終末論的逃避行~エスカトロジー・エスケープ~

@Kinoshitataiti

第1話 ファミリー・エスカトロジー

 それは、彼が飼っていたインコを庭に埋めていた時だった。部屋を飛び回っていた最愛のペットは、今や首から血を流し、土に還るのを待つのみになっていた。


「お前が面倒見ないからだろ!」


 部屋から父親の怒号が聞こえてくる。ここのところ、彼は父親の叫び声以外の声を聞いていない。


「何よ! 貴女はちっとも家に居ないじゃない! 口出ししないでよね!」


 キーン……。と耳に残るヒステリックな声……恐らく母親だろう。


「てめぇこのあまぁ……。じゃあこれは何だよ!」


「あ、それは……」


 ヒステリックな声の勢いが衰え、たじろぐ。

 彼が窓の方を振り返ると、父親は何かの写真を突きつけているようだった。


「隣の男は誰だ!? 浮気してたんだろ!」


「それは……! あんたが……!」


 母親は目線を泳がせ、口をパクパクと動かして何か言い訳が出てこないか思案している。

 図星なのだろう。

 彼は知っていた。前に何度か、学校から帰ってきたときに浮気相手と鉢合わせている。

 そんな時、母親と浮気相手は軽蔑や蔑むの目を彼に向けてきた。彼はそれをよく覚えている。


「父さん、今頃気づいたんだ」


 彼はそれだけ呟いて、インコとの砂遊びに戻る。


「大体インコが死んだのだってお前のせいだろ!」


「私は何も……!」


「言い訳するんじゃねぇ!」


 バチン!


 嫌な打撃音と、誰かが床に転がる音。

 最早彼はそれに関心を向けない。


 インコが砂に埋まって二度と出てこなくなった頃、彼はため息をついて立ち上がる。

 部屋に戻ろうとした彼に、ふと上空から声がかけられた。


「そのペット、生き返らせたくないかい?」


「誰?」


 彼が上を見上げると、月を背にしたシルエットが浮かんでいた。

 そいつはシルクハットを被り、ボロボロのマントをはためかせ、手に持った仰々しい大鎌をカチャリと恐ろしげに鳴らす。


「悪魔だよ。君の願いを叶えてあげる。

 ーー寿命と引き換えにね」


 悪魔は勿体ぶる様にゆっくりと地上に降り立つと、大きな鎌を彼の首もとにそっと添える。


「そうだね……そのペットを生き返らせるなら10年ほどもらおうかな。どうだい?」


「……何でも叶えてくれるの?」


「勿論さ! 殺したい奴が居るなら教えておくれ。例えばあの母親とか……」


 スッ。と悪魔が指差した先には、涙目で父親の足にすがり付く醜い母親がいた。

 彼は目を細め、諦観のため息を吐き出す。


「いや、良い。君は、僕の寿命が欲しいの?」


「そうだよ! 人間の魂は実に便利だ。何にだってなれる! 折角話しかけたんだから、君が嫌でも切れ端位はもらっていくよ」


「そう、じゃあ……『僕の寿命を取らないで』これが僕の願い」


「はっ!? てめぇ……!」


 慌てて悪魔は鎌で彼を切りつけるが、カキン。と空しい音を出して跳ね返される。


「やってくれたね! その願いにも寿命は取られるんだ! 今ので80年は減ったよ! しかも減った分は宙ぶらりん! これじゃ回収出来ない! あぁ、なんて勿体無い事をしてくれたんだ!」


 悪魔は消えてしまった80年に頭を抱え、くそ!くそ!と地団駄を踏む。


「あぁ、そう。それじゃあね」


 振り返って部屋に戻ろうとする彼の首筋に、待てよ。と悪魔は鎌をあてがう。


「良いのかい? 願いを叶えるのは本当だぜ?」


「もう良いんだよ、何もかも」


 悪魔は、チッ。と舌打ちすると、鎌を引いて宙に浮かぶ。


「後悔しても知らないよ? 何にせよ君の寿命は80年縮んだ……精々残りの人生を楽しく生きるんだね」


「……」


 無言で答えた彼にまた舌打ちして、悪魔は飛びさって行く。母親に怒鳴っている父親の横を抜けて、彼は自分の部屋に戻る。

 部屋には空の鳥かごが吊るされており、その隣には半分ほど残ったペットフードが置いてある。


「あぁ……ごめんね」


 ポツリと一言謝って、彼はベッドに横になった。

 迫ってくる倦怠感に身を任せ、彼は微睡みの中に沈んでいった。

















 朝、彼が目を覚ましてリビングに行くと、いつも通り母親の姿は無かった。父親が朝食を机の上に載せ、無言で、食え。と命じてくる。


「いただきます」


 席に着き、手を会わせると対面に座った父親がため息と共に口を開く。


「お父さんたちな、離婚しようと思うんだ」


「そう」


 彼は少し焦げたベーコンを奥歯でバリバリと噛み砕く。僅かな苦味と肉の油が絶妙に不協和音を産み出し、彼は何とも言えない顔をする。


「どっちについていく?」


 彼は目玉焼きを頬張る。母親は以前よく卵焼きを作っていたがそれも過去の話。今は父親が作った目玉焼きが朝の定番だ。


「父さんについていくよ」


「そうか……ありがとう。ごめんな、こんな情けない親で」


「そんなことないよ」


 彼は味噌汁を啜る。母親も父親も同じインスタントの味噌汁を良く使う。これだけは前と変わらない味だ。

 その会話を最後に朝食は無言で終わりを迎え、ランドセルを背負った彼は学校に向かう。


「行ってきます」


 返事は無いがそれも、もう気にしない。


 教室にたどり着くと、彼の席の周辺で数人の生徒がコソコソと何かをしている。

 嫌な予感がしてズカズカと近づくと、やべ、来たぜ。と笑いながら彼らは教室の外へ飛び出していく。

 机の上にはビリビリに破られた絵が置いてあった。

 確か家族の絵を描いたものだ。父親と、母親と、彼と、インコが描いてあった物だ。最早絵は原型は留めていなかった。


「……あーあ。書き直しかな」


 残骸を拾い上げ、ゴミ箱に捨てるために一つに纏めていると、後ろから無邪気な声がかけられる。


「ねー何してんの?」


 クラスの女子だろう。名前も覚えていないが、その煩わしい声と口調に彼は聞き覚えがあった。


「……」


「無視しなくて良いじゃん! 何それ、何か作ってたの?」


「邪魔……」


「は? 何その言い方! そう言うこと言っちゃダメ何だよ! ねぇ、それ何!?」


「邪魔」


「はぁ!? だから……!」


「邪魔だって!」


 バチン!と振り払うように振るった腕が、彼女の頬に当たった。


「あ、ごめ……」


「うわぁぁああ! かける君がぶったぁぁああ!」


 キーーーン。と耳障りでヒステリックなその声に、翔は思わず耳を塞ぐ。

 何事かと駆け足で教室に飛び込んできた担任の先生に、彼女は我先に飛び付く。


「先生! かける君がぶったぁぁああ!」


「翔君が?」


 先生の目が鋭くなり、疑いの眼差しに変わる。

 この子はいつかやると思ってたわ。とでも言いたげであった。


「あぁ……」


 何か言い返す気力もなく、


「後で職員室に来なさい」


 と言う言葉にただ頷く。

 彼女は心配そうにする担任と共に保健室に消えていき、教室には翔だけが残される。

 握り締めてくしゃくしゃになった絵の残骸を床に放り投げ、踏みつける。


「くそ……」


 足の裏でピリッ。と何かが破れる感触が伝わってきて、顔をしかめる。


「くそ! くそ!」


 さらに強く、何度も踏みつけ、ピリッ、ピリッ、ピリッ。何度も、何度も嫌な感触が足から体全体に広がってくる。

 やがて体が嫌悪感で一杯になり、翔はようやく足を止めた。


「何で僕ばっかり……!」


 ポタリと、涙が床に一滴落ちた。


「やぁやぁ。実に見事なショーだ。全米が呆れてブーイングするような茶番劇、実に滑稽だ」


 パチパチパチ


 小馬鹿にするような拍手と共に、昨夜の悪魔が現れる。

 悪魔はシルクハットを深く被っており、明るい昼だと言うのにその顔は口元以外隠れてしまっている。

 翔は涙を拭い、悪魔の方に顔を向ける。


「君は……」


「翔君。どうだい? 殺したい奴は出来たかな?」


 タップダンスでも踊り出しそうな足取りで悪魔は翔にすり寄ってくる。


「君を下に見てくるいじめっことか、鬱陶しい同級生とか、君を差別的に見てる先生とか……それとも全員? 良いよ、今回は贅沢に四択で行こうじゃないか」


 悪魔は楽しそうに、けたけた笑う。

 翔はそっぽを向き、ため息をつく。


「……もう、良いよ。殺したって絵は、戻らないし返ってこない」


「おや、そうか。じゃあこの差し出した手はどうすれば良いかな? 何度も引っ込めるわけにはいかないんだけど。その絵、戻そうか?」


 翔はぐちゃぐちゃになった切れ端の中に母親の顔が残っているのを見つけて、踏みつける。


「それもやらなくて良い。それよりも、僕は家出がしたい」


 ほう?と悪魔は面白そうに口の端を吊り上げる。


「良いね! 是非とも手伝わせてもらうよ。何かやりたいことでも?」


「母さんの……」


 翔はあの軽蔑の目を思い浮かべ、眉をひそめる。


「母さんの浮気相手を殺したい」


 悪魔の口はいよいよ猟奇的に歪み始め、その愉悦を隠さなくなる。


「分かった。協力してあげる。何か宛が?」


「ないよ」


「宛の無い旅も良いものだ。さぁ、ミスター。手を」


 地獄の果てまでもエスコートせんと、悪魔は翔に恭しく手を差し出す。


「よろしく、悪魔さん?」


「モレクと呼んでくれ」


 翔は少し躊躇ってから、差し出された手を取った。


 担任の先生が様子を見に来た頃、そこに翔の姿は無かった。

 ただ、絵だったぐちゃぐちゃの切れ端が風に舞って踊っていた。

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