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 やがて洸太は高校を出ると、地元を離れて祖父のいる兎和山に一人で越した。地元にはもう、居場所がなかった。


 祖父は家具工房を持ち、そこで何人か職人も雇っていた。洸太はその職人の見習いとして、工房で働かせてもらう運びとなった。

 洸太の職人としての腕は、良くなかった。ただ血縁だから。そういう理由でその場所に置かせてもらっていることを、洸太はよくわかっていた。


 笠寺から連絡が来なくなり、静はどこか遠くに旅立った。



「――気に病むことはないよ。俺は割と、自由を楽しんでる」


 一年後に再び洸太のもとに現れた静は、放浪の人となっていた。

 彼は旅をするように地方を転々としながら住み込みの仕事をしているらしかった。ある時は、和歌山のペンション。またあるときは、青森の農園。宮古島や神戸のときもあった。職を変え住処を変え、各地を放浪しながら、時折また、海外にも足を運んでいたようである。

 その旅の合間に、洸太に会いに来る。

 まるで渡り鳥だった。

 初めてあった日に彼が持っていた、約束された将来の姿――医師やそれに準ずる、選ばれたものの姿――はどこにもなかった。


 彼が下関の仕事をやめて、洸太の家に身を寄せたとき、洸太には贖罪の意識があった。


 自分のせいで人生を棒に振った静に対する、せめてもの償いとして、洸太は家も職も惜しみなく与えた。

 初めて口づけを受けた夜、身体を受け渡した夜ですら、その甘い感情が代償の色味を帯びていたことに気づいていた。

 十年も続いた静への恋愛感情は、少しずつひずんでいく。



「山口の前は、高知にいたよ。民宿を手伝ってた。沖縄とか……青森もあったな。」


 冬の夜、静から前の仕事の話を聞いた。

 高卒以降、ずっと同じ職についている洸太からすると、信じられないような話ばかりだった。


「先輩はどうしてあちこちで仕事するんですか」

 電気の消えた暗い室内で、静は布団の上に座って、こちらを見ていた。


「どこか一つのところで、ずっと暮らさないんですか」

「いや……暮らさない。一つのところにとどまれないんだ。そういう性分なんだろうな。

 俺の本質は旅人なんだと思う。どんな素晴らしい場所でも、ある日突然、そこを離れたくなる。離れて、旅をしたくなるんだ。」

「じゃ、いつかここも離れるんですか、」

「どうだろうね。」


 静は立ち上がり、洸太の布団の中に潜った。それから横になったまま肩を抱きよせ、髪をなでた。

「出ていくかもしれない。」

 言いながら、洸太の額に小さくキスをした。

「寂しいか、」

 洸太は静の背に腕を回した。


「先輩がそうしたいなら、俺は止めません」


 寂しい、そばにいてほしい、と答えるのは、洸太の中でルール違反だった。自分はわがままを言える立場ではない。

 一生この人に、償いをしながら生きていくのだから。


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