青き瞳のクリエイト
タトバリンクス
天才ピアニスト編
第1話 プロローグ 前編
1
夕暮れの学校に鳴り響くピアノの旋律。
どこからともなく聞こえるその旋律にぼくは足を止めた。
部活動で賑わっていた校内は、すっかり人気がなくなって静寂に包まれている。
聞こえてくるのは美しいピアノの旋律のみ。
その旋律はどこか物悲しくて切ない音色だった。
しかし、それはそれで心地よくもあり、いつまでも聞いていたいと思うような曲であった。
この旋律を奏でているのは誰なのだろうか? 気づけば引き寄せられるようにその旋律の元へと足が動いていた。
さながらセイレーンの歌声に吸い寄せられる船人のようだ。最もセイレーンの場合は歌声だがなんてツッコミが頭に過ったが、状況的には大して変わらないだろう。
そんなことを考えながら、ぼくはいつの間にか音楽室の前に立っていた。
窓は開け放たれており、そこから音楽室の中を覗くことができた。
音楽室の窓からは夕日が差し込み、その茜色の光はグランドピアノを照らし出している。
そしてそのピアノを弾くは一人の女子生徒。
長く綺麗な金髪を靡かせながら彼女は一心不乱に鍵盤を叩きつけていた。
その表情はどこか悲しげでまるで旋律が彼女の心情を表しているかのようだった。彼女が奏でる旋律は悲しげで、どこか儚い。
そしてとても綺麗で美しくもあった。まるで彼女という人間がそのまま音楽として表現されているかのように思えてならなかった。
こんなにも綺麗な音をぼくは今までに聴いたことがなかった。
ぼくは思わず息を吞んだ。
どれくらいの時間そうしていただろう。時間にすればほんの数秒かもしれないし数分かもしれない。時間を忘れるほどの演奏だった。
それがぼくと彼女との出会いの始まり。
物語としてはあまりにも在り来たりな出だし。典型的なガールミーツガールだ。
しかし、これは現実。現実は小説より奇なりなんて言うが、生憎とそのような状況にぼくは遭遇したことがない。
どこまでも平坦で平凡で日常的なありふれた在り来たりな青春の一ページ。
それでもぼくにとってはこの出会いは運命的であり、そして奇跡的なものだと言える。
なぜならそれがぼくと彼女との一幕なのだから。
2
「──とまあ、それがぼくと彼女の出会いってわけだ」
「はあ……」
何とも言えない表情を浮かべる天道さん。無理もない。ぼくだってこんな話をされたら同じ反応をするに違いない。というか普通しない。
「それで急にうちの新聞部の部室にやってきて、急に語り出して何しに来たんだよ?」
呆れた顔で尋ねる天道さんにぼくは笑顔を向ける。
「なに至極簡単なことだよ、天道さん、ぼくが昨日あった彼女について何か知っていることはないかなと思ってね」
「そういうことか、なるほどな……確かにうちの学校のことなら我が新聞部が一番詳しいもんな」
「そういうことさ、話が早くて助かる」
そう、ぼくには昨日の彼女がどこの誰なのかさっぱりわからなかった。というよりもぼくは彼女について何も知らないと言ってもいいだろう。
名前も学年もクラスも何も知らない。わかるのは彼女が超の付く美少女ということだけだ。まあ、それだけで十分ではあるが。
そんな訳でぼくは天道さんに昨日の彼女のことを教えてもらうため新聞部の部室にやってきたという訳だ。
そんなぼくらの会話に一人の女子部員が手を上げる。
「あの部長……そもそも彼女……どこのどなたですか? 部長のお知り合いみたいですけど……新聞部の部員じゃないですよね?」
至極真っ当な疑問だ。確かに彼女の疑問ももっともである。
彼女たちからすればぼくは初対面の人間でなおかつ新聞部の部員でもない。それなのに新聞部の部室で我が物顔で堂々としているのは、部員として内心穏やかな気持ちではないだろう。
その疑問に答えたのはぼくではなく天道さんだった。
「そういえば紹介してなかったな、彼女は俺の中学時代の後輩で、ついでにうちの新聞の連載コーナーの小説を提供してくれている
「えっ!? うちの新聞のメインコンテンツ過ぎて最早記事なんていらないのではって言わせるあの『雪がとけた後に』の原作者ですか!!?」
「ちょっと待って!! さすがに記事がいらないは聞き捨てならないぞ!! メインなのは確かだけどさぁ!!」
さすがにスルーできなかったのか、天道さんは抗議の声を上げるが、部員たちはそれどころじゃないと言わんばかりの様子でぼくを見る。
「じゃああなたがあの三少葉先生なんですね!?」
「ああ、そうなるね」
「わあっ! 凄い!!」
そう言ってまるでアイドルにでも会ったかのような反応を見せる部員たち。
ちなみに『雪がとけた後に』というのは我が校が発行する学内新聞の連載小説であり、学内では話題となっている。内容は王道中の王道な恋愛ストーリーで純愛モノ。
最初は天道さんに頼まれて、学内新聞のオマケのような扱いで書いていたのだが、その人気は徐々に上がっていき、今では学内新聞の目玉コンテンツにまで成長したらしい。
連載当初はさすがにここまでの人気になるとは思わなかったが、自分の作品が多くの人に支持されているのは嬉しいものだ。
「それにしても三少葉先生がまさかこの学校の三大美人の一人本郷沙葉さんだったなんて驚きです」
「そもそも部長なんかと知り合いってのが驚き」
「本郷沙葉……どこかで聞いたことある名前だと思ったらあの三大美人の本郷沙葉か!!」
部員たちはそれぞれに反応を見せる。なんか、ぼくの知らないところでぼくの名前が独り歩きしているような気がするがこの際気にしないでおこう。
「では、改めて自己紹介といこうか、ぼくの名前は本郷沙葉、気軽に沙葉と呼んでくれ」
「私は一年の
「同じく一年の
「二年の
「私は二年の
そう言ってみんなはぼくの手を取る。そんなぼくに天道さんは声をかける。
「とりあえず自己紹介は済んだことだし、本題に戻るぞ」
「ああ、そうだね」
そう言ってぼくは天道さんに向き直る。
「それで天童さんは件の彼女について何か心当たりはないかい?」
「ああ、大体は検討が付くが、一応彼女の特徴を詳しく教えてくれると助かる」
「もちろんだとも、ぼくが覚えている限りのことを全て話すつもりさ」
そうしてぼくは天道さんに彼女の特徴を語り始めた。
透き通るような白い肌に整った顔立ち。瞳の色はぼくと同じで青色でまるでサファイアのように輝いている。
そして何よりも印象的なのはその髪の色だ。金色に輝く髪の毛はとても美しく神々しい輝きを放っていた。そんな風に彼女のことをぼくはありのままに語った。
「ふむ……、やっぱりな」
ぼくの話を聞き終えた後、腕を組みながら納得したように呟く天道さん。
「その反応……やはり何か心当たりがあるようだね?」
「ああ、ピアノが上手い時点である程度は察していたが、身体的特徴で確信した。間違いない、彼女の名前は
「ほう、月城か……ならもしかしてあの月城家かな?」
ぼくの問いに天道さんは小さく頷く。
月城家と言えば古くから続く音楽家の名門であり、その一族は数々のコンクールで輝かしい成績を収めてきた。
また、海外で活躍するピアニストも多く輩出しており、音楽界においてその影響力は計り知れないものである。
音楽に疎いぼくでも知っているまさに名門中の名門。それが月城家。
そんな大層なお家柄のお嬢様がどうしてこんな田舎の高校にいるのか不思議だがひとまず置いておこう。
「それで、彼女はどんな子なんだい?」
「そうだな、一言で言うならギャルだ」
「……はぁ?」
予想外の言葉に思わず変な声が出てしまう。
今なんて言った? ギャル? あのギャル? ぼくの頭の中でギャルという文字がぐるぐると回っている。
「まあ……その反応になるわな……」
「いや、だって……ねぇ?」
まさか月城沙音がギャルだなんて思いもしなかったのだから仕方ないだろう。
「確かにあの名門の月城家のお嬢様がギャルというのは意外だと思うのは分かる。実際、俺も初めてこの目で見たときは目を疑った」
天道さんはうんうんと一人勝手にうなずいて納得している。
そんなぼく達の反応を見て、双葉さんが苦笑いしながら口を開く。
「えっとね、月城さんは確かにギャルっぽいけど、やっぱり中身がお嬢様だから実際はとてもしっかりしているよ」
「そうですよ、それに綺麗で優しくて面倒見もいいし、男女問わず人望も人気も厚いんですよ」
双葉さんと黄瀬さんはそう言う。
なるほど……確かに二人がそう言ったということはそういうことなのだろう。
確かに彼女の容姿は整っていたし、どことなく育ちの良さも感じた。しかし、ギャルって単語だけ聞くとやはりぼくの中でどうしても結びつかないんだよな。
「そもそも何で三大美人である君が知らないんだ、そっちのほうが驚きだぞ」
呆れたような表情を浮かべる天道さん。
「生憎とこの学校の図書室の完全読破と執筆作業に専念していたからね、あまり校内のことは気にしていなかったんのさ」
そもそも自分が三大美人という括りに括られていた事実も初耳だ。
「なるほどな、確かにお前ならやりかねないな……」
天道さんはぼくの返答に苦笑いを浮かべる。
「それで、肝心の彼女の情報についてもっと知りたいのだが?」
「分かった、と言ってもそこまで知っているわけではないが、それでもいいか?」
「構わないさ、少しでも情報が欲しい」
ぼくの頼みに天道さんは小さく首肯すると語り始めるのだった。
天道さん曰く、彼女はクラスでも人気者のいわゆる陽キャという奴らしい。
いつも明るく活発で、男女問わず分け隔てなく接するので交友関係は広い。
そんな彼女はクラスのムードメーカー的な存在でもあり、みんなの中心にいることがほとんどだという。
その一方で彼女はピアノの腕前はプロ級で、小さい頃からピアノの英才教育を受けており、幼い頃からピアノの大会で何度も優勝しているのだという。
そして、去年行われた全国規模のコンクールでは最優秀賞の受賞を成し遂げるほどの実力。
さらに、彼女の両親は共に世界的に有名なピアニストである。
つまり、月城沙音とは日本が誇る音楽界のサラブレッドであるのだ。
しかも天は二物を与えずとはよく言ったもので、彼女はピアノ以外の楽器でもかなりの才能を発揮し、様々なジャンルの曲を演奏しているそうだ。
天道さんが語る彼女のプロフィールにぼくはただ黙って耳を傾けていた。
彼女のことを何も知らなかったぼくは、こうして天道さんのおかげで彼女のことを少しだけ知ることができた。
しかし、気になる点が一つ。
それだけの実力を持っていながら彼女は音楽系の部活に入っていないことだ。
部員の欠員が出た際に助っ人で呼ばれたりすることはあっても特定の部活には所属していない。
これだけのポテンシャルを持つ彼女が何故なのか。
単純に世界レベルの実力を持つ彼女からすれば、ただの高校生の部活動なんてレベルなんておままごとのようにしか思えないのだろうか?
そもそもこんな音楽科もない普通の高校に通っていること自体が不思議なくらいだ。
「ありがとう天道さん、おかげで彼女のことが分かったよ」
「いやいや、これくらいのことしか教えられなくてすまないな」
「そんなことはないさ、ぼくにとっては十分すぎるくらいだよ。おかげで今後の方針が決まったよ」
そう、彼女のことを知ることができた今、ぼくにできることは一つしかない。
ぼくは彼女にもう一度会いたいのだ。会って彼女のことをもっと知りたい。
そんな想いがぼくの中で芽生えていたのだった。
3
授業終了を知らせるチャイムが鳴り響く。その音を聞いた瞬間、教室の中は一気に騒がしくなる。
今日の授業は全て終わりあとは帰りのホームルームを待つだけだ。
担任が来るまで他愛もない雑談で教室はどんどん賑やかになっていく。中にはこれから遊びに行くのか楽しげに会話している声も聞こえる。
そんな中、ぼくは席に座ったまま、自分の鞄に教科書を詰めていた。
「ねえねえ、沙葉ちゃん」
そんなぼくに誰かが声をかけてきた。顔を上げてみるとそこには一人の少女が立っていた。
「どうかしたのかい? 水無月さん」
そこにいたのは新聞部で同じクラスだったらしい水無月遥だった。彼女は肩にかかるくらいの綺麗な栗色の髪を揺らしながらこちらを覗き込むように見ている。その仕草はまるで小動物のような愛らしさがあった。
「これから月城先輩に会いに行くの?」
「一応はその予定さ」
「そうなんだ、沙葉ちゃんって……結構積極的なんだね」
少し感心したような様子で言う水無月さん。
「積極的というよりもどちらかと言えば、気になる対象ができればそれ以外のことを考えられなくなる性質でね、それが今回はたまたま彼女だっただけさ」
「なるほどね~」
ぼくの答えに納得したのか水無月さんは大きく頷いた。そして彼女はそのまま言葉を続けた。
「なら、今日は月城先輩とお話できると良いね」
そう言って彼女はにっこりと笑う。
「そうだね、そうなることを切に願うよ」
そんなやり取りを交わしてぼくらは別れた。
その後、すぐに担任がやってきて帰りのホームルームが始まった。
内容は特にこれといったものはなく、担任の話をぼんやりと聞き流す。
「それじゃあ、気をつけて帰るんだぞ」
担任はそう言い残して教室から出て行った。それと同時に生徒たちも各々教室から出ていく。
そんなクラスメイトたちの様子を横目で見ながらぼくも鞄を手に取った。
「さてと」
ぼくは席を立ち上がってすぐに教室を出る。目指すのはもちろん彼女のいる場所──音楽室だ。
ぼくは足早に廊下を進み階段を上がる。四階まで登りそのまま突き当たりの角を曲がれば音楽室だ。そして廊下の角を曲がると、昨日と同じように音楽室の扉の前に立つ。
そこで一旦立ち止まりあることに気づいた。
そもそも彼女が今日音楽室に来ているとは限らないことに。
もし、彼女がここにいなかったらぼくは無駄骨になってしまう。
あまりにも彼女の演奏を聴きたいがためにそんな可能性すら忘れてしまっていた。
自分の間抜けさ具合に思わず笑ってしまう。
「いやはや、このぼくは物語以外でこんなにも心踊らされるなんて想定外だ」
自分が物語の虫であることは百も承知している。
もはや物語が好きすぎて病気と言っても過言ではない。
そんな病的なまでに物語を愛してしまうぼくがそれ以外のものに興味を惹かれるのは初めての経験だ。
それほどまでに彼女の旋律がぼくの中で大きなものになっていたらしい。
「さてと……どうしようかな」
そんなことを呟いているが考えても詮無きこと。
考えるよりもまずは行動だ。ぼくはゆっくりと扉に触れると、どうやら鍵は空いているようだった。
「とりあえず、入ってみるか」
ぼくは意を決して扉を開けた。だがそこには誰もおらず静寂に包まれた空間が広がっていた。
「こういうことも想定してなかったわけではなかったが……」
肩を落とすぼく。
だが、ここで諦めるわけにはいかない。ぼくは僅かな期待を込めて音楽室の中へと足を踏み入れる。
そして周囲を見渡してみるがやはり誰もいない。
「……ふぅ」
深いため息が漏れる。もしかしたら、彼女は今日はもうここにはいないのかもしれない。
いや、もしかしなくてもその可能性も十分に考慮すべきだ。
このまま彼女のクラスに直接向かってもよかったのだが、ひとまず彼女が来るかもと思い待ってみることにした。
教室の片隅でポツンと置かれている椅子に腰を掛ける。窓から差し込む夕日が教室を茜色に染め上げる。まるでぼくと彼女が初めて出会ったあの時のようだ。
そんなノスタルジーを感じながら、瞳を閉じる。
すると、ぼくの脳内で再生される昨日聴いた彼女の音色。
ピアノを弾く彼女の姿と旋律を思い出すだけでぼくの心は躍動し、インスピレーションが湧いてくる。
瞳をゆっくりと開くと、鞄からノートとペンを取り出して思うがままペンを走らす。
ノートの上に書き記されるのは彼女の旋律を元に紡がれる物語。
「ああ、彼女の旋律は実に素晴らしい」
ぼくの創作意欲をここまで掻き立てるのは彼女以外にはいない。いや、初めてだ。
まるで物語のヒロインと出会ったかのよう。
そんな錯覚を覚えるほどぼくは月城沙音が奏でる旋律に強く惹かれていた。
湯水のごとく溢れ出る情動のままに物語を紡ぐ。
彼女が奏でた世界を文字という形に落とし込んでいく。
今まで経験したことのない感覚。物語を創作する時に感じるあの高揚感とはまた違ったこの感覚はとても心地よいものだった。
しばらく無我夢中で書いていると、いつの間にか時間が経っていた。
「ふぅ、こんなものかな」
ぼくは小さく息を吐いてからペンを止める。 気が付けば夕陽も沈みかけており、教室の中は薄暗くなり始めていた。
そこでようやくぼくは我に返り、周囲を見渡すとそこには誰もいなかった。
「……帰るとするか」
さすがにこれ以上学校に残っていても仕方がないのでぼくは帰ることにした。
ノートとペンを鞄にしまおうとすると、突然ガラガラッと勢いよく音楽室の扉が開かれた。
突然の来訪者にぼくは驚いて視線を向ける。
そこに立っていたのは、ぼくが会おうとしていた人物である月城沙音だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます