第2話 misfortune〈後〉
午前零時を回った頃。
ススキノの端に位置するファミリーレストランの店内は終電を逃した若者やサラリーマン風の男性客、気だるい調子のカップルなどでそこそこ賑わっていた。
店内放送には誰の耳にもよく馴染んだヒット曲が選曲されており、今は覆面の女性歌手ベアトリーチェによるこの夏一番のヒットソング『misfortune』が流されていた。
「
「……おれにふるなよ」
「あ、そっか。蘇芳ちん、リーチェたんとは旧い知り合いさんだもんね〜?」
「へんな呼び方すンな。あとその話はもう二度とするな」
「へいへーい。承知のすけ〜」」
「……ったく。碌でもねえ悪魔だな」
「それ我にとってはどこまでも褒め言葉なりよ〜?」
蘇芳と彼の悪魔であるイルクは角の窓側の席に陣取って、それぞれが大学院の研究成果のまとめ作業とスマートデバイスによるゲームに興じていた。
「お待たせしました。苺と季節のフルーツパフェのお客様」
「おれだ」
「えー……それでは、こちらがブレンドコーヒーです。ミルクとガムシロップはお使いですか?」
「どっちもいんにゃい。ありがとー」
イルクがひらひらと手をふってみせる。
メニューを下げた店員が去っていくのを尻目に、蘇芳は早速スプーンを手に取り、苺の乗ったアイスクリームを頬張った。
ブラックコーヒーを片手に、イルクがにこにこ笑ってそれをみている。
「ウチらめっちゃウケんべ。ふつう逆でしょ〜」
「……そうか?」
「まァ蘇芳ちゃんのもぐもぐタイムかわいーからいーけどさ!」
「……そうか」
巨躯に似合わず小さいスプーンでパフェを頬張り、小首をかしげて見せる蘇芳をイルクは微笑ましげに眺めている。こうしていれば他の客からはただの仲睦まじい歳の差カップルに見えなくもないだろう。だが、彼らは違う。
「結局、夕方の奴らについてはなんも収穫なかったね〜」
ピンク色の前髪をくるくると指で巻いて弄びながら、イルクがあまり残念そうでもない様子で口にする。
「……悪魔がよく使う手だったが?」
「たしかに使い魔の行使による遠隔襲撃はウチらの常套手段だけどさ〜。でも匂いも気配もなにもわからなかった。どこの誰とまではいかなくても、普通は手癖つーかヒント? みたいな痕跡は残るもんなのだよ。とりわけ、我のセンスはピカイチだかんね。ぜったいわかる筈。……だから、ちょっと心配っちゃ心配かな」
「どういう意味だ?」
「この街にもちょっちレベチな奴らがいるかもしんないってコト」
「どのくらい」
「我くらい」
「……つまり手詰まりか」
「いまのところはね〜」
ふーふーとカップに息を吹きかけ、イルクがコーヒーをやっと一口啜る。
「猫舌はつらいにゃ〜」
「悪魔のくせにキャラづけのテコ入れをするな」
「これはキャラとかじゃないのです。マジの猫舌だって何遍も言ってるでしょ」
「……どうだかね」
「ぶー。今時もうそういう種族蔑視は流行らないんだぞ〜」
イルクは罰が悪そうな表情で抗議をしつつ、コーヒーを冷ます仕草をし続ける。
演技なのか真実なのかの真相は蘇芳にとってどうでもいいことだったが、組んで二月、いまだにわからないままだ。
「あ、でも。襲撃とは関係がないけど、ちょうど同じ時間帯にね、外れの方で小さいけど妙な魔力反応がふたつ――」
「おい。そういう
「えー? でもすぐにふわっとして消えちゃったし? どうせほら、アレでしょ、悪魔憑き同士の小競り合いか何かじゃないかにゃ」
イルクが漸くまともにコーヒーを啜り始めるのを無視して、卓上に広げたノートやタブレット端末をさっと鞄にしまいこみ、伝票を引き抜いた蘇芳が素早く席を立つ。
「あ! ひどいんだ〜。我がせっかくブレイクタイムに突入したっちゅーのに」
「で。外れって具体的にどこだ」
「こっちの主張丸無視ィ!? もうっ、蘇芳ちゃんのけちんぼ! 西の外れのオンボロ教会のあたりだよ。よくわかんないあったかい色のやつとあとの片方は多分――悪魔だった」
「番外地の廃教会か。よし、行くぞ」
「今からぁ〜? ちょっちアグレッシブすぎるっしょ。けど面白いからのったァっ!」
会計を済ませると駐車場に停めた蘇芳のバイクに乗り込み、二人はススキノ西部へと夜を急いだ。
二ヶ月前――。
夏至の日の夜だった。
夜半過ぎまで研究室で実験に没頭していた蘇芳は先輩にあたる人物から依頼を受けた怪事件の調査を行なっていた。
蘇芳は市内――というか国内でも有数の敷地面積を誇る国公立大学の魔導生命科学科に籍を置く院生であり、同時に腕に覚えがあるため、ちょっとした頼まれごとを引き受ける便利屋でもあった。
その日はススキノの路地裏に位置する賃貸ビル、その空室に出るというゴースト退治に出向いていた。
話自体はありふれたもので、どうしても貸借主が居つかない部屋があり、その理由としてあげられるのが「住むと祟るものが在る」から祓ってほしいとのことだった。
蘇芳は幽霊退治も引き受ける。それは母方が異界出身の人狼族であるが故、異界の存在にも彼の振るう暴力が有効だからだ。半分人間でもう半分は異形。長年コンプレックスとして抱えてきた出自でも日銭を稼ぐのに役立つとわかれば、それは時と共に立派な武器と呼べるものになった。
そして訪れた空きビルの一室。
幽霊が巣食うと噂される部屋にいたのは、しかし幽霊などではなく死にかけの悪魔だった。
「……この部屋の怪異は?」
「きみには残念だろうが、我が取って喰らってやった。我、こう見えて死にかかってるから、ね。人に嗅ぎつけられると面倒だから、そのまま評判だけ借りておいた」
「……で、お前は?」
「見ての通りの死に損ない、だ。大口の契約を取り付けて、でも、見事に出し抜かれた。悪魔を嵌める人間もいるってこと……さ。どうだい、おかしいだろう?」
部屋の入り口に立つ蘇芳の視線の先には窓際に放置された椅子にもたれる悪魔の姿があった。ただ、そいつには両腕と片足が欠けていた。
契約履行になんらかの不手際があったことは一目瞭然で、言葉通りの死に損ないであるのも間違いないように思われた。
ただ、壊れかけたビスクドールのような姿は蘇芳の目におそろしく美しく映えた。
「悪魔族は死ねば地獄に還るだけで、人間や他種族のような完全な消滅はないと聞くが?」
「我もそう思っていたよ」
自嘲するような微笑みを浮かべた悪魔がそう溢した。
その相貌には死の影が色濃く現れていた。こいつの話は嘘ではないと、蘇芳の直感が告げていた。
「我は生まれた端から死んでゆく人の子らが儚いと思うていたが、こうして死にかけてみると、なんだ……少し羨ましいものだな」
「なんでだよ」
「先刻から質問ばかりだな? まあいい。今の我は不思議と凪いでいる。だから答えてやる。終わりがあるということがなによりの生きていた証となる。そりゃあ生き汚くもなるさ。だが、それが美しい」
お前だってそうだろう? と。
泣きそうな笑みでそう告げる、その
それが名前も知らないまま失われてしまうのは嫌だという想いを抱いた瞬間に、言葉の方が先に口をついて出ていた。
「お前の名前は?」
「なんだ、おい、まさか引導を渡そうとでもしているのか? いらぬことを申すな、餓鬼。とっとと失せろ」
「逆だ。俺と契約して俺の悪魔になれ」
「――え、は……?」
悪魔は目を瞬かせて、そして一瞬の後に狂ったように笑い出した。
「はははははは! 酔狂にも程があるぞ、お前!」
やっとそう言って、また笑い転げる。宇宙色の瞳には涙すら浮かんでいた。
「……こっちは本気だが?」
「や、すまない。月並みで悪いが、お前面白いな。そしてとんでもない阿呆だ。わかった。契約しよう」
「どうすればいい」
「我の名をよび、この手をとるだけでいい――と言いたいところだが、あいにくその腕が両方とも捥がれていてね。代わりといってはなんだが、くちづけをくれ。そのぶん駄賃は弾んでやるさ」
蘇芳は窓際まで歩き、悪魔に視線を合わせるように屈んだ。吸い込まれそうな宇宙色の瞳が蘇芳を真っ直ぐにとらえていた。
悪魔族は狡猾だ。それが宣う死がたとえ嘘だとしても今更驚きはしない。
騙されている。誑かされ、堕とされている。
そうかもしれない。でも、だからなんだ。
「どうした? やはり怖気付いたか? 人間……でいいんだよな、お前は?」
「御託はいい。名乗れ」
薄い顎を掴み、上を向かせる。薄紅の長い髪がこぼれた。
答えを待つ。沈黙の分だけ、相手も恐れていることが伝わってきた。でも互いにもう後戻りはできなかった。
「……イルイルク」
「イルイルク」
その言葉を、名前そのものを奪うように深く、しっとりと口づける。血と、そうではない芳しい花のような味がした。
唇を重ねあうだけのくちづけから、徐々に深く。歯列をなぞり、相手が思わず呼吸を求めて開いた口内に舌を差し入れる。
イルイルクはくちづけに応えるようにおずおずと蘇芳の舌を吸い、自らの舌を絡ませてきた。温度と呼べるだけの熱量を感じて、蘇芳の方から唇を離した。
「……今、何をした?」
「お前の舌に契約印を刻んでおいた。それが我との契約の証だ。それが在る限りは他の悪魔と契約はできない。我も同じだ」
そう言って、イルイルクは舌を出してみせた。薄い舌の上には仄かに青く光る紋様が刻まれている。
蘇芳も舌を出して確かめれば、おそらくは眼前の悪魔と同じ紋様が刻まれていることが見てとれた。
「契約完了」
そう唱えたイルイルクの相貌からは死の色がそっくり消え去っていた。
刹那、白い肉が蠢動したかと思うと、失われていた両腕、そして右足が再生する。
蘇芳と契約を交わしたことで力を取り戻したということなのだろう。
「これで我は、我を嵌めたあやつを探すことができよう。感謝するぞ」
「やはりそうなるのか……悪魔が復讐とはな」
「奴には大切なものを奪われているのでな。まずはそれを取り戻す。お前はどうする? ……安心するがよい。我らはすでに契約を取り交わした間柄だ。お前の願いを叶えてやることも我は忘れないぞ。条件はあるが、人間の魂が担保ならば大抵の場合叶えてやれる願いは三つ。どうする?」
「……三つか」
「ふ。やはり迷うか。そうだろう。せいぜい慎重にことを運べ。これはもうお前自身の命の問題なのだからな! どうだ、慈悲だかなんだか知らぬがいたずらに我を救おうと傲慢にも思い抱いたこと、後悔しているだろう?」
「じゃあ一つ目だ」
「なっ!? 早っ、お前正気か!?」
「願いを言えといったのはお前だろう」
「だが……ほんとに魂が切り取られるのだぞ? 寿命が縮むという考え方もできるが、命の期限が願いを使うたびに減っていく、のだぞ? い、いいのか?」
「ごちゃごちゃうるせえな。いいか、俺の一つ目の願いだ。おまえの願いを三つ、叶えさせろ」
イルイルクはそれを聞き届けた瞬間に目を丸くした。
何かを言おうとして、しかし何も言えずに固まっている。
「どうした? お前はもう俺の悪魔なんだろう? それともまさか悪魔を名乗る偽物か何かだったか?」
「ち――ちがう! 我は本当に正真正銘の大悪魔イルイルク様だぞ!? 帰ったら最高速度で調べろ探偵!
「なに狼狽してンだよ。なんだ、はじめて聞く願いだったか?」
蘇芳の指摘にイルイルクは俯き、そっぽをむくようにして目を伏せた。
「我の願いを叶えさせろ、など……数々の人間と契約を交わしてきたが、そんなこと……そんな願い、一度も聞いたことがないわ」
「悪魔には願いごとがない、そういうわけでもないんだろう。神様に目にもの見せてやりたいとか、それっぽいやつがある筈だろうが?」
「ある! あるには……あるが、その……三つだけ、か……難しい、な」
頬を朱に染めたイルイルクが何かを急速に考え込みはじめている。
……人間を闇に誘い、三つの願いを持ちかける側である悪魔の態度がこれとは。
蘇芳はため息をついた。
「お前を嵌めたやつを探して意趣返しするンじゃないのかよ」
「それはっ――それは我だけでも……だが魔力のリソースが足らぬな……ぅう、わかった。人間よ、我の一つ目の願いだ」
「人間じゃなくて蘇芳と呼べ」
「……す、蘇芳。我の復讐に手を貸せ。い、いや、貸して、ください?」
妙に奥ゆかしいものいいが可愛らしく思えて、蘇芳は初めて笑みをこぼしていた。
「……わかった。確かに承った」
それを聞き届けたイルイルクがどこかほっとしたように胸を撫で下ろし、言った。
「さあ、それでは手始めに我をお前の色に染め上げてみろ。姿も声も思うが侭に」
悪魔イルイルクはそう言って艶然と微笑んで見せたのだった。
§
「それがまさかJKのおんなにょこの姿形になるとはね〜。マジうけるんですけど! そんな硬派な
「なんだ、勝手に回想でもしてやがったのか? てめえも自分でやっててこのキャラけっこう厳しいなとか少しは思わないか?」
「思わないにゃ〜。全部蘇芳きゅんの願望の鏡写だからね!」
「よし、降りろ。今すぐ轢き殺してやる。そこの車道に寝転がれ」
「ちょ、冗談冗談。ほら、教会が見えてきたから、轢くのは堪えてふつうに降ろしてってば!」
「ちっ」
「かわいくないから舌打ち禁止!」
路肩にバイクを停めると、二人は人の気配すら感じられない廃教会の敷地へ足を踏み入れた。
「静かだにゃ〜。周りにも人っこひとりいない。これは――もしかすると次元封印魔術の一種かもしれないねぇ」
それは夕方に蘇芳たちが実際の街がある空間と自分たちを切り離し、いわば世界の影に回って使い魔たちを撃退したのと同じ術式だった。
あれはあくまで民間人に被害を出さないためであったが、今回遭遇したものはおそらく――。
「意図的にこの教会を人目から隠したがっているものがいる、ってことか」
「そ。明らかに悪魔の手口だね」
「中に入るぞ」
イルクが頷き、蘇芳は教会の扉を押し開いていく。
刹那――
「イルク、避けろ!」
二人の間に空いた空隙を引き裂くように、重い一撃が振り下ろされた。
悪魔と悪魔憑きは一心同体。
互いの願いを叶えるために契約を交わし、魔力を集め、そして互いに策謀を巡らし喰らいあう。
たとえ不幸な巡り合わせでもそれが運命。
これは異形と化した最涯の魔都で繰り広げられる九人の悪魔と悪魔憑きの物語である。
〈続く〉
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