あなたのお相手

 試合開始のブザーが鳴って、およそ数十秒ほど経った頃だろうか。

 それまで静寂を貫いていたレーダー機器に、異変が出た。


 IFF ENMY 1


 ボギーインバウンド。

 ヘディング035。

 エンジェル30。

 接触までおよそ20秒。


 レーダーが示した方向を目し確認する。

 深く青い空に、わずかな黒点を見つけた。

 落花だ。


「ずいぶん悠長に飛んでるじゃん」


 すると、無線からそんな声が聞こえた。

 落花の声だ。

 何のつもりか知らないが、オープンチャンネルで話しかけてきてる。


「良いの?」


 それは一体何についてそう聞いているのか。

 そんな疑問が出たが、落花は続けた。



「的だよ、今」



 アラート、極高速で飛翔体が接近。

 ほとんど無意識に、機体をロールさせた。


「ぐっ……!?」


 瞬間、衝撃。

 同時に退避を指示する警告ランプが表示される。


 被弾した。

 被弾部位と、ダメージがディスプレイに表示される。

 ダメージは……よし、ほとんどない。

 当たった角度が良かったらしい。機体の装甲表面が歪んだ程度だ。


「エンジンを狙ったんだけど、流石に速いね」


 再び落花から無線。

 俺はそれに応答はせず、バンク。

 迷宮のようになっている雲の群れに機体を隠した。


 しかし驚きだ。まさかあんな距離から当ててくるとは。

 先ほどのあの距離は、少なく見積もっても十数kmはある。

 それをピンポイントで当ててきた。思っていた以上に厄介だな。


 確か落花が使用している銃は、ランバー用に調整された、高威力の精密ライフルだったはずだ。

 大口径の徹甲弾をセミオートで撃てる代物で、エンジンなどの急所にさえ当てれば、一発で撃墜することも不可能じゃない威力を持っている。

 しかしその分、狙いの正確さが求められ、扱いは難しいという話を聞いていたが……。


 そこは流石に、ウルフ隊だということか。

 落花の射撃の正確性は、一緒に作戦を行なってきたことで、ある程度は知っていた。

 だからこそ油断していたつもりはなかったが、これは思っていた以上だ。


「雲に逃げるんだ。良い判断だね」


 落花のそんな声と同時に、後ろからバンディットが近づいてきていることをレーダーで確認する。

 雲の中に隠れたとはいえ、当然ながら向こうもレーダーでこちらの位置を把握しているだろう。


 速い。

 正確にこちらの位置を捕捉している。

 このまま逃げていればジリ貧だ。


 おそらく、落花は俺が雲に逃げることも織り込み済みだろう。

 動きに一切の澱みがない。

 まるで全て予測しているかのように、俺の動きに合わせて、着実に機動を制限するように飛んでいる。


 このままいけば俺はネズミのように徐々に追い詰められ、避けようのない一撃を入れられるだろう。

 そしてそれはほぼ間違いなく、俺を殺す一撃だ。

 当たればそれで終わり。

 KIA死亡判定だ。


 ランバーを相手にしている時とは、また違う圧迫感。

 奴らのような火力と数に頼った手強さとは異なるジャンルの強さ。

 まるで、気付かぬうちに死神の鎌が首にもたげられているような。

 人間だからこその、正確さと精密性。


 これがフェアリィか。

 天使を殺す妖精。

 そのトップランカー。


「上等だ」


 マスターアームオン。

 ディスプレイを確認。


 AAM       4 RDY

 AMRAAM    4 RDY

 ASRAAM    6 RDY

 GUN    3500 RDY


 短距離追尾サイドワインダーミサイルが四つ、中距離誘導式アムラームミサイルが四つ、短距離精密誘導アスラームミサイルが六つ。

 全て空対空。今回のアリーナ用に調整した兵装だ。

 さて、こいつらをどう活用すべきか。


 普段であればライカが周囲の敵を捕捉、スキャンした上で、最適な攻撃方法をFCS火器管制システムを通して教えてくれる。

 だが、ここにライカはいない。

 いや、仮にいたとしても、フェアリィとの戦闘データを有していない以上、流石のライカでも提案は難しいだろう。


 ……見てるのだろうか、ライカは?


 俺は思わず、そんなことを思った。

 すぐに滑稽だ、と感じた。ライカはそういうコマンドでもない限り、自分をオンラインに繋いだりしない。見ているはずなどないのだ。

 いや、それ以上に俺のことなど歯牙にもかけていないのだから、彼女にとってはこんな戦い、見る必要すらない。


 だが、それでも無意味なことを嘯いてしまうということは、俺の気分が高揚しているということだろうか。

 否定はできない。降って湧いたこの試合だが、今となっては、俺は落花に感謝してやってもいい。


 だって、フェアリィとの戦闘データが取れるのだ。

 それはつまり、ライカがより強くなるということ。

 彼女の生存率がより高くなるということ。

 より言うと、ライカがより長く飛べるようになる、ということだ。


「お、いたいたぁ」


 すると、無線から落花の声。

 かなり近い。真後ろ。ケツを取られている。

 流石に速いな。


「ほらほら、ボサーっとしてると今度こそおしまいだよ?」


 なんてことを、落花は言ってきた。

 もう撃てるはずなのに、撃ってこない。

 こちらの出方を見ているのか、あるいは……。


「ねー? さっきからシカトしないでよ。オープンチャンネルだから聞こえてるはずでしょ?」


 ……そうか、こいつ。

 さっきからずっと不思議だった。なぜわざわざ、オープンチャンネルで敵の俺に話しかけてきてるのか。

 いちいち自分の状況を開示しているのか。

 最初は情報を錯乱させるためかとも思ったが、どうやらそうではない。

 この女……。


 レーダー上、バンディット、真後ろ。

 さらに近づいている。


「じゃ、いただき!」



「うるせぇんだよ、さっきから」



 操縦桿を思い切り引き上げる。

 フラップ展開。

 ピッチアップ。

 急減速。

 軽微なブラックアウト。

 ターン。一回転。

 クルビット。


「なっ――!?」


 落花の声。

 HUDに捕捉。


 AAM FIRE

 GUN FIRE


 ミサイルと機銃を同時発射。


「クッソ……!」


 紙一重で落花がそれらを避ける。

 ミサイルは躱した直後、再追尾をさせないためにライフルで撃ち落とした。


 位置関係が逆転する。

 今度は、俺が落花を追っている状態。


 ひとまずは安心した。

 この程度で終わられたら困る。


「あ、あっぶな〜、やるじゃん?」


 なおもそんなことを言ってくる落花。

 いい加減、俺は辟易していた。


「いいねえ、これくらいやってもらわなくちゃ。勝負はこれから――」

「ふざけるな」


 そう言葉を被せると、落花は少し驚いたように息を詰まらせ、口を噤んだ。

 俺はそのまま続ける。


「なぜ本気で堕とそうとしない? なぜ敵の俺とおしゃべりをしているんだ? これから殺す相手になぜそんなことをする?」

「殺すって……そんなつもりないよ。だって、ただの試合じゃん」


 ああ、なるほど。ようやくわかった。

 仮想空間とはいえ戦場にいるはずなのに、拭えない妙な違和感。


 敵に殺意がないのだ。

 何を用いてもこちらを殺してやろうという意志が感じられない。

 仮想空間という性質故か。

 どこか戦場に似つかわしくない緩慢な空気が、殺意の代わりにここにあったのだ。


 それじゃあダメだ。

 何の参考にもならない。

 そんなデータをとったところで、ライカには何にもならないのだ。


「だったら殺すつもりで来い。仮想でも試合でも関係ない。殺すべきランバーだと思って俺を堕とせ」

「な、何言ってるのさ、いきなり」

「このまま手を抜いてそっちが負けてみろ。これが終わったら殺してやる」

「んな……!?」

「死にたくなかったら殺せ。そうすりゃ約束どころか、何でもしてやるよ。以上、アウト」


 俺はその言葉を最後に通信を切った。

 これでいい。

 落花は今日の話ぶりからして、おそらく俺を嫌っているだろう。

 他人の感情の変化などわからないが、もし今ので殺意でも芽生えてくれれば、より実戦に近いデータが取れるはずだ。


 深呼吸。

 吸って、吐く。


「よし、やるか」


 俺は操縦桿を握り直し、目の前の落花を見た。

 仕切り直しだ。





 *





 先ほどまで歓声に溢れていたアリーナの観客席は、いつの間にかその様相を変えていた。

 先ほどとは打って変わって静寂がその場を支配している。


 だが、それを冷めていると決めつけるには、困惑を表すわずかなざわめきが邪魔をするだろう。

 先ほどまで試合の一部始終を観ていたフェアリィたちは、皆唖然としていた。


 旧時代の、ろくに更新もされていない、今や何の役にも立たない有人戦闘機。

 そんなイメージしかなったモニターに映っている戦闘機が通常ではあり得ない超機動をし、ほんのひとときとはいえ、皆の羨望の的であるミサを追い詰めた。

 その事実に、その場にいるほとんど全員が言葉を失っている。

 一部の、例外を除いて。


「はぁ……やっぱりこうなったか」

「まあ、当然だろうな」


 モニターに映る様子を見ながら、リリアとヨーコはそんなことを呟いた。

 二人は他のフェアリィたちとは異なり、さもありなんとでも言うように佇んでいる。


「お、お二人とも、こうなることわかってたんですか?」


 未だ状況についていけないレイが、混乱した顔で二人に聞いた。

 オープンチャンネルで行われていた、ミサとニッパーの無線の内容は、アリーナ内にも流れている。


 ニッパーが追い詰められている状況から逆転したかと思ったら、急にミサに対して物騒なことを言い出した。

 レイは急速な試合の変化についていけず、その内心は他のフェアリィたちと似たようなものであった。


「二人の性格を考えるとね……噛み合わせ的にこうなる予感はしてた」


 リリアはレイに聞かれたことにそう答える。

 彼女はそのまま続けた。


「ミサに限らず――まあ特にミサはそうなんだけど、VRでの試合ってやっぱり実戦とは違って命のやり取りがないからさ、どうしてもスポーツ然とした取り組み方になっちゃうんだ」

「でも……それって普通じゃないんですか?」


 レイは不思議そうな顔でそう聞いた。


「だがニッパーは違う、と言うことだ」


 と、それにヨーコが答える。

 すると、彼女はレイの方を向いて、続けた。


「奴には明確な殺意がある。アイツはどんなシチュエーションだろうと、誰が敵だろうと関係ない。それが戦いである以上、万感の殺意を込めて相手に向かう」

「み、ミサさんのこと本気で殺すつもりってことですか!? 仲間なのに」

「今は敵だろ?」

「そういうことじゃなくて……」

「いいじゃないか、それで」


 レイにそう言うと、ヨーコは不敵に笑ってみせる。


「それが戦いである以上、殺すつもりで挑むと言うのは、これ以上なく誠実だと思わないか?」

「そ、そうですかね……?」

「……ま、わからないよな」


 ふと、どこかつまらなさそうな顔をして、ヨーコは視線を、再びモニターに戻した。


「ふうむ……やっぱりイイな、アイツは。初めて会った時から思っていたが、いや予想以上にイイ男だ。あれならひょっとすると……」


 彼女は誰にでもなくそう呟く。

 リリアはそれを見て、ほんの少し、眉を顰めるように動かした。


「ヨーコ」

「何だよ、リリア」

「変なトラブルはごめんだからね」

「……何のことだかな」


 それだけ言って、ヨーコはリリアとの会話を終わらせる。

 不機嫌そうなリリアも、先ほどの会話の意味がわからず混乱するレイも無視して、ヨーコはモニターの二人を注視した。


「殺す気でいけ、ミサ」


 心底楽しそうに、まるで抑えきれないとでも言うように、ヨーコは笑みをこぼして、画面越しのミサに言う。

 レイはそれを見て、驚愕した。

 ポーカーフェイスのヨーコが笑っているところなど、初めて見たから。


「じゃなきゃ、ニッパーは本当に殺すぞ。アイツはそういう奴だ。なんたって、私が初めて見たくらい、イイ男なんだから」


 いつもの冷静なトーンで淡々と、彼女は呟く。

 その表情な声とは真反対で、まるで新しいおもちゃを見つけた、子供のようだった。

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