第5話聖女の慈悲
「ようやく起きたか」
「この騒ぎは……これは、あなたがやったのですか?」
聖女様はビクリと体を揺らし、警戒心の籠った眼差しで俺のことを見つめてきたが、どうやら賊達が話していたほどお花畑な頭をしていると言うわけでもないようだ。
この状況でなんの警戒もしていないようだったらその時はどうしようかと迷っただろう。聖女の中には本当に人を疑わない馬鹿な奴ってのがいるからな。
もっとも、それはそうであれと育てられた結果なのだが、こいつはまともな頭をしてそうで何よりだ。
「それ以外に何かあるか?」
「なぜこのようなことを? 私はどうなるのですか?」
俺がこの自分の事をどうにかするために護衛の傭兵達を殺したとでも思っているのか、聖女はわずかに自身の体を庇うように身を捩った。
俺としてはそんなつもりはこれっぽっちもないが、まあ状況的にそう思われても仕方ないか。
だが、そう思っている割にはしっかりこっちのことを見ながら問うんだな。なかなか肝がすわってる聖女様だな。
「あ? ああ……心配すんな。別にお前を同行するつもりはねえよ。こいつらは賊だったから斬っただけだ」
「……賊、ですか? この方達が?」
「そうだよ。適当な旅人を騙して売っ払う人売りの賊だ。正直こいつらを探してたわけじゃねえが、まあ偶然見かけたんでな。路銀の足しにでもするつもりだ」
これ以上お前に関わるつもりはねえよ、とはっきりとアピールしてやれば、無駄に警戒することもないだろう。それでも完全に警戒しないとはならないだろうが、警戒させすぎることもないはずだ。
とりあえず、伝えるべきことは伝えたのだから、さっさとこの聖女から離れるとするか。これ以上一緒にいると無駄に関わることになりかねない。
と、そこで一瞬だけこの聖女の護衛のことが頭によぎったが、気にする必要はないか。
こいつの護衛は消えるわけだが、それは仕方ない。ここからならまだ街は近いし、巡礼聖女だってんなら一人でも街までたどり着くことはできるだろう。
そうして倒した賊たちを縛ろうと歩き出したのだが、そこで聖女から声がかけられた。それも、俺では思いもよらないような、想像の埒外の阿呆みたいな言葉が。
「……その方々を解放していただくことはできませんか?」
その言葉の意味が一瞬理解できず、思わず動きを止めてしまった。
だが、仕方ないだろう? こいつは自分のことを襲おうとしていた賊を解放しろと言ったんだぞ。それとも、俺の聞き間違いだったか?
「は? ……おいあんた。そりゃあどう言う意味だ?」
「言葉通りの意味です。その方々は確かに悪事を働こうとしたのかもしれません。ですが、私はまだここにいます。ここで、なんの被害もなく生きています。であれば、その方々は完全な悪人というわけではありません。やり直す機会を与えるべきではないでしょうか?」
だが、聖女へと再び振り向いてから改めて聞き直してみたが、聞き間違いなんかではなかったようだ。
「……は。そりゃあ素晴らしいお考えだな。——だが断る」
「なぜ、とお聞きしても?」
なんでお前がそこで不思議そうな顔をしてんだよ。不思議に思うのは俺のほうだろうが。
「そんなの、聞くまでもないだろ。こいつらはあんたを眠らせた。つまり、計画的な反抗だったってことだ。衝動的な行為だってんなら確かにあんたの言う通りやり直す機会とやらは意味があるかもしれない。だが、人なんてそうそう変わりはしない。悪事を成そうと考えて、実際に実行したやつは、いつまで経っても、何があっても、結局また悪事を成すんだよ。ここでこいつらを見逃して、こいつらが何を考えるかわかるか?」
「後悔、あるいは反省でしょうか」
こいつ、やっぱり聖女様だな。その答えは、なんとも〝らしい〟答えたよ。確かにその答えは間違っちゃいない。だが、その行為に込められた意味が、決定的に間違ってる。
「そうだな。後悔するだろうし、反省もするだろう。〝次はもっと上手くやろう〟ってな」
そう。この手の類の輩は、悪いことをしたな、なんて反省はしない。
ああ失敗したな。こんな下手を打つなんて油断してた。次は失敗しないようにしよう。
それが罪を犯す者の考えというものだ。
そもそも、本当の意味で反省するものは、初めから罪を犯さない。仮に反省して足を洗ったやつがいたのだとしても、それは上っ面だけのもので、いざ追い詰められたとなったら罪を犯す本性が出てくる。
「そのようなことになると決まっているわけでは——」
「決まってるさ」
そうさ。するに決まってる。この聖女様はまだ世界を知らないだけで、この世界は……人は、それほど素晴らしい存在なんかじゃないんだから。
「……」
「決まってるんだよ。そんなふざけたクソッタレなことが、必ず起こる。反省をして心を入れ替えようとしても、結局は〝ここ〟に辿り着く。そうなるのを俺はこの目で何度も見てきた。それが人間の現実なんだって、いやってほど思い知った」
俺だって、昔は信じていたさ。罪を犯したとしても、それは一時の気の迷いであってその者の本性ではない。許しを得る機会があれば、誰だってやり直すことができると。
だが、違ったんだよ。そうじゃなかった。許しを得る機会なんて何度もあった。やり直すことができる機会だっていくらでもあった。にもかかわらず、変わらない奴を溢れかえるほどみてきた。自分が悪いことをしていると理解して、その上で喜んで自分からその道を進む者がいるんだ。
「世間知らずな聖女様にはわからねえだろうな。人は、あんたが思ってるほど綺麗な存在じゃねえよ」
だから、こいつらを助けたところで意味なんてない。
「……だとしても、私はその方達と信じたいのです」
だが、それでも聖女は眉を顰めてわずかに考えた様子を見せたのちに、まっすぐ俺のことを見つめながらそう言い放ってきやがった。
「だから助けろって?」
「はい」
「その結果、こいつらが他の誰かを殺したら? 他の誰かをお前と同じように誘拐しようとしたら? そいつの人生はどうなる。そいつの家族の想いはどうなる。お前に、その責任を背負うことができるのかよ」
「はい」
「……は」
考える間すらないはっきりとした返答に、小さな乾いた笑いを漏らすのが精一杯だった。
なんだこいつは。普通なら、ここまで言われれば諦めるか、そうでなくとももう少し考えるようなそぶりを見せるはずなのに、こいつは迷わない。
聖女らしいといえばらしいんだが……こいつは度が過ぎている。イカれていると言ってもいい。
「私は聖女です。その決断一つで数十人、数百人……場合によっては数千人以上もの人の命の行く末を決めなければなりません。感謝をされることもあれば、恨まれることもあるでしょう。責任を背負う覚悟など、聖女となったその日からすでにこの胸の中に」
これは、ただ単に聖女として教育されたからではない。こいつの目は、本当に覚悟をしている目だ。
そんな思いは、所詮〝紛い物〟でしかないはずなのに、強制された上っ面だけのもののはずなのに、こいつからはどうしてか嘘の気配を感じ取ることができなかった。
「……チッ。なら、せめて金はもらうぞ。こいつらを突き出せば多少は金が入ったはずだからな。あんた一人で出すには少しばかり額がでかいぞ。それでもいいのか?」
「はい。それであなたが満足してくださるのならば」
せめてもの抵抗として金を要求してみたが、それすらも躊躇うことなく了承した聖女を見て、小さく舌打ちをしてからため息を吐く。
これは、もう仕方ないな。こいつらを生かしたところで意味はない。むしろ、マイナスの方で意味が出てくるだろう。殺した方が世のため人のためというやつだ。
そう思っているのだが、いくら俺でも殺すなと頼み込んでくるやつの目の前で殺しをするほど非情というわけでもない。
これで俺に手段がなければ問答無用で殺していただろうが、俺には殺さずともどうにかできる手段があるのだ。少なくとも、今後この賊達が真っ当に生きていく可能性を作ることはできる。だから……
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