グルーヴィー・デュエル

 本当に、気にくわない。

 

 そう思いながら、ミサは仮想空間の雲の中を超音速で駆け抜ける。

 先ほどのニッパーと同じ方法で、後ろから迫り来るニッパーから逃げている最中だ。

 その事実が、追う側から追われる側へと立場が逆転したことを告げられているようだと、ミサは感じた。


「ッ……なんなのさ!」


 どこかイラつく様子で、ミサは吐き捨てるように呟く。

 雲の中で生じる暴風の轟音は、しかし彼女には届いていない。

 それは勝負に集中しているからか、はたまた別の感情か。


 そんなことを考えている刹那、ヘッドセットから警告音が鳴った。

 ミサは目に装着しているコンタクトレンズ型のディスプレイにて、レーダーを確認。

 ニッパーの機体、トラスニクが真後ろにいることを確認した。


 接近している。

 距離は300メートル弱。


 彼女は後ろを見る。

 当然ながら、雲に阻まれニッパーの機体は確認できない。


「ふん」


 すると、ミサはそんな鼻息を鳴らした。

 かと思いきや、急激に軌道を変更。

 雲の上へ。

 視界の色は、狭まったグレーから、果てのない青に。


 数秒も後、すぐにトラスニクが後を追うように、その姿を晒した。

 ミサは後ろを振り返って、不敵に笑ってみせた。


「流石に空間識失調バーティゴにはならないよねえ」


 まあ、大して期待はしてないけどさ――ミサはそう付け加えて、速度を上げる。

 厚い雲の中に誘い込むことで、俗にバーティゴと呼ばれる上下感覚が失くなる症状をニッパーに引き起こさせようと画策していたわけだが、それは叶わなかったようだ。


 ニッパーは当然のようにミサを目がけて飛んできている。

 そこには微塵の迷いも逡巡も感じさせない。

 あるものはただ、混じり気ひとつない殺気のみ。


 フェアリィのような、人間を相手にしている時とは違う感覚を、ミサは感じていた。

 かと言ってランバーのような、得体の知れない奴らを相手にしている時とも違う。


 まるで兵器そのものだ。

 ニッパーという、敵を殺すためだけに思考し行動する生体兵器。

 単純かつ明快な、暴力の道具。

 今の彼は、そんな在り様を誇示している様にすら、ミサには見えた。


「……気にくわないなあ、ホントにさ」


 笑顔は貼り付けたまま、ミサは低いトーンでそんな言葉を吐く。

 その言葉にはしかし、ミサの心からの本音であった。

 もし、普段のミサを知っている誰かが今の彼女を見れば、そのあからさまな不機嫌さを見て、珍しがることだろう。


 ミサは思い出す。

 思えば、ニッパーくんのことは初めて会った時から、なんとなくムカついていたかもしれない。


 会って間もない時にカフェで思わず突っかかったのも、今考えるとそういうことだったんだろうな、と思う。

 まるでライカちゃんが世界の全てだとでも言って、そのことに一切の躊躇も迷いもない。自分が死のうが世界が滅ぼうが知ったこっちゃない、ていう態度。


 他人がどうなろうが関係ない。

 それで目当てのことを果たせるなら、どうでもいい。

 とにかくそういうところが、どうしようもなく苛立ったんだ。

 そんな身勝手な人たちに泣かされた親友を、私は一人知ってるから。


 だからこそ許容できない。

 君が誰とどんな関係になろうが構わないけど、ナナだけはダメだ。

 中東でナナとどんなことがあったかはまだ知らないけれど、もし自分勝手な目的ライカちゃんのために利用しようと近付いているんだったら、絶対に許さない。

 絶対に洗いざらい聞かせてもらう。


「……殺す気で来いって言ってたよね?」


 思考を目の前の現実に戻し、ミサはそう呟く。

 銃をリロード。マガジンを装填する。


「上等じゃん。マニューバ・キルじゃ物足りないと思ってたとこだし」


 そして、急停止からの、ターン。

 更に急加速。

 まるで、上方向に跳ねたかのような挙動。


「なんだと?」


 先ほどまで黙っていたニッパーも、驚愕してそんな声をあげた。

 コクピット内で、ニッパーは思わず上を向く。


 そこには、銃口がひとつ。

 一瞬の間もなく、それが火を吹いた。


 すぐさま、急ロールからのピッチアップ。

 並外れた反応速度で方向転換をし、トラスニクは紙一重で被弾を免れる。


「流石に大口叩くだけはあるね」


 ミサは言いながら、間をおかず追撃に移行する。

 お互いがお互いの背後を取ろうと戦闘機動を繰り返し、それぞれの飛行跡が編まれるように絡まる。

 いつしか二人はシザーズ状態になり、どちらかがどちらかをいつ堕としてもおかしくない状態になった。


「勝ったら何でもいうこと聞いてくれるんだよね? 吐いた唾は飲み込めないよ!」


 もはや怒号とすら言える大きな声で、ミサは叫んだ。

 そこには、笑顔で取り繕った落花ミサは既におらず。

 その様はまるで、獲物を前にした狼の様であった。





「……さて、どうする」


 本格的な交戦が始まってしばらく経ったとき、ニッパーは呟いた。

 現在の戦況を端的に表すのであれば、ニッパーの方が決定打に欠ける、という状態であった。


 シザーズ状態になったあと、どちらかが完全に相手の後ろを取り、攻撃に移る。

 そこまではいいだろう。セオリー通りの空戦機動といって差し支えない。


 問題は、その攻撃手段にある。

 ミサがニッパーを攻撃する時、攻撃手段は無論大型ライフルとなるわけだが、当然その威力は凄まじい。


 対ランバー用に調整された大型ライフルは、当たりどころと角度によっては、トラスニクのエンジンを一発で破壊できる威力を持っている。

 加えて専用弾による弾速も非常に速い。

 それこそミサイルよりも高速であり、いつまでも避け続けられるものではないだろう。


 対して、ニッパーの攻撃手段であるミサイルは、安定して打ち落とされているのだ。

 これはレーダー照射によって、発射前にミサに気取られるためである。


 要は、ニッパーがテレフォン・パンチしか出来ないのに対し、ミサは同等以上の威力とスピードで、予備動作なしのパンチを打てるというわけだ。

 だからと言って、ノーロックでミサイルを撃って当たるほど、彼女は甘い相手でもない。


 つまるところ現状、何か打開策を考えない限りニッパーの勝機は薄い、と言わざるを得なかった。


った」


 ミサの声。

 共に銃声。


 ニッパーはすぐさま急旋回を試みる。

 だが――。


「グゥッ……!」


 衝撃。振動。

 そして、破裂音。


 機体がバランスを崩し、コントロールを失いかけた。

 アラートがコクピット内に響く。


「くそ!」


 ニッパーは操縦桿を思い切り引き上げる。

 そのあと何度か、機体の流れの反対側へと舵をとると、なんとかコントロールを取り戻した。


 ニッパーがディスプレイを見ると、そこには被害状況が表示されていた。

 右主翼被弾。

 一部分が欠損している。

 これは、以降のマニューバーに支障が出るレベルだ。


 ――このままじゃ堕とされるのも時間の問題か。


 ニッパーはそう感じ取り、何か打開策はないか頭を巡らせる。


「どうする? ここで素直に降参するなら、さっきのなんでも〜ってのだけはナシにしてあげるけど?」


 ミサは煽るようにそう投げかけるものの、ニッパーがそれに答えることはなかった。

 降参する気がないから……というのではなく、そもそも聞いていないのだ。

 

 ニッパーの目的は既にライカのための戦闘データ取得にあった。

 勝ち負けについては、はなから度外視している。


 ただ、そう。

 ただこのまま、武装の有利不利に準じて負けるだけでは、有用的なデータにはならない気がする。

 彼はそう考えていた。


 勝ち負けはどうでもいい。

 だが、意図的に負けるのではそれこそ意味がない。

 降参など、論外もいいところだ。


 この状態のままで、どうすれば生存できるか。

 何をどうすれば敵を殺せるか。

 そこまで考えて行動したログを残してこそ、戦闘データとしての価値が高まるはずなのだ。


 何かないだろうか。

 ニッパーはそう思いながら、咄嗟に雲の中に逃げ込む。


「また雲? いい加減ワンパターンだよ!」


 ミサがそう言いながら、ニッパーを追いかける。

 それに関しては彼も同意見だった。

 いいかげん何か使えるものはないかと、彼は残っている武装を確認する。



 AAM       1 RDY

 AMRAAM    0 NONE

 ASRAAM    2 RDY

 GUN    2345 RDY


 追尾方式ミサイルが一つ、精密誘導ミサイルが二つ。それと機銃。

 あれだけあったミサイルだが、ほとんど使い果たしてしまった。

 僅かなこの武装でミサを堕とすことができなければ、ニッパーの勝機は潰えたと言って差し支えないだろう。


 とはいえ、とニッパーは考える。

 どうやってこれを当てればいいのだろうか?

 ミサイルはレーダー照射のせいで、撃つ瞬間がバレて避けられる。

 機銃が当たる距離まで接近するのも現実的とは言えない。

 雲のせいで有視界戦闘はかなり制限されるとはいえ、レーダーで丸わかりだ。


 この条件下で、回避を誘発させず堕とすとしたら。

 それは、騙すしかない。

 何かに意識を向わせ、殺すための一撃を見えなくさせる。

 確実に当てるには、そうする必要があるだろう。


「……そうだ、試しにやってみるか」


 何かを思いついたのか、ニッパーはそうひとりごち、操縦桿を動かす。

 急激な減速。

 ポストストールを行い、失った主翼の一部を補うために、器用に操作する。

 不完全ながらもマニューバを行い、トラスニクはミサの前から消えた。


「しつこい!」


 また後ろをとってきた。そう思ったミサは速度を保ったまま振り返る。

 しかし――。


「……え?」


 そこに、ミサが予想していたトラスニクの姿はなかった。

 あるのはただ、暴風に荒れるグレーの世界のみ。


 ――どこに行った?


 ミサはそう思いながら、即座にレーダーを確認する。

 トラスニクの位置を見る。

 自分の後ろにいるのは違いない――が、やや遠くへと離れている。


 距離をとった?

 なんで、今更。


 ミサはニッパーの行動を不審に思い、その場へ静止。ホバリングへと移行した。

 辺りを見回してみる。

 ミサが聞こえる音は、風の轟音と、SUの駆動音のみ。

 静寂とはとても言い難いが、それでもミサには無音に等しく思えた。


「時間稼ぎ? いや違う」


 ミサはニッパーの狙いを予測し、しかしすぐに否定する。

 今のトラスニクは無視できないダメージを負っている。むしろ長期戦になるのは望むところじゃないはずだ。


 つまり、逆。

 何か仕掛けてくる。

 決めようというのだ、これで。

 おそらくこれが、ラスト。


「面白いじゃん」


 ミサは呟いて、ライフルを構え直す。


「いいよ、付き合ったげる」


 囁くようにそう言った。


 その瞬間、アラート。

 

 ミサイルが三つ。

 方位032、145、267。

 三方向から同時に、囲い込むように。


「へえ、そんなことできるんだ」


 余裕な声色とは裏腹に、ミサは少し驚いていた。

 トラスニクのいる場所からではなく、それぞれ違う三方向から同時に検知した。

 ということは、トラスニクが発射してから、時間差でこちらを狙い出した、というわけだ。


 発射後に任意のタイミングでのターゲットロック及び誘導。

 改めて、ニッパーの乗っているトラスニク――もといライカが、常識を超えた戦闘機なのだと思い知った。



 だが、それだけだ。



「ちょっと、がっかりかな」


 刹那、ミサは慣れた手つきで、素早くライフルを二連射。

 迫り来る三つのうち二つのミサイルは、しかしターゲットに当たることなく爆発した。


 マガジンにはまだ余裕がある。

 あとは残る一つのミサイルを撃ち落とせば、丸裸になったニッパーを調理するだけ。

 鴨撃ちのように楽に終わるだろう。とミサは感慨なく思った。


 ――まあ、結局こんなもんか。


 ミサは思う。

 やはりどれだけ強くても、どれだけランバーを倒せようとも。

 所詮は時代遅れの有人戦闘機。

 やはり、フェアリィには届かないのか。


「……やっぱり、君にはナナを任せられないね」


 ミサは冷たく言い放ち、残る最後のミサイルに、その銃口を向ける。

 レーダーで位置を確認し、発射。

 当然の結果のように、ミサイルは撃墜された。


「じゃ、終わらせようか?」


 つまらない勝負だったな。

 そんな思いに耽りながら、ミサはレーダーを確認する。


 遠巻きに様子を見ていたはずだ。

 そろそろ近づいて、苦し紛れに攻撃でもしてくるはず。

 そう予測し、レーダーでトラスニクの白点の場所を見た。



 方位180。

 距離60メートル。

 真後ろ、極近距離。



 接触まで、一秒未満。



「……は?」


 そこは、つい先ほど最後のミサイルを撃ち落とした方角と、同じだった。


 ――まさか。

 ――まさか、まさか!


「ッ……イカれてんじゃないの!?」


 叫びながら、大慌てで後ろを振り向くミサ。

 すると目の前に、それはいた。


 トラスニクが、ニッパーが、ボロボロになってところどころから火を吐きながら、猛スピードでミサに突っ込んできていた。


 騙したのだ。

 ミサイルと自機の位置を重ね、接近するために自分を隠した。

 一旦離れたのも、時間差でのレーダー照射も全てブラフ。

 機体に深刻なダメージを負っている。

 おそらく、ミサイル爆破の余波をくらったのだ。


 全ては、ミサに接近するために。


「くっそ!」


 ミサは咄嗟にライフルを構える。

 だが、もう遅い。

 キャノピィ越しに、ミサとニッパーの目が合った。


 確実に当たる近距離で、ニッパーはただ、機銃のスイッチを押した。

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