罪深い僕が君を取り戻すまでの長く短い物語
こどー@鏡の森
むかしばなし--------「目覚め」
“古ぅいお城の奥深く、家人だけが存在を知る宝物庫の片隅に彼女は眠っておりました。”
芝居がかった声は若い男のものだった。今にも命が尽きようとする時、最後まで働いているのは耳だと言うが、目覚めの時に最初に働き始めるのも耳なのだろうか。
うっすらと開いた視界の先で古びたランタンの灯が揺れている。寝起きの潤んだ視界はひどく不安定で、上下の瞼は別れを惜しんでくっつきたがる。
「おや、お目覚め? ジェーン」
物音ひとつ立ててはいないのに、どうして気がついたものか。若い男はペンを手にしたまま振り返り、軋む椅子から立ち上がった。ペン先についていたのだろうインクを布でふき取り、そっと音も立てずにペン立てに差し入れる。
両腕をひらめかせ、優雅なステップを踏むような足取りで近づいてくる男は、見るからにニコニコと嬉しそうだ。
「何をにやけておるのだ、気色悪い」
思わず毒づいたが、いっこうに堪えた様子はなかった。
心地のよいそよ風くらいに思っているのかもしれない。いつだったか、ジェーンが口を利いてくれるだけでもうれしいと言っていたから。
しなやかな指先が迫ってくる。ほんのりと熱を宿した肌が両の頬を包み込む。狩りも畑仕事も掃除も調理も知らないのだろう、ささくれひとつない美しい指先が。
抵抗などできようはずもなかった。なぜならジェーンには首から下の体がないから。
できることがあるとすれば、そう、奴の指が近づいた瞬間、渾身の力で噛み千切ってやるくらいか。けれど今のように指を広げて包まれては、首をひねって噛みつくだけでも難儀なことだ。
奴がこの唇に触れようとしたならば、あるいは──。
頬を包んでいた指先が伸び、耳を通り過ぎて髪の合間へ滑り込む。身をかがめた男の顔が近づいてくる。額の端に触れた肌にはかすかな髭の剃り跡の感触。
「君は陽が落ちる頃に目を覚ます、そして長く短い夜を過ごす。同じように起きていられたなら、せめて話し相手にはなれようものを」
ほんの少しだけ目線を上げた先の喉仏が上下する。使い魔の猫ならば飛びつかずにはいられないような魅惑的なその動き。舌なめずりして唇を濡らす。
「……今日は、昼の仕事が忙しくてね」
男の肌が額を離れた。
「話し相手なぞいらぬ」
「おや」
男の指が髪をすく。
「それでは今しばらくはお世話係に徹するとしよう。なぁに、焦りはしないよ。時間はたっぷりとあるのだからね」
端正な
ここは何十年も前にあるじを失くした古い城郭、男の言葉が虚飾でないならば。
ジェーンは百年もの眠りについていた古の魔女の末裔、図書の書物が偽書でないならば。
ふたつ前の新月の夜に目覚めてから、奇妙な同居生活を送っている。
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