第3話 熱々の握り飯を頬張る神
※※※
「……まさか話し相手がほしかっただけだなんて」
海藻を束にして棒に括りつけた箒で、海流に乗ってやってきた大小さまざまな石を御殿の前から掃きだしながら、フキは大きくため息をつく。それに合わせて泡に包まれた身体から細かな泡が海面へと昇っていくのを見届けつつ、フキは掃除の仕事を終わらせた。
「おい、おいフキ!」
「はーい、ただいま参ります!」
色とりどりのサンゴや海面から射す光に影を落とし揺らめく海藻をいつものように少しだけ眺めてから別の仕事に移ろうとしたフキだったが、しかしそこにいつも通り、本日何度目かの呼び声がかかり、フキは炊事場へと向けていた足を急ぎ御殿の大広間へと向けることになった。
「今度はなんですかワタツミ様!」
「いや、この間の続きだ続き。鬼がどうなったかの最後をまだ聞いてない」
「それは寝る前と約束したじゃないですか」
「嫌だ! 俺は、今気になるんだ!」
そして足早に向かえばこの有様で、フキは頭を抱えたくなったし、実際に抱えていた。仕事を止められたから何かと思えば、神がわくわくと目を輝かせてフキが話した寝物語を今か今かと待ち構えているのだ。抱えたくもなる。
子供か、こいつ。
そう思いながらフキは大きくため息をつく。さきほどよりもより大きな泡が御殿の天井へと昇り、ぶつかった。
「言いましたよね、私。仕事の邪魔はしないでくださいと」
「それがなんだ。俺は神だぞ。人間は神のいうことを聞くもんだろ?」
「……わかりました。では焼き味噌の握り飯はいらないということですね」
「そ、それは嫌だ!」
「じゃあ大人しく待っててください」
「それも嫌だ! 人間は寝るまでが長すぎるんだ!」
どうしろっていうんだ。そう思いフキは呆れ顔を向けるが、ワタツミは決して引かず、仕方なくいつも通りに駄々をこねる神を引きずってフキは仕事に戻る。これが日常になりつつあった。
※※※
この神が生贄を欲しているわけではない、ということがわかったのはフキが来てからすぐのことだった。
さあどうする気だと覚悟を決めて詰め寄ったフキに、海の神は視線を逸らしながら言ったのだ。
「俺はただ単に、話す相手がほしかっただけだ」
もちろんフキは唖然とした。生贄の血や肉が欲しいからでなく、ただ会話をする相手が欲しかっただけでここまで大規模なことをしたのかと。
「……は? それだけの、理由で?」
「海の中に話せる相手がいると思うか?」
「だからってそんな、海を荒らさなくても」
怒りがないわけではなかった。漁村にとって海は命である。村の人間の生活のため、商売のために必要不可欠だ。フキのいた海風村でも海で取れる魚や貝は生活に欠かせないものだった。
質の良いものは行商人に売るための商品のために干物にしたり、客人のための料理にしたり。小さすぎたり大きすぎたりするものは、日々の糧として村人の口に。
口に入る機会こそ少なかったものの、フキもその大切さは重々承知していた。だからこそ、話し相手が欲しいというだけで海をあんなにも荒らしたワタツミのやり方に思うところがないわけではなかった。
「だってそうでもしないと、お前らは忘れてしまうだろう?」
けれど、その後に続いたワタツミの寂しげな「忘れる」という言葉で納得してしまったのだ。何故この神がここまでしたのかを。
「そう、でしょうか」
「そうだ! お前ら人間ってやつはちょっと何もしないでいるとすぐ俺がいるってのを忘れて!」
忘れていたかもしれない、とフキは思う。もし今回の夢のお告げがあった後でも海に何も異変がなかったとしたら、たぬきやきつねのいたずらとして片づけられていた可能性だってある。
村の人間は海が荒れていたからこそワタツミのことを思い出し、夢と神とを結びつけたのだ。もし何もしなかったとして、村の人間が行動したかと問われれば、絶対とは言えなかった。
それに、孤独というのは耐えがたいものであると、物心ついたころに拾われたフキは良く知っている。
※※※
「昔は結構、お前みたいに神と話せる人間がいた。しかし、封じられてる間に全部いなくなってしまったらしい」
「封じられたって、神様が?」
「俺は気分屋がすぎるんだと。まったく、
「天津神……ワタツミ様とは別の神でしょうか」
「天上に住まう、お高くとまった神々のことだ。まったく、腹立たしい」
気に入ったらしい握り飯の味噌が焼ける匂いに鼻を鳴らしながらワタツミは言う。海の中でも村と同じように煮炊きすることができるのはワタツミのおかげだった。
聞けば神の力とやらを使い、泡で炊事場やフキ自体を包んでいるらしく、そのおかげでフキも海の中で溺れず濡れずで、すんでいるのだとか。
フキはワタツミが用意した青い炎を絶やさないようにしながら、焦げ付けないように網の上で握り飯をひっくり返す。握り飯のふちにいい感じの焦げ目がつき、香ばしい匂いが漂い始めた。
「気分屋で封じられるって、一体何をしでかしたんですか」
「何だ。フキまで天津神の味方か」
「味方、とまではいきませんが、やりかねないとは思ってます」
焼き上がった握り飯を白い貝殻の皿に盛り付け、部屋から炊事場に下りる段差でぐだぐだとしているワタツミのところまで持っていく。皿を置けばワタツミは目をキラキラと輝かせて飛び起きた。
恐らく、今日は豊漁になるだろうと考えながらフキは握り飯を勧める。
「はい、できましたよ」
「握り飯っ!」
熱いから、と毎度フキが止めるのも聞かず、ワタツミは毎度懲りずに焼きたての味噌を塗った焼き握り飯で火傷をする。神なのでそんなものはすぐには治ってしまうのだが、そのせいか、いつまでたっても熱いものに気を付けるという発想に至らないようだった。
今日もワタツミは大きな両手でガシっと握り飯を掴むと、あちあちとお手玉のように宙に放っている。
「ほら、熱いから少し待つようにっていつも言っているじゃないですか」
「フキの握り飯は熱い方が美味いんだ。だから仕方ないだろう」
困ったことにフキがどれだけ呆れた顔を向けてもこの調子なのだ。しかしそれ以上に困ったのは、急いでかぶりつこうとするその姿がフキ自身、別に迷惑でも嫌でもないということであった。
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