十章六話 『二日目:魔道騎士道、王道邪道』


まだ日の光の差す前の、暁とも言えない夜。

北の枯れ木林で、再びキリは一人で立っていた。


隙のない自然体、静かな面持ち。両の目が月の光を映していた。


「―――来たのね」


声が、林に溶けず残る。

まるで最初からそこにいたかのように、5つの人影がキリの側にあった。


一人はイブキ。先日キリの前に現れた、黒髪長髪の女性。


二人目はキリと同年代ほどの少女。

丸みを帯びた黒いショート、くりっとした目が興味津津とキリを覗く。


三人目は、キリより若干大人びた女性だ。

口まで届くような長いさらさらの髪を、後ろでポニーテールのように結ぶ。


四人目、キリと同年代の少年。

癖っ毛の黒い髪の下に、自信と冷酷さが混ざったような笑みを浮かべる。


五人目は最年長の成人、男。

黒い短髪。長身。感情を断ったような白い眼がこちらを覗く。


「五人も?イブキ、イチョウ、ナラ、ヒバ………。

 それに―――父さん」


長身の男、エンジュは笑いもせず娘を見下す。


「それだけ今回は大仕事と言うことよ」


リーダーを務めるらしいイブキが応える。


「キリ、目標は?」


「……今日は一日中視察。行き先は先方次第だけど、昼に会食、夜に晩餐会があるはずよ」


「ふむ……了解した」


「それで、作戦は?」


「作戦?ああ、あなたは何もしなくていいわ」


睨むキリを、イブキは温度を断った顔で受ける。


「元々は私の任務よ。結果を出せなかった以上文句は言えないけれど、邪魔者扱いされるのは心外だわ」


「はは、噛みつくじゃなーい」


笑ったのはイチョウだ。にやにやと、相手を嗤う軽薄さが染みついている。


「物言う権利がないって自覚しているんなら黙ってれば?

 失敗を追及されないだけありがたいと思いなさいよねー。ね、ね?ナラ?」


「……まぁ、任務は引き継がれた。それだけ」


「でも―――」


「キリ、少し黙れ」


その短い言葉だけで、キリは心の臓を掴まれるようだった。

エンジュ。キリの父親が、白眼を向けてくる。昔からその目が苦手だった。

殺し屋として育てられる過程で、父からはあらゆる痛みと恐怖を与えられ、絶対的な強さを見せつけられてきた。それがキリを縛り上げる。


「まぁまぁ、私の言い方が悪かったわ。でもキリ、伝えようがないのよ」


二人を仲裁するようにイブキが割って入る。


「今回の暗殺に、チームとしての作戦はないの」


訝しむキリに、イブキはそれ以上は伝えない。

氷のような、五人の冷ややかな目がキリに注がれていた。







彼女は月の国マーテルワイトの、騎士の家に生を受ける。


両親は変に男女平等主義者で、公正だった。

女である彼女にも分け隔てなく騎士道を教え、清く、気高く、公平で、正義であるべきだと説いた。

そしてたまに彼女を花畑に連れていっては、騎士ではない、だらしない父と母の顔で笑う。

いい家族だった。

ただ1つ、自分の捻じれた生まれだけが、在るべき正しい姿から家族を遠のけていく。


ものを切ってしまう。

触れる花びら、庭の松の木、夕食のスープ皿、撫でる猫、握手した友達の手。

不意にぴしりと切れ目を入れてしまうそれは、彼女が大きくなっていくにつれ隠せるものではなくなっていく。


幸いだったのは、月の国マーテルワイトの国民性だ。

筋金入りの研究気質である月の国マーテルワイトは、畏怖の対象だった魔道士、魔法をいち早く研究対象に落とし込んだ国だ。

今より十年前、未だ体制と感情は追いついていなかったが……。


餅は餅屋。

魔道士の素質を示した彼女は、月の国マーテルワイトの辺境の森に住むと言われる、賢者の元へ預けられることとなる。




初めに耳にしたのは歌だった。


豊かな森の奥、魔物の侵攻から離れた清らかで平穏な湖の畔。

つばの大きな帽子を被った女性が、歌を歌っている。

彼女の周りでだけ風が舞い遊び、髪を揺らす。

湖面がかぷかぷと揺れ、シャボン玉を浮き上がらせる。

変だ。でもそれが自然だった。

周囲とは明らかに違う不自然の中で、女性は朗らかに歌を口ずさみ。

それが異質ではなく、自然だった。


「……あぁ、いらしたのね。お話しは聞いておりますよ。

 今日から一緒に、ここで暮らしましょう。よろしくね」


それが、幼きグラジオラスと、後の勇者一行メローネの出会いだった。








「おはようございますッ!!」


現在のメローネは唖然とする。

いつもよりは早く目覚め、宿泊施設から出て朝の光を浴びようと思えば、そこにグラジオラスが立っていたからだ。


「………視察開始はまだ先でしょう?」


「先方の気変わりにも対応できるよう、待機しておくべきかと思いましてッ!!」


「………日の出前から?」


「日の出前からです!」


メローネは溜息をついた。

慣れた、矯正したと思っていたはずなのに、たまにグラジオラスという人物はタガが外れる。


幼少期は騎士として育てられ、少女時代はメローネと、魔道士として成長し。

メローネが魔王と戦うため旅立って以降は、月の国マーテルワイトの騎士団で再び騎士として暮らした。


魔道と騎士道。

捻じれた生まれと正しくあるべきという教えが、不安定で歪な塔を彼女の中に作り出している。

大人へと変化する大事な時期に、傍にいることができなかった。

メローネは弟子のその姿を、目を細めて見守る。


「いいでしょう。中へお入りなさい。

 セレスティアル様がお目覚めになるまで、久々に語らうといたしましょうか」


「………はい、師匠」










「お兄様、今日は私が案内を務めさせていただきます!!」


「いらんと言っただろう」


同日の昼前、ローレンティアは勇気を振り絞ってセトクレアセア王子に再突撃し、玉砕する。


「う………し、しかし………」


「ライラックが私の案内をする。不要なものは不要だ。お前は私に近づくな・・・・・・



仏頂面の、強固な拒絶だった。相変わらず面と向かって否定されることに慣れないローレンティアは、しばらくぽけーっとその場に立ち尽くしてしまう。


「ロ、ローレンティア様………?

 お気持ちは大変、大変お察しいたしますが、このまま立ちっぱなしと言うわけにも…………」


ユズリハは困り顔でローレンティアに声をかける。


「そう………そーね………。いきましょう………どこか………。

 どこか遠いところへ………」


「ローレンティア様!?」


ユズリハは初めて見る。

銀の団ではなかったローレンティアの祖国での扱い、忌み嫌われて邪険にされた、“呪われた王女”の姿。

そしてローレンティアも忘れかけていた。自分の生まれた在り方・・・を。


「これからどうするんだ?」


アシタバは導くように声をかける。


「………どうしよう」


「おや、ローレンティアにユズリハ。それにアシタバか」


戸惑う二人に声をかけたのはグラジオラス………。

後ろには農耕部隊隊長クレソンと、彼らが案内する大魔道士メローネ、そして月の国マーテルワイト王女セレスティアルが立っていた。


「どうしたのだ?」


「それが、そのー………お役御免といいますか………」


気まずそうに目を泳がせるユズリハ。その仕草で、メローネは事情を読み取ったようだった。


「ふむ、ふむ……これも良い機会ですね。

 どうでしょう、ローレンティア様。もしお暇でしたら、私達と一緒に回りませんか?」


「……………一緒に?」






斯くしてまずは工房街、あぶれたローレンティアとユズリハは、月の国マーテルワイト組と行動を共にする。

最初に訪れたのはゴジカの鍛冶場だ。


「つまり………高温化した金属ってのは、熱を主食とする人魂(ウィルオ・ウィスプ)にとって生け簀と同じなんです。末永く、いいお付き合いをしたい。

 だから金属中の不純物を取り除こうと、どうにか頑張るんです、奴らは」


炉の中でめらめらと燃える火と人魂(ウィルオ・ウィスプ)を、セレスティアルは食い入るように見ていた。


「………どうにか頑張る、というのは未検証ということで良いのだな?

 亜霧(ムドー)を吹き付けるということだが頻度はどれくらいなのだ?

 上手くいけば魔物と亜霧(ムドー)の関係性に切り込めるかもしれん」


「う?………す、すいません、その辺りも未検証で……」


想像より、見た目よりは偉ぶった口調だった。

セレスティアルの碧眼が燃え盛る人魂(ウィルオ・ウィスプ)に注がれている。


揺れる炎に照らされる、透き通った白い肌。約束された未来の傑物、聡明さが覗く碧眼。

立ち振る舞いは威風堂々、王族としての威厳を備え、自分(・・)とは違う、高貴さを纏った金の髪。




学年一位です、とユズリハがいうので、ローレンティアは何が?と聞き返してしまう。


「セレスティアル王女ですよ。私と同窓の、王立学院卒業生なんです。

 ストライガ班のシキミが学年三位。私、ユズリハが学年二位。

 そして、セレスティアル王女が一位」


それは視察を数日前に控えた準備の夜………。

説明を受けてなお、ローレンティアははてなを浮かべたままだ。


「………歳、違うでしょう?」


「ですから、王女様は飛び級なんです」


「……はぁ?」


天才集う王立学園を飛び級。才女と謳われたユズリハを抑えた学年一位。

全方位型の、というわけではありませんが、とユズリハは念を押しながらも。

セレスティアル王女は間違いなく、天才と呼ばれる部類の未来の傑物です。


ローレンティアはユズリハのその言葉を、思い出していた。



賢国月の国マーテルワイトの第一王女。

師は大魔道士メローネ。王立学院、学年一位の天才。

透き通る人形のようでいて、王として正しく生まれ、正しき成長を守られている。


包み隠さずに言って、自分より5つほど年下の少女、セレスティアルに対して、ローレンティアは引け目を感じずにはいられなかった。

疎まれ存在を呪われ、王族としての正道を外れた自分とはまさに対極。

周囲の期待と愛を一身に受け、正しく王道を進む、セレスティアル王女。



「………どうだ、我が主は」


沈むローレンティアの隣、グラジオラスは少し笑いながら問う。


「主なの?」


「所属は第一王女近衛騎士団だからな。

 戦時は王女様が在学中故、顔を合わせることはなかったが……」


グラジオラスは見守る目でセレスティアルを見た。


「光栄なことだと、思っている。身分に関わらず、誠実で真摯な方だ。

 月の国マーテルワイトの騎士にとって、セレスティアル様に槍を捧げることは最高位の名誉といえる」


「…………」


また1つ。それはローレンティアの夢―――仕える者に与えることのできる人格。

ローレンティアは背中を丸める。


「なんだ、銀の団団長殿は今日は随分と小さくまとまっているのだな?」


「………いや、なんというかね……。何も果たせていないなって」


「果たせていない?」


「お兄様の案内役すら全うできなくて。王としての務めも。団長としての責任も」


凹みモードのローレンティアを、グラジオラスは珍しそうに見入る。


「ローレンティア、おまえ…………」


「人魂(ウィルオ・ウィスプ)の魔物利用………これを提案したのは誰なのだ?」


「あー、それならそこにいらっしゃいますぜ。

 銀の団団長、ローレンティア様ですよ…………あっ!」


言い終えてゴジカは、慌てて口を覆う。大魔道士メローネはそれを聞き逃さない。


「………?報告では、鉄の国カノングリーンピース卿が人魂(ウィルオ・ウィスプ)利用を提案なさったと聞いておりますが……」


ゴジカとローレンティアは困った顔を向き合わせ、グラジオラスは諦めたように溜息をつく。


「………ま、言ってしまったものは仕方ない。口の軽い方々ではないわけだし………」


メローネは察しが良く、大人の対応を見せる。


「なるほどなるほど、いいですとも。

 他言無用、そういうことにしておくというわけですね。

 分かりましたか、セレスティアル様?」


メローネの確認にセレスティアルはしばらく考え込んで、そしてローレンティアへと向き直る。


「これを?あなたが?」


「………はい」


「どうして?」


どうして?


「………応えようと思ったから」


「応え………?何に?」


純粋な、セレスティアルの問い。

ハゴロモ達にも応えられたなかったそれを、ローレンティアは上手く答えられない。

あてはめるべき言葉を、見つけられなかった。


グラジオラスはただ、ローレンティアのその姿を静かに見守っていた。







魔法には6つの流派が存在する。

輪廻、泡沫、悠久、涅槃、虚無、夢想。

【蒼剣】のグラジオラスが属するのは夢想。

想う、強く気高い意志こそが超常を成す、とする流派だ。


「どうして夢想と決めたのですか?」


過去のメローネは台所で白菜を刻みながら訊ねる。

湖の側の、小さな家の中。彼女の周りで水と火が踊って鍋を沸かす。

幼きグラジオラスはその後ろで、師の料理姿を見守っていた。


「騎士らしいと思ったからです。強き想いが力となる、というのが」


「………まぁ、よいでしょう。論理式自体に差はないのですからね。

 正直、夢想の魔法は一番苦手ですが、教えるのに支障はないはずです」


パチン、とメローネが指を鳴らすと、彼女が調理を終えた夕食達が風に乗って食卓に運ばれる。

この数日で、グラジオラスはすっかり慣れてしまった。

メローネ、彼女の周りでは超常が日常で、不自然が自然で。

茨は柔らかく包まれる。歪はあるがままを許された。


「ですがグラジオラス、憶えておいてください。

 この世界に、あなたを縛るものなどないのですよ」


「縛る?」


「ええ」


メローネは目を湖へと移す。

穏やかな湖、温かな太陽、春の息吹を一身に受けた緑達。

水鳥が湖面を滑り、風に木の葉が揺れて木漏れ日が踊る。


「あなたは何ものにも、囚われることなどないのです」


彼女は、幼きグラジオラスが隠してきた、歪みを、異質を、全て許し、受け入れた。

魔法の素質は、グラジオラスにとっても異質だった。

父や母が後ろ指を指されないよう、彼女は必死にそれを隠した。普通に振る舞うよう努めた。

湖の、自然の生活の中で、グラジオラスはそれらから解放される。

彼女は騎士を忘れ、勉強熱心な少女になった。


今でもたまに思いを馳せる。

メローネが魔王を倒すため旅立つまでの、湖の畔の生活は、グラジオラスの半生の中で最も輝かしい日々だった。




十章六話「二日目:魔道騎士道、王道邪道」

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