第8話 後始末①


 目が覚めたら知らない天井だった。

 などとライトノベルの導入みたいなことを一愛いちかは思い浮かべたが、普通に病院のベッドだろうなと当たりをつける。気を失う前の記憶ははっきり残っていた。

 まだ少し怠い体を動かして、欠伸をしながら起き上がった。


「――おにいちゃん!」

「唯……? なんでここに」


 最初からそこにいたのか、唯愛が一愛のベッド脇に座っている。

 まだ空は明るい、昼頃だろう。学校はと思って言った言葉だが、それが唯愛は大層お気に召さなかったらしい。泣きそうだった顔から一瞬で怒った顔になる。


「なんでここにじゃないよ! 怖かったんだから! おにいちゃんがダンジョンに居なくなっちゃって、もう帰ってこないかもって思って……っ。うー、うぅぅばかぁっ」


 最初は勢いよく怒っていた唯愛だが、それも長くは続かなかった。

 すぐに眦に涙を浮かべ、一愛に飛びつくように抱きついてくる。


「怖かったんだから! 本当の本当に怖かったんだからぁ!」

「ごめん、ごめんよ」

「警察の人もよくわからない人も、もう生きてる可能性は低いとか言うし! 今の内に心の整理をとかわかんないこと言うし! それでも、それでもおにいちゃんならって……っ、頑張ったんだからぁ!」

「……うん。そうだね、そっか。ありがとう」


 幼い妹にまでこれほどの心配を掛けていたことに一愛は胸を痛める。

 完全に自業自得で申し開きもないが、謝り倒して許してもらうしかないだろう。幸い一愛は生き残ったのだ。これから謝る時間はいくらでもある。

 唯愛の言葉から考えるにどうやら自分は捜索願を出されていたことを一愛は悟る。

 ダンジョン内での行方不明は警察に届出る捜索願とはまた違い、届出先は探索者協会となる。恐らく一愛の両親はまず警察に捜索願を出し、警察は経緯を調べて一愛がダンジョンに入ったことを知ったのだろう。そりゃ知っている。なんせ一愛が最後に会った人間は警官だ。

 探索者協会の捜索願は警察と違って有料となる。一応国家機関であるのだが世知辛い。

 まぁ仕方ないことなのだろう。通常の行方不明者と違ってダンジョンでの行方不明は完全に自己責任だ。探索者登録証にも書いてある。富士山で疲れて帰れないからとブルドーザーやヘリを呼べばお金が掛かるのと同じだ。

 ちなみに1層での行方不明者の捜索金は100万円である。2層以降はもっと高い。いやそれでも安い方なのかもしれないが。


 暫く唯愛の好きにさせていたら次第に落ち着いてきたらしい。伺うような上目遣いで一愛を見上げてくる。


「ねーおにいちゃん。おにいちゃんがダンジョンに入ったのって私のせい、」

「それは違う」


 何が言いたいのか分かり被せるように答える。


「唯、ごめんな。俺がはっきりしなかったから、長い間辛い思いさせて」


 そうして一愛は唯愛に胸の内を打ち明けた。

 小学生の頃から虐められていてそれが本当に辛かったこと。

 虐めから開放される手段をずっと探していたこと。

 それが一愛にとってのダンジョンで、最初から入るつもりだったこと。

 実際に入った今はとても清々しくて後悔一つしてないこと。

 ……全てを伝え、一愛は笑みを浮かべた。


「だから唯が気に病む必要なんて何にもない。あ、あとダンジョンに入る必要もなくなったな。俺から入るなとはもう言えないけど、いやー良かった」

「……なにそれ。おにいちゃんちょっと変わった?」

「かもしれない。色々あったから」

「むーっ。あれだけ心配かけさせてなんかむかつく! 後悔一つしてないってこともなんかむかつく!」


 そりゃそうだろうと一愛は笑った。

 一愛だったら心配掛けさせたんだから泣いて詫びて後悔しろと言いたい気持ちになる。なんかではなく普通にむかつく案件だ。

 唯愛は軽いぱんちを一愛の胸に当て、


「でも、良かった」


 そう言ってようやく笑顔を見せてくれた。

 

「――そろそろ宜しいでしょうか」


 病室の外、廊下からそう声を掛けられる。唯愛が驚きで飛び上がった。

 病院はいつでも看護師が駆け付けられるよう部屋に扉を設けていない。高い宿泊費を取る病室はまた違うだろうが一愛のような一般人がそこに泊ることはない。だから最初から近くに人がいるのは分かっていた。

 レベルが上がった今の一愛には扉越しですらない人の気配など筒抜けも同然である。


「はい。すみませんお時間を取らせて」

「我々がいることに気付いていたのですね。分かっていましたが本当にレベルを上げているようです」


 そう誰かに説明しながらスーツを着た大人の女性、それと男性二人、そして一愛の両親が部屋に入ってきた。

 両親、とりわけ母親である桜はものすごく何か言いたげに一愛を見てくるが、それは目線を配って敢えて無視する。唯愛に全てを打ち明けた時から居たことは知っている。それら諸々の話はこの状況が終わってからの方がいいだろう。

 男性二人は警官だろうか。体格ががっしりしている。制服でないのは威圧感を与えない為か。胸ポケットから覗く警察手帳で身元が割れているのはいいのだろうかと心配になる。一愛から見て隙だらけだし、はっきり言って弱そうだった。

 荒事をしにきたとは思えないが万が一を想定するべきだろうかと考える。部屋に入ってきたのがこの二人だけだったら心配もしないが、問題はスーツを着た女性だ。

 スーツを着た女性は一愛にもその強さが測れない。見たところ20代後半、若くて華奢だ。だが測れない。間違いなく探索者だろう。

 少なくとも一愛よりレベルが高い。そう判断した方が良さそうだ。

 一愛は少しずつ動ける態勢にシフトしていく。それに気付いた女性が機先を制するように口を開いた。


「ああ、そう警戒しなくて良いですよ。私は単純に協会としての仕事で、こちらの二名は貴方に謝罪しに来ただけですから」

「謝罪?」

「ええ。ダンジョンに入る前、貴方の荷物を奪ったでしょう? 明らかな業務外の越権行為です。それを表沙汰にさせない為謝罪しに来たというわけですよ」

「――ちょっと比嘉さん!」


 警官の片方、渋めのおじさんが慌てて間に入る。

 だが比嘉と呼ばれた女性は冷ややかな目でおじさんを見て、


「なんですか。事実は事実でしょう。今の時代SNS等で幾らでも拡散できるのですよ。ここで誠意を見せずにいつ見せるのですか。テレビでモザイクを掛ければそれで済んだ時代はとっくに終わっているのです。そんなのはダンジョンが産まれる前から分かっていたことでしょう」

「ぐ、だが」

「だが、なんですか。探索者の影響力を甘くみない方がいいですよ。一般人だと思わない方がいい。現に死線を潜ったこの子は私達を警戒している。特にこの子は貴方達の先走りで世間に顔と名前が売られています。警察が世間での信用を落とさない為に、私は警察の立場を考慮しているつもりですが 。もう一度言いましょう、今誠意を見せずにいつ見せるのですか」


「ああ後、貴方達のここでの立場は特に考えていませんよ」と女性は一息に捲し立てた。

 口調は丁寧だが中々に辛辣な言葉の数々に、警官の二人は顔を赤くしたり青くしたりと忙しそうである。打ち合わせくらいしてないのかと内心笑った。

 一愛が百面相をしている二人を興味深げに眺めていると、その片方が見覚えのある警官であることに気付いた。


「あ、この人。俺をダンジョン前で止めた人か」

「っ!?」


 特に大した含みも持たせていない言葉に警官二人は体をびくつかせた。特に一愛を止めた例の片方が酷い。見ただけで可哀想になるくらい脂汗が額に浮いている。


「あの、そんなに緊張しなくても。それで謝罪という話でしたが」


 埒があかないので一愛は会話の主導権を自分で握ることにした。

 この女性に任せていても悪いようにはならない気がしたが、それでは一方的に警察が悪く言われて終わりになってしまう気がする。それは一愛の心情的にも宜しくない。

 あれは自分も悪かった。事実そうなのだから筋は通さないと気持ち悪いのだ。


「俺としてはあの時のリュックを返して頂ければそれでいいです。SNSも特にやっていませんし、流すつもりも今後蒸し返すつもりもありません。それでいいですか」

「……こちらとしてはそれで助かるが。君は本当に良いのかい?」


 渋めのおじさん、恐らく上司の方が一愛の目を見て言葉を返してくる。

 不思議だ。ちょっと前なら大人の人に目を合わせて、それも真剣に見つめられたら萎縮の一つもしていただろうに今はちっとも動揺しない。心が凪いだように静かだ。


「構いません。というかあれは俺も無茶だった。お互い悪かったということにしてくれると俺も後腐れが無くて助かります」

「そうか……分かった。ではそうしよう」

「あ、でも荷物を奪うほど止めようとするのは今後止めた方がいいですよ」


 一愛のその一言に、警官二人は苦笑いを浮かべて頭を下げた。


 ……これくらいなら言っても罰当たんないよな?


 復讐ですらないささやかな一愛の小言である。

 そうして両親の立ち合いの元荷物の受け渡しが完了すると、警官二人はそそくさと帰っていく。警官がいなくなったタイミングでずっと横で見ていた女性が口を開いた。

 

「理性的で助かります。親御さんの教育の賜物でしょうか」

「それもありますけど、俺としては貴方の方が気になるので」


 正直警官の相手をしている場合じゃない。

 ここは病院で、ダンジョンではない。そう分かっていても自分より強いと思われる人間に傍に居られるのは落ち着かない。さっさと話を終わらせたのはこの女性の存在が原因だ。

 理屈ではなく本能。頭が勝手に危険を訴えてくるのだ。

 そう目で訴えると、女性は真剣な顔で納得するように頷いた。


「……余程危機的な状況でレベルを上げたようですね。安心してください。日常に戻るにつれてその違和感は消えて無くなります。ダンジョンに居る時とそうでない時、脳がその使い分けを慣らしているのですよ。貴方のように死線を潜った探索者によく見られる症状です」


「ともあれ」と女性は襟を正すと同時に姿勢を正した。


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