第12話 ア~ン?

「……とにかく、夕方にそこで待ってるから」


 ミカエルは、エドからメモを取り上げて私の手に押し付けると、早口で言って立ち去った。


「あ……、ちょっと」


 メモを見ると……やっぱり書いてあった住所はあそこ、以前私も行ったことがある長屋の一室だった。

 一応、うちのお父様の持ち物のままの長屋で、最初は住まいからアンを追い出すと騒いでいたけれど、もう無関係でいたいからそんなことはしないでとお願いしたら、渋々了承してくれたのだ。


 隠す必要もなくなった今は、きっとミカエルとアンの愛の巣になっているのだろう。


「この住所、家かよ」

「ああ……そうだね。ミカエルの彼女さんの家だよ」

「じゃ、浮気現場に乗り込んだって、そこか!」

「よく覚えてるね。そう、その家よ。全く、あんなことがあった場所に、よく私を呼び出せるもんだわ」

「……どこまで見たんだ」

「うん?」


 エドは真剣な表情で私に詰め寄る。


 いや、周りの生徒達が聞き耳立てている中で話すこと?


「浮気現場にも色々あるだろ。その……抱き合っているだけとか、それ以上とか……だな」


 エドに手招きしてしゃがんでもらう。


 全く!それこそ一ヶ月単位でぐんぐんバカ高くなって、見た目だけは大人みたいなのに、キスやセックスも口に出せずに口ごもるようなお子様なんだから。


「二人共素っ裸でやることやってました」


 一応ね、私も今のところはまだ貴族の子女だからさ、直接的な表現は控えるよ。控えてこれか……とは思わないでもらいたい。


「すっぱ……」


 私はエドの口を押さえる。


「ちょっと、さっきのことも含めて、向こうで話そうか。購買でサンドイッチでも買って、中庭行こう」


 エドは、素直に私についてくる。そんな私達のことをみんな目で追っていたけれど、さすがについてきてまで盗み聞きする生徒はいなかった。


 私とエドは、購買でサンドイッチとお茶を買い、中庭の奥のベンチに向かった。

 ここは、エドと初めて会ったベンチだ。他の出来事は、思い出すと腹立たしいから忘れておこう。


 私はベンチに座る前に、後ろの木を見上げる。さすがに、誰も木には登っていなかった。エドの今の体重で木登りしたら、枝が折れてしまうかもしれないなと、エドに初めて会った日を思い出して、少し前のことなのにしみじみしてしまう。


「最近も、木登りするの?」 

「今はそんな暇はない」

「暇があればするつもり?今の体重じゃ、枝が折れるんじゃないの?」

「そんなにヤワじゃないさ。登ってみるか?」

「ううん、今日は時間ないから止めとこうか」


 やっぱり、木登り自慢しちゃうところはまだまだ子供だよね。


 ベンチに座る時、エドがベンチに制服の上着を脱いで置いた。


「制服、汚れるよ」

「ハンカチ持ち歩かないからな。とりあえずこれに座っとけ」

「……ありがと」


 子供だと思っていたエドの大人な気遣いに触れ、必要以上にドキッと胸が高鳴った。


 いやいや、ハンカチ持ち歩かないところが子供よ、子供!


 私は乱暴にエドの制服の上に座った。


「ところで!なんで勝手に婚約者とか言ったの。みんな聞いてたわよ」

「兄様と噂になるなら、俺で良くないか?俺のがマシなんだろ」


 そう!まずは婚約者発言について聞かないと……と思って詰め寄ったら、エドはサンドイッチの袋を開けて私に差し出すと、自分もむしゃむしゃ食べながら言った。


「噂ってのはね、嘘か本当かわからないことを他人が話すから噂なの。本人が話したら、それは真実になっちゃうじゃないの」

「あぁ……まぁ、いいんじゃないか」

「はあ?あんた、自分が王族だって自覚あるの?」

「おまえが、俺のことを王族だって思ってるくらいの自覚ならあるな」

「なら、ほとんどないじゃない!」

「おまえ、本当、失礼な奴だな。ほら、食わないと授業始まるぞ。それとも、それも食っていいか?」

「止めてよ、授業中にお腹鳴るでしょ」

「じゃあ、ほら」


 エドがニッと笑って、サンドイッチを私の口元に持ってきた。口に当たったから反射的に口を開ける。


 モグモグ……食べちゃったじゃない。手にもサンドイッチ持っているのに。購買のサンドイッチは大きいから、私には一つで十分なのだ。


「ハハッ、ハムスターみたいだな」

「あんたが突っ込み過ぎるからでしょ」


 いつもは、意地悪気にニヤッとしたり、ムスッとしていることが多いエドだが、ほんのたまに、二人の時にだけ見せるこのクシャッとした笑顔、私的にはプライスレス!


 口では文句を言いながらも、エドの笑顔を堪能する。


「ほら、あんたも食べなさいって」


 自分ばかり食べさせられるのも恥ずかしく、私が持っていたサンドイッチをエドの口元に押しつけると、エドは信じられない速度でパクパクと食べた。ついでに私の指までしゃぶる始末。


「あ、あんたね!私の指はパンじゃないわよ!」

「どうりで味がないと思った」


 ペロリと指を舐められ、私はエドのシャツに指を擦り付けようとする。


「おまッ!唾がつくだろ。きたねーな!」

「あんたの唾でしょ!自分のなら汚くないでしょ。ほら、拭かせなさいよ」

「止めろ、馬鹿!」

「馬鹿はあんたよ!」


 いつも通りの喧嘩口調だが、この関係が居心地が良い。しばらくギャーギャーやっていたが、話が進んでいないことに気がついて、いったんクールダウンすることにした。


「ちょっと落ち着こう」

「おまえがな」

「あんたもよ。で、さっきのはどういう意味?」

「さっきのって?」

「私との婚約が真実になっちゃうって言ったら、いいんじゃないかって言ったやつよ」

「そのまんまだけど」

「あのさ……、王族の婚約はどうでもいいじゃ駄目だと思うよ。それ以前に、婚約って結婚の前にするやつだよ?わかってる?うちみたいに問題が起こらなかったら、そのまんまの流れで結婚しちゃうんだよ?結婚だよ?」


 エドは、チッと舌を鳴らす。王族が舌打ちって、下品だからやめた方が良いよ。クリストファー様の舌打ちなんか聞いたことないからね。


「わかってるよ。誰もどうでもいいなんて言ってねぇだろ。問題はないって意味だ」

「え?エドは私との結婚生活とか考えられるの?」


 エドとの結婚生活。……なんか、ギャンギャンといつも喧嘩ップルな夫婦になりそう。気は使わなそうだけれど、色っぽい雰囲気とか……想像できなくもないか。

 真面目な時の顔も知っているし、あんなんで迫られたら……。


 私の頬がボッと赤くなる。


「よし!おまえは俺との結婚生活考えられるみたいだな」

「いやいや、なにも想像してないし!バッカじゃないの!」


 エドがいつもの意地の悪いニヤニヤ笑いを浮かべる。


「俺は全然余裕だ。なんなら、試してみるか?」

「アホ!バカ!スケベ!だいたいね、私と婚約なんか無理に決まってるでしょ。一回婚約破棄された傷物なんだから」

「傷なんかないだろ」


 真面目な顔になったエドが、グッと距離を詰めてくる。


「ないけど!他の人はそう思わないのよ」


 エドは私の腕を引っ張り、ギュッと抱きしめてきた。


「正直、他人はどうでもいい。アンネと一緒にいると楽しいし、勉強もやる気になる。兄様達と比べてどうせできないって思っていたのが、アンネがいればできる気がする。自信がもてるんだ。クリス兄様にも負けたくない。渡したくないって思ったのは、アンネが初めてなんだ。本気で、婚約したいと思ってる」


 ええッ?!

 ちょっとパニックだ。


 エドって小説では、アンネローズ(本物)に惹かれるけれど、どうせ自分は嫌われていて、クリストファー様とアンネローズ(本物)の間には入れないって、勝手に負け宣言してフェードアウトしていくモブキャラだよね。

 こんなにガツガツ来るタイプじゃなかったよね?


 しかも、私は偽物の方だよ?


 ここで仮に私がOKしたとしよう。まだ小説は序盤も序盤。ヒロインは学園に登場すらしていない。


 もし、本物が現れたら?

 なんか、いきなり血の気が引いた。


 家から追い出されて、貴族の暮らしができなくなるとしても、私の記憶にあるアンネローズみたいに投げやりにならず、無理力に死に向かうのではなく、なんとか生きる道を見つけようと、この一年、がむしゃらに勉強した。メアリーに家事の仕方を習いもした。

 今ならば、いつでも来い状態で準備万端だ。実は、隠し資産なんてものまで用意している。平民の暮らしならば、数年……いや十数年は働かなくても生きていけるくらいの宝石を、地道に着なくなったドレスから剥がして貯めてあるのだ。

 チマチマとドレスの解体をしながら、貴族って無駄が多いなってつくづく思ったよ。ちなみに、布地の方もメアリーに売りに行ってもらい、そこそこの額になっている。


 あ……話がズレた。


 家族に捨てられるってわかっても、なにくそって頑張れた私が、エドがアンネローズ(本物)に惹かれて私を捨てるんだって思ったら、あのプライスレスな笑顔を彼女に向けるんだって思ったら……血の気が引いた。


 アンネローズが感じただろうあの絶望感、あれはこんな感じだっのかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る