初登校(仮)と恋の予感(仮)



 目覚まし時計のアラーム音で起床する。

 ベッドのサイドテーブルの上で忙しなく震動している音源のスイッチを押し、停止させた。

 震動が激しすぎてサイドテーブルでドラムやっているレベルだった。これで起きない方が可怪しい。

 というより。


「何で目ざまし時計があるんだ?」


 俺はベッドから起きて、その疑問にぶち当たる。

 普段は夜更ししなければ朝の七時か八時に目を覚ますので、目ざまし時計は置かない事にしている。

 それなのに、毎朝置いてある。

 騒がしいのでその都度に捨てるのだが、不死鳥の如く舞い戻って来る、それも新品で。

 知らない間に増え続ける私物に驚きながらも、部屋を出て一階へと下りていく。

 今日は始業式から二日目、早速だが授業が始められる。

 遅刻はしても欠席はしたくない。


「おはよう」


「……」


 居間へ行くと、台所で調理をしている幼馴染の姿が目につく。

 挨拶をしたが、返って来る言葉は無かった。

 代わりというように、居間の食卓には栄養バランスを考えた朝食が用意されている。親が共働きの俺はカップ麺などに依存しがちなので、ありがたい。

 椅子に座り、いただきますを言ってから箸を手に取って食事を始める。

 向かい側に幼馴染が座り、同じように朝食を取る。


「なあ、雫」


「…………」


「毎回、こうしてご飯を作ってもらってるけど面倒なら作ってくれなくて良いんだぞ?」


「そうしたら、どうせカップ麺ばかり食べるんでしょ」


「何味?」


「味噌」


「残念、最近は豚骨の気分なんだよな」


「…………」


「こら、雫。フォークなら兎も角、箸は人に向けちゃダメだろ」


「フォークでも駄目でしょ」


「え?」


 フォークは駄目なのか。

 ううむ、常識というのは難しい。ある程度、文化的な生活を送っていれば自然と身に付くのだが、こうして高校二年になっても未熟なものだ。

 就職活動の際にも、常識を確認するテストがあるという。

 勉強しよう。


「食べたくないなら食べなければ?」


 雫が冷たい視線で俺を睨んだ。


「分かった。じゃあ、食べたくない時はメールする」


「……」


「まあ、カップ麺より雫の飯の方が断然ウマいから無いと思うけど」


 机の下で足を蹴られた、痛いぞ。

 俺は朝から絶品と称すべき雫の手料理を堪能し、空の碗を台所へと運んで流し場に置いて水に浸した。

 同じように完食して食器を運んで来た雫と肩が触れる。


「ごめん」


 雫が小さな声で謝罪する。

 痛くは無いが、それよりも気になることがある。

 俺が離れると、雫はその分だけ詰めてくるのだ。一向に離れないので、どうしたものかと思いつつ食器を洗って台所を離れた。

 顔を洗い、歯を磨いて顔を洗う。

 雫に普段から言われて欠かさないので、歯が黄ばんだ事も虫歯になった事も無いし、顔も毎日サッパリする。


 自室へと戻って制服の袖に腕を通して出かける準備を整えた。

 学生鞄を手に、俺は一階にいる雫の元へと戻る。

 彼女は椅子に座って本を読んでいた。


「雫、先に行くよ」


「私も行く」


「いや、今日は一人で行きたい」


 俺がそう言うと、雫が動きを止めた。

 不機嫌顔がこちらを向いて、見つめた者を射殺さんばかりの鋭さのある眼光を放つ。


「何で?」


「毎朝一緒だし、気分転換に」


「だめ」


「どうして駄目なんだ」


「私が一緒じゃないと、アンタすぐ転んだり怪しい人についていったりするから」


 うむ、心底から信用されてないな。

 まるで幼稚園生か小学生のような扱いに、流石に俺も不満だった。

 毎朝、雫と一緒なので男子たちから羨ましいと言われるのだ。俺からすれば、転びそうになると支えてくれるし、バス通学じゃないのにバスに乗りそうなところを止めてくれたりと、あまりいい気がしない。


「それでも今日は一人で行きたい」


「……」


「どうしても駄目か?」


「…………」


 返答がない、ただの雫のようだ。


「じゃあ、もし今日一人で学校に行けたら今後は自由に登校させてくれ」


「出来なかったら?」


 何故こういう時の返答は早いのだろうか。

 いや、それよりも出来なかった場合のペナルティか。出来ないと思わないので、考えつかないな。

 ううん、どうしようか。


「じゃあ、今後は雫と登校する」


「私以外と絶対に登校しないこと」


「何か違くない?」


「そうじゃないと駄目」


「分かった」


「絶対?」


「多分」


「誓って」


「分かった、誓う」


「じゃあ、これにサインして」


 雫が机の上に紙を置いた。

 契約書だ、初めて見る。

 まるでこの事態を予測していたかの様な対応に驚きつつも、俺は条件を飲んで署名欄にサインした。

 何か口で言ったよりも長く多い文章量で十項目の条件が記されているが、まあ概ね同じだろう。


「サインしたぞ」


「そ」


 書き終わった瞬間、雫に契約書を素早く取り上げられた。

 あまり人目に触れさせて良い物では無いからだろうか。雫のカバンの中に契約書が入り、俺はよしと気合を込める。

 これで初の一人登校だ。


「じゃあ、行ってくる」


「車と自転車には気をつけなさい。足元をちゃんと見て。誰かに学校以外に誘われても付いて行かないこと。信号を確認してから横断歩道を渡って。気分が悪くなったら学校じゃなくて私に連絡しなさい」


 注意事項が多すぎる。


「どれを守れば良い?」


「全部」


「どれか一つにしてくれよ」


「全部出来たらプリン買ってあげる」


「よっしゃ、全身全霊で頑張るわ」


 因みに俺は甘い物が嫌いだ。








 見慣れた景色を眺めながら、俺は新鮮な気分で歩いていた。

 どん、と何かにぶつかる。

 相手が電柱だったので謝った。


「しかし、一人って新鮮だな」


 ごん、と頭をぶつける。

 標識なので無視した。


 見慣れた道なのだが、今日はよく物に激突する。念願の一人登校ではあるのだが、ここまで不幸が続くと嫌な気分になる。

 住宅街を抜けて、ガラスの天蓋がある商店街を通過していく。朝から人の声で賑わうその場所を抜けて道なりに一本道の坂を上がって行けば俺の学校がある。

 因みに、雫の通う女子校は俺の学校と正門が向かい合わせになっているので、よくそこで別れている。

 今日は、一人であの門前に辿り着けば今後も自由な登校が出来るし、食べたくないプリンも食べられる。


「あの、大丈夫ですか?」


「ん?」


 俺は隣からかけられた声に振り返る。

 肩まである栗色の髪の毛をした少女が座っていた。

 小動物を連想させる小柄な体に、愛らしさを抱かせる円らな瞳が俺を見ている。


「その制服、芦田男子高校ですよね」


「ああ、二年の小野大志だ」


「先輩なんですね。 私、今年から向かい側の聖志女子高等学校一年の永守梓です………このバスでいつも通ってるんですけど、あなたもバス通学なんですか?」


「あれ?」


 俺は周囲を見渡す。

 いつの間にかバスに乗り込んでいた。

 揺れる吊り革を見て呆然とする。


「いつの間にバスに乗ってたのか」


「え?バス通学じゃないんですか」


「いつも徒歩だ」


「じゃあ、何で」


「分からない」


「え、ええ…………?」


「どうしよう、降りないと」


「あ、大丈夫ですよ。これ、校門前が終点ですから」


「そっか」


 なら安心だ。

 俺は優先席から立ち上がって吊り革を握る。

 それを見た永守梓とか言う女子生徒が小首を傾げる。


「人もそんなにいないので、立つ必要は無いですよ?」


「いや、雫……幼馴染に『バスで優先席はお年寄りや妊婦さんに譲れ』って言われてるんだ」


「いや、だからその優先対象が今いないって言ってるんですが」


 梓が何故かため息をついた。

 それから彼女と雑談を交わし、というか俺の話にツッコミをよく入れてくる会話が続く。


『次は、聖志女子高等学校正門前』


 よく通る声で車内アナウンスが入る。

 程なくして正門近くのバス停に停車し、永守梓は立ち上がって車両先頭側の出口へ向かう。俺もそれに追従した。

 料金を払ってバスから降りる。

 うん、想定外の出費だったがバス通学も悪くない。


「いや、バス通学も良いな」


「徒歩でいける距離に家があるんですね」


「ああ、徒歩十五分だ」


「大志先輩……このバスより早く着けたんじゃないですか?」


「ゆっくり歩いたらバスの方が速いと思うぞ」


「そういう問題じゃないです」


 梓が何度目かの嘆息。

 正門前に着くと、梓はその細い手首についた腕時計を確認した。


「じゃあ、私はこれで」


「ああ、色々とありがとう」


「……先輩、これも何かの縁なので良ければ連絡先を交換しませんか?」


「え! いいの?」


「何だか不安になってきたので……目を離した瞬間に死んでそうな気がして無性に心配になるんです」


「幼馴染にもよく言われる」


 たまに心配を通り越して「早くくたばれ」とか言われるけど。


「これで俺たち友だちだなー! 君って良い人だな!」


「……大志先輩? こういう調子で簡単に人と連絡先交換してませんよね?」


「してないよ。最近だって数珠売ってるお婆さんとしかしてないし」


「不安すぎます」


 梓と連絡先を交換する。

 おお、雫以外では二人目の女子の連絡先だ。

 筆舌に尽くしがたい感動を催して震えている俺へと梓は可愛らしい微笑みを向ける。


「それでは先輩、失礼します」


「ああ、良い一日を」


「ふふ、何ですかそれ」


 笑って去っていく梓を見送って、俺も男子校の正門への体を向けた。




「何してたの?」


 気付いたら一歩分の距離に雫が立っていた。

 冷たい双眸に射竦められて、俺は一瞬だけ固まった。


「聞いてくれ、俺は一人で登校できたぞ」


「一人じゃなかった」


「いや、ほぼ独力だ」


「あの子、誰?」


「永守梓といって、雫の後輩になる新入生だ。連絡先も交換したが……すごいな、もしかしたら恋愛ってこうやって始まるのかもしれん」


「スマホ貸して」


 雫が手を差し出して来る。

 意図は分からないが、取り敢えず指示通りにスマホを渡した。

 何やら滑らかな指使いで操作した後、ぽんと俺の手に戻して来る。それから黙って女子校へと入ってしまった。


「冷たいヤツめ、もう少しこの感動を分かち合ってくれんのか」


 若干冷たい雫の態度に不満はあるが、今は一人で登校できた事実と、この新たな女子の連絡先を―――――……………?






「あれ、永守梓の連絡先が無い」


 交換した筈の連絡先が消えている。

 あれ、折角できた縁なのに…………さっきまで連絡先名簿にあった名前は、俺の見た幻覚だったのか?

 摩訶不思議な出来事に悩んでいると、朝礼前の鐘が鳴る。

 そろそろ行かなくては。






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