第三話 願いと告白

「この辺は涼しいわね」

「そうね!」

 お姉さまの言葉に相槌を打ちつつ、マロンに指示を出す。お姉さまとその愛馬ブランカは、相変わらず人馬ともに優雅だ。

「一旦降りて休憩しましょうか」

「うん!」

 私の返事を聞いたお姉さまは、ブランカから降り手綱を大きな木の幹に括り付けた。私も倣ってマロンから降り、同じ木にマロンを繋ぐ。マロンはすぐにブランカへ近寄って行き、顔を擦り付けて甘え始めた。一方のブランカは、そんなマロンを優しく受け止めてグルーミングをしてあげている。

「馬ってやっぱり自分の母親や娘が分かるのかしら」

「どうなのかしらね……マロンのそれは主の影響な気がするけど」

「私の? 何で?」

「鏡を見てきて御覧なさいな」

 お姉さまはそれ以上何も言わず、持ってきていた紅茶を飲み始めてしまった。仕方がないので、私は同じく持ってきていたサンドイッチを食べ始める。

「マロンも帝国に連れていくのよね?」

「そのつもり……だけど、あんなにブランカに甘えてるなら、母娘を引き離すのは可哀そうかしら」

「子供はいつか親の元から離れていくものよ。現に、貴女だって外国に嫁いでいこうとしているんだから。そもそも、あの仔たち今は馬房も厩舎も違うでしょう」

「それもそうね」

「一頭で可哀想と思うのならば、今まで以上に貴女が愛情を注いであげなさい。馬は賢いから、貴女が誠実に向き合えばきっと分かってくれるわ」

「うん」

 元よりそのつもりだ。馬同士の仲良しや別の動物でも仲良しが出来ればそれに越した事はないが、私はあの子の主なのだから。相変わらず絶品のお姉さま手作りサンドイッチを頬張りながら、こくこくと頷いた。

「……相変わらず良い食べっぷりね」

「だって美味しいもの」

「好き嫌いなく食べられるのは美点でしょうね。月晶帝国は食文化も違うでしょうし」

「蒼玉様にも似たような事を言われたわ。でも確かに、毒物じゃないなら大丈夫……ううん、この前エメ兄さまに色々教えてもらったから、解毒剤があれば毒でもどうにかなると思う」

「あの方、義妹に何を教えてるの……くれぐれも、下手な真似はしないで頂戴ね」

「私が教えてほしいってお願いしたのよ。どんな知識がいつ役立つかなんて、誰にも分んないんだもの」

 知識は武器だ。知っているだけで身を守れる事もあるし、行き詰っても道を切り開く事が出来るし。何より、新しい事を知っていくのは単純に楽しいのだ。そんな訳で、基本的な教養は勿論この国の歴史や法律、気候、芸術、医術や薬学を始めとした沢山の分野の基礎的な知識は大体網羅している。

「何にせよ、楽しんでもらえてるなら良かったわ」

「お姉さまと水入らずで楽しくない訳がないわ」

 間髪入れずに答えると、お姉さまの顔が何とも言えないような表情になった。困らせたい訳ではなかったので、とりあえず謝っておく。

「……貴女は相変わらずね」

 溜息交じりに言われたが、怒っているような雰囲気ではなかったのでお礼を言った。それを聞いたお姉さまは、再び微妙な表情になる。

「もう時効と思うから伝えておこうかと思うのだけど」

「うん」

「十六年前に貴女が産まれた時、素直に喜べなかったの」

「……」

 流石に一瞬だけ落ち込みかけたが、それはそうだろうと思い直して感情を立て直す。この国で主流の緑系の色の中でも更に好まれている黄緑の目をしていて、青緑の髪をしている妹だ。まごう事なき公爵家の長女である自分が『髪が赤い』という理由だけで誹謗中傷を受け辛い思いをしている中で、周りから誕生を祝福されちやほやされる妹をどうして好ましく思えよう。

「いっその事、貴女が環境に胡坐を掻いて我が儘な令嬢に育ってしまっていれば、遠慮なく憎めたのにと思った事すらあった。そして、そんな自分がとても惨めで、自分の方が余程醜いと嗤いたくなった」

 とつとつと語られる、お姉さまの本音。私の前ではいつだって、心の内を零さず毅然としてらっしゃるのに。

「でも、私を救ってくれたのも貴女だったの。味方が数える程しかいなかったあの家で、屈託なく私を慕ってくれた貴女は……貴女の明るさと懐っこさは、すり減って疲弊していた私の心を支えてくれた」

 お姉さまの腕が、私の肩に回った。ぎゅっと引き寄せられたので、遠慮なくぴったりとくっつきに行く。

「だからどうか、どこへ行ったとしても」

「うん」

「貴女らしさを失わないで」

「うん」

「辛くなったら周りを頼って。何なら、里帰りしてきても良いから」

「うん」

「先に王妃になった者として、貴女の姉として。それだけ伝えておくわ」

「……うん!」

 私の方からも腕を回してお姉さまに抱き着いた。溢れてくる涙はそのままに、うん、うんと何度も頷く。

「ありがとう、お姉さま」

 涙声になってしまったが、受け取った激励のお礼を告げた。


  ***


「……眠れない」

 呟いた声は、虚しく部屋に響く。とうとう明日の朝には出発だから、緊張しているのだろう。

 しかし、明日からは一か月掛けての長旅である。少しでも眠って疲れを取っておかないと、道中辛いだろう。温かい飲み物でも飲めば気分も解れるだろうかと思って、音を立てないように部屋を出て、厨房の方へと向かった。

(……中庭に人影?)

 窓の外で何かが動いた気配がしたので、そっと窓から様子を伺ってみる。光が月明りしかないので確証はないが、あれは蒼玉様ではなかろうか。

 せっかくだから彼も厨房へ誘おうと思って、ゆっくりと近づいた。夜空を見ながら佇んでいる蒼玉様は、どこか儚げで綺麗だった。

「マリガーネット様?」

「気づかれました?」

「ええ。貴女も夜の散歩ですか?」

「厨房でお茶を淹れようと思いまして、お誘いに来たのです」

「お茶を?」

「はい。いよいよ明日だと思うと、やはり緊張してしまって」

 それを彼に言っても良いものかとは思ったが、隠すのも違う気がしたので正直に伝えてみた。返答を聞いた蒼玉様は、ぱちぱちと瞳を瞬かせている。

「そうですね。お……私にとっては帰路ですが、貴女にとっては旅立ちだ」

「勿論楽しみでもあるのですけれどね。でも、私に務まるのか、とか私で大丈夫なのか、とか色々考えてしまって」

「……そうですか」

「自分なりには努力していますが、あくまでも自己評価です。真に私を評価するのは、月晶帝国の方々ですから」

 貴族が貴族足り得るのは、領民が支持してくれるからだ。その立場に胡坐をかいて圧政を強いてしまえば、一気に信用は地に落ちて暴動が起き革命となるだろう。私達が裕福に贅沢に暮らせる理由を、忘れてはいけない。

「この国で過ごしている間に色々見聞きして、貴女が如何に愛されているかよく分かりました。皆が口を揃えて言うのです。マリガーネット様は、身分を傘に着ず、使用人や領民を大事にしていて、朗らかで、明るくて、いるだけでその場が華やかになると。話をしているだけで元気になると」

 蒼玉様がそんな話をする意図が掴めなくて、少しだけ身構える。けれど、向けられた彼の紺碧が、明らかに……泣き出しそうな雰囲気だったから。一歩、二歩、思わず彼に近づいた。

「貴女を私の后にと願う気持ちは本物です。私と一緒に帝国に来てほしい気持ちも心からの本心です。けれど、今になって……ここまで愛されている姫を俺の私欲で連れて行っても良いのだろうか、貴女をこの国から引き離しても良いのだろうか、と」

 瞳の理由はそういう事か。迷う気持ちがあるなら不安から泣きたくもなるだろう。しかし、俺の私欲とはどういう事だ?

「先程、俺の私欲とおっしゃっていましたが。今回の求婚は蒼玉様の独断なのですか?」

「流石に両親の許可は取ってから書状を送りましたが……貴女と結婚したいと思ったのは俺の意思です」

「……理由をお聞かせ頂いても?」

 逸る心臓を抑えるように、胸元に手を当てて深呼吸してから口を開いた。私の質問を聞いた蒼玉様のお顔が、一拍置いた後に真っ赤になる。こんな状況でも分かるのだから、相当に染まっているのだろう。

「……戴冠式が行われた後で開かれた、晩餐会を覚えてらっしゃいますか?」

「はい。そこで、初めて蒼玉様とお話ししました」

「そうです。人酔いして具合が悪くなった俺を、貴女が心配して声をかけてくれた」

「明らかに顔色が悪かったですもの。倒れてしまうのではないかと思って、はらはらしましたよ」

「その節はご心配をお掛けしました。後半の方は多少持ち直したのでいくつか食事を頂きましたよ……はい、あの時話しかけて頂いて、会話して、貴女が笑っていて……可愛らしいなと思ったんです」

 可愛らしい。ありがたい事に、今までに幾度もかけてもらった言葉である……あるのだが、初めてそう言ってもらった時のように、頬が熱くなり心臓が勢いよく鳴り出した。告げる相手が違うだけで、こうも言葉の受け止め方が変わるものか。

「笑った顔が可愛らしいと思って、俺のために水を取ってきて下さろうとしていた事が嬉しくて、気心の知れた女官と話している際の様子も好ましくて」

 喉がからからに乾いてきた。訳もなく口から悲鳴が飛び出てきそうだったので、両手でしっかりと口を覆う。ああ、先程までは迷いで揺れていた彼の紺碧が、まっすぐに私へと向けられた。

「貴女に一目惚れしました。貴女を好ましいと思いました。貴女とならば一緒にいたいと思いましたし……一緒ならば、きっと国をより良い方へ導けると思ったんです。だから」

 蒼玉様が私の前に跪いた。左手を自身の胸元に当てて、右手の手の平が私の前へと差し出される。私の体全てで拍動しているようだった。

「……どうか、私の妃となって下さいませんか?」

 はっきりと言葉が耳に入ってきた瞬間、一際大きく体が脈打った。くらくらと視界が回るようだったけれど、拳を握って足に力を込める。

 そして、彼の手の平の上にそっと右手を重ねた。

「ふつつか者ですけれども、精一杯努力しますので宜しくお願い致します」

 手を繋いだまま、出来る範囲で頭を下げる。再び視界に映った蒼玉様の瞳は、月光に照らされてとても美しく光っていた。

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