十章九話 『二日目:交差する十四の思惑』

自分の役割は、良い家の相手と結婚することだと教えられてきた。


戦後復興に忙しく、貧困が溢れるこの時代において、その教育方針は間違いとは言い切れないのかもしれない。

世界随一の規模を誇る河の国マンチェスターの貴族界において、モントリオの家は五指に入る名門だった。

モントリオ卿の一人娘、レインリリィはまさに箱入り娘、鳥籠に押し込められた人形のように育てられる。


良き妻になる。それのみを求められた。

大きな笑い声は要らない。余計な知識も要らない。

使用人のするべき仕事をしなくていいし、夫に尽くす以外にしたいことなど持たなくていい。


枝葉を切り落とされ続けた。

花が好きで、庭で花を育てていたのだけど、それは庭師の仕事でお前のするべきことではないと、寝ている間に撤去されてしまった。

自分の結婚相手は幼い頃から決まっていた。同じ河の国マンチェスターの王子だ。

リリィと同い年程度、目下の者への態度について良い噂を聞かない人物だった。


恨みや否定をしたいわけじゃない。

そういうものだと教えられてきて、そういうものだと信じていた。

人形として育てられた自分に、強い意志は持てない。

誰も。自分を含めた誰も、父モントリオには逆らわず。

意志も持たない自分の味方はいなかった。

だからリリィは、彼女に与えられた役割を全て受け入れていく。






第一回白銀祭。

銀の団の初めてのお祭りというだけでなく、四カ国からの視察も含まれた第一回(それ)は、少々特殊な形態を成してはいたが。

異質だったのは形態だけではない。

銀の団団員の大半が、視察者を出迎え祭りを盛り上げようというムードに包まれていた中で………。


14・・


全くの別軸で蠢いていた思惑があった。


橋の国ベルサール王子セトクレアセア。鉄の国カノン王子レッドモラード。

月の国マーテルワイト王女セレスティアル。河の国マンチェスター貴族モントリオ。

4人の視察者達は単なる視察だけではなく、それぞれの思惑、目的を持って魔王城に来訪し。


それ以外でも、国家によってもたらされた思惑が5つ。

そして銀の団団員側にも、視察やお祭り以外のものを見据えて動いていた思惑が5つ。


1つはキリやローレンティアが見据えていた、斑の一族への対抗。

そしてもう1つ例を挙げるなら、ズミとリリィの思惑――――。

リリィを連れ戻しに来たモントリオから逃げ伸びる、という決意。








「父は私を連れ戻しに来るんだわ」


現在より六日前の夜。ズミとリリィは、彼らの部屋で深刻な顔で向かい合う。

河の国マンチェスターよりモントリオ卿が来るという一報で、彼らだけがその目的を理解した。


つまりはそれがモントリオの思惑、己が娘を見つけて連れ戻す。


モントリオの一人娘、リリィことレインリリィ。そしてモントリオの館で衛兵を務めていたズミ。

彼らは自分達が駆け落ちをしたとは認識していない。

彼らの間に明確な恋愛感情はなく、夫婦というのは身分を隠すための方便だ。

二人の正しい関係は、主従。


「………隠れてやり過ごそう。それしかない」


「でもそれは…………。銀の団の方々に、きっと迷惑が…………」


目を伏せるリリィを、ズミは黙って観察する。

魔王城に来て吹っ切れ気味だが、人形として育てられた彼女の元はこちらだ。


「じゃあ、また逃げよう。魔王城(ここ)を離れて、どこか遠くへ………」


「…………。そうですね…………」







「もし、我々に迷惑がかかるからここを去ろうと判断した、なんて言い出したら私は怒りますよ」


ズミとリリィ、ローレンティアの専属服飾士スタイリスト達を引き連れ、ナナミは毅然と話す。

魔王城北側、枯れ木の合間を足早に進む一行。


「そ、それは………でも…………」


煮え切らない態度のリリィを休ませず、ナナミは言葉を重ねる。


「私の商人の価値観として、欲を曝け出さない人ほど信用には値しません。

 自分のことを我々の判断のテーブルにも載せようとしないあなたのそれは、遠慮ではなく逃避です。

 リリィさん、選択をしない者は何にもなれないのですよ」

 

エゴノキやユズリハと比べ、“でかリボン”のナナミは棘の少ない言葉を選ぶということをしない。

その分、彼女の思いに直結した言葉が出る。


「この期に及んで銀の団を離れると言うのならご勝手に。

 ですがリリィさん、我々はもう選びました。あなたは知るべきです。あなたの味方を」


そうして一同は辿りつく。


リリィが上げた目線が捉えたのは、立ち並ぶ個性様々な工房達――――。

工房街。そしてその入り口に立つ、一人の少女。

【道楽王女(ミーハークイーン)】ナズナはにやりと笑う。


「ナナミ、遅かったじゃ~~ん。さぁさぁ、おっ始めようぜ」

 







時間は戻り、会食の後。

ローレンティア達と分かれたモントリオは魔王城の正面に立つ。


「モ、モントリオはん、さっきのはどういうことで………」


ローレンティアに迫る態度を見せたモントリオの行動に、エゴノキとワトソニアは慌てながらも後を追う。

モントリオはその一切を無視し、オラージュの方を見た。


「オラージュ殿」


「はいはい」


大司祭オラージュがベールに手を置き、きぃんと、冷えた超感覚が周囲に広がる。


勇者リンゴの何ものをも切る聖剣。大戦士イチゴの屈強な体と怪力。

大魔道士メローネの当代最高峰の魔法行使。

大司祭オラージュが何を以って勇者一行に貢献したかと言われれば、それら以外の何もかもで貢献した、と言う他ない。


当時からオラージュは見合う報酬があれば何でもこなす雇われフリーランスであり、メローネと契約して旅に帯同した。

他の三人に比べると、オラージュの規格外さは全方位型の器用さと言える。

回復、偵察、潜入、護衛、宿手配、情報収集、食糧調達。近・遠距離戦。そして、索敵。


オラージュは魔道士だ。流派は虚無。

そして今現在、全ての魔道士の中で、武道と魔道を合わせ用いるのはグラジオラスを含む三名のみであり、異論なく【黄金】のオラージュが一番強い。

ただし、魔法の使用は至って補助的。

彼女は四種類の魔法しか使わないと言い切ってしまっていい。


回復。加護。身体強化。そして最後が、超感覚。


「―――感覚強化フォース、“|中虚(ウロ)”」


視力、聴力、周辺の機微を掌握する、オラージュの基本的な強化魔法。

それはモントリオの娘、リリィを捕まえる目的の。


「鬼ごっこを始めますか」


「オラージュ殿、当てはついているのか?」


「ま、魔王城(ここ)で行き先は限られている。

 ローレンティア王女は娘さん方のことを知らなかった。

 となると二人の逃走劇は団全体のバックアップを受けてはいない。

 魔王城を離れるには非力すぎる。各国の近衛兵も周辺に待機しているし。

 我々が一階で会食をしていた城内に駆け込むとも考え辛い。

 それ以外の場所で、駆け込め身を隠せる複雑な構造を持つ場所は――――」


「魔王城西側、工房街」


モントリオの言葉に頷くと、一同は素早い足取りで西へと向かう。






ズミは、館の門を守る衛兵だった。

ズミの父は、リリィの父モントリオに仕えた執事で、ズミとリリィは幼馴染の関係にあたる。

幼い頃こそ共によく遊んだが、二人が思春期に入る前に自然と疎遠になっていった。


ズミは年頃のお嬢様に近づかないという使用人の立場を弁え始め、リリィは父親に従い正しい・・・人形であり続けた。

時折部屋の窓から門の方を見ると、門番を務めるズミの姿が見えるけれど。

そう言えば昔はよく遊んだっけ。リリィにとってはもうそれぐらいの存在だった。


リリィが子供と呼ばれる年代を終えると、物心つかない頃から取り決められていた許嫁との縁談が本格的に進められる。

河の国マンチェスターの王族との婚姻。別に嫌だとは思わなかった。

そういうものだと思っていた。そういうものだと育てられてきた。



逃げよう、とはズミから言われた。ある夜突然。窓から急に。

思えばそれより前に話したのは、五年も八年も前だったかもしれない。

だから駆け落ちと呼ばれるズミとの逃避行に、宮廷物語にあるような、情熱的な恋愛悲愛があったわけじゃない。

関心も、意志も、否定も、思い描く未来もなく。リリィはその手を取った。

ただ何となく―――彼、ズミの顔が真剣だったから。

ただ訳も分からず、駆けて、駆けて、駆けて。


「魔王城に行こう」


揺れる馬車の中で、ズミは呟くように言う。


「魔王城に?」


「銀の団、という団体に加わるつもりなんだ。

 あそこに難民や専門家を集め、居住区にするという計画がある。そこに紛れられれば……」


「………銀の団」


そうなの。


それ以上の思いは湧かない。

目の前を流れる景色を、リリィは受け入れるばかりだ。

自分の役割は全て受け入れてきた。


鳥籠から逃げても、彼女は人形のままだった。







「えー、モントリオはん、こちらが我らが銀の団の職人達の総本山、工房街や」


会食でのローレンティアとの衝突を経て、エゴノキは困ったように工房街を紹介する。

奇々怪々な工房が立ち並ぶ工房街だが、いつもと少し違った様相………。

屋台がところどころに開かれており、職人達が己が作品を所狭しと展示している。


入り口に立つのは四人。

工匠部隊隊長、エゴノキ。河の国マンチェスター代表、ワトソニア。

大司祭、【黄金】のオラージュ。そして、河の国マンチェスター貴族モントリオ。


「オラージュ殿」


「はいはい」


エゴノキの案内になど耳も貸さず、屋台にも目もくれず。

モントリオは工房街を睨み、オラージュは強化された自分の超感覚に集中する。

探る、探る。工房街の中を、彼女の超感覚が奔り抜ける。


「いるな。ここから南西側に、足早の足音が2つ。私が追いたてる」


言うや否や、弾けるようにオラージュが走り出し、次の瞬間には工房の屋根に上っている。

エゴノキ達はその素早さに呆気にとられ、しかしモントリオは鉄面皮で工房街を進み始めた。


「屋台………を勧める空気でもないなぁ」


エゴノキが呟き、ワトソニアと仕方なしにその背中を追う。






少し時間は戻る。

工房街の真ん中で、“でかリボン”のナナミがズミとリリィに説明をする。


「――――と、いうのが作戦になります。とにかく我々としては逃げ続けること。

 姿をモントリオ氏に見られてしまえば、氏は国際問題にこの件を押し上げるでしょう。

 銀の団が我が娘を誘拐しているとでも言ってね。そうなれば対処は難しくなる」


「隠れろ逃げろ、ってこったなぁー」


隣で呑気そうに【道楽王女(ミーハークイーン)】のナズナが呟く。


「………どうしてそこまで?」


リリィは問う。分からない。何かをしたいなんて、ずっと思ってこなかったし。

人形として存在し、何もしてこなかったから。


自分は整理された道を進み、良き・・妻となって一生を終えるのだと思っていた。

自分には何もない。だから物語は私のどこか遠くで起こるのだと、そう思っていた。

どうして私に逃げようと言う。どうして私を匿おうとする。


それが本当に、リリィには分からない。






―――どうかここで、私と共に生きてください。


咲き月の、銀の団結成初日のローレンティアの演説を、リリィはズミと共に聞いていた。

その時はまだ、彼女は実感が湧いておらず、まだ鳥籠の中で。まだ人形で。

生まれ育った館を離れたことも、魔王城に来たことも、夢心地のように見ていたのだけれど。

その演説をするローレンティアの姿は、強く彼女の心に残った。


橋の国ベルサールの呪われた王女の話を、リリィは知らなかったわけではない。

貴族界に属する者であれば一度は耳にする。

彼女は呪いを持ち、だから辺境の古城に幽閉されていて。

ああ、まるで自分のような人が王族にもいるのだな、とリリィは思っていた。

だから男達の前で演説をするローレンティアの姿は、想像とずれがあった。


人形ではなく。彼女は力強くそこに立っていた。


転機は流れ月の、ハルピュイア戦役だったと思う。

八人が命を落とした。ズミと交流があったカシューもその中に含まれる。


死が初めて、リリィの現実に現れる。


彼女の目の前に流れていた景色が、無くなることがあると。

別れは唐突にやってくると、彼女は理解した。


だから。



「主婦会を手伝いたいって思うの。

 ずっと前から御誘いは受けていたんだけれど………」


ハルピュイア戦役が終わってからしばらく後の夜、部屋で彼女はぽつりと言った。

ズミは珍しく、ぽかんとした顔で固まり。


「………どうしてそう?」と、訊ねてくる。


どうしてだろう。死と、ローレンティアの演説がリリィの視界にちらつく。


「分からない。けれど、やりたいと思ったの……………駄目かしら」


答えになってないそれを、けれどズミは見守るように頷く。


「許可は要らない。リリィがしたいと思ったなら、それはいいことだよ」


それからは、主婦会でやったこともない家事を覚えて。喋るように努めた。

様になっているかは分からなかったけれど――――。






「………限界、というものがあるぞ」


工房の1つに取り付けられた煙突の上に立ち、オラージュは工房街を見下ろす。

フードを被った二人が小道を駆けている。


「…………………」


要人確保もオラージュのよくする仕事の1つだ。

高い索敵能力と移動術を前に、逃れられる者はいない。

煙突を蹴って屋根を駆け、オラージュは二人の前に飛び降りる。


「ここまでだ、お二人さん」


ベールの下から、刺すような視線が二人を貫き。

フードの二人は逆方向へ逃げようとして、後ろからやってきたモントリオ、エゴノキ、ワトソニア達に気付く。

オラージュによって逃げ道を誘導されていた。完全に挟み撃ちの形になる二人。


「無駄な抵抗はやめなさい、私と共に帰るんだ、レインリリィ」


モントリオは淡白に、しかし威圧を込めて言う。

一方でオラージュは、解せないという顔をしていた。


「………フードを取りなよ、お二人さん」




私も選ぶこと・・・・・・にしたんだ・・・・・


流れる景色を、ただ眺めるだけの日々を。

人形でいることを、やめようと思った。


誰かにとって都合のいいようにあるべきだと、それが正しいと教えられてきたのだけれど。

ズミが逃げようと言ってくれて。

王女ローレンティアがここで生きようと演説をして。

主婦会の人達が受け入れてくれたから。


私もこの地で立つことにした。



「なはははは、早かったなぁ~ナナミ。勇者一行相手じゃここいらが限界かぁー」


フードを脱いで陽気に笑う。

男物の服を着てズミと同じ藍色に髪を染めた、【道楽王女(ミーハークイーン)】のナズナだ。

隣も同じくフードを脱ぎ、その姿を現す。

リリィと同じ栗色に髪を染めた、エゴノキの娘、ナナミノキ。


「………囮(デコイ)?」


一同は少し呆ける。それは―――。


貴族の令嬢を父親から匿うなど、彼らの領内であれば直ぐに首を刎ねられる行為だ。

領外であっても、モントリオほどの大貴族であればその影響は計り知れなく。

そして銀の団側が知らない事情ではあったが、リリィは河の国マンチェスターの王子の許嫁だ。


誇張なく、モントリオはこの件を国際問題に押し上げることはできる。

知らなかったことを土壇場で追及され、咄嗟に嘘をつく先のローレンティアの時とはわけが違う。

組織的なバックアップを受けた、この逃走幇助は。


何をやっている・・・・・・・


事の大きさを理解しているのかと、モントリオは苛立ちを隠さない。


「オラージュ殿!もう一度探してもらおう!こいつらではない!!」


叫ぶモントリオに、オラージュは直ぐには動かなかった。


「分かった。全部捕まえてこればいいのか?」


「………全部?」


モントリオが訊ねる。オラージュは冷えた目を遠点で結ぶ。


「走る二人組の足音が、たった今そこら中で鳴り始めた。

 モントリオ卿よ、囮(デコイ)はそいつらだけではないぞ。沢山いる」


モントリオはもはや、事態に言葉を失う。

一方でエゴノキはひどく冷静に、決意したような娘の顔を見ていた。


「ナナミ。これはどういうことや?

 別に、お前のやることを全部お父ちゃんに報告しろとは言ってないがなぁ」


「………選択をしました。これが私達の決断です」


「それは、情に流されたからか?」


「いえ、商人として・・・・・


ブレない娘の眼差しを、エゴノキは無表情で受け止める。


「エゴノキ殿。これは貴殿の御息女が関わっていると見てよろしいのかな?

 であれば、止めさせていただきたい」


モントリオはその威圧を崩さない。要望ではなく、有無を言わさない強制。


「いや、無理でんなぁ」


それを、エゴノキはするりと突っぱねる。


「………無理?」


「儂はこの方、娘に何かをしろと言ったことはなくてな。

 こうあって欲しいという姿を見せていくよう努めはしたが、強制はやらんしする力もあらへん。

 商人になることもナナミが自分で決めたことや。

 貴族のあんたと価値観は違うかも知れんがなぁ、この子が商人として決断をした以上、儂にそれをやめさせる権利はない」


エゴノキもはっきりと示す。貴族に隷従するだけではない、商人としての彼の強かさ。


「何より」


そして笑う。商人としての人懐っこさ。


「儂もあんたと一緒っちゅうだけや。

 娘の考えとることは分からんし、止められん」


モントリオは睨み。エゴノキは動じず受け止める。



舞い月。

銀の団と河の国マンチェスター貴族モントリオとの、決裂の瞬間だった。




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