第2話 ダンジョンに潜る理由
放課後のチャイムが鳴り、帰りの挨拶が終わった瞬間
朝のHR前のいざこざが今も尾を引いている。いや、時間が経つにつれて悔しさが増し、家に帰る道すがら何度か立ち止まって泣いていたほどだった。
そうして学校から徒歩20分ほどの自宅に一時間以上掛けて帰り着くと、一愛は玄関前で涙をぬぐい、目元の腫れ隠しに目薬を差す。
……大丈夫。いつものように、いつものように。
心を落ち着かせ暗示を掛けてから玄関の扉を開く。「ただいま」とかろうじて落ち着いて出せた声音にほっとしながら靴を脱いだ。
二階からバタバタと騒がしい足音が聞こえたかと思うと、途端、お腹にぽすっと小さな頭がぶつかってきた。
「お帰りおにいちゃん! 今日いつもより遅かったね? もう5時だよ?」
「ん。まぁ、学校の委員会とかで、ちょっとね」
一愛のついた嘘に、妹――二ツ橋
来年中学生になる唯愛はちょっぴり大人な中学校が待ち遠しいのか、毎週のようにやれ部活だの生徒会だのといった情報を聞いてくる。その度に一愛は『権力を持った生徒会』、『宇宙人がいる部活仲間』、『美人な養護教諭』は存在しないと優しく教えて上げていた。それがこの小さな妹の頭に定着しているのかはともかくとして。
……まぁ、最近はもっぱら別のことにご執心みたいだけど。
「それより母さんは?」
「今買い物! 今日はとんかつなんだって!」
簡潔に答えてくれた妹の頭を撫でながら、妹に手を引かれてリビングに連れていかれる。我が家の団欒場所であるリビングには家庭用据え置き型ゲーム機が鎮座していた。
「ねぇゲームしよ、ゲーム! マリカーしようよおにいちゃん!」
「いいけど、先に着替えさせてよ。今日暑かったから汗が凄くて」
「えー!」と頬を膨らませる妹は年齢より子供っぽい。実際唯愛は背が小さいし、言動も同じ年の子より幾分子供っぽく映る。髪型も幼い頃と同じでツインテールのままだし、最近の小学生はマセてるとは一体何だったのかと思うほどだ。そろそろ兄離れの時期ではと一愛は内心首を傾げていた。
とはいえ妹は兄の贔屓目抜きに見ても世界一可愛い。目はぱっちり二重だし表情もころころ変わって見ていて飽きない。純粋な性格で隠しているとはいえ虐められている情けない一愛を兄として慕っている。これで可愛くないは嘘だった。
兄という生き物は甘え上手な妹に弱い存在なのである。
「わかったわかった。ちょっとだけな? 母さんが帰ってくるまでの間だけだ」
「やった! じゃあすぐね、すぐ!」
そういって一瞬で笑顔になった妹は、テレビの電源を点けると飛び込んできたテレビの内容に目が釘付けになった。
……ダンジョン特集か。
テレビの内容は今最もホットな話題、ダンジョンに関する特集を流していた。
ダンジョンの内部は電子機器が一切持ち込めない空間であるが、ダンジョン産の魔道具や人工魔道具はその限りではない。テレビに映っている映像はどう見ても異空間――ダンジョンの内部としか思えない景色を映しているのも、映像を記録として残せる魔道具か何かの力だった。
ダンジョンが出現してから約2ヶ月後。恐らく初めて映像媒体として記録に残せる魔道具が産出された当初は、こういったダンジョン内部の映像がよくお茶の間に流れていた。
一年ほど経つとめっきりその機会が減り、ダンジョンの一般開放が決定してからまた流れ出して、そして9割以上が死亡した3カ月前から頻繁に目にするようになった。
よく考えなくとも理由は分かる。ダンジョンに入る人口が激減しているのだろう。
今もテレビではダンジョンの景色が素晴らしいだの、ダンジョンに入って一攫千金を目指そうだのと3万人以上が死んだダンジョンをアトラクションか何かのように解説している。とても正気とは思えない内容だ。画面の下部に『未成年の立ち入りは保護者が必ず止めて下さい』と常に書いてなければ苦情の一つも入れたくなるほどだった。
「……唯。ゲームはいいのか?」
「うん……もうちょっと」
……止めてくれよ。
一愛は溜息をつきながらテレビに釘付けとなった唯愛のつむじを見つめる。
これだ。最近唯愛はダンジョンに興味を持ってしまっている。その気持ちは分からなくもない。一愛だってそうなのだから。
だがその根底は違う。自由に生きたい一愛と違って、唯愛は恐らく純粋にアトラクションとしてのダンジョンに興味がある。夢のある場所だと繰り返し放送され少年向け雑誌にも載れば嫌でも子供はわくわくするだろう。ゲームみたいなのだから。
……幾らダンジョン産の物資が欲しいからってこれはさすがに問題ありだろ。わからないけどPTAとか騒がないのか? マジで苦情入れてやろうかな。
一愛のような未成年の一般人が苦情を入れたところでどうこうなる問題ではないが、それでも可愛い妹が死地に飛び込むか否かの瀬戸際なのだから文句の一つや二つも言いたくなる。兄である一愛ですらこうなのだから世のお父さんお母さんは間違いなく大激怒だろう。
それでも放送を止めないのはそれだけ何かが切羽詰まっているのか。魔石エネルギーが自衛隊や警察の探索者だけでは足りないのかもしれない。ひょっとするとダンジョンの一般開放を決めたのも『ダンジョンに入ろうとする者を止めた者はダンジョンに入れなくなる』という制限だけが理由ではなく、テレビやSNSに後押しされたからでもないのかもしれない。
そこまで考えて、一愛はかぶりを振って思考を停止させた。
政府の動きを今考えた所でリソースの無駄でしかない。
「唯。ゲームしないなら俺はもう部屋に戻るぞ。いいのか?」
「んー、もうちょっと!」
「……あのな、ダンジョン特集なんか見てもしょうがないだろ。毎回同じようなことばっか放送してて見飽きてるし、それにダンジョンは……危ないだろ」
一愛は自分がダンジョンに入ろうとしているのを棚に上げている事実に罪悪感を覚え、後半は尻すぼみになりながらも唯愛を窘める。まさにどの口がである。
唯愛は一愛の気持ちを察したわけではないだろうが、テレビから振り返ってふくれっ面を向けてきた。
「むー、でも見てよおにいちゃん。こんな綺麗な景色がダンジョンには広がってるんだよ? 直接見てみたいって思わないの?」
「思わないのって言われてもな」
確かに今テレビに映っている景色は非常に雄大だ。小高い丘の上から撮影したのか画面いっぱいに外国の田舎町みたいな長閑な田園風景が見えるし、ダンジョンは広すぎるて地平線が途中で切れている。よく目を凝らせば櫓のようなものがちらほら建っているのが見えた。海外旅行に出かけた気分になれるというどこかの雑誌で見た謳い文句は嘘ではないのだろう。
だが一愛は知っている。田園風景はコボルトという半人半狼のモンスターが栽培している作物であるし、櫓のようなものはゴブリン集落の見張り台であることを。
恐らく2階層。コボルトとゴブリンが戦争を繰り返しているエリアだ。そんな所に海外旅行気分で出かけるものなどいない。
「特に見てみたいと思わないな。景色なんて日本中幾らでも綺麗なとこがあるぞ?」
「おにいちゃんつまんない! ダンジョンにはダンジョンでしか見れない景色があるの!」
思った返答を得られなかった唯愛はソファに座る一愛目掛けて突進し、そのままぽかぽかと猫パンチを繰り出してきた。一愛は笑ってなすがまま受ける。
「悪かった、悪かったよ。そうだ、俺がお金を稼げるようになったら旅行に行こうか。俺がどこにでも連れてってやるから機嫌を直せ、な?」
「えー? う~ん、おにいちゃんがほんとに連れてってくれるなら直すケド?」
「ほんとほんと。約束するよ。日本どこでも、何なら海外だって連れてってやる」
「――あら~いいわね~。家族想いの息子で母さん嬉しいわ~」
背後から聞こえてきた声に一愛は振り返った。
買い物から帰ってきたばかりなのか、両手に大きなエコバッグを抱えた母親――二ツ橋桜が笑顔で立っている。
呆れた目で唯愛を見れば、猫のようないたずらっぽい笑みを浮かべていた。
「にひひ~。ママも聞いてたし、おにいちゃんの稼ぎで旅行決定~!」
嵌めた相手に怒られると思った唯愛は、「きゃー」と楽しそうな悲鳴を上げて隠れるように一愛のシャツを捲り上げ頭を突っ込んでくる。汗臭いだろと一愛は思うも、まぁ好きなようにさせればいいかとシャツ越しに唯愛の頭を撫でた。
「二人とも~。イチャイチャするのは勝手だけど、この状態の母さんを見て何も思わないわけ?」
「ごめんごめん。唯、母さんを手伝うぞ」
「は~い!」
一愛と唯愛は桜からエコバッグを受け取り、それぞれキッチンの冷蔵庫等に仕分けしていく。野菜は野菜室、お酢はキッチンの棚下と仕分けしていると、桜がこっそり耳打ちしてきた。
「上手く話題を逸らしたわね。やるじゃんお兄ちゃん」
「……別に成り行きだよ。でも唯の興味が一時的にでもダンジョンから逸れるなら、まぁ、家族旅行くらい安いもんだろ」
「ほんとだわ~。私達も次からその手でいこうかしら」
「いや、でもそれだと家計が。でも英二君の稼ぎならなんとか……」とうんうん唸る桜を視界に収めながら、一愛は仕分けを終わらせていった。続いて未だ手こずっている唯愛の手伝いでもしようかと立ち上がる。
「でも良かった。一愛がちゃんと唯ちゃんを止めてくれて」
「どういう意味だよ。止めるに決まってるだろ」
「だって一愛、私達が唯ちゃんにダンジョンは危険だ~、て話してる時なんにも喋らないから。てっきり唯ちゃんがダンジョンに入るのを許すつもりなのかと思ってたわ」
「……母さんと父さんが止めてるのに、俺まで否定したら唯が可哀想だろ」
一愛は罪悪感から顔を背ける。幸い桜は「それもそうね」と話を終わらせた。
唯愛がダンジョンに入るのを死んでも止めたい気持ちは当然ある。成人してからなら好きにすればいい(それでも止めるだろう)が、まだ小学生で死地に飛び込むなんてまともな家族なら許可しない。例え自分がダンジョンに入れなくなっても止めるに決まってる。それが親だし兄ってものだろう。
だがダンジョンだけが現状を改善させる全てだと思い込んでいる一愛にはそれができない。さっきのように間接的に話題を逸らすのが精一杯で、直接止めるなんて『ダンジョンに入れなくなる』恐ろしい真似、とてもではないができなかった。
……せめて政府が未成年はダンジョンに入ってはいけない、とかいう法律でも作ってくれればいいのに。
それが叶うのなら後3年くらい余裕で待てる。それは地獄が3年続くかもしれないのと同義だが、大切な妹の命には代えられない。仕方ないで諦められる。
しかしそれが無理だというのは分かっていた。最悪日本全体がダンジョンに入れなくなるかもしれないという事態になってしまう。
だから政府は『お願い』しかできない。未成年は入るなではなく、未成年が入ろうとしたら保護者が止めてくれ、というお願いしか。
一愛は誰にも気付かれないように小さく溜息をつくと、まだ仕分け場所に悩んでいる唯愛を手伝った。
建築設計事務所の一級建築設備士である一愛の父親――二ツ橋英二の帰宅後、二ツ橋家はリビングで団欒を囲む。
結婚してから18年、もうお互い40近くになるのに桜と英二はそれぞれ「桜ちゃん」、「英二君」と名前で呼び合うほど仲が良い。一愛にとっては血縁とは思えないほど顔が良い二人は絵になるが、それでも実の両親の惚気を積極的に見たいとは思わない。
速攻で晩御飯であるとんかつを食べ終え烏の行水ばりに風呂を上がり、自室で一人ベッドに横たわる。
思い出すのは今日の学校。とりわけ朝のHR前の時間だった。
……くそ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。あいつとダンジョンに潜りたくない。
思い出しては顔を歪め、悔しさを紛らわすように顔を枕に押し付ける。
虐めに屈してパーティーを承諾。次の土曜日から始まる地獄の日々。
それはきっと学校での虐めとは比べものにならないほど惨めな時間なのだろう。
いっそのことダンジョン入りを拒否してしまえば竜之介に一愛を追う手段は無くなる。それにダンジョンでレベルが上がると死生観が達観し、些細なことには気にも止めなくなる人がいるという話をネットで見たことがあった。
竜之介もそうなってくれればと一瞬考えて、一愛は掛け布団をぎゅっと握る。
……冗談じゃない。それこそ自由に生きるとは真逆じゃないか。
そもそもダンジョン入りを拒否が冗談じゃない。それに例え竜之介が落ち着いてもその気になればどうとでもされる、という恐怖を常に抱き続けないといけなくなる。そんなのは死んでもごめんだった。
……ダンジョンでは法律が適用されない、か。
いつかネットの海で見つけたその一文に、一愛は思考を偏らせた。
ダンジョンを探索していた陸上自衛隊が探索中に衝突した警察部隊を交戦の末に殺害した事件があった。結論から言えば結果は無罪。逮捕拘留も無し、何なら調書すらとらなかったらしい。
ネットの海の中だけの情報でテレビのニュースにも流れなかったし真偽は定かではないが、一愛は事実だったのではないかと思っている。
一に、ダンジョンで死亡した人間は24時間以内に跡形もなく消え去る。
二に、ダンジョン内は日本領土でもなければどこの国にも属してない。
三に、そもそも証拠が曖昧すぎる。
一は説明不要の証拠隠滅、二は言わずもがな。三はダンジョンという特殊な環境からモンスターという人的要因以外で死んだという言を覆せないからだ。
例え魔道具により映像を残していたとしても、魔道具というダンジョンの産出物を解明できていない時点で証拠にはならない。何か人知では及ばない細工が施されているかもしれないからだ。現在でも様々な人工魔道具が生産、販売されている為その内人類が完全開発した映像を記録できる魔道具も作られるかもしれない。だが少なくとも今はまだ無いのだ。
だから一愛は考えてしまう。ダンジョンの中なら竜之介を、と。
……ダメだ。人間そこまで堕ちたらおしまいだ。
自衛ではなく憎いが為に人を殺す。そんなのは人間の所業じゃない。人が人である為の理性を手放し、本能で行動するのは獣と何ら変わらない。逆に言えば向こうが殺す気でくればこっちも殺し返せるとは一愛も考えている。
果たしてその時に体が動くかは別にして。
……いっそのこと一人で入ろうか。
次の土曜までには今日も入れて4日もある。それだけあれば一人でダンジョンに潜ってレベル2になれる可能性も0ではない。レベル2といえば一般人の二倍。どれだけ鍛えていようと中学生など片手で捻りつぶせる。そしたら竜之介といえど手出しはできないだろう。
それはとても良案に思えてきた。
……大丈夫。ダンジョン1階層の予習は十分にしてるし、いつかパーティーを組んで潜る為に必要だと思うものは全てリュックに詰め込んでる。なんなら今からだって。
いや無理だ。現実的ではない。
そもそもダンジョンは一人で攻略できるものではない。ゲームではないのだ。敵が律儀に一体ずつ出てくるわけでも不意打ちをしてこないわけでもない。自衛隊や警察の部隊だってパーティーを組む。大の大人、それも職業が荒事専門でさえそれなのだ。ただのひ弱でいじめられっ子の中学生にできる分を完全に越えている。
……じゃあどうする。今からパーティーを集める? 俺とパーティーを組んでくれる人なんているのか?
途端、一愛の自室にノックの音が響いた。
一愛が返事をする前に扉が開き、子供らしいパジャマ姿の唯愛が顔をのぞかせる。
「おにいちゃん髪かわかして~」
「……お前な、それくらいもう自分で出来るようにならないと」
「は~い」
返事だけはするだけして唯愛は一愛のベッドに腰掛ける。「ん!」と良い笑顔でドライヤーを手渡されればもう何も言う気が起きなかった。
これからのパーティー問題を棚上げし軽く嘆息するだけに留め、言われた通り髪を乾かしてやる。
「むふ~。やっぱりおにいちゃんに掛けてもらうと気持ちいいっ。これは達人の域だね!」
「んな大げさな」
「大げさじゃないよ~。おにいちゃんがダンジョンに入ってステータスが出たら、職業は多分ドライヤーマスターだね!」
そんな役に立たない職業は嫌だと思う一愛は、唯愛の冗談に乾いた笑いを漏らした。
「俺がドライヤーマスターだったら唯はなんだろうな。甘えん坊?」
「そんなの職業じゃないもん! それに唯がおにいちゃんに甘えるのは当たり前!」
なるほど。確かに当たり前だと一愛は思考を停止させた。
「唯はね、きっとエレメントマスターとか、セイントとかだよ! 仲間の傷を癒してあげたり、沢山のモンスターを魔法で吹き飛ばすの!」
「吹き飛ばすのかー」
「吹き飛ばすの!」
無邪気な笑顔で物騒な言葉を言われると、一愛は何も言えなくなってしまった。
ともあれ自分の職業が何になるかはこのご時世誰だって一度は考えることだろう。
一愛だって考えたことは一度や二度じゃない。その度に職業が代わって夢想する活躍も変わるのは中学生故のご愛敬か。
……でも実際俺って何になるんだろうな。職業は自分で選べるものじゃなくてこれまでの生き方や元々の気性が反映されるって言われてるし。
正直そこは不安な要素の一つだ。虐められっ子に割り振られる職業は果たして戦闘で役に立つのか。
「ねーおにいちゃん。今日なにかあった?」
「……どういう意味だ?」
これまで楽し気に話していた唯愛が急に神妙な雰囲気で言ってきた。
「だっておにいちゃん、今日帰ってきたとき辛そうだったから……」
「…………」
一愛は一瞬だけドライヤーを掛ける手を止めて、何事も無かったかのように再開した。
そりゃ目薬差した程度じゃ気付くよな、と自嘲の笑みを浮かべる。
気付かれてる以上変に誤魔化すのは余計に拗れると一愛は考えた。
「ん、まぁ、ちょっとな。でも学校生活してればその程度いくらでもある。友達付き合いとか先生と衝突したとか、俺は部活に入ってないけどそれこそ部活動で思った以上に結果が振るわない、とかな。俺も似たようなもんだ」
「ほんと? もうだいじょうぶ?」
「大丈夫。唯と話していると嫌なことなんか忘れるよ」
これは本当だ。唯愛に限らず家族との団欒は必要不可欠な日常である。
自分を気遣ってくれる唯愛に申し訳ないと思いつつも、そんなところが愛おしくて仕方ないし癒される。自分はきっとシスコンなのだろうと一愛は客観的に判断した。
「明日には元通りだ。だから唯がそんなに気にする必要はないよ」
「……でもあいつのせいなんでしょ?」
「――――」
今度こそ、一愛はドライヤーを掛ける手を止めた。
「……あいつって誰のことだ?」
「名前も言いたくない」
「……そっか。気付いてたのか」
もしかしたらとは考えていた。無邪気で家族想いな妹は一愛と竜之介の関係に気付いているのではないかと。
一愛と竜之介は小さな頃は仲が良かった。それは幼馴染と言ってもよい関係だった。
昔から一愛にべったりだった唯愛は竜之介とも面識がある。そして虐めは学校内だけに留まらず様々な場所で行われていた。それを学校帰りの唯愛が目にしていた可能性もある。
というより小学校から虐められていたのだから、同じ小学校にいた唯愛が知っていても何もおかしくない。
「その、ごめんな。情けないお兄ちゃんで」
「おにいちゃんは情けなくなんかないもん!」
唯愛が部屋に響くほど大きな声を上げた。
「おにいちゃんは優しくて、優しすぎるから、あいつが調子にのってるの! おにいちゃんが悪いわけじゃないもん!」
唯愛は感情が決壊したのか、涙をぼろぼろ流しながら一愛に抱き着く。
「ひぐっ」と嗚咽を漏らす唯愛を見て、一愛は申し訳ない思いでいっぱいだった。
こんな小さな妹に負担を強いる。兄の風上にも置けない。
「だから唯がおにいちゃんを守るんだ。唯が強くなって、あんなやつやっつけてやる!」
「……唯」
唯愛がダンジョンに執心する理由。
その理由に思いあたった一愛は顔を引き攣らせた。
「唯、お前そんなことの為にダンジョンに、」
「そんなことじゃないもん! おにいちゃんを守るのはそんなことじゃない! だっておにいちゃんずっと辛そうだもん! いつも泣いてるんだもん! なのに、なのに唯には優しくてっ」
「……」
掛ける言葉が見つからず黙って頭を撫でていると、唯愛が涙に濡れたまま顔を上げる。
「待ってておにいちゃん。いつか絶対パパとママを説得して唯がダンジョンに入るから。そしたら強くなって、あんなやつ簡単にやっつけられるくらい強くなって、おにいちゃんを守るから」
「……ああ。そうだな、唯」
自分を大切に想ってくれる妹に、否定の言葉を掛けるなど一愛にはできなかった。
ダンジョンは危ないから止めろ、お前に守ってもらう必要はない、そもそも虐め自体そんなに気にしてない、そんな嘘や誤魔化しに意味があるとは思えなかった。
妹の想いを大切にしつつ妹に危ないことはさせない。
その答えはすぐに見つかった。
唯愛が泣きつかれて眠るまでの間に、一愛は腹を括った。
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