第25話 惨劇の現場

 カイとディートは装備を調えて指定された場所に急いだ。

 装備と言っても大したものではない。呼子と方位磁石に給水用の革袋、武器はディートがいつも携えている長剣だけ。カイは刃物は持ちあわせていない。戦いに行くわけではないのだから、これで十分だろう。バイスを見つけても、その場で捕まえるのではなくすぐに保安官の所に報告に戻るのだから問題はない。

 それに、もしバイスがヒツジ泥棒の犯人なら、こちらの姿を見たら逃げ出すだろう。わざわざ襲ってきたら、時間が無駄になる上に罪が重くなるだけなのだから。もし万一襲ってきても、今ではディートのほうが剣の腕前は優っているし、いざとなったら、カイの魔法も役に立つだろう。


 二人は指定された森に急いだ。

 街を走る二人を見て、行き会う町民たちが驚きの声を上げる。カイが牢屋に入れられたことはもう町中に伝わっていたのだろう、「たいへんだ、ディートフリートがカイを逃がした!」と叫ぶ者もいる。保安官に知らせようと、事務所の方に走る者もいる。


 だが、二人はすべてを無視した。何も言わずに先を急いだ。


 二人は牧場に着いてもそちらには目もくれずに森を目指した。

 あたりに他の人影はない。駆り出された他の地区の保安官や助手たちは、それぞれ自分たちに割り当てられた森の区画にもう分け入っているのだろう。

 牧場主や牧童たちは、牧場の建物から出ることをディートの父親に禁じられている。勝手に森の中を探し回って、事態を複雑にしてしまうのを防ぐためだ。

 そのほうがよい。勝手な思い込みで人を疑い罪人と決めて掛かるような連中など、助けどころか邪魔になるだけだ。

 窓から二人の姿を見つけた牧場主が何かを叫んでいたが、それも無視した。


 カイは、誰に何を言われようが、もう気にならなかった。自分を最後まで信じてくれたディートが目の前を走っている。それだけで、他のことはもうどうでもよかった。「(ディート、ありがとう)」と心の中で叫んで、その大きな背中を追い掛けることだけに専念した。


 二人はただひたすら森に急いだ。

 バイスを見つけ出して真相を明らかにする。自分で、自分たちで、自分の、そして友の無実を証明するのだ。自分のために、友のために。カイとディートの頭にはそれしか無かった。



 二人は森の手前の草原で一度立ち止まって互いにうなずきを交わした。そして周囲を見回しながら、まだまばらな背の低い木立の間へとゆっくりと歩を進めた。ひと足、ひと足、慎重に、油断無く。

 互いの姿を見失わない程度に横に距離を取って進む。方角を確かめ、地面にヒツジや人の足跡を探し、鳥や獣の鳴き声にも耳を傾け、ありとあらゆる気配を感じ取ろうとしながら。

 少しずつ、樹が増えてその背が高くなる。だが、何も見つからない。

 二人はいったん立ち止まった。肩や首を回し、緊張をほぐしてほんの少しだけ歩を速くした。

 森は密になり疎になりを繰り返す。やがて風は消え、陽が高くから樹々の枝葉の間を縫って途切れ途切れに射すようになると、空気に湿度が増して草や葉の青い臭いが満ちてきた。


 木立が少し開けた場所が見えた。

 そのとき、ディートが立ち止まった。ほぼ同時にカイも足を止めた後にディートに近寄ってくる。話しかけられる前にディートが『それ』を口にした。


「カイ、血の臭いがしないか?」


 潜められた声に、カイも用心深く周囲を見回しながらささやき声で応じる。


「ああ、する。あの空き地の方からだ」

「行くぞ」

「おう」


 二人はそろりそろりと足を進めた。生臭い臭いは一歩ごとに濃く、むせ返るようになっていく。

 鼻と口を手で押えながら空き地に出ると、二人は並んで足をぴたりと止めた。

 探すまでもなく異常なもの、衝撃的なものがいくつも見つかった。

 一つは木の根元に落ちているカンテラだ。それはまだましなものだ。

 衣服の裂片。無造作に引きちぎられて投げ捨てられたのだろう。そして淋し気に転げた片方だけの靴。

 それらが落ちている場所は下草が大きくなぎ倒され、折れている。草も地面も濃い濁赤にぶあかにどす黒く染まっている。大量の血だまりの跡だ。

 そこから何かを、口に出したくない何かを引きずって行ったと思われる一条の筋が、人のものとは思えない大きさの足跡とともに森の奥へと続いている。


 二人は胸を詰まらせてそのことをなかなか言葉にできずにいたが、ついにカイがおもむろに口を開いた。


「……ディート、あの服、見覚えがないか?」

「ある。あれはバイスの服だ」

「やっぱりそうか」


 二人は話しながら惨劇の現場に、重い足を無理にも運んで近づいていく。

 ふいにディートが体をかがめた。


「これは……」


 地面から拾い上げた物を眺めながらつぶやく。


「ナイフか。バイスのものかな? だが、あの人が使っているのを見たことはないな」


 カイもそばに寄るとディートが手にしていた折り畳みナイフを見るや否や、強い声を出した。


「それ、見せてくれ!」

「え? これがどうかしたか?」

「いいから、早く」

「ああ」


 手渡されたナイフをひねり回して隅々までしげしげと見ると、驚きの声を上げた。


「これ、俺のナイフじゃないか!」

「何だって? お前の?」


 ディートも驚いて尋ね返す。カイはもう一度見回してからその柄を指差して答えた。


「ああ、間違いない。ここに傷があるだろう? 元々は父さんのものだったんだ」

「形見の品か。だが、なぜこんな場所に落ちているんだ?」


 当然の疑問だが、カイも首をひねるしかなかった。


「わからない。あまり使わずに、納屋で引き出しに入れっ放しにしていたんだ。見ると、父さんのことを思い出してしまうから」

「それがなぜここにある? お前、それを持ってこの森に来たことは?」

「ない。ここだけじゃない。持ち歩いたことがほとんどないんだ」

「そうすると、やはりバイスだろうが……」

「何であいつが俺のナイフを持っているんだ?」


 二人は顔を見あわせて黙り込んだが、すぐにディートが思い当たった。


「そうか! あのときだ。そういうことか、わかったぞ。偽装だ」

「あのとき? どういうことだ?」

「カイ、昨日だ。俺たちがお前を捕まえに行ったときに、バイスがお前の納屋の捜査に行っただろう? 行ったのはバイス一人だった。あのときに盗んだんだ。ヒツジを隠した場所に落としておいて、お前が犯人のように見せかけるためにな」

「……」


 カイが絶句した。衝撃を受けたのか、それとも、そこまでするのかと呆れ返ったのか。


「これは俺が預かっておく」


 そう宣言しながらディートはカイの手からナイフを取った。


「なんでだ? 俺のナイフだぞ」

「ああ。だが、今はバイスの仕業しわざだと証明するための証拠だ。俺から保安官に渡す。すべてが終わったら、お前の所へ帰ってくるさ」

「それなら、別にいいけど」

「親父さんの形見だ。大切に扱うから、安心してくれ」

「ああ、頼む」



 ディートがナイフを上着のポケットにしまい終わると、二人はもう一度周囲を眺めまわした。そしてその視線は、引きずり跡が消えていく木立の間に集まる。


 カイはその方向から目を離さずに尋ねた。目つきが鋭い。


「どう思う? 熊かな?」

「いや、違うだろう。熊は獲物を引きずるときには立って歩かない。足跡も違う」

「狼でも大山猫でもない。だとすると……」

「ああ。たぶん、魔物だろう」

「だけど、このあたりで以前に魔物が出たのは、俺たちが生まれたよりも随分と昔だろう?」

「だからといって、出ないということにはならない。他の国で魔物が出たという話はまだ聞く。根絶やしにされたわけじゃない」

「まあな」


 カイはうなずいた。その眼は依然として、何かがバイスの体を引きずって行ったであろう方角を睨み続けている。


「ディート、どうする? もう少し調べるか?」


 ディートはちらっとカイの方を見た。

 友は母親を魔物に殺されたのだ。感情が高ぶっているのかもしれない。無理はないが、どんな化物が潜んでいるのかわからない。二人で進むのは危険すぎる。


「いや、一度戻って保安官に報告しよう。人数を集めたほうがいい」

「そうだな」


 意外にもカイがあっさりと賛成し、ディートはほっとした。心は猛っても、頭は冷静を保てているようだ。追跡することを主張されるかと思ったが。


 だが、その安堵はつかの間のものだった。


 二人が踵を返そうとしたそのとき、樹々の間、たった今まで見ていた方向から、大きな物音がした。

 地面に落ちている枝がボキボキと踏み折られる音。枝葉がバサバサと掻き分けられる音。

 鳥の鳴き声はいつの間にか消え、何かがこちらに近づく音だけが響く。


 二人が振り返ると、待つ間もなくそれが遠くの樹々の間に姿を現した。


 背の高いディートよりさらに頭二つ、いや三つ分は上回りそうな巨躯、四肢に隆々と盛り上がる筋。赤い皮膚の全身に茂る剛毛と汚らしく撚り固まる脂ぎった頭髪。顔の真ん中に盛り上がる獅子鼻の両側で眼は赤く光り、分厚い唇は上下二本ずつの長い牙を隠せずにはみ出させている。そして頭に突き出た一本の角。

 二人はアルヴィセントという魔法使いが書いた薄い方の魔法書で知っていた。そこには力は強いが知能はあまり高くないと書いてあった。

 ディートがぽつりと言った。


オーガだ」


 オーガは二人を見て嬉しそうに口を開けた。笑ったのかもしれない。

 その顔を見て、ディートフリートの声の緊張感が増した。


「カイ、見たか?」

「ああ」


 二人が見たもの、それはオーガが開いた口の中に無数に生えた鋭い乱杭歯の間に挟まった、布の切れ端だった。バイスの服の残骸だ。

 ただのオーガではない。


人喰い鬼マンフレッサーだ」

「ああ」


 カイがつぶやくとディートもうなずいた。間違いなく、バイスを襲った奴だ。最悪だ。人間は野生の動物より足が遅くて狩りやすい。熊や狼と同じで、一度人間の味を憶えたら、繰り返し人間を狙うようになる。

 こいつはもう放っておくわけには行かない。逃げられない。二人が逃げても必ず追ってくる。バイスもここまで逃げて捕まったのだろうから。

 仮に自分たちは逃げ切ることができても、もしも町に入りこまれたら町民は恐慌に陥るだろう。逃げられない者、逃げ遅れた者は助からない。こいつをなんとかするまで、町に平和は戻らない。


 だが、二人で倒せるのか?

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