第二話 着々と進んでゆく

「蒼玉様、お久しぶりです」

「お久しぶりです、マリガーネット様」

 結婚式の日取りも決まったので、月晶帝国から迎えが来る事になっていた。蒼玉様は来られるか分からないと聞いていたのだが、都合をつけて来て下さったらしい。

「皇太子殿下自ら来て下さって、ありがとうございます」

「礼には及びません。むしろ、こちらの方こそ……申し出を受けて頂き、ありがとうございます」

 ふわりと笑った蒼玉様が、深々とお辞儀をして下さった。彼が頭を下げる機会なんてそうないだろうが、それでも仕草が様になっている。私も、隣にいるに恥じない女性とならなければ。

「長旅でお疲れでしょうし、まずは部屋までご案内しますね」

「ありがとうございます」

「お連れの方々は別にご案内させて頂きますが宜しいですか?」

「大丈夫ですよ」

 久々にお会いした蒼玉様は、初対面の時よりも幾分かは血色良く見えた。けれど、目元の辺りにうっすら隈が出来ている。歓迎の晩餐は明日の予定だから、今日はお部屋でゆっくりしてもらおう。 

「あれから、マリガーネット様は体調を崩されたりはしませんでしたか?」

「わたくしですか? はい、元気に過ごしておりました」

 お姉さまと一緒なのが嬉しくて勉強を張り切り過ぎ、寝不足になったまま愛馬のマロンに乗ったせいで盛大に落馬して擦り傷を沢山作ってしまったが、風邪を引いたりお腹を壊したりはしていないので元気と言っても差し支えないだろう。

「蒼玉様はどうでしたか?」

「私も元気です。忙しくはしていましたが」

「皇太子……こちらで言う王子ですものね。やはりご公務が多いのですか?」

「まぁそれなりに。臣下が優秀なので任せられる部分も多いですが」

「そうなのですね。その方は今回いらっしゃってますか? いらっしゃるならご挨拶したいです!」

「済みません。留守番をお願いしてきたので同行していないんですよ」

「それは失礼致しました。ならば、帝国でお会い出来るのを楽しみにしておりますわ」

 のんびりと会話をしながら、長い廊下を歩いていく。ようやく彼が滞在中に使ってもらう部屋についたので、ドアを開いて中へ促した。

「部屋の詳しい説明は、後から参りますメイドが行いますので何なりとお聞き下さいませ」

「分かりました。マリガーネット様も、案内をありがとうございます」

「どういたしまして。それではわたくしはこれで」

 蒼玉様の紺碧の瞳に視線を合わせた後で、一礼してその場を去った。居候している王妃宮へ帰る道で、腹心のサルティを見つけたので呼び寄せる。

「良く知った顔を見ると安心出来るわね……」

「ありがとうございます。流石のマリガーネット様も緊張されました?」

「そりゃあ婚約者とはいえ相手は外国の皇太子さまだもの。何か顔も凝った感じする」

「あー……確かに。お風呂上りにホットマスクお持ちします」

「よろひくね」

むにむにと遠慮なく頬を揉まれながら、サルティに返事をする。気持ちが良いのでそのままマッサージされていると、おもむろにサルティが口を開いた。

「先日のお話ですけれど」

「ああ、うん」

「両親には話をつけましたので」

「うん」

「私も月晶帝国へお供させて頂きますね」

「……良いの? 私は嬉しいけど、子爵家は」

「弟に後を継がせると。寂しくはあるが、とても名誉な事だから悔いの無いよう精一杯お勤めせよとの事です」

 そこまで言い終わると、サルティは手を放して私の髪を整えてくれた。薄緑の瞳が向けられて、ふいにじわりと視界が滲む。

「愛娘を送り出してくれる子爵のためにも頑張らないとね」

「サポートならお任せ下さい。そのための私ですから」

「ありがとう、サルティ」

 物心つく頃からの幼馴染で、王立学院を卒業してからは行儀見習いという名目で私の侍女をしてくれていた。長女である彼女はいずれ実家に戻らなくてはならないから……難しいだろうと思ったけれど、ダメ元で一緒に月晶帝国へ来てほしいとお願いした。

 それを了承してもらえて、ほっとして泣き出してしまったくらいには。私は、まだまだ強くないらしい。


  ***


「月晶帝国の主食は小麦ではないのですね」

「あるにはありますが、中心ではないです。主食としては米が一般的ですね」

「コメはどうやって食べるのですか?」

「水と共に釜へ入れて、火で煮て柔らかくしてから食べます」

「なるほど……リゾットみたいなものなのかしら」

 出発まではまだ日数があるので、今日は蒼玉様の所へお邪魔して月晶帝国の事について教えてもらっていた。王立図書館の文献を全て読破したので知識自体は大分増えたが、やはり現地に住んでいる方の話の方が分かりやすい。

「そう言えば、マリガーネット様は何か苦手な食べ物等はございますか?」

「いいえ。基本的に何でも食べられます」

「苦手な味とかは」

「極端な味でなければ大体大丈夫です」

「そうですか。頼もしいですね」

「頼もしいですか?」

「ええ。やはり、エスメラルダ王国と我が国では食文化が結構違うなと思う事も多いですから。諸外国の来賓の方の中には、体調を崩される方もいるのですよ」

「それは勿体ないですね。せっかく、新しい味を知る機会ですのに」

 何気なく口から出た言葉だったのだが。それまではテンポよく返って来ていた蒼玉様の言葉が途切れたので、恐る恐る彼の方を振り向いた。しかし、特に顔をしかめているとか眉間に皺を寄せているという訳でもなかったので大丈夫そうだ。紺碧の瞳を細めて、穏やかに笑ってらっしゃる。

 そして、そんな蒼玉様の右手がふいに動いて私の頭の上に乗った。慈しむ様に撫でられて、悪い気はしなかったのでそのまま享受していたのだが……申し訳ありませんという言葉と共に彼の手が引っ込んでしまった。

「済みません。つい何時もみたいに」

「大丈夫ですからお気になさらず……普段からされているのですか?」

「私には弟妹がいますのでね。よくせがまれるのです」

「弟妹がいらっしゃるのですか!?」

 それはつまり、その二人はいずれ私の弟妹にもなるという事だ。ついに私も、憧れていた『姉』になれるのか。

「同母の兄弟姉妹には弟と妹がそれぞれ一人ずつおりまして。双子なのです」

「双子! 話には聞いた事がありますが、やはり似てらっしゃるのですか?」

「男女なのでそこまでは……でも、ふとした仕草はそっくりですね」

「そうなのですね! お会い出来るのを楽しみにしています!」

 喜んだ勢いのまま伝え、彼の手をがしっと掴む。一瞬だけまずかっただろうかと思ったが、彼だって特に前置きなく私の頭を撫でていたし問題ないかと思って離さず握ったままでいた。振り払われはしなかったので、多分大丈夫だったのだろう。

「……あらあら。いつの間にそこまで仲良くなったの?」

 ドアの方から聞き慣れた慕わしい声が聞こえてきたので、手は握ったままそちらへ顔を向けた。体の前で腕を組んで笑っているお姉さまは、乗馬用のドレスを着ている。

「お姉さま、ブランカに乗るの?」

「ええ。だから、貴女も誘いに来たのだけど……お邪魔だったかし」

「今すぐ準備するわ! 待ってて!」

 脊髄反射で答えた後に、手の中の温もりを思い出して冷や汗が出てきた。ゆっくりと首を動かし、目の前の彼を確認する。

「私の事は気にせずに行ってきて下さい」

「……ありがとうございます」

「いいえ。今後は姉妹水入らずの機会を設けるのも難しくなるでしょうし」

「お気遣い感謝致します」

「このくらいでしたら、どうという事はありません」

 にっこりと微笑みながら言う蒼玉様は、とても大人に見えた。いや、私よりも年上なのだから実際に大人なのだけど。

「それじゃあ先に厩舎へ行っているわ。準備が出来たら来なさい」

「はい!」

 私の返事を聞いたお姉さまは、一回頷いた後で背を向け去っていった。乗馬をするのだから当たり前だけれども、普段はさらさら揺れている赤い髪がきっちり編み込まれて揺れていないので少しだけ残念な気持ちになる。

「マリガーネット様は乗馬をなさるのですね」

「はい。幼少期の頃に始めまして、今では自馬も持っています」

「その馬はこちらへ連れていきますか?」

「そのつもりです」

 私の愛馬マロンは、今年四歳になる栗毛の牝馬だ。エメ兄さまとお姉さまの各愛馬の間に産まれた初の子供でもあるので、私にとって思い入れが深い一頭でもある。

「牝馬の割にカリカリした所もありませんし、建て替えのために厩舎を変えても落ち着いていましたし。放牧している時に近くで子供が叫んでいても、気にせず牧草を食べていました」

「それは凄いですね」

「ありがとうございます」

 私が何をした訳でもないが、愛馬を褒められて嬉しくない訳がない。そんな訳で、マロンの代わりにお礼を伝えておいた。

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