紅の巫女

柊 秘密子

紅の巫女


 東の国に、男がやってきた。

 身の丈ほどの刀を背負い、顔や体には無数の切り傷がある。ざんばらに切られた髪は陽だまりのような金色、目は色鮮やかな新緑で、身なりは東の国にならってはいるものの、その姿で他の国からやってきた男なのだということは容易に想像できた。


 彼が訪れたこの国は、太古より季節は神に選ばれ幾千もの時を生きる紅葉の巫女によって変えられる。

 巫女が恋をし、頰が赤く染まるのに応じて木々は真っ赤に色づくが、時期がくれば恋の相手を殺すか若しくは国に返し、恋に敗れた巫女は悲しみに暮れて冬が来る。そしてその傷も癒えた頃に雪が溶けて春がやってくる……この国は、そういう仕組みになっているのだ。

 そして、今年巫女の恋の相手として呼び出されたのがこの男。

 出身である西の国では奴隷の身分であったが、恵まれた体格と剣術の才能を見込まれ、名のある剣豪に弟子入りをした腕の立つ剣士である。そして巫女の恋の相手などという、浮ついたことは一切好まない男だ。

 彼はもともと、本来この役割に就くはずだった男娼を無事に東の国まで送り届ける役割であったのだが、男娼は幾度となく旅先で女と遊び続けていたため、それを知った巫女の怒りを買い、顔を見ることなく役目から降ろされてしまったのだ。

 さて、代役はどうしたものかと考えた末に白羽の矢が立ったのが、護衛として共に旅をしていたこの男。荒々しさはあるものの、女が恋に落ちるのも容易いであろうほどに美しい姿をしているし、無骨な性格が災いしても代わりのものが見つかるまでの繋ぎ程度にはなるだろうという算段だ。


 しかし、巫女の神殿で引き合わされても二人は一言二言、必要な言葉のみを交わすだけで話をすることすらなかった。豪華な食事に柔らかなベッドを与えられ、まさに王族の初夜のような煌びやかさにも関わらず、二人の間に男女の甘く熟した果実のような雰囲気はない。

 侍女や神官は、いくら容姿に秀でていても彼のような無骨な男では巫女の心を惹くことはできないのだと落胆し、他の男を呼び寄せようかと巫女に提案をしたが、彼女はそれを一蹴し他の男を所望することはなかった。

 しかし二人が出会ってから三日ほど経った日の夜。

 男は眉ひとつ動かさぬ巫女へと声をかけた。すっかり夜も更け、侍女と神官は今夜も二人は睦み合うことはないだろうとそれぞれの部屋に戻ってしまった、その直後のことである。


「お前は、ずっとそうしているつもりなのか」

「ええ。季節が変わればあなたは死んでしまうもの」


 男は月明かりが差し込む窓際に座り盃を傾け、巫女は柔肌の透ける寝巻きにしては華やかな着物に身を包み、その傍へ膝をそろえて行儀よく座っている。

 巫女は、男の髪は月明かりのようだと思った。月の光をひとつひとつ束ねると、これほどまでに美しい金色の髪になるのではないか。そして男は巫女の瞳が紅葉のようだと思った。赤にほんの少し黄色が混じり、輝く。そしてとても寂しげであると。

 二人が恋をしていることは明確であった。

 しかし、二人は明確にそれを他者に悟られないように努めていたのは、互いを思い合ってのことだろう。


「俺は強いから、死なない」

「それじゃあ、西の国に返されてしまうのね。どれにしろ、私はひとりぼっちのままよ」


 他にも、何人もの男が同じことを口にしては離れていってしまったのだろう。男の言葉に冷たく返しながらも、巫女は男の元に擦り寄り膝の上へ小さな身を収めると、男が口をつけたばかりの飲みかけの盃から酒を飲む。

 昼間は行儀よく、一分の着衣の乱れもない姿からは想像が出来ないほど、男に身を任せる姿は人によく慣れた猫のようであった。

 男は傷だらけの手で巫女の艶やかな黒髪を撫でる。


「俺と一緒に来い」

「だめよ、この国が終わってしまうわ。永遠に冬は来ない……来なければ、春はやってこない」

「俺は死なないから、どれにしろ冬も春も来ないだろ?」


 巫女は笑った。

 そして、男の頬に細い指を添える。

 炎のような赤い瞳と若葉のような緑の瞳が重なり合い、酒で熱った頰は紅色に染まる。


「面白いことを言うのね。いいわ、そういうの好きよ」




 翌日、なかなか秋が訪れない事に焦った国王が、城へ巫女と男を呼びつけた。

 恭しく頭を垂れる二人の周りを、武器を持った兵士がぐるりと囲んでいる。おそらく、ここでの答えによって王は男の命を奪い、次の男に役目を託すつもりなのだろう。

 今までのように。


「巫女、いつまでもわがままを言うんじゃない。皆が困っているんだ、今までだって世界中から良い男を掻き集めてきただろう。今回の男がダメなら……」

「王様、私たちは旅に出ます。この国の季節が、民がどうなろうと私の知るところではありません」


 王の甘言を遮るように、巫女が告げると王は苛立った様子で瞼を伏せた。今までは、少なくとも彼が王位についてからは巫女が役目を放棄することなどはなかった。巫女は、無機質に恋をして季節を変え、無機質に男たちの死を憐れんでいたはずだ。

 ……巫女のわがままを許すわけにはいかない。季節が変わらなければ、東の国が誇っていた豊かな自然など何の恵みももたらすことはない。このままでは、国が終わってしまうだろう。


「どういうことだ。……お前か、巫女をたぶらかしたのは」

「だったら、どうする?」


 王の合図と共に、一斉に兵士が男に向かい刃を振り下ろした。

 その瞬間、男は近くの兵士から剣をもぎ取り、頭上に降り注ぐ刃を防ぎ、薙ぎ払った。

 流れるように一人斬り、返す刃でもう一人。

 巫女の頰は、次第に紅色へ染まっていく。酒の力ではない、その証拠に国中の木々が呼応するように赤く色を変えていく。

 そして、そこにいる誰もが気付いただろう。男の雪のように白い傷だらけの顔に、首に、肩に、腕に、色鮮やかで燃えるような紅葉の紋様が浮かび上がっていることに。

 古来より、紅葉の巫女には季節を変える以外にもうひとつだけ、不思議な力を神から与えられていた。それは王にしか伝わっていない……伝える意味がないと、巫女にすら知らされることのなかった力。巫女がつがいと決めた男に、永遠の命と永遠に巫女を護れる力を与えるというものだ。

 巫女の祝福を受けた男は、次々と襲いくる援軍を斬る。それはまるで舞を踊るかのような剣技であった。

 あっという間に数十人の兵士を斬りふせると、男は巫女の手を取る。


「行くぞ」

「ええ」


 二人は城から駆け出した。

 城門で待ち伏せた兵士を斬り、追っ手を斬り、二人を邪魔するものは全て斬り、そして恋人たちは姿を消した。

 巫女の逃亡から百年経った今でも、ふたりはおそらく神の祝福の元に生きているのだろう。その証拠にまだ東の国では煌々と木々が赤く色づいている。

 自然の与える恵みがなくなってしまうことを懸念した民も、東の国の美しい、決して枯れ落ちることのない紅葉を観光資源として生かし、巫女の逃亡すらもロマンティックな伝承として利用し、強かに生きているようだ。



 これは、遠い昔……今もどこかで旅をしている美しい金色の髪をした男の剣士と、艶やかな黒髪を讃えた紅葉のような瞳の少女の物語である。

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紅の巫女 柊 秘密子 @himiko_miko12

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