俺は何だってやるぜ!
光のない瞳が俺と花ちゃんを見る。
表情は相変わらず無い。
だが、長年その顔を見てきた俺には些細な変化も見つけられた。
今の雫――最高に怒っている。
これはかつて、小学生の俺が雫に秘密で女の子とおままごとで夫婦をやっていた時に見せた顔だ。
他にも俺の誕生日ケーキがファンクラブ過激派の裏工作で予約通りに届かなかった時や、俺が雫の誕生日に「プレゼントは俺だ!」ってふざけた時にも血走った目でこんな顔していた。
「いらっしゃい、瀬良さん」
「はい。大志くんのお家にお邪魔してます」
雫は何事も無かったようにカバンを拾い、花ちゃんに挨拶する。
それから俺を流し目で見た。
無言で居間を出ていき、キッチンへと直行する。その後ろ姿から漂う哀愁の空気は質量を持ち、俺の肩にずっしりとプレッシャーとして乗りかかった。
これは、非常にマズい。
被害規模がパンどころの話ではなくなった。
あれは――俺が人生最大の恐怖を味わった日の再来となってしまう。
ばっ、と花ちゃんの方へと振り返る。
花ちゃんは何事か理解していないのか呑気に構えているが、これから顕現するのは俺すら予想がつかない地獄だ。
俺が恐怖で震えていると、キッチンから包丁を研ぐ音がする。
恐る恐る近付いて覗き見ると。
「大丈夫。予行練習はしたし、後は人目に付かない時間帯を選ぶだけ……」
聞き取れない小声で独り言をする雫から、こいつはやると言ったらやるという凄味を感じた。
これは、あれだな。
いつも殴る蹴るで済んでいる攻撃が命に届く日だな。
俺は慌てて踵を返し、花ちゃんの両肩を掴む。
「すまん、花ちゃん!」
「え?」
「悪いが今日は帰ってくれ! 勉強どころではなくなった!」
「どうして?」
花ちゃんが小首を傾げる。
ひえ。
な、何か横に首が直角に曲がる人間ってゲーム以外で二回見た。すごい迫力だ。
「俺は雫の対処に行く!」
「夜柳さん、どうかしたの?」
「アイツのあの状態は、俺にとっての死活問題なんだ」
「だったら尚更だよ」
「尚更?」
「お互いの成長の為にも、一人で乗り切らないと」
いや成長とかじゃないんだって!
アレはそういう類の話とは全くの別ジャンルだ。今すぐ雫を何とかしないと朝も昼も夜も眠っているような体になる!
再びキッチンへ向かおうとする俺のブレザーの裾を花ちゃんが掴む。
そんなもの構うかッ………って力強い!?
や、やめて、ブレザーの裾と一緒に握られたベルトでぎちぎち腰骨がイカれそうになる。
一歩も前に進めない……!
こうなったら、上半身と下半身を分離させるしかないな!
うん、できん!
「花ちゃん。頼む、行かせてくれ!」
「どうして?」
駄目だ、完全に「どうして?」ロボットと化している。
ここに憲武がいれば状況が違っていたかもしれない。どう違っていたかは全然わからんけど。
少なくとも俺ひとりじゃ収拾が付かない!
雫の状態を変えるにしても、まずは原因の花ちゃんを家から出さなくてはならない。
間違いなくトリガーは彼女が家にいることだ。
それだけはおバカな俺でもうっすら分かる!
「花ちゃん、もし帰ってくれたら俺が神様になってあげる」
「…………」
「駄目か! じゃあ天使になるよ!」
「…………」
「これも駄目か! ハードル高ぇな!」
何が望みなんだ、この子は。
仕方ないが。
「分かった、君の望みを何でも一つ叶えてやろう」
「何でも?」
「ああ! ただし、俺が無理だと言えば無理だ!」
「…………」
俺の必死さが伝わったのか、花ちゃんが少し考えてから――にやり、と笑う。ねえ、状況を分かってる君?
「じゃあ、これからも勉強会とかしよう。あとテスト終わりに今度デートしてね」
「それ二つじゃね?」
「二つ叶えて?」
「もう何でも良いから帰ってね!」
それを聞いた花ちゃんが満足げに微笑んでから、俺の服を放す。
それからカバンを持って玄関へと向かった。
「じゃあ、夜柳さんによろしくね?」
「おっけ!」
半ば強引に花ちゃんを家から出した俺は、即座にキッチンと駆け上がる。
花ちゃんにはすまない事をしたが罪悪感は欠片も無い! むしろパンも無くなって、更に状況をこんな風にしていったのだから清々してるぜ!
俺は雫の隣に立つ。
恐らく、俺の予想が正しければ――――。
「雫、怒ってる?」
「ああ、大志。待ってて、今ちょっと掃除するから。虫除けが足りなかったみたいだから、そういう相手は直接始末するのが効果的だし」
「花ちゃんは、もう帰ったぞ」
「帰った……大志に触っておいて? 本当に女なの?」
ぎょろりと雫の瞳が動いてびくびくしている俺を映し出す。目を合わせるのが怖い。
俺だけじゃ手に負えないって。
花ちゃんは雰囲気だけじゃなくて、性格も変わっていたようだ。昔よりも悪戯好きになったみたいだが、これは流石に度が過ぎている。
「雫、花ちゃんはれっきとした女の子だ」
「大志も、アイツに触るのを許してた。何? もしかして、私を誂って遊んでる?」
「俺が雫を誂うなら、女子校に突入して雫の友だちをナンパする」
「は?」
雫の手元で包丁が軋みを上げる。
おっと、これは業火に油を注ぐ注いだな。
どうしようか、このままでは俺だけが殺される羽目になる。こんな事なら、せめて花ちゃんだけでも道連れにしておくべきだった。
「雫、頼むよ。機嫌直してくれよ」
「それなら待ってて。一人殺せば収まるから」
「あ、俺?」
包丁片手に玄関へ向かおうとする雫の前に、俺は両腕を広げて立ち塞がるが、彼女の目には俺がまったく見えていないようだった。
「よ、ようし! 分かった、分かったぞ!」
「……?」
「雫を怒らせたのは、俺だからな! 俺が責任取って、雫がしたい事を何でも叶えてやろう!」
その一言でぴたり、と雫が止まる。
手元の包丁が落ちて――さくりと床に突き立った。包丁って研ぐとあんな鋭さが得られるんだな、驚き。
足元の光景に感心していた俺だったが、雫が俺の至近距離まで詰め寄って来たので視線を前に戻す。
「それだけで釣り合いが取れるとでも?」
「取れるように頑張るって。大体、何でそんなに怒ってるんだよ」
「大志と私だけの場所が汚された…………そう、汚された」
「汚れたなら掃除すれば大丈夫だって」
「瀬良さんを消すってこと?」
「花ちゃんは消しちゃ駄目だろ。そんな事したら雫のこと大嫌いになるぞ?」
「あ、そう――じゃあ、知らない間に消しておく」
あれ、何がいけなかった?
「今回の事で分かった、もうこの家には誰もいれない。俺も雫すら入れないようにするから、な?」
「私と大志も?……はあ、それであの女と私を交換ね。成る程、死ね」
「えーと、し、雫がいなくちゃ俺は生きてけないから、雫と交換なんて事は出来ないかなぁ」
「……へえ」
お、このパターンは。
雫が濁りきった瞳を期待に光らせた瞬間は、あの言葉を出せば必勝パターンに持ち込める!
「ああ、雫以外に何も要らないんだぜ!」
決まった!
これを言えば、雫は確実に許してくれる。
もちろん、言葉通りに何でも雫の願いを叶えてやらなくてはならない。
それで過去には『手を繋いで寝る』、『お姫様抱っこをする』、『雫を一日最優先で動く』という条件が一週間も課せられた事がある。
いずれもかなり難易度の低い話だったから、今回だって楽にこなしてやる。
俺の言葉に対し、雫はいつになく眩い笑顔を見せるや否や、俺の手を引いて二階へと連れて行く。
そのまま俺の自室の扉を開け、ベッドへと直行して布団の上を手で叩いた。
俺は雫の指示した位置に腰を下ろす。
すると、彼女の白い手によってゆっくりベッドへと押し倒された。
どん、と雫が俺の胴体に鹿乗りになる。馬乗りだ。
「大志」
「はい」
雫がじっと見つめてくる。
俺もずぃっと見つめ返す。
「私と、シよ」
何を?
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