第47話 名前呼び

『葵:怜さん』

『葵:名前で呼んでほしいとお願いしたら呼んでくれますか?』



(名前呼びか……)


翌日、家に一人帰った怜は頭を悩ませていた。


その理由というのが昨日に玲奈から言われたことだ。ついでに昨日の夜に送られてきた葵からのメッセージにも頭を悩ませていた。


(まさか姫野がその名前呼びを所望してるなんてな……)


怜としては意外なことだった。


玲奈から言われたときは9割型信用していなかったのだが、夜になって葵からのメッセージを読んで確信へと変わった。葵本人が名前呼びされたいと望んでいるのだ。


(いや、でもな、俺が名前呼びとか柄じゃないし、ま、まぁ、薫先輩のことは致し方なく名前呼びしているだけであってそれ以外の理由なんてないしな……)


脳をいつも以上にフル回転させて葵の送ってきたメッセージの意味を考えた。


ただ、いくら考えても葵が名前で呼んでほしいと望んでいるという結果にしか至らなかった。自分限定でという意味のようにも捉えられてしまいさらに頭を悩ませた。


(これが渚だったらどう考えんだろうな……)


頭の中で渚に「お前ならどうする」と聞いてみると、渚は「姫野さんのお願いを聞いてみてもいいじゃないかな?」と聞き返してきた。


そして、そこに邪魔するかのように小悪魔となった玲奈が「呼んじゃえ呼んじゃえ」と突いてくる。


それを軽く叩き落としながらも現実ではソファーの枕元に顔をうずめて深いため息を吐いた。


「一回だけ呼んでみるか……」


そう決意してその日は無理やり昼寝に着いた。



翌日、振り返り休日を終えて怜はいつものように学校に向かった。

昨日は無理やり昼寝をしたが、なぜかぐっすり眠ってしまい朝の目覚めは最高潮だった。


そして何事もなく学校に向かっていると渚と出くわしたため、そのまま一緒に学校へ向かう形になった。


教室に着くと相変わらずの騒がしさに呆れつつも自分の席に着いた。


文化祭前に席替えを行ったことで怜の横は偶然にも葵になっていた。案の定、先に来ていた葵を軽く視線を落とし、そのまま「おはよう」とだけ発した。

葵もそれに反応して「おはよう」と返してきた。


そして――


「葵、今日の放課後生徒会室でミーティングやるらしいから忘れんなよ」


「あ、うん、わかった……え?」


葵が拍子抜けした表情をするのと同時にクラス中の視線が二人に集まった。


「……? なんだよ」


「あ、いや今……名前……」


「まぁ、俺たちで会って半年以上は経つだろ? だから名前で呼んでもいいんじゃねえかって思ってな」


「そ、そうなんだ……」


満更でもないような返事を返した葵を横目に鞄から教科書を取り出した。


クラス内では――


――おい夜狼のやつが姫野さんのこと名前呼びしたぞ!?


――どういうことだよ……!?


と、クラスメイトから疑問の声が上がっていた。


それも当然の反応だ。これまでに何度か話している場面を目撃されてはいるが、普段の怜は他人に興味がなく不愛想で、決してさほど仲の良くない人を名前で呼んだりはしないというイメージが付いている。故にその怜が学園のマドンナこと葵のことを名前呼びしたとなると当然騒ぎにはなる。


その後、怜が葵のことを名前呼びしたという噂は瞬く間に広まり、その日の青薔薇学園一大ニュースとなった。


「……なんでこうなるんだよ!?」


「いや、しょうがないでしょ。怜が姫野さんのことをいきなり名前呼びなんてしたら驚かれるのは当たり前でしょうに……」


「確かに、さすがに僕も驚いたよ。いきなり名前で呼ばれるんだから」


「……お前が名前で呼んでほしいって言ったからだろうが」


噂が流れる中、怜と渚、葵の3人は生徒会室に集まっていた。


「私のクラスでもかなりの話題になってたよ」


「そんなに珍しい事なのか? 普通に渚のことだって名前で呼んでるし、薫先輩だって名前で呼んでるんだぞ?」


「いつもの自分を見てから言いなよ……普段の怜ってそういうことしないタイプだってみんなから思われてるんだよ」


「怜くん不愛想だし、他人に興味なさそうだからね。葵ちゃんのことをいきなり名前で呼んだからそう思われたんじゃない?」


親友と実の姉から率直にいつもの自分の様子を告げられて怜は若干心が痛んだ。


「ま、みんなもそのうち気にしなくなるでしょ」


「確かに、夜狼くんが名前呼びしたことにもそのうち慣れてくると思うし、もとはと言え頼んでみたのは僕だから」


渚と葵のフォローも入り、怜が葵を名前呼びしたことの話についてはそれで終わりにしてミーティングを始めた。



ミーティングが終わり怜たち三人は昇降口に向かっていた。


「——怜と姫野さんって何がどうなって今みたいな関係になったの?」


「えっと……」


「黙秘」


「「え?」」


「いや、普通に話したくないんだが」


「いやいやいや、なんでよ?! 特にやましい事もないでしょうに!?」


「やましい事じゃないけど、話せるようなことでもないからな」


「えぇ……」


なぜか残念そうにする渚と俯いている葵に疑問を抱きつつ、怜は足をひたすらに進めた。


決してやましいことはない。ただ、あの日のことは絶対に人に話してはいけないと怜自身に言い聞かせていた。

あの雨の日、あの時の葵が時折、怜が見ていた葵じゃないからだ。虚ろな目をして空を見上げていた葵に心配——とは何か別のことを思って話しかけたことが始まりだなんて親友であろうと、姉の玲奈であろうと口が裂けても言えることではない。


だから、当時についてのことは誰にも話すことなく、あくまで怜と葵の中でのことだけにしておこうと心の中で決意する怜。もしかしたら自分の親、明菜や姉の玲奈に話せば葵に詳しく話を聞いて味方をしてくれるかもしれないとは思うが、あの雨の日のことは葵にとっても触れられたくない事のはずだと思い聞かないことが正しいと悟っている。


「元気出せ渚。また今度飯奢ってやるから」


「ほんと!? やった~怜のおごりだ~」


「謙虚な奴め」


ウキウキで先をいく渚を見ながらも歩くスピードを落として葵の元へ駆け寄る。


「安心しろ。あの日のことは誰にも話すつもりはない」


「ありがとうございます……あの時に出会ったのが夜狼さんでよかったです」


「そうかよ……」


怜が裏切らないことを知っている葵は優しく微笑み怜の背中を目で追った。

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