幸あれ

小狸

短編

「幸せな物語を書きなさい」


 そんなことを言う、母だった。


 高校時代、私の書いた小説が、地元主催の小さな賞を受賞した時のことである。私の住んでいた(今は大学近くに一人暮らししている)市は、立地こそ田舎ではあれども、そこそこ人口の多い街だった。各所に古風な建物も残り、シーズンが来れば観光客でにぎわっていた。そんな市で開催されていた青少年向けの文学賞に、私は応募したのだ。


 私は、小説を書くことが趣味だった。


 いや、改めて振り返ってみると、帰宅して、学校の予習と復習をし、食事をし、お風呂に入ったりトイレに行ったり、それ以外の時間は小説のことをずっと考えていた。学校生活に支障が出ない範囲で、できうる時間を全て執筆に充てていたから――趣味という領域をやや逸脱していたように思う。


 何が私をそこまで掻き立てたのかは、今となっては何となく分かる。


 あの頃の私は、何かになりたかった。


 その「何か」の所に代入される変数が何もないことに、焦燥を抱いていた。


 将来の不安、と一言でまとめてしまえるけれど、人間そんな簡単な生き物ではない。不安にも形や大きさ、匂いや味がある。私の不安は、私をより一層、小説へと掻き立てた。


 そのおかげで大学在学中に、別の新人賞を受賞することができたのは、この頃の焦燥があったからである――と、まとめるのは、いささか無茶が過ぎるだろうか。

 

 まあ、結果的になれたから、今こうして、かつての私――として、語ることができているのだけれど。

 

 言わずもがな、私の小説は、地方誌に全文掲載された。


 学校の先生方やクラスメイトたちからは褒めてもらえた。


 しかし私の中の「何か」が満たされることはなかった。


 いつも何かが欠けていた。


 それはきっと、母からの言葉があったからだろう。


 ――幸せな物語を書きなさい。


 私と母の仲は、決して悪い訳ではない。これでも誕生日や母の日には、プレゼントを送ったり、姉と一緒にサプライズを用意したりもする。優しい母である。


 そんな母からの、そんな一言。


 一番褒めて欲しい人に褒めてもらえなかった――と読解するのは、少々解釈違いである。


 母は、私の小説活動に関しては、今まで一言も口を挟むことはなかった。私が小説を書いていること、そして小説家を目指していることは、別段取り立てて隠していた訳ではなかったし、姉も父も周知の事実であった。ただ、一言だけ。


 そんな言葉を言われた。


 幸せな物語。


 そんな言い草に、どこかちくりと図星を指されたような心持ちがしたのだ。


 当時の私は、不幸こそが、物語を動かす動力となると思っていた。


 不幸。


 だってそうだろう。


 満たされた人が周囲に恵まれながら生きる話より、満たされない人がそれでも足掻く話の方が、世間から注目されるし、読まれるからだ。


 欠落し、没落し、欠陥を持ち、外れ、はぐれ、どうしようもなく皆と同じになれない、そんな人間が立ち上がる様を描くこと。


 それこそが、世の中の求める小説像だと、私は思っていた。


 


 そんな私に対して、件の言葉を残した母は、正しかったのだろうと、今なら思う。


 大学に入って新人賞を受賞して、何作か刊行した。


 確かに最初は、ウケた。


 でも少しずつ、人は離れていった。


 不幸で不運で不遇で不満で、そんな者達が犇めきあって傷を舐め合いながらそれでも生きていく。


 そんな物語に、読者が飽き始めたのである。


 飽きたというか、食傷気味になったのだろう。好き好んで不幸を摂取し続ければ、気分も沈むし落ち込む。


 あー、またこのキャラクターは不幸で不運で不遇で不満なんでしょ、ハイハイ「現実」は厳しいですよねー、知ってる知ってる、どうせまたお得意の不幸自慢で、後味悪く話終わるんでしょ。


 なんて。


 見なければ良いのに、そんな感想をネット上で見たりもした。


 気分最悪である。


 コンテンツの限界――と言ってしまえば、それまでである。


 人の不幸を飯にしてきた私は、自分の不幸に耐えきれなかったのだ。


 こんな皮肉があるだろうか。


 私は、作風の転換を余儀なくされた。


 そしてその時に、母のあの一言が思い出されたのである。


 ――幸せな物語を書きなさい。


 困った。


 困って、一人暮らし先から、母に、電話した。


 あの時のあの言葉は、どういう意味があったのか。


 幸せな物語とは何なのか。


 知りたかったから。


 母は言った。


「あなたは、もう幸せそれを持っているでしょう。書けば良いじゃない。そのまま」


 元から、口数の多い母ではなかった。父はそんな母の芯のある部分に魅かれたと言っていた。その魅力は、おこちゃまな私には分からなかったけれど。


 母から発せられたその言葉に、私はようやく、気が付いた。


 そうか。


 ――


 幸せを、実感、しているのだ。


 全身全霊。


「ありがとう、お母さん」


「いいのよ」


 それ以上、言葉は要らなかった。


 私は、パソコンへと向かって、執筆を始めた。


 誰でも書くことのできる、誰でも当たり前に持っていて、誰もそれに気付くことのない、小さな毎日の幸せ。


 今までずっと、人の不幸を書いてきた。


 不幸で不運で不遇で不満で、何もかもが上手くいかず、何をやろうにも失敗し、生きていることそれ自体が間違いだと思う登場人物達を、書いてきた。


 実際、世の中もそんなものである。


 現役大学生の私でも、それくらいは分かる。


 ブラック企業も嫌な上司もいなくならないし、人手はいつだって足りていない、法律は当たり前のように無視され、ルールは破るためにあるとか言っている莫迦が大きな顔をして歩き、学校では当たり前のようにいじめが行われ、ニュースでは日夜事件や事故が絶えず、戦争は無くならない。


 それが現実である。


 だったら。


 虚構の世界でくらい。


 幸せがあったって、良いのではないか。


 希望があったって、良いのではないか。


 優しくあったって、良いのではないか。


 そういうこと?


 お母さん。


 普段、私の1作の執筆所要時間は3、4日程度である。


 しかし今までと作風が真逆だったので、かなりの時間を必要とした。時間にして2週間掛かった。


 出来た作品は、なかなかどうして、不格好で、ダサくて、声に出して読むこともはばかられるような文章ではあるけれど。


 それは、欠けた私の心を満たすには、あまりにも暖かすぎる現実しあわせであった。




《Good Lack》 is Happy End.

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