孤高の魔術師
夏目海
イギリスへ行く
第0話 両親の記憶
あの日、空はまるでこの世の終わりを暗示するかのような異様な金色に覆われていた。太陽の光が不気味に輝き、地上に降り注ぐその色は、まるで天からの警告のように感じられた。
肌にまとわりつくような生あたたかい空気が、一帯の桜並木を包み込んでいた。風が吹くたびに、桜の花びらが舞い散り、まるで時間が止まったかのような静寂が広がっていた。
一歳の高橋夏帆は、自分が今どこにいるのか、正直よくわかっていなかった。母親の引くベビーカーの中にいる気もするし、空から見下ろしている気もする。あるいは父親の目を通して自分を見つめているような気もした。現実と夢の境界が曖昧になり、彼女の意識は揺れ動いていた。
高橋一家は花見をしながら並木道を散歩していた。時折、母親と思われる女性が夏帆に話しかける声が聞こえてくる。
「ごめんね」
女性は今にも消え入りそうな声でそう言った。その声には、深い悲しみと後悔が込められているように感じられた。
とてつもなく長い時間歩いているように感じた。夏帆が退屈をし始めたその時、一家の目の前に二人組が現れた。
「ほらね、いつも同じ展開だ」と夏帆は思った。「ああこれは夢だ。夢なんだ。起きなくてはならない」
二人組の一人は、イギリス紳士のようにハットを深く被った男性。もう一人は、ライオンマークの入った上等な革靴を履いた四、五歳くらいの男の子。親子、と判断するのが一番正しそうな二人だったが、本当の関係性はよくわからない。顔がぼやけて判別できなかった。
紳士は高橋一家を引き止めると、主に母親と長く何かを語り合った。満開の桜であるにもかかわらず、周囲に誰もいない。高橋一家と紳士と子供の五人しかいなかった。何かが変だ、気持ち悪いと幼心に思った。
風が吹いて桜の花が舞った。花は光を反射し、美しく輝いた。しかし次の瞬間、パンッ、パンッという重たい音が空気を震わせたかと思うと、桜の花は血で真っ赤に染まった。
驚いて辺りを見渡すと、両親の胸元から血が吹き出し、衣服に赤黒い血が染み出していた。両親はスローモーションのようにゆっくりと倒れ込み、血の海の中へと倒れた。赤ちゃんの泣き声のみが異様なほど無音な空間に響き渡った。この鳴き声は、夏帆の声だった。おそらく。
ふと現実に意識を引き戻された夏帆は、痛む頭を手で押さえ込んだ。フラッシュバックはいつも前触れもなくやってくる。頭の中にある鐘が、ゴングのように鳴り響いたかと思うと、目の前に情景がガラリと代わる。まるでその世界の中に入り込んでしまったかのようだ。記憶は夏帆の脳の血管を締め上げる。手や額に汗が浮かび、呼吸が浅くなり、記憶が一気に脳内を駆け巡る。
夏帆は、目の前にある硬い何かを指に力を込めて握りしめた。そして、まるで投擲の選手のように、それをどこかへと投げつけるふりをしてやめた。もし、本当に投げてしまえば、どれだけの被害が出るか、頭ではよくわかっている。理性は保たれていた。夏帆は、行き場のない苦しみを解放するかのように深呼吸をした。
夏帆は優秀な魔女だったが、自らのフラッシュバックを治療することはいまだできていなかった。何せ、最中はフラッシュバックに気がつかないからだ。いつも全てが終わった後に、ああこれはいつものやつだと、やっと認識できる。それ以外の時には、記憶の存在さえ、どこか頭の記憶の奥深い底に追いやられている。
頭が痛み、再び夏帆は記憶の中に引き戻された。目の前にいる母親に救いを求めるように手を伸ばすが、触ることができない。
「助けて、お母さん」
夏帆は強い吐き気をもよおした。たとえ記憶であったとしても夏帆にはわかる。この並木道は、魔法を使うことのできない「人間」には、見ることのできない魔法で作られた空間であるということを。
高橋一家の目の前にいた紳士が、隣の男の子の手をぎゅっと握りしめた。その瞬間、まるでスイッチがオフになったかのように、魔力が一瞬にして消え去るのがわかった。
誰もいなかったはずの並木道に大勢の人が現れた。魔法が解けたのだ。人々は、突然目の前に現れた血まみれの高橋夫妻に気がつき、あたりは騒然となった。両親を手にかけた二人組は、他の人に現場を見られることは想定外だったであろう、焦った様子でどこかに瞬間移動をして消え去った。
毎度ここで映像は終わる。これは、夏帆の人生で一番古い記憶だ。ただ、この記憶が本当に現実なのか、それともただの夢なのかは正直なところ判然としない。記憶はまるで霧でもかかったかのように、表情さえも見ることができない。一方で、フラッシュバックと同時に起きる頭の痛みと右腕のしびれは、この記憶が紛うことなく自分自身の体内に刻まれたものなのだと言い聞かせる証拠としては十分だった。
あのあと、魔法を使えぬヒト種族、すなわち『人間』たちの手によって、両親は病院に運ばれたらしい。夏帆はその病院で誰かに保護されたらしく、孤児院に引き取られた。
四歳の時、フラッシュバックのことを話す夏帆に痺れを切らした孤児院の院長は「あなたの両親は病死した」と言った。
「なんという病気ですか?」と夏帆が聞くと、院長は急に怒り出して、目の前の灰皿を投げつけてきた。
「やはり両親は殺されたのだ」
幼心に夏帆が確信した瞬間だった。そしてそれは人に言ってはいけないことだということも同時に理解した。誰にも言ってはいけない。そのことが、何らかの勢力の手によって暗殺されたことを意味すると気がついたのは、夏帆がもう少し大きくなってからのことである。
夏帆は痛む頭をぐっと抑えた。夏帆はふと気がついた。なんで銃殺されたのだろう。私たちは、魔法で人を殺すこともできるというのに。
両親を殺した犯人は見つかっていない。普通なら、死の真相を知りたい、とか、犯人を捕まえたい、とか思うのかもしれない。あるいは、捜査をしようとすらしない司法を恨むのかもしれない。
しかし、夏帆はそんなことは考えられなかった。両親の死の真相も、犯人のことも、全くもって興味が沸かなかった。
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