Day 3

1


 空が白み始めた頃、洸太は車内で目を覚ました。

 こめかみのあたりがズキン、と痛む。

 隣では静が洸太の肩にもたれながら寝息を立てていた。その頭をそっとシートに戻すと、音を殺しながら車のドアをあけ、外へ出た。


 人の影はなく、はるか遠くを流れる激しい川の音以外は何も聞こえない。あたりには灰青の霧が漂い、髪や肌を冷やしていく。


 このあたりは古い民家が多い。木の壁や、トタン屋根の軒下に、夜の残り香のような闇が潜んでいた。

 ふと、頭上で雀がチュチュ、と鳴く。

 そばにあった電柱を見上げた瞬間、鳥の声はかき消され、〈ゴォン〉という低く滑らかな山の泣き声が聞こえた。


 どこで呼んでるんだろう。


 ふと、上着のポケットに突っ込んだ手が、何かにあたった。

 事故現場を訪れた際に、笠寺から受け取ったマッチだった。

 今どきマッチを常備しているホテルも珍しい。だが洸太にはそういうホテルに心当たりがあった。

 マッチを取り出して、書かれた名前を見る。


〈ホテル アンジャベル〉


 母方の親戚である、朝子のホテルだった。

 それはかつて静が働いていた場所でもある。

 笠寺はそこに泊まっている。

 雨が降っているうちはそこにいると言っていた。


 洸太は振り向き、遠く山の方を仰いだ。灰色の霧が山を包み、空と山の境目は曖昧になっている。

――笠寺は今、何をしているのだろうか?

 もし、今も山にいるのなら――静に会えばいいのに。

 最後の日に約束していたのは、彼なのだから。


 洸太はその道をまっすぐに歩いた。この先をずっと行くと、山の入り口だ。


 頭が痛い。

 山がよんでいる。


 吸い込まれるような黒さの山を仰ぎ見た瞬間、背後から声がした。

「洸太、」


 透明な佇まいの静が立っていた。


「どこいくの。」


 眼差しは優しく、同時にどこか戒めるような鋭さがある。

「戻れよ、洸太。」

 なにか不思議な呪文でも唱えられたかのように、洸太の身体は自然に静の方へと歩んでいった。

 すぐ目の前まで来ると、静は洸太の肩をそっと抱いた。


「お前、」

 すぐさま、額に手を当てられる。

「熱があるぞ。早く帰って横になれよ」


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