第4話 好奇心旺盛な神様

 共に暮らしていてわかったが、ワタツミはとにかく好奇心が旺盛である。それこそ最初の二日間ほどはつんけんとした態度であったが、それもフキがワタツミのために料理を始めるとその態度もすぐに崩れ去った。


 これはなんだ、それはなんだと、フキが自身と共につづらに入れられてきた味噌や山菜に興味を示し、作った料理の中でも特に気に入ったのが、空腹が耐えられなくなったフキが自分のために作った味噌を塗って焼いた握り飯であった。


 ワタツミ曰く「熱くていい匂いがして美味い」らしく、海の中で火も通さない冷たい魚や貝ばかりを食べてきたらしいワタツミにとって、火を使った料理というのは衝撃だったらしい。


「ほら、急いで食べるとまた喉につかえますよ」

「んむ、わかってる」


 まったく、どこまでわかっているのやら。

 そう呆れながらも、フキはほほえましく思う眼差しを向けずにはいられない。相手が自分よりもずっと長く生きる神だとわかっていてもだ。頬をぱんぱんに膨らませたその姿が、村の幼い子たちを思い起こさせるからかもしれない。


「あれ、もう食べないんですか?」


 しかしその途中、むしゃむしゃと食べていたワタツミの手がぴたりと止まる。何か気に入らないことでもあったかと皿を見れば、そこには最後に残った三つ目の握り飯。

 ワタツミは握り飯に伸ばした手を引っ込めながら、フキの顔を見下ろす。


「フキは、食べないのか?」

「いえ、私は後で」

「そんなことを言って、いつも冷めた飯を食ってるくせに!」


 存外よく見ている、と思う。確かにワタツミの食事を優先させているし、フキ自身は冷めて残った飯をこそげて食べているというのは事実だ。しかし、そのことに関して別に何を思うこともなかった。


「いいのですよ。あなたは神なのですから。供物と思って食べちゃってください」

「……だがな、人間は食べずにいると死ぬんだろ」

「人間、そんな簡単に死にませんよ」


 それどころかむしろ自分は貰いすぎている、とフキは思う。

 海の底に来てから一日に一度は必ず食事にありつけて、土間に藁を引いて眠ることもなくなった。正確にはいつも通り土間で寝ようとしたところワタツミが怒った、というのが正しいが。


 どんな生活をしていたんだと、ワタツミが海の泡を紡いで織って布にしたという、とろけるような手触りのかけ布団を無理やり受け取らされたことは記憶に新しい。


「私はいただきすぎているくらいです。ですから、どうかそれはあなたが食べてください」


 食事があって、仕事があって、寝床がある。こんな恵まれたことはない。その上暖かい食事など神様からとってしまったらバチが当たりそうだった。


 しかしフキがそう言ってもワタツミはどこか微妙そうな顔で、冷めてしまうからともう一度言うと、渋々といった様子で握り飯に手を伸ばした。


「お前は――いや、いい。これは俺がもらう」

「はい。そうなさってください」

「だがな、フキ。俺に隠れて飯でも抜こうものなら許さないからな」

「しませんよ、そんなこと」


 海は今日も穏やかであった。来たときの荒れようが夢だったかと思うほど、今の海はのんびりと凪いでいる。海の神が落ち着いているからだろう。これ以上わかりやすい機嫌もない。


 しかしフキは気がつかない。彼女が握り飯を断ったその瞬間、ほんの少しだけ波が高くなったことを。


「さて、今日の飯時の話は何にしましょうか」

「あ、あれがいい! あの、うさぎがたぬきをとっちめたあと、亀と競争して海に行くやつ。もう一回聞きたい!」

「……からし味噌が食べたいって言っても作りませんからね」


 手を拭いて自身も畳に座ってから、フキは記憶から物語を引っ張り出す。ワタツミはそれをじっと見つめ、フキの口が開くその瞬間を今か今かと待ち構えていた。


 食事もそうだが、ワタツミは何よりフキの話す物語を聞きたがった。娯楽自体に飢えていたのか「暇だ。何か話せ」と言われ、フキが首をひねって脳みそを絞り、寝る前にかすかに聞こえてきた寝物語を思い出して初めて話したときの反応は、それはもう凄まじいものだった。


 ワタツミは「なんだその話は!?」と眠っていた体勢から飛び起き、驚きに固まったフキの身体をがくんがくんと揺さぶって、おぼろげにしか覚えていない話の続きをねだった。それだけ物語というのはワタツミにとって刺激的なものだったのだ。


「えーむかしむかし、おじいさんとおばあさんとうさぎがくらしているところに、たぬきがやってきて……」


 ワタツミの機嫌を損ねないため、と寝る前や食事時に物語を話すようになったフキだったが、フキ自身も最後まではっきりと物語を聞いたことはないため、話の内容はごちゃまぜ。他の話と混ざったところも多かった。


 けれど、どんな話でもワタツミはときに手を叩いて、ときに腹を抱えて転がった。心の底から楽しむワタツミの姿に、初めこそ義務感からだったものの、フキもだんだんと話すことを楽しむようになってきていた。


「うさぎは秘伝のからし味噌でたぬきに勝利したあと、亀から勝負を挑まれました」


 それは誰かに命じられるまま働いてきたフキにとってふたつめの「自分からしたいこと」だった。

ひとつめは「皆のために海の神を鎮めること」。そしてもうひとつは「ワタツミ様を楽しませること」。


「こうしてうさぎはかめの背に乗り海の城から箱を持ち帰り、その中を開けると大判小判がざくざくと」

「それで、めでたし、めでたし、だな! ふふ、もう覚えたぞ!」

「ワタツミ様は本当にこのお話が好きですね」

「いたずら好きのたぬきをからし味噌を塗った拳で黙らせる場面が面白いからな! ……ああ、それにしてもからし味噌、一体どんな美味さなのか」

「作りませんからね」 


 もう少し、もう少しと話をねだる神を振り切って、フキは食器を洗いに炊事場へと戻る。その顔が来たときに比べ笑みが増えていることを、彼女はまだ気づいていない。

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