06 輿入れの真相
「つまり、歓咏殿には囮を務めていただきたいのです」
翌朝、慶雲に声をかけられた春咏は、ある一室に連れていかれた。目覚めたときに酒が残っている感覚に襲われ、これが初めてだからなのか判断はできないが、できればもう無駄に酒を飲まないようにしようとひそかに誓う。
それよりも今は目の前の事態だ。慶雲は人払いをし、訝しがる春咏に声をひそめ事情を説明する。
「あなたは細身で、そこまで背も高くない。女性としても十分に通用する」
「加術士は毒味に続いて女装して間者の真似事もしなくてはならないのですか」
あからさまな嫌味を放つ春咏に慶雲は眉をひそめる。ふたりの間に冷たく不穏な空気が流れた。先に目を逸らしたのは慶雲だ。
「乾廉さまは呪われていらっしゃる」
唐突に呟かれた内容に春咏は目を見開く。
「乾廉さまが何度か華楼宮に足を運んだのですが、そこで彼と共に過ごした即妃たちは、全員が体調を崩すなどの不幸に見舞われているのです」
一息に言いきり、慶雲はふうっと息を吐いた。
「おかげで乾廉さまはすっかり華楼宮に足を運ばなくなり、即妃の間でも呪われた皇子として広まっている」
「今までの専従加術士たちは?」
そこで春咏が尋ねた。前々からの事態ならば、そのときの彼の専従加術士たちは、どう対処したのか。
春咏の問いかけに、慶雲は静かにかぶりを振った。
「乾廉さまは、基本的にどの加術士にも一線を引いて接していらっしゃった。彼だけではない、皇族は皆加術士を頼り、恐れている」
専従加術士として初めて春咏を見たときの乾廉の目はどこか冷めていて、興味なさそうだった。あれはわざとだったのか。そもそも春咏自身が皇族に不信感を抱いている。その気持ちは今も変わらない。
ただ……。
『わかった。お前を信じよう』
「元々乾廉さまの場合、育った環境もあり誰に対しても心を許さない。さらにはこの華楼宮の件が拍車をかけている」
自分のせいで誰かが傷ついたり、不幸になるのを彼は恐れている。だから専従加術士の入れ替わりが激しいのか、深入りしないために。
「どうされます? 乾廉さまの専従加術士としてこの任、受けてくだいますか?」
慶雲の目はうかがうものではなく、不本意さが滲む、試すようなものだ。
「信頼できない私に任せてかまわないのですか?」
春咏は挑発的に、わざと水を向けてやる。案の定、慶雲の顔が不快さに歪んだ。しかし慶雲は感情を押し殺したように答える。
「正直、私としては賛成できかねます。ですが、乾廉さまがあなたになら任せられると思った。あの方自らが、加術士になにかを希望するなど初めてなんです」
続けて射貫くような眼差しで春咏を見据えた。
「その想いを裏切るような真似をしたら、加術士とはいえあなたを絶対に許さない」
慶雲の目には、己の立場や忠誠心以上のものが宿っている。眩しいほどの純粋さだ。
「呪いでもかけますか?」
わざと茶化し、慶雲がなにか返す前に春咏は呟く。
「いいですね。乾廉さまはあなたのような侍従がそばにいらっしゃって」
自分にも、そんな存在がいたらなにか違っていたのか。兄みたいな誰かが……。
そこで春咏は我に返る。
「わかりました。乾廉さまのため、お引き受けいたします」
わざわざ性別が明るみなりそうな女装をするのには気が引けるが、後宮でも汪青家についてなにか情報が得られるかもしれない。
なにより、本当に呪いなどがあるなら対処するのは加術士である自分の役目だ。
「では、手筈が整いましたら」
「今から歓咏殿ご自身が整えていくんです」
その場を去ろうとした春咏だが、慶雲の意外な切り返しに足を止める。そこへ慶雲が気迫に満ちた表情で詰め寄ってきた。
「あなたは乾廉さまが久しく通われていなかった華楼宮に足繁く通う相手となるんです。中途半端な出で立ちでは困ります」
春咏は目を丸くする。慶雲の主張は理解できるが、予想外の展開だ。一方、慶雲の目は本気である。
「衣装、身にまとう装飾品、すべて一流のものを用意します。この件は他言無用なので、私なりの最高の即妃になっていただきますから」
「つまり慶雲殿好みの女性に仕上げるってことですか? 男の浪漫ですね」
割って入った第三者の声に、春咏と慶雲の注意が向いた。
「
笑みをたたえた青年が人払いをしたはずの部屋に顔を出していた。警戒する春咏に彼はにこりと微笑む。
「初めまして、加術士、太白歓咏殿。僕は和銅。慶雲殿と共に乾廉さまにお仕えしております。以後お見知りおきを」
堅物的な慶雲に対し、物腰柔らかそうな雰囲気だ。じっくり観察する春咏に対し、慶雲は目を剥いた。
「私はそんなつもりではありません! すべては乾廉さまのために」
「はいはい。採寸用の衣装をいくつかお持ちしたよ」
慶雲をあしらい、和銅はさっさと持ってきた箱を開ける。中には女性ものの衣装がいくつか入っていた。
「念のため露出は控えめなものにしましょう。それにしてもこんな言い方は失礼ですが、そこら辺の女官ひいては即妃の方々より均整のとれたお顔立ちをされていらっしゃる」
和銅は感心するような目で春咏を見遣り、体形に合いそうな服を見繕う。
「最初にこの計画を聞いたときは不安もありましたが、あなたを見て納得しましたよ」
褒められていると受け取っていいのか、悩むところだ。ややあって和銅は一着の
「ひとまず、これはどうでしょう? 着ていただけますか?」
「今ここで、でしょうか?」
和銅の提案にさすがの春咏もたじろぐ。しかし和銅は不思議そうに首を傾げた。
「なにか問題でもありますか?」
大ありだ。とはいえ、その理由を素直に言えるわけがない。煮え切らない春咏にしびれを切らした慶雲が詰め寄っていく。続けて強引に春咏の狩衣に手を伸ばした。
「ほら、さっさと脱いでください。我々も他の仕事があるんです」
「慶雲殿!」
さすが無礼すぎると和銅が声を上げたが慶雲はその手を止めない。春咏は反射的に慶雲の手を掴んだ。
「っ、昔……野盗に襲われたときの大きな傷があり、見られたくないのです」
とっさに口を衝いて出た言い訳に春咏自身も驚く。傷はないが、脳裏に過ぎったのは一族が打ち焼かれたあの夜の出来事だ。野盗にも似た皇帝直属の憲兵に汪青家は突然襲われたのだ。
意図せず顔色が悪くなる春咏に対し、慶雲はさっと手を振り払った。
「わかりました。我々は外に出るので、さっさと着替えをすませてください」
そんな理由でと無視されるかと思ったが、意外にも慶雲はあっさり引く。部屋を出ていく慶雲と和銅を見送り、気配がなくなったのを感じて春咏は着替え始めようとした。
太白家の縁の者に拾われたときから、名前と性別は捨てて生きてきた。
念のため胸にはさらしを巻いているが、今さら女の格好に憧れも懐かしさもない。だから、この妙な気持ちは違和感なのか。
「歓咏、入るぞ」
「あ」
言うや否や部屋の戸を開けて現れたのは乾廉だった。完全な不意打ちに春咏は硬直する。とはいえ狩衣を脱いで前合わせの部分に手を掛けているところだったので、決定的なものを見られたわけではない。
「わ、悪かった」
慌てる乾廉に、逆に春咏は冷静になる。無意識に出ていこうとする彼の手を掴んだ。
「どうされましたか、乾廉さま。なにか問題が?」
真面目に問いかけ、気づく。具体的になにかまでは言えないが、乾廉に対し妙な違和感を覚える。昨日別れたときの彼とはなにかが違う。
「いや……我ながらお前の立場や気持ちも考えずに勝手な頼みをしたものだから……」
探るような目で見る春咏に対し、乾廉は珍しく歯切れ悪く答えた。そして春咏と目が合った瞬間、おもいっきり顔を背ける。
「とにかくきちんと服を着ろ! 話はそれからだ」
強めの口調に春咏は思い直す。主を前に粗雑な格好でなにをしているのか。
「申し訳ありません」
すぐさま乾廉の手を離すと、彼は踵を返した。
「こちらこそ突然だった。部屋の外で待たせてもらう」
気を取り直して和銅の用意した旗袍に手早く着替えだす。慶雲みたいに居座ろうとされても困るが、主を外で待たせるのも気が引けた。
手間取りながらも旗袍を着てみたら、性別がわからないようにするため、体の線がわかりづらく肌の露出も少ないので、そこまで女性らしさを強調したものではないのは有難い。いつもより軽装備なので心許なさは感じるが、その分身軽だ。
春咏はそのまま扉の方に近づく。
「乾廉さま」
中から声をかけ、少しだけ扉を開けたら律儀に待っていた乾廉と目が合う。
「近くに慶雲さまか和銅さまはいらっしゃいますか?」
小声で尋ねると、なぜか乾廉の眉がつり上がる。
「なぜ、あいつらを?」
待たせていた相手よりも、他の者を気にしたのがまずかったのか。春咏はおずおずと事情を説明する。
「用意していただい採寸用の旗袍に着替えたので確認していただこうかと」
さすがにこの格好で部屋を出てうろうろするわけにはいかない。しかし、それを聞いて乾廉は納得するどころか強引に戸を開け、春咏の前に立ちはだかる。
「ならばまずは、俺に見せるのが筋ではないか?」
その通りだと思う前に至近距離で見下ろされ、春咏の心臓は早鐘を打ち出す。言い知れない羞恥心が駆け巡り、訳がわからない。
「い、いかがでしょうか?」
せめてなにか言ってほしい。沈黙が耐えきれず春咏から口を開く。乾廉がなにか言いかけた、そのときだった。
「あ、着替え終わりましたか?」
「乾廉さま、何故こちらへ!?」
和銅と慶雲が共に顔を出す。春咏が一歩うしろへ下がると、和銅が近づいてきた。
「お似合いですよ……は、語弊がありますかね? 丈はちょうどのようですが、どこか苦しかったり緩いところは?」
「大、丈夫です」
てきぱきと寸法を見ていく和銅に対し、慶雲が乾廉に声をかける。
「乾廉さま、いかがですか?
春咏はちらりと乾廉をうかがう。結局、彼はどう思っているのか。けれど乾廉は春咏の方を見ようとはしない。彼が通う相手にしては不十分だと思われたのか。
こればかりはどうしようもないと感じていると、さらに慶雲が尋ねる。
「生地の色は赤にしましょうか?」
そこで乾廉の視線が改めて春咏に向けられた。
「青だ」
彼の言葉に春咏は目を瞬かせる。乾廉はふっと微笑んだ。
「きっと青の方がよく似合う」
「かしこまりました」
反論などせず慶雲が頭を下げる。
青は汪青家の色で春咏の一番好きな色だった。偶然とはいえ、わずかに気持ちが揺れる。
「では、衣装については問題ありませんね。歓咏殿にはあと、後宮での立ち振る舞いやしきたりをもしっかりお教えしますので」
ところが慶雲の言葉に目を剥く。もしかすると自分はとんでもない用件を引き受けてしまったのかもしれないと春咏はそっと天井を仰ぎ見た。
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