十章五話 『一日目:夜の邂逅(後)』

魔王城南東部、大浴場「三日月の湯」。

邂逅は、その正面で起こった。


先に妻リリィの元へ向かうことにしたズミと分かれ、地下二階から上がったオオバコとアセロラは大浴場を目指し。

三日月の湯の前、夜の暗がりの中に立つ、その人物と出くわした。


修道女(シスター)の恰好。それに似合わぬ、切れ味の鋭い目つきと口元。


「……あんた、もしかして大司祭オラージュか」


オオバコは呟く。

英雄譚ではオラージュは、小柄ながらも慈愛溢れる聖母のような女性、と語られており、睨むようにこちらを見るその女性とはかけ離れている。

だが大魔道士メローネが来訪すること、勇者リンゴの人物像が英雄譚とかけ離れていたことを加味すれば、オオバコのその判断は難しいことではなかった。


「いかにも。そういうあんたは…………。イチゴの弟君か」


「分かるのか?」


「ああ、良く似ている」


「驚かねぇんだな」


「あのバカの弟なら、魔王城(ここ)にいない方が不自然さ」


笑う、笑う、しかしその目は擦れて暗い。

慈愛などとは程遠い、ひどい現実主義の目つきだ。

オオバコ、勇者一行の弟だったん?

とアセロラは驚きつつ、不穏な空気を察してオオバコの背中に隠れる。


「なんであんたここにいるんだ?」


「んー?周辺の哨戒クリアリングさ。護衛をきっちりこなすにゃ、地形をしっかり理解しとかないと」


「あー、そうじゃなくてどうして魔王城に来たのかをだな……。

 護衛?大魔道士メローネのか?」


「いんや、モントリオ卿のだ」


「……モントリオ卿?河の国マンチェスターの貴族の?

 あいつがあんたの今の主なのか?」


「それも違う。今回の件で雇われただけに過ぎない。

 相当な額を積んでもらったからな」


「…………相当な額?」


「金だよ。私は金さえ貰えりゃ大抵のことはする」



しんと、空気が冷える。


大司祭オラージュはその擦れた目で、雰囲気の変わるオオバコを観察する。

先程まで、彼女の気迫に押されていた面影はもはやない。

オオバコは静かに睨む。敵意とさえ呼べる眼差し。


「どうした、少年」


「………勇者の奴は迎撃戦に参加しねぇ。大司祭は金の亡者ときたもんだ。

 兄貴の仲間はそんな奴らばっかりなのかよ」


オラージュは余裕だ。笑ってみせる。


「私のことなら違いない。金の亡者、とはよく言われる。

 金は良い。この世の全てだ。大抵のことはできるし買える。

 手っ取り早く、分かりやすい」

 

一触即発。

深く、深く。睨みあう形の二人、敵意と拒絶を向けるオオバコに、それを冷静に受けるオラージュ。


「………あーーー!!!あー!あー!あー!ダメ、駄目駄目! 

 もっと仲良くしようよ、ね?おんなじ人間じゃんかさー!!」


空気に耐えきれず、身投げの勢いで間に割って入ったのはアセロラだ。

目をぎゅっと瞑って、両手をわたわたとさせる。


「アセロラ、どいてろ。邪魔だ」


「どかない!!邪魔でもない!!あたしが正しい!駄目なのは二人!!!」


もはや半分やけだったが、アセロラは二人の冷たい気迫に抵抗する。


「関係ねぇだろうが」


「……関係ないなら、関わるんだよ、オオバコ」


伊達にオオバコよりよっぽど屈折した男、アシタバを兄に持ってはいない。

判断は的確で、意志は強固だ。

人付き合い方面、という差はあるが、その辺りは兄に似ている。

オオバコはオラージュの鋭い眼差しとも違う、アセロラの純粋な睨みにたじろいた。


「ふふ、興が削がれたようだな少年?なに、視察は明日もあるんだ、焦ることはない」


オラージュは踵を返し、オオバコ達に背を向ける。


「腹の虫が治まらないというのなら、またその時にお相手をしよう」


アセロラの睨みから目線を引っぺがし。

オオバコは夜に消える、オラージュの背中を見つめていた。








「明日は昼過ぎから本格的に視察が始まりますので………」


「朝から工房街の方々は屋台設置、というわけですね」


「ええ、始める前に一度工房街へ寄りますから、以後の工匠部隊への指示はお任せ致します」


魔王城の中の一室、ユズリハに与えられた秘書室で机を囲むのはユズリハと、“でかリボン”のナナミノキだ。

視察応対で多忙な中、ユズリハはナナミに助っ人を頼んでいた。


「視察の順番は?」


「そこは完全に先方任せですね。柔軟な対応をお願いします」


――――――と。

コンコンと、その部屋をノックする音がする。


「はい?」


扉を開けたのは、使用人を数人従えたモントリオ卿だ。相も変わらない、硬い表情。


「失礼、銀の団秘書のユズリハさん、で合っているだろうか」


「………はい、何か……?」


「少し頼みがある。要求としてもいいが……銀の団の、名簿を見せていただきたい」




戸惑うユズリハ、ナナミを置いて、モントリオは名簿を受け取ると熱心に目を落とし、ページを捲り続ける。

別に秘匿された情報でもない。ユズリハ達はその真意を測りかねていたが。


「――いた」


やがて捲る手を止めると、記載された名前の1つを指さした。


「……リリィさん、ですか?」


「この者の出自は?」


河の国マンチェスターですが…………」


質問の返答に答えず、考え込む。対応に困るナナミ。

ユズリハは静かに、モントリオの挙動を観察していた。








風呂上り。


風呂に入って頭を冷やしたオオバコはアセロラと、魔王城二階の寝床へと向かう。

部屋が隣同士の二人は、直前まで一緒だ。


「らしくなかった、オオバコ。お兄に言ってたじゃんかさ。もっと人と話し合えって」


「……あぁ、悪かった」


疲れが見える。怖い顔は崩せない。いつもよりは、熱量に欠けるオオバコだ。


「どうも、駄目なんだ。兄貴のことが絡むと、肩に力が入っちまう。

 頭が固くなってよ。上手く考えられなくなる」


兄への尊敬。帰ってこなかったことに対する怒りと悲しみ。

生き残った仲間達に対する、一方的な要求。


「俺は兄貴の死に、応えて欲しいのかもしれねぇ」


許せないんだろう。いつもの笑顔からは遠いオオバコを、アセロラは心配そうに見守る。

彼女の厄介な兄と似ている。


「………オオバコ、そういうの、お兄達に言い辛かったらあたしに言いなよ?

 相談にのったげるから」


「何でお前に」


必要だからだよ・・・・・・・


アセロラは彼女がたまに見せる、超然とした眼差しを向けてくる。


「オオバコ、それ・・は溜まるんだ。

 溜まって積もって折り重なって、そのままいけばどうしようもなくなっちゃう。

 溜め池に放水口を取りつけないのは馬鹿のすることだよ」


伊達に長年、屈折した兄の妹をやってはいない。


“アシタバという新人(ルーキー)は無愛想で礼儀を知らないが、可愛い魔物解体家の妹のために頑張っていると思えば許せる”

という探検家達のアシタバ評は、決して天から勝手に降ってきたわけではない。

健気な妹の姿、そしてそのために兄が頑張っているということは、不自然でないよう静かに、意図的に広められた情報だ。


天真爛漫。魔物の解体は猟奇的(スプラッタ)だが、それ以外では素直で人を思いやり、陽気で人の輪の中心になれる。

アセロラにとってそういう評価を受けることは、人の懐に潜り込むことは不可欠な生きる術だった。


過度な言葉を使えば、印象操作、という点では、探検家ツワブキ、商人エゴノキ、秘書ユズリハが銀の団のトップ層になるが、一番はアセロラだ。

だからこそ、人を見る目も並外れている。


「あたしは間違っていない。オオバコ、約束だよ。忘れないでね。」


「……………」


あれこれと印象を考える姿ではない。

アセロラのその眼差しを、オオバコは静かに受け止める。








魔王城地下一階に構えるより前、波の国セージュのクロサンドラの酒場は主に探検家を始めとした荒くれ達の溜まり場として有名だった。

あの【凱旋】のツワブキがよく出入りをしたし、探検家組合(ギルド)の本部もここになる。

常連客は沢山いたが、アセロラはその中では少し特殊な客だった。


「クロサンドラさーん、これー。蜥蜴兵(リザードマン)の爪と牙が多数、大茸(マタンゴ)の胞子瓶が10個、あと大蜘蛛(ビッグスパイダー)の糸!!」


「おー!糸は嬉しいねぇ!プルメラ達にお代貰っといてくれ。

 ああ、手間賃で夕食も奢るよ。兄貴の分も持っていきなぁ!!」


アセロラの解体した魔物素材の、卸し所としての定番がここだった。

双子から銅貨を受け取るとアセロラは、厨房内で食事を始める。


「アセロラ、店の方で食べないのー?」

「行儀悪いよ、行儀」


「いーの、行ったら絡まれるし」


双子、プルメラとプルセラは料理の腕を動かしながらアセロラに顔を寄せてくる。

荒くれの溜まり場には希少な若くて美人の娘とあって、アセロラはプルメラ、プルセラに劣らず客達から人気がある。

いつもはそれに愛想を振りまき、より懐に入っていくのだが、今日はそこまでの元気がなかった。


「どうしたんだい。解体少女(スプラッタガール)が、今日は元気がないじゃないのさ」


カウンターでの対応を一区切りさせたクロサンドラが、アセロラの前に腰を降ろした。

娘の双子に合図を送る。しばらく店を任せる、というサインだ。


「いや、ウチのお兄のことでね」


「あっはっは、あの無愛想さは相変わらず直らないねぇ。

 未だに相方もつけずにダンジョンへ潜るし」


「そうなんだよ。あれじゃあ屍を拾ってもらえない」


解体少女(スプラッタガール)が深く集中している時に零れる、倫理観周りのハードルの低い発言には、流石のクロサンドラも引き攣った顔を見せる。


「………いつか、現れるといいなって思うんだ」


「何が?」


「お兄の、相方っていうかさ」


兄は、いつも孤独だった。

周りとの価値観の違いを分かっているから、それを隠そうと、繋がりを積極的に断った。

だから苦しみも、悲しみも、全部一人で背負うことになる。


「あんたじゃ駄目なのかい。いいコンビだと思うがね」


「………あたしじゃ、駄目なんだよ。

 あたしはこの場所を動けない。あたしじゃなくってさ」


どこか虚空を、遠くを見る。


「お兄の孤独を、理解してくれる人が。

 寄り添ってくれる人が。共に歩いてくれる人が。

 お兄の間違いを、それは違うと言って。

 一緒に笑って。一緒に泣いて。一緒に考えて。一緒に、立ち向かう。

 そういう人が………」


「…………まぁ――――」


クロサンドラは、若いね、とは笑わないことにする。


「人生っていうのは長いんだ。

 危なっかしくて見てらんないかもしれないが、あんたのその心配は時間が解決してくれる」


「待ってるだけじゃ駄目なんじゃない?」


「それは、一般論として間違ってはいない。けどあいつはそうでもない」


「お兄は?どうして?」


にやりとクロサンドラは、人生経験を覗かせる笑みを見せる。


「あいつが、真摯に必死に生きているからさ。

 ま、方向性は真っ直ぐとは言い難いがね」


理解はしきれない。けれどアセロラはひとまず悩みをやめ、食事に戻る。


いつか――――。


やがてツワブキから勧誘を受け、アシタバと魔王城に行くことになる前の、アセロラの姿だった。




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