閑話『ある少女の体育祭の朝』
アタシの隣には、いつも不幸が居座っている。
少しでも希望を見出すと、すぐにそれを奪い去っていく。
「私たちは――――が助けた君を見捨てない」
叔父さんはそう言った。
アタシはその家の居間で、机を挟んで正面に座る夫婦の顔を見ることができない。
悔しさに膝の上で固く握った手を睨んだ。
叔父さんの言う事は理解できる。
そして。
「でも、私達から――――を奪った君を許す事もできない」
悲痛な声で、叔父さんは告げた。
そうだろう。
アタシが彼の立場だったら同じ事を言う。
だから、この言葉も予想していた。胸に刺さる痛みだけは、それを遥かに凌ぐけれど。
俯いた視界がぼんやりと歪む。
どうやら涙が溢れてきたらしい。
「君は悪くないんだ、本当に。だが、どうしようも無いだろう……!」
二人は静かに泣き出した。
私は、涙が勝手に流れるだけ。
もう期待しない事にしていた、私に親切にした人がどんな末路を辿るのか。
それを薄々と感じ取っていたから、無意識にそれ以降の人付き合いで深く関わろうと思わなくなったのだ。
騒々しいアラーム音で目を覚ます。
スマホの目覚まし機能を停止させて、アタシは布団から体を起こした。
「久し振りに見たな。あの夢」
今日は体育祭なのに嫌な夢を見た。
最近は、夜柳雫という友だちが校内に出来たので少しばかり楽しくなっていた影響か、すっかり見なくなっていた悪夢である。
バイトも休み。
体育祭のみで特に用事無し。
学校にフルで打ち込める貴重な日――なのに、スタートダッシュは最悪だ。
まあ、それもそうか。
今日で、あの日からもうすぐ一年が経つのだから、あの夢を見ても仕方がない。
体育祭前に、寄る場所がある。
早々に支度を済ませて、アタシは家を出る。
体力消費の為に、仕方なくバスに乗って隣町へと移動した。早朝とあって人はいないので、きっと目的地もほぼ無人だろう。
隣町の北側にある霊園まで、あと十分。
それまで暇で、窓際の席に座って流れていく外の景色を眺めた。
体育祭、か――。
『雲雀。弁当作って持って来たぞ!』
『ちょ、そこまでしなくていいって』
『馬鹿野郎。足が速くてリレーのアンカーに選ばれたんだろ? 雲雀の晴れ舞台に俺が全力で応援してやらなくてどうする!?』
懐かしいな。
そういえば、昔はそういう事があった。
ロクでなしだった家族とは違って、根気強くこんな厄介な女の子の面倒を見てくれた人がいた。
だから、今も捻くれ……てはいるけど頑張れている。
バスが停車して、アタシはさっさと降りる。
バス停の名前は『円連寺前』。
寺の前にあるそこから、境内を通過して霊園へと向かう。
墓石が立ち並ぶ敷地の中を、記憶に従って歩いていった。途中で水を入れた桶と柄杓と持って行く。
そうして見えてきた墓石を水で洗い、持ってきた線香を立てた。
合掌して。
「おはよ。今日は体育祭、またリレーのアンカーなんだけどマジしんどい」
返答は無いけど、近況報告をする。
「ま、見ときなよ。メダルと賞状があるらしいから持ってきてやるし。アタシの速力、公衆の面前でブイブイ言わせてくるわ」
それから、およそ時間にして三分ほどが経ってアタシはその墓石に近況報告と、今日の意気込みを伝え終えて立ち上がる。
次に来るのは一回忌の前日となるだろう。
その時にはなるが、必ず結果を残してメダルと賞状をここに持ってきてやる。
決心と共に、霊園を後にしようとした。
「あれ、キミも墓参り?」
その声に足が止まる。
花束を手に、ニコニコとこちらを見ている顔が一つ。
男か、女かは不明だ。
メッシュ入りの髪と、細い線の体はモデルのようで、コイツの発する雰囲気は誰もが一度は目を留めてしまう神聖さみたいな物がある。
最近、似たような人間と交流しているが毛色が違う。
如何に嫌いな相手でも、一瞬息を忘れて見入ってしまいそうになる。
「ボクもキミも、親族が集まる一回忌に顔を出せないから別日に来るしかないけど、まさか偶然この朝に重なるとねぇ」
「……白々しい」
「いや、今日は本当に偶然さ」
ソイツは肩を竦めて胡散臭い笑みを浮かべる。
それから私の隣を過ぎて、花一輪を墓石に供えた。
「何たって、キミは彼にとって世界で一番大事な大事な大事な大事な大事な大事な大事な大事な……宝物だからね。ずっとではないけど、定期的にキミの様子は見てるよ」
「ッ、関わんないでよ!!」
「やっほー。元気にしてた、――――?」
その声で墓石に向かって愛おしげに名を呼ぶ。
アタシは怒りで拳を握り込む。
何処までも本当に気に障るヤツで、きっと一生相容れないだろう。理解するつもりは無いし、理解したくもない。
油断したら、手に持っている物で今すぐにでも殴りかかりそうになる。
何で、こんなヤツに――――は。
「今日は、キミの大事な雲雀ちゃんの体育祭を代わりに見てくるからね」
「はっ!?」
「ん?」
「来んなし、マジで」
「ふふ。じゃーね」
ひらひらと墓石に手を振って、アイツは去っていく。
ふざけるな。
あそこは、再スタートの為の場所なのだ。
アタシらしく生きる為にあの町に行き、生活を始めたのだ。
壊されて堪るか。
絶対に、何を企んでいようと阻止してやる。
「アタシも行ってくるよ。……賞状、期待しといて」
アタシは桶と柄杓を拾い、最後に墓の下に眠る――――へと笑いかけて、決意を胸にその場を後にした。
…………の、だが。
「来たな、憲武!」
「そうだな、大志!」
「…………」
校門の前で燥いでいる二人組と静かなおまけ一人を見つけて、アタシは早くも折れかけていた。
コイツ、また雫に怒られに来たのだろうか。
懲りないなぁ。
また恋人作りとか言って女子校に入りたいんだろうけど、夜柳のテリトリーとも言えるこの学校では無意味に終える結末が目に見えている。
それでも、何か仕出かしそうな予感を抱かせるから夜柳も安心できないんだろうな。
「ほんと、朝から力抜けるなぁ」
変な事が起きなければ良いけど。
※ ※ ※
体育祭会場で、ボクは見ていた。
整列した生徒の中で仏頂面な少女――雲雀ちゃんがいる。
愛想なんて言葉と縁遠そうな彼女は、たしかにボクがいつ見ても機嫌の悪そうな顔ばかりだった。雲雀ちゃんが笑顔になるのはいつだって――――の傍だけだった。
でも、良い出会いがあって近頃は雰囲気も柔らかくなったってトモダチから聞いたし、良い変化の最中なのかもしれない。
まあ、ボクに笑いかける日なんて無いだろうけれどさ。
ボクが最後に見た、あの子の笑顔と言えば。
『悪いな。今は雲雀とデート中だ』
『それは流石に従兄でもキモい』
『……ごめん』
『ぷ。そんな落ち込まなくて良いじゃん』
やっぱり、あの人の隣だったよな。
ボクと一対一じゃ、絶対そうはならない。
でも、トモダチからの話を聞く限りだと超瀬町のイカれ女と交友関係になったらしい。
正直、意外だと思った。
友だち作りに消極的な彼女に友人ができた。
よりにもよって、あの女と。
しかも、その二人を繋いだのは憎き小野大志だと聞く。
本当に忌々しい。
生理的にムカつくから回避していたのに、出来れば間接的でもボクの認知する範囲に情報として入って来ないで欲しかった。
嫌でも思い出す。
あれは、六年前。
ボクがショッピングモールのベンチで休んでいた時だ。
『お姉さん、ここで何してるの?』
利発そうな子供がボクに話しかけて来た。
短パンから見える膝は絆創膏がいくつも貼られており、やんちゃ、わんぱくなんて言葉では収まらない数だ。
かなり苦しい環境で生活、はないよな。
この子は心の底から笑っている。
苦境に立たされた人間のできる表情ではない。
『はは。ボクはお兄さんだよ』
『嘘つきは泥棒の味わいだって母さんが言ってた』
『泥棒の始まり、ね。嘘じゃないよ』
随分と図々しい子だと思った。
眩しいくらいの笑顔で、ある程度の見識を育んだ大人でもイラッと来て拳を握るぐらいの無遠慮な言葉を吐く。
まあ、ボクは年上だから。
そんな子供の戯言だって流してあげよう。
『キミ、一人かな?』
『幼馴染の女の子と来てる』
『その子は何処?』
『何処にいるか分からないけど、その内に来るよ』
『どうして?』
『雫は凄いからさ、俺がどこにいてもすぐに見つけ出して怒るんだ』
雫、ね。
どうやら、その可愛い幼馴染がキミの『幸福』なんだ。
羨ましいほど幸せそうな笑顔だ。
見ていて少し胸がムカムカする。
近所のおじさんが言っていた二日酔いの感覚に近いのかな。お酒なんて飲んだ事がないから分からないけど、不快な事に変わりない。
『その子のこと、好き?』
『今のところは』
『今のところはって?』
『いつか、もっと好きになるかもしれないじゃん』
臆面もなく言えるところは、子供ならではなのかな。
普通はこんな風に直截な物言いはできない。
好意に関しては特に、誰もが臆病になる。
成長して人との距離感を意識し始めると誰もが好意に悩まされる。相手の顔色を窺って、分析して、都合よく勘違いしたり、奇跡的にその勘違いが功を奏したりして恋人になったり、逆に気まずくなって関係が悪化の一途を辿ったりする。
制御が難しいが、人間が抱く中で最も強い感情だ。
『じゃあ、いつかは結婚するのかな』
『それがさ、将来は雫と結婚しなくちゃいけないらしいんだよ』
『ふふ、ラブラブだ。それなら将来は幸せだね』
『んー、でもアレだな』
『なに?』
『お姉さんは一生幸せになれなさそう』
『はっ?』
唐突な一言に自分の耳を疑った。
『お姉さん、だってずっとニコニコしてるけど全然嬉しそうじゃないし。俺、人が幸せになる話を聞くと嬉しくなって笑うけど、お姉さんはそんな感じじゃないよね』
『…………』
『人の幸せが分かるようになれば、お姉さんも幸せになれるぜ!』
ぶちっ。
頭の何処かで何かが切れる音がした。
ゆっくり、手が伸びていく。
倫理観を脳が訴えかけたり、理性による制止もあったけど体はそれらを無視して動いた。
子供の細い首に指を搦めて――。
『大志。見つけた……行くよ』
足に激痛を覚えてボクは固まった。
痛みを訴えるのは、爪先である。
いつの間にか、隣に立っていた黒髪の少女がボクの足を踏み抑えていた。
いや、子供の力でこんなに痛いはずがない。
それに、感触が違う。
激痛に戸惑うボクの疑問に答えるように少年へと向かって進む少女が足を退けた時、違和感の正体に気づいた。
『っ――!』
そこにあったのは石だった。
ゴツゴツと、かなり角ばった石である。
どうやら、少女は自分の力だけでは相手を止められないと承知した上で、ボクの足に乗せた石に圧力をかけてゴリゴリと痛めつけていたようだ。
こんなの、子供がすることなのか?
ボクが少女を見ると、真っ暗な瞳がこちらを見つめていた。
視線はこちらに、でも意識は少年に向いている。
『大志。知らない人に付いてっちゃダメって言われてるでしょ』
『付いてったんじゃない。俺から近付いたんだから良いだろ?』
『バカ』
少女によって、連れ去られていく。
ボクはそれを呆然と見送るしかなかった。
それから暫くして、隣町で有名になった美しい少女の話を耳にして、一度だけ現物を身に行った折にあの子だと気づいた。
そして、隣にいるうだつの上がらない男があの少年であることも。
それ以来、あの少年とは二度と関わりたくないと思ったものだ。
自分の制御が利かなくなるなんて初めてだったから。
……なのに。
「うわ、いるよ。ホント、ムカつくなー」
まさか、そんなヤツと今日の体育祭で会うなんて。
ボクは遠目に関係者として観戦している眼鏡の少年を見た。
少年についての噂は耳にしないけど、女子校で興奮したように周囲の女子を見回している挙動から察すると、女の子に飢えてるのかな。
命知らずだなぁ。
隣にあんな化け物がいるっていうのに。
あの子もそれを見て荒れるだろうし、たかが一人の女子高生でありながら超瀬町に名を轟かせる影響力もあるから何か起きるかも。
「これからボクに関わる事が無いと良いけど」
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