぬ風景の記憶や知らぬはずの顔など、『魔王』の記憶の一部もだ。ビジョンが流れてくる。
広大な緑の大地の上に立ち、『魔王』らしき女性が何千、何万もの軍勢を前にして激を飛ばしていた。彼女は異世界の覇者だった。世界を手中に収めた彼女は、さらなる領地の拡大を求めてこの世界への移動を試みた。
その際に不手際があり、『魔王』は『真央』の中で眠りについた。
真央は、魔王になった。
「これでお兄ちゃんは魔法を使えるようになりました!」
「シュークリーム、止まった?」
「はい、とまりました!」
よかった、と和弘が真央の頭を撫でていると、「待てぇ!」と後ろから課長たちが追いすがってくる。
和弘はチラとそちらを見て、笑った。慌てず騒がずに、真央に声を掛ける。
「飛ぶよ、真央ちゃん」
そう言って和弘は、真央を抱えた。
お姫さま抱っこをして、空を見る。
「空の
和弘の頭上に大きな光の魔法陣が描かれ、二人の身体がふわり、浮かび上がった。
ゆっくりだったのは、一瞬。
次の瞬間には「ドン!」と勢いよく空の彼方へと二人が落ちていく。
「ななな、なんだぁっ!?」
二人に追いすがれそうで嬉しそうに顔を歪めていた課長の頬が引きつった。
後ろから来た社員たちも、棒立ちで空を見上げる。
彼らは、あっという間に空の中へと消えていく二人を見つめることしか出来なかったのだった。
◇◆◇◆
空に落ちる。
それはなんとも気持ちよい体験だった。
空の底に着いた和弘たちの身体は軽くバウンドし、水平に飛び出す。
風を切る音だけが、耳に届く。
やがてそれも聞こえなくなったのは、二人を魔法の障壁がガードしてくれたからだ。
「こ、これは……なんという絶景」
声を上げた和弘は、真央ちゃんを抱えながらポケットからスマホを出す。
動画動画、とrecボタンを押す。彼はカメラがないと落ち着かない記録魔なのだ。
「小さな街並みが綺麗ですね、お兄ちゃん」
「そうだな、綺麗だ」
「人が、ゴミのようです」
――ん?
真央がにこやかに言った言葉を、和弘は心の中で反芻する。
「いま、なんと? 真央ちゃん」
「というわけでお兄ちゃん」
真央は満面の笑顔で言った。
「真央ちゃんは魔王なので、世界征服を目論もうと思います」
そうか、と和弘は納得した。
今の真央ちゃんは、意識の一部が『魔王』なのだった。だからこんな剣呑なことを言い出す。和弘は落ち着いて、自分もにっこりと笑ってみせた。
「真央ちゃん、今の時代、この世界でそんなことできるわけないよ」
「できませんか?」
問われて彼は頷いた。
「わかりました諦めます」
なんだ簡単に納得してくれたぞ、拍子抜けだ。和弘は話題を変える。
「それよりね、やっぱりまずは病院で見てもらお? ホントに無から有を生み出してるのか、万一真央ちゃんの健康が代償になってたりしたら俺ヤダよ」
「その前に、ちょっとだけ行きたいところがあるのですが!」
真央が元気な声を出した。
え、どこ? と和弘が問い返すと真央は言う。
「ダンジョンです!」
「なんでまた? 確かに真央ちゃんダンジョン配信好きだったとは思うけど」
「この世界のダンジョンの奥には、真央ちゃんの魔王としてのチカラの欠片が眠っているんです!」
いずれそれを回収しにいく為に、まずはダンジョンを覗いておきたいのだという。今行く必要があるのかという疑問はあったが、真央の押しの強さに負けてしまう和弘。
「そうかダンジョン……、そうだな利用できるかも」
「なにがですか!?」
「いやね、会社の人たちや政府の人らに追い掛けられないように、ちょっと対策しておくのもいいと思ってさ」
「対策……?」
「そう、対策だ。ダンジョン配信をしよう」
「配信ですか!?」
真央が嬉しそうな声を上げた。彼女はネットのダンジョン配信が大好きだ。
「そう。さっき真央ちゃんの動画がバズってたからね、それを利用しない手はない」
和弘が言う作戦は、こうだった。
先ほどの動画だけでも、真央ちゃんにはすでにファンらしきモノが付いていた。衆目を集めることで、真央ちゃんに対する魔法省や他企業の態度を監視させることができるかもしれない。
要するに、真央ちゃんが魔法省などにあまり変なことをさせられないような空気をファンにつくってもらおう、という作戦だ。
「……ま、真央ちゃんに配信者なんて務まるのでしょうか!?」
「真央ちゃんなら大丈夫だと思うよ、俺も頑張って撮影するからやってみよう」
「よ、よろしくお願いします和弘おにーちゃん!」
こうして和弘たちのダンジョン配信活動が始まるのであった。
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真央ちゃん本人の一人称を「真央ちゃん」にするか「まおちゃん」にするかで悩んでいる作者です。前者は読みやすく、後者は雰囲気が合っていりゅ。はーどうしよw
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