使徒降臨

第1話 女神と使徒とでっかいネコ

「藤ノ木耕輔さん、こちらへいらっしゃいませ」


 不意に背後から声を掛けられた。振り返ると大理石で作られたテーブルセットと、湯気を立てる紅茶セットからの豊かな香り、たっぷりとした白い布を身にまとった女性がそこに座っていた。その女性が手で示す椅子へ腰掛ける。


「え、えっと」


「まずは自己紹介をさせてください。私は大地と草木の神、テラと申します」

 美しい所作で御辞儀をする様は、確かに神格を感じられるものだった。なにより、女神の動作によって光の粒が生まれ、漂い消えていく。神気、というモノだろうか……。


「ご、ご丁寧にありがとうございます。藤ノ木耕輔と言います」耕輔も釣られて御辞儀する。


「はい、存じ上げております。少し……ご説明させて頂きたい事がありますが、まずはお茶でもいかがですか?」


 女神テラに進められるまま、カップを手に取る。一口含むと口内に薔薇の香りが広がった。ローズティーだ。香りに誘われるまま、二口、三口と飲むにつれ、落ち着いてきたようだった。やはり突然見ず知らずの場所に居たという体験はストレスを引き起こしていたらしい。


 カップをソーサーへ戻し、改めて対面の女神テラへ目をやる。豊かに結い上げられた深緑の髪は、どうやら植物の様で、あちらこちらに様々な葉を蓄えていた。現実離れした美貌の神は、エメラルドグリーンの瞳で耕輔を見つめていた。


「落ち着かれましたか?」女神テラがカップを指先で示すと、紅茶が再び満たされた。


「はい、知らず知らず動揺していたみたいですが、薔薇の香りのお陰で落ち着いたようです。それで、わt 俺はどうなったんですか?」


「耕輔さんが現在置かれている状況からご説明致します。この場所は界と界の狭間となります。宇宙、と認識してくださっても構いません。雷に打たれたご記憶はありますか?」


「はい、職場で。晴天だったのに突然雷が落ちて、それに打たれたようです。」


「その雷は、こちらの界で引き起こった厄災の影響が、耕輔さんの界にまで影響を及ぼしたものなのです。耕輔さんはその巻き添えで」


「死んでしまった、と」


「いえ、亡くなられてはおりません。界を抜けてしまったのです」


 界を抜ける……? 界は宇宙って言ってたな。宇宙を抜ける?


「弾き飛ばされてしまった、と言い換えましょうか。神界でも初めての事で騒ぎになっておりまして」きゅっと眉根を寄せる女神テラ


「とはいえ、弾き飛ばされたままですと耕輔さんの存在に良くないですし、縁あって私がこちらへお呼び致しました」


 自分の存在にどう良くないのか、は聞きたくなかったので、縁の方を聞いてみる事にした。


「縁、といいますと」


「藤ノ木家のご先祖様に、私が加護を与えた事があるのです。人々の感覚で何百年も前の事ですが。豪農をされていたその時のご当主様に、五穀豊穣を乞われまして」


「もう亡くなりましたが祖母に家の由来を聞いたことがあります。確かに先祖は豪農だったと」


「ただ、授けた加護が大きすぎたようでして、代々草木に関わる加護が受け継がれているようなのです。耕輔さんもなにか植物に関わる特技がございませんか?」


「特技というか、植物を育てるのは好きです」


 そうですか、と嬉しそうにほほ笑む女神テラ


「そうですね、お手をお借りしてもよろしいですか? 耕輔さんにどの様な技能が受け継がれているか拝見します」


「はい、どうぞ」耕輔がおずおずと出した両手をしっかりと掴み、女神テラは耕輔の記憶を静かに読み取っていった。その瞳は目の前にたたずむ耕輔を介し、さらに深く遠い場所を見つめているようだった。


「耕輔さんは……草花や木々プラントに関わる仕事をしていたのですね」女神テラは微笑みを浮かべながら言った。お部屋を草木で満たしている、なんて良い娘なんでしょう。それに表紙にプラントと大きく書かれた本があんなに沢山。勉強熱心なことで何よりです。


 前世の職業を言い当てられ、耕輔は驚きの表情を浮かべる。「はい、工場設備プラントの施工管理をしていました」


「それならば、耕輔さんが望む『プラント』に関わる全てを手に入れる力を授けましょう」と女神テラは言い、耕輔の手に緑色のルーンを刻み込んだ。


「これは……?」左手の甲に突如現れた深緑の文様。大きく膨らんだつぼみを携えた草のひと株、そんな感じの紋章が浮かび上がった。痛くも熱くもないのにくっきり記されたソレを凝視し、耕輔は驚きの声をあげた。


「界を超えるなどという前代未聞の境遇に対する我々かみがみからのお詫びです。ちょっとした権能を授けました。それから」と女神テラは言葉を継ぐ。


「貴女の魂と貴方の肉体の乖離を整えることも可能ですが、なにかご希望はありますか?」


「そ……それ、は……」耕輔の顔から血の気が引き、蒼白になる。冷たい汗が顔を伝い落ちる。知らず知らず顔を伏せていた。何も見たくない。見られたくない……。


「貴女のこれまでの人生、苦悩を全て知りました。性自認に併せた肉体容姿とし、何人からも欲望の眼差しを向けられない加護を与えることも出来ます」淡々と告げる女神テラ。憐憫も同情も含まない静かな言葉が、耕輔には何よりもありがたいものだった。


「わ、たしは、それを、望んでも良いのですか……」顔を伏せたまま、絞り出すように問いかける。


「もちろんです。なんなりとおっしゃってください。でも、そうですね。まず、耕輔さんのこれからのお話をしましょう」


 女神テラは紅茶を一口含むと話を続ける。


「先程、ここは界と界の狭間と申しました。一つはもちろん耕輔さんの界、もう一つは厄災の引き起こった界となります。そして、耕輔さんにはこの厄災の起こった界へ赴いていただきたいのです」


「何故ですか?」


「理由としましては2つ、まず一つは、申し訳ないのですが、元の界へ戻すことが出来なかったのです。界の法則を破る形で抜けてしまった耕輔さんを、再び法則を破って戻すことが叶いませんでした」女神テラが深々と頭を下げる。


「頭を上げてください。それについては、神々の尽力でも叶わないのであれば、納得します」


「ありがとうございます、耕輔さん。……もう一つの理由ですが、生きたまま界を抜けた存在たる耕輔さんに、厄災の傷跡を癒やして頂きたいのです。使徒として」


 なにかとんでもないセリフが聞こえたな……。


「使徒、神の御使いですか」信仰心のかけらもない人間に務まるのか……?


「界の人々へは神託として使徒が降り立つ事を知らせますが、耕輔さんの成す事を決して邪魔しないようにさせて頂きます。もちろん、現地の人々と意思の疎通は出来るようにします。私とこうして会話出来ているのも同じ会話の加護です。

 あとは、何でしょう? 不老不死に近い加護もありますし、従僕をお付けすることも可能です。

 その上で、耕輔さんには草木プラントの加護で界を救ってほしいのです」


工場設備プラントの加護で、ですか?」


「そうです。界の元々の文化は、耕輔さんの界から見て500年から600年ほど遡る程度です。国と国、郷と郷を馬車で繋ぎ交易が行われていました。そこに起きた厄災で、農業は壊滅的な痛手を受けてしまいました。

 食糧の生産が、人々の餓えに追いついていないのです。幸い今は厄災からの復旧でどの国も精一杯なのですが、元来国家間の諍いも多いですし、医療もそれほど発展しておりません。

 ですので、我々と意思の疎通が行え、加護を与えることの出来る使徒として、食糧や薬草などの生産を行ってほしいのです。そのために大地と草木の神たる私が草木プラントの加護を耕輔さんに授けました」


 あー、わかった。齟齬がわかった。この会話の加護が強力すぎたんだ……。


女神テラ様、お話は分かりましたが、一つ齟齬があります。女神テラ様がおっしゃる『プラント』の加護、この『プラント』は草木や植物を示しておりますね? 私が口にした『プラント』は工場設備です。先程、わたしの記憶を読まれたときに、雷に打たれた場面がありませんでしたか? その周り、金属製のパイプやタンクに囲まれた場所が『プラント』です」さて、なんて説明したらプラントが通じるかな。


「はい、そのような場面は見えました。その工場設備プラントと私の言った草木プラントはどうして同じなのでしょう……?」困惑げな女神テラ


「わたしの界で使われる英語という言語では、植物も工場施設も同じく plant と言うのです。そして、わたしの職場だったプラントは、複数の原料を精製し、組み合わせ加工し様々な製品を作る場所でした。医薬品や食糧品、化学物質など、本当に沢山のモノを作り出せる場所です」


 眉根をきゅっと寄せ、小首をかしげ考え込む女神。「それは、とても都合のよい話に聞こえますが……」


 まぁご都合にも程があると思う。


「先程『わたしの望む『プラント』に関わる全てを手に入れる力』と言われ、とんでもなく範囲の広い強大な力を授けられたと思いましたが……。普通に食料や薬草だけの加護にしませんか?」


「いえ、一度授けた加護は外せないのです。耕輔さんのご先祖様にもちょっと大きな加護を授けてしまいましたが、それも外せなかった為に耕輔さんの世代まで受け継がれているのです」悩ましげな顔の女神。……もしかして(しなくても)この女神おっちょこちょい……。


 それから少しの間、こっちのプラントについて説明を続けた。当然ながら神様相手なので、さらっと一通りの説明で理解して頂けたのは幸いだった。


「それでは、“魔素エーテル”を利用してプラントを稼働させましょう」一人頷く女神。


「耕輔さんが暮らした界では魔法は存在せず、万物の理は“科学”の名の下に解き明かされました。そしてまた別の界では魔法があり、錬金術があり、理法、ルミナーシャ、仙術やフローリアルミーがあります。ことわりは界の数だけあるのです。

 あなたに救済をお願いしたい界では、“魔素エーテル”という物が理を成しています。“魔素”を操作することで魔法が、素材と“魔素”を組み合わせることで錬金術が成せます。

 ですので、耕輔さんの技能「プラント管理」についても、“魔素”を元に実現します。どちらかと言えば錬金術に近しい技能となるでしょう。

 “魔素”は自然発生しています。地中においては鉱石化し、水中・空気中においては生物が呼吸と共に吸収・排泄し、魔物が吸収すれば体内で結晶化します。錬金術師は空気中の“魔素”をそのまま、もしくは鉱石化・結晶化した“魔素”を用いあらゆる物質を精製します。魔法遣いも同様に“鉱石魔素”・“結晶魔素”を媒体とし魔法を行使しています。

 自然発生しているので使い放題です。まったく存在しない状態まで使い切ってしまうと問題ですが」ふと考え込む女神。そしてとんでもないセリフが。


「天の光はすべて星、とも言いますし、あちらの界にも生命の発生しない星系が沢山あります。そちらを“魔素”に変換して使いましょう」


 女神の決定に否はない。諾々と従うのみだ……。そして俺はプラント系技術職プラントエンジニアから錬金術師アルケミストにジョブチェンジすることになった。らしい。



 さて、と女神テラがテーブルに腕をかざす。ティーカップが新しくなり、クッキーが山盛りの皿が現れた。


「すこし休憩しましょう。それに耕輔さんのお話も聞きしたいです」


 真っ白で細い指がクッキーをつまむ。ポリポリと囓る様はリスか小動物の様でなんとも可愛らしい。


「元の界では、俺の死はどういう扱いになりましたか?」


「落雷による死亡、となりました。労災として処理され、明日葬儀が営まれます。界を戻せない不手際へのお詫びとして、万事不都合ないように処理いたします」


「ありがとうございます。もし可能であれば、家の者達を気に掛けてやってください」頭を下げる耕輔。


「分かりました。私の加護を与えた血筋ですし、お任せください」


「あちらの界は、何という名前ですか?」


「アーシャレント、と言います。時代の特徴としては、どうでしょう……。農業は三圃制が始まりました。耕地3つの区画に分け、一つを秋蒔きの、一つを春蒔きの。最後の一つを放牧に使い、土地を休めるという農法です。主な作物は様々な麦、豆、様々な野菜とハーブ、に類する物です。

 畜産も盛んで、牛・豚・ヤギ・羊・鶏に似通った家畜がいます。

 いくつかの大陸が有るのですが、海に隔てられ交流はありません。漁業は近海で行われていますね。

 工業としては製鉄が行われており、村に1つは鍛冶屋が居るといった感じです。

 都市近郊の道路はしっかりとした石畳ですが、郊外は土が剥き出しです。馬車で行き来する貴族や商人は冒険者を護衛に雇い、それ以外の人は徒歩ですね」


 どうも聞く限りでは地球で言うところの12~15世紀のヨーロッパ辺りだろうか。大陸を跨いだ貿易は行われていない、造船も進んでないかな。


「人々はどの様な生活をしていますか?」


「人族種、犬族種や猫族種等の獣人達、エルフ、ドワーフ、ハーフリングなどが居ります。王制を敷いている国が多いです。貴族による封建制度は善し悪しはありますが機能はしています。国によっては種族差別があり、少なくない国で奴隷制度があります。

 宗教はそれなりに盛んですが、全ての人達が信心深いわけではなく、信仰心の篤い者は神官になり、そうで無いものは収穫祭で神に感謝の祈りを捧げる、といった具合です。私を奉じる神殿もあるのですよ」幾分得意げに女神は言う。


「ありがとうございます。なんとなくどの様な文明か理解出来たようです。それで、“魔素”とプラントで、俺は具体的に何をしたらいいでしょう」


「そうですね……」おとがいに指を当て少し考えるそぶりの女神テラ


「耕輔さんの思うさまに進めて頂いてもよろしいのですが、とはいえ何か道筋があった方がよろしいですね。私を奉じる教会が治める小さな集落があります。森と草原に面し近くに川も流れています。

 厄災の影響で住人が半分ほどになってしまい、畑や家畜の世話も疎かになってしまっています。そこを手始めに、耕輔さんの技能で何が出来るか確かめて頂けませんか?

 私自身、その技能の本質が理解出来ていませんが、耕輔さんならば何か出来るのではないかと思っています。

 その上で、先程の提案に戻るのですが、耕輔さんをアーシャレントの地へお送りする際に、“産まれ直し”を行う事をご提案します」


「産まれ直し、ですか」


「人格とこれまでの人生で培われた知識や経験をそのままに、アーシャレントに産まれ育まれた者としてあらたに存在させる、といった所でしょうか。新たな肉体を授けることになりますので、年齢・性別・容姿に至るまで、いかようにもできます」


 ここがさっきのに繋がるのか……。


「女神様になぜと問うのもおかしな話ですよね……。これまでの人生、あまり良いことがなかったです。自分のこころ肉体からだも……どちらが自分ほんとうなのか分からないし、他人から向けられる感情まなざしも理解出来ませんでした。

 ご提案頂いたように、精神に併せた肉体と、他者からの欲にまみれた目に晒されないだけで、ずっと楽に生きていけると思います」


「これからは左手に浮かんだ紋章を通して、いつでも見守っています。願えば会話も出来ます。教会にお越し頂いてもいいですし、こっそり顕現することもできます。

 わたしがアーシャレントへの産まれ直しを行うのですし、これからはわたしが母親ですね」


 うふふと口元を隠しながらはにかむ女神テラ。話がでっかくなった。神の子……。


「よろしくおねがいします」頭を下げる。


「では、まず新しい肉体を作りましょうか。リラックスして、全身の力を抜いて水に浮かんでいる様子を思い浮かべてください」


 女神テラが頭に手をかざしてくる。手のひらから光が溢れ、思わず目をつぶった。


「目を開けて」


 目の前には、なんだか垢抜けない少女が姿見に映っていた。身の丈140センチに届かないくらいか、髪と瞳は黒。胸元に届くほどの真っ直ぐな髪は一つにまとめられ前へ垂らしている。前髪は目を隠すほどの長さで、ざっと分けられ辛うじて前が見える状態。黒目がちだがなんだか眠たげな目元だ。

 生成り色のキトンに包まれた身体は、それでも華奢な体躯を隠しきれていない。年の頃は12〜3歳ほどだろうか。


「これが貴女の魂の姿です」女神テラが隣に立ち、肩をいだく。「この身体のままでもいいですし、もう少し歳を経た姿にするとか、いかようにもできますよ。

 厄災の後始末をお願いする事もあり、神々からいくつかの祝福を受けていますので、よほどのことが無い限り無病息災です。不老不死とまでは行きませんが、使徒としておかしくない位には長寿となるでしょう」


「長寿な種族にはどのようなものがありますか? 不老がおかしくない種族の方が」


「そうですね、エルフ種やドワーフ種は長寿ですね。エルフ種にしましょうか。外観的な特徴は尖った耳と痩身である事です」


 女神テラが額に手を当てると、きゅっと耳が伸び尖る。顔つきも少し鋭い感じになっただろうか。目尻がすこし上がったようだ。


「もう少し女性的な体型にできますか? 年齢も成人に見える様に」


 女神テラが頷き、再び額に手を。姿見に映る自分が16〜7歳の、少し痩せ気味ではあるが柔らかな膨らみを身にまとう女性的な体型になった。


「アーシャレントでは15歳で成人とされます。界全体の栄養事情が良くないので、大体の者は痩身ですね。

 エルフ種であれば千年を経て生きる事も珍しくないので、貴女を不審がる者は少ないでしょう。ただ、エルフ種であるから、という理由で巻き込まれる騒動も無視できません。そこで、貴女に従僕を付けようと思います。

 そうですね……。猫族種であれば体術や隠形にすぐれ護衛として不足ないでしょう。いざという時は私を降ろす依り代といたしましょうか」


 女神テラは自分の横へ手を向けた。そこに人が現れる。わたしより頭一つ分長身だ。わたしと同じく生成りのキトンを身につけている。エルフ種わたしと比べると手首とくるぶしから先がこころなしか大きく見える。出るところは出、引っ込むところはきゅっとくびれている。痩せていると言うより引き締まった、全身に力がみなぎったバネのような印象だ。

 腰に届くほどに伸ばされた焦げ茶の髪の毛はあちこち跳ね、ブラッシングのし甲斐があるボリュームを感じさせる。

 頭の上に生えたネコ耳はあちらを向きこちらを向き、ぴぴっと動いている。大きな瞳はアンバーに煌めき瞳孔は縦に割れ、静かに私を見つめていた。

 ゆらりゆらりと揺れる尻尾は薄茶と焦げ茶の縞模様だった。


「猫族種は肉体強化の魔法に長けています。爪を強化すれば斬撃が、足を強化すれば疾走や跳躍が行えます。身体全体を強化しての格闘も得意ですし、そもそもの種族特性で隠密行動が得意です」


 女神の言葉にあわせ指から爪が伸びたり、サンダル履きのくるぶしから先がさらに伸びつま先立ちになったり、その場で飛び上がり宙返りをしたり、でも物音一つ立てずに着地したりと、自己紹介代わりの体捌きは見事だった。


「初めまして、ご主人! アタイはサラっていうにゃ!」


 ごっ、語尾がにゃんこ……!


「は、はじめまして。わたしは……」女神の顔をうかがう。


「生まれ変わった自分に、名前を付けてあげて」後ろからそっと両肩に手を載せ、鏡越しに女神テラが微笑む。新しい自分……。


「……サラ、わたしの名前はレイカ。頼りっぱなしになると思うけれど、よろしくね」


「任せとけにゃ、ご主人!」大きな目を糸目にし、にんまりとネコが笑った。



 では改めて今後の事を決めましょう。そう言った女神テラの言葉に、3人はテーブルに着いた。のだが……。


「あの、サラさん、これは一体……」


 では椅子に座りましょう、となった刹那、音も無くわたしの後ろに回り込んだサラネコが両脇をむんずと掴み、わたしをぐいと持ち上げた。一瞬のことで身体が弛緩しだらーんと伸びきってしまった。これじゃどっちがネコLongCatだかわからない。そしてそのままサラが椅子に座り、わたしを膝の上に座らせる。後ろから抱きつき、今はわたしの頭に顎を乗せてご満悦だ。


「ご主人のニオイを覚えてるところにゃ。猫族は鼻が効くにゃ。ご主人迷子になってもすーぐ見つけるにゃ!」後頭部がお胸に埋もれてる。ぐぬぬ……。


「ついでにご主人にニオイ付けてるにゃ。そしたら他の連中も手を出せにゃい!」ついにゴロゴロ言いだした。まさにでっかいネコ……。 もうこれはどうにもならんね。諦めてされるがままに。


「さて、肉体はそれでよろしい?」女神テラが問う。わたしはうなずきを返す。


「では、実際に転移するに当たってなのですが、アーシャレントに関する知識を授けます」女神テラがテーブルの上で腕を振ると、鍵付きの豪華な装丁がされた分厚い本が現れた。

「この本に、アーシャレントの全てが書かれています。界が始まり、いくつかの生物の衰勢が繰り返され、今の文明が起こるまで。そしてこの先に現れる選択肢とその結末。全てが記された“界の本”です」女神テラが手をかざし振る度にページが繰られる。


「つぎに、元の界とアーシャレントとの差異を吸収できるよう加護を与えます。いちいち“あの豚のような家畜はなんという名前だっけ”だとか“親指と人差し指を広げた長さの2倍”だなんて会話で言っていられないでしょう?

 今後は“豚のような家畜”は豚、“親指と人差し指を広げた長さの2倍”は30センチです」苦笑交じりに女神テラが言う。


「それから、これが一番重要なのだけれど。貴女の界から知識を得られるような加護を与えましょう」


 ふっと遠くを見る目になる女神テラ


「これでいいかしらね。Wikipedia、という所の知識をいつでも得られる加護にしました」


 あああ~~ Wikipedia ぁぁぁ~~。


女神テラ様……。Wikipedia は玉石混交といいますか、“誰もが編集できる”集合知を目指した百科事典でして、たまに間違ったことが載ってたりするのです……」


 あらあらそうなの? なんて困り顔されてもこっちが困る……。しかももう加護与えられてるし。取り消せないんでしょ……。


「あああ、いえ、無いより有った方がいいのも確かなのでありがとうございます」そう言うと女神テラは嬉しそうな顔をした。この女神、ほんとポンコツだな……。


 その後もあれやこれやと加護やスキルの確認を。チートのオンパレード。多分どんなことになっても死なないんじゃないかなこれ。食料や飲み水、旅道具やらなんやかやを詰め込んだ、無限の容量と重量軽減、何時までも劣化しない保存機能を持った蔵の鞄マジックストレージというモノを頂いた。そこに界の本もしまっておく。これは取扱注意。めったなことで表には出せない。


女神テラ様、界の本の一部分を複製する事は可能ですか? たとえば錬金術に関わる所だけ抜き出して手元に置いておく、だとか」


「はい、本に手を載せ、希望する部分を思い浮かべて頂ければ同じような装丁で複製出来るようにしました」即時対応リアルタイムっ……。



 おおよそ考えつく事を話し合い、いよいよアーシャレントに降り立つ時が来た。女神テラ様を奉じる教会近くの街道脇に転移するとのこと。


「街道にそって1〜2時間ほど歩けばテラシオンという町にたどり着きます。町の中心にある広場の横に教会があります。私を奉じている教会ですので、まずそちらへお越しください。神官には神託を授けておきましたので。

 あ、そうそう。レイカさんが降り立つ大陸はテラディオス大陸といいます。テラシオンは大陸南東部に位置しています。地図も界の本にありますので、よろしかったらご覧ください」


 ……もしかしてなんだけど、女神テラ様はアーシャレント界の最高神でいらっしゃるのでは……。

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