救われなかった者達へ

鬱崎ヱメル

第1話 居場所のない世界

 私はこの世界に、ずっと居場所がない気がしていた。時代が、漫画やアニメが好きな私のような「オタク」を良いものと思っていなかったことも要因の一つではあるが、何か特別なものが見える訳でもなく、感性が人と変わっていて馴染めなかった訳でもない。ただ一つ違いがあるとすれば、私が物心がついた頃から好きなのは女性ということだけ。たったそれだけのことなのに、堪らなく疎外感を覚えていた。

 小さい頃は絵を描くのが好きだった活発な子だったらしい。今の私は陰険で後ろ向きな、むしろ嫌っているような性格になってしまった。友達もほとんどいないような人間になった。

 小学生からずっと続けていることとすれば、自分の妄想を絵によって具現化することぐらいだ。いわゆる妄想族というやつだろうか。

 中学生になった頃、SNSという言葉が現れた最初期のことだろうか。何の気なしにメールアドレスさえあれば登録できるそのサービスを利用し始めて、タイムラインを流れてきたとある投稿を見て初めて、自分が少数者であるということを知ったのである。

 自分にとって当たり前であった女性同士の恋愛は、世の中からは受け入れられないようなものとして扱われていたのである。この頃からだ、自分が同性愛者であることを隠すようになったのは。

 部屋の本棚にある、愛読書である好きだった百合漫画たちの表紙が見えなくなるように書店の紙カバーをかけ、家族が眠った後、布団の中に隠れてこっそりと読むようになった。

 心の拠り所とする為に、本格的にイラストを書き始めたのもこの時期だった。ただの趣味として、SNSに描いた成果物を投げたりしていた。二次創作にも手を出していたと思う。ネットの知り合いができたのもこの時期からだったと記憶している。

 学校では周りに合わせて興味のないタレント、アイドル、ミュージシャンについて、どんな人がタイプで付き合ってみたいとか、かっこいいだとか、結婚するならこんな人がいいとか、思ってもいないことをペラペラと喋るようになった。心の奥底で、自らが壊れていくのを感じながら。


 高校生になってから、今までずっと引きずっている嫌な思い出がある。私は今より純粋で、この世界には悪意なんてないはずだと信じて疑わなかった少女の時代、一年生の時だっただろうか。家族に連れられ生まれて初めて、某県某市にある夢と魔法のテーマパークに行った時の話だ。

 どこを回っても、プリンセスが白馬に乗った素敵なお方と出会って幸せに暮らすという筋書きの物語しかないことに気がついてしまったのである。考えてみれば、子供の時に見ていた日本のアニメでも組み合わせは、男女であったし、もちろん海外のアニメーションでもそれは同様だった。


 その事実は、目の前の現実の景色の彩りを打ち消すのに十分な衝撃だったのを覚えている。自然と涙が溢れていたと思う。


「真美は感性が豊かだね。素晴らしい感性を持ってる証拠ね。こうやって人は生きていくの」

 褒められているということだけは分かってはいるが、この一言が私の心に突き刺さっている。

「⋯⋯うん、ありがとう」

 私が「オタク」へと変わっていくのはこの時からだ。親に許可をもらって、自分と同じ分野が好きな同好の士を求めて、初めて部活に入ることにした。

 部員を探していたそうで、渡りに船だったらしい。すぐに受け入れられた。趣味が合う人達だったからか馴染むのは早かったと記憶している。それなりには楽しい時間ではあったが、最後まで胸の内をうべて曝け出すこともなかった。

 進路を決める時、漫画家というより漫画雑誌の編集者など、何かしらの形で漫画やイラスト、アニメに関わることのできる仕事につければいいな程度のことは考えてはいたので、都内にある6大学を志望校に据えて、人並みには勉強し第二志望ではあったが情報コミュニケーション学部に入学することができた。

  大学生になり親元を離れた私は、初めて充実した日々を送るようになった。同人活動に打ち込むようになった私は、趣味に全力になった。題材を探すためあらゆる場所に一人で行くようになっていった。

 大学三年、初めてのコミケ参戦。十冊の本を売り切るのに苦労がなかったかといえば嘘になるが、その時に買ってくれた一人の女の子が目の前で作品を読んでボロボロと泣き始めた。

「私のことが書いてあるみたいでした。こんなふうに女の子を好きでいて良いって言ってくれた人なんていなかったから、凄く救われました」そう言ってはにかんでくれたっけ。

 たった一人でも支えになったと言ってくれる人がいるなら、もっと活動を頑張ろうと思うことができたことは、とても大きな財産となった。フォロワーに誘われての打ち上げにも参加し何事もなく帰宅した。

 翌年も春は合同誌への寄稿と個人誌で、冬はイラスト集と中編の同人誌を携えての参戦となったが、あの女の子は欠かさずきてくれたし、新たにファンになってくれた人もたくさんにいたと思う。そしてしっかりと学業の方も納め、就職も決まった。


 入ったのは、それなりに大手の出版社だった。最初から担当を選べるはずもなく、最初にアシスタントに付いたのは青年誌だった。


 とにかく覚えることばかりで疑問に思ったことも飲み込んで、歯を食いしばりながら仕事に打ち込んだ。その間も同人活動は細々と続けていた。夏と冬だけはコミケも参加し続けた。

 仕事の転移が訪れたのは四年目の頃だった。私が持ち込み企画を持ってきた方々の対応班へと異動にになった。ここはチャンスだと思い、百合系のものを何度も企画会議に投げた。何度突き返されただろう。

「そんなものはウケない」

「これは主人公がいない話だよ。ヒロインだらけでは売れない」

「わざわざ女性主人公である必要あるのこれ」

 一作も通らなかった。だがその姿勢が買われ、変わってきた時代の為に発足した女性主人公専門の別の雑誌の担当に引き抜かれた。そこからの充実たるや凄まじいものだった。次々と決まってゆく新連載とネット上の人気同人作家の起用により読者を獲得し雑誌としても女性同士の関係の専門性が評価さっっるようにもなっていた。私自身も、どこか救われることとなった。

 そして私が二十九歳の頃に、当時の有名百合漫画家の転属がトントン拍子で進み、描いた漫画もヒットしてあっさりとアニメ化が決まった。そしてアニメも大ヒット。したのだが⋯⋯


 その後の雑誌のインタビューの「同性愛と受け取ってくれて構いません」という原作の漫画家の発言を修正して詫びを出せ、という明らかな圧力を受けたのである。


 私も中堅どころになってもいたため必死に抵抗もしていた。自分の持っている同性愛者というものをSNSにも表明し始めて、同じような人がたくさん知っていたから負けるわけにはいかなかった。

 だがそれは無駄だった。私たちの方で組んでいた特集号は企画差し止め、本体の方で特集されることとなり、我々は制作の決定権も持つことができず全てが「読者の解釈に任せる」こととなってしまったのである。悔しかった。握りしめた拳が痛かった。

 編集長は自分の首をかけて、担当のしがない一般である編集者の私のマスク付き顔写真と共に抗議文をネット上のホームページとSNSの公式アカウントに掲載してくれた。時代が変わってきたのか、多くの賞賛の声が挙がった。

 その声を掻き消すほど大きかったのは、同性愛嫌悪がベースにある「漫画表現に政治的なものを持ち込むのはおかしい」「少数者へ配慮のしすぎ」「価値観の押し付けも甚だしい」と言った罵詈雑言の嵐となった。私の殺人予告が来たこともあった。

 同人仲間から浴びるほどの心配と激励を受けてしまった。それが余計に辛くて、情けなくて、悔しくて泣いた。憔悴しきったと言ってもいい状態になった。

 とどめとなったのは母親の一言だった。

「早く孫の顔が見たいわねぇ。お婆ちゃんもそう言ってたわよ。あんまり仕事ばかりしていると婚期が遅れるし、高齢出産になるとリスクもあるし⋯⋯」

 体の中にある何か重要なものが叩き壊されたような感覚だった。いつか親からそれを言われるから覚悟しなよと、ビアンバーのバーテンダーに言われてたんだっけ。うちの親なら、あの漫画の主人公の母親のように優しい言葉をかけてくれると思っていた。

 心臓を掴まれ握りつぶされたような痛みと、腹を出刃包丁で刺されたような衝撃。鳩尾をヘビー級のプロボクサーに殴らレたようだった。一気に込み上げくるものがありトイレへと駆け込み、胃の内容物全てをぶちまけてしまった。


 私には、やはり居場所なんてどこにもないんだと絶望が襲ってきた。


「もうやめて、私が何したって言うの、酷い、もうやめて、もう、許してよ⋯⋯」

どうしてなんだろうか。他人と違う考えを持つのはそれほどおかしい事なのだろうか。仮にアニメでそれら同性愛が表現されたからと言って、世界が滅亡するわけでもないのに。

 油断していたんだと思う。電車を待つためホームに立っていた時だった。

「ギャーギャーうるせえんだよ女のくせに⋯⋯!」

 誰かが走ってくる足音にさえ気が付かなかった。私の体は宙に浮いていた。

「え⋯⋯」

 無音だった。三十年間のあらゆる思い出が駆け巡ってくる。振り返ってみたら、良いことは勿論あったのかもしれない。それを覆い隠すほどに悪いことばかりだった気がする。そして終わりがこれとは予想だにしていなかった。今日がちょうど誕生日だったのに。心の隅でいつか社会に殺されるんじゃないかっていつも思っていたが、現実になってしまった。

 落とされたのが未来ある若者じゃなくてよかったな。その子の代わりに私が身代わりになったんだと思うことができた。でも、ファンのあの子のためにもうしてあげられることがなくなったことだけは唯一の心残りだ。私がいなくなっても、貴女はありのままで良いということだけは忘れないでほしい。


「⋯⋯さようなら、クソッタレな世界」


 体がひしゃげる感覚を体で体験しながら、私の意識は飛散していった。


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