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 ***



「端的に言うと、王は今不在だ」

「不在?」

 回廊に出ると、外は既にうす暗くなりつつあった。庭園の緑は濃い影を纏い、さやさやと風に梢を揺らしている。

 アンナはヨミの後ろについて歩く。

 黒々とした回廊を滑るように歩くヨミの所作は、まるで訓練された舞踏家のようである。足音がほとんどしない。板張りの床は少し体重が偏るだけできいきいと鳴くものだが、体重のかけ方が巧いのであろう。

「お前、冥界のことはどれだけ知識として入っている?」

「ええと」

 この冥界に放り込まれてオウミから聞いた話をかいつまんで話す。

 曰く、冥界には神籍と平籍がいること。生前の行いで亡者はどちらかに振り分けられ、転生した状態で冥界に生まれてくること。稀人は寿命が残っている者の呼び名で、冥界で死を迎えてから改めて転生すること。

「優秀だな」

 ヨミは満足げに頷く。

「役目で何度か他の稀人に会ったことがある。皆が、お前ほど物分かりが良ければやりやすかっただろうな」

「お褒めに預かりまして」

 アンナは軽く会釈をすることで答える。

「では、王族についてはどうだ?」

「冥界の支配者だ、とは聞いたけど……」

 そういえば、具体的なことは聞けていなかった。

 ヨミは鷹揚に頷く。

「王族は、冥界の支配者。それは間違いない。しかし、もう少し実情に近づけると、冥界の管理者だな」

「管理者……?」

 うす暗くなっていく回廊に、ぽっと明かりが灯り始める。どういう仕組みだかは分からないが、暗くなると自動で灯りがつく仕様になっているようである。こんなところは生前の環境に近しいものがあり、なんとなく面白い、とアンナは思った。

「王族は基本的には不老だ」

「不老……って、んん? つまり歳をとらないってこと?」

「そうだ。神代の頃から冥界を預かり、冥界の仕組みを管理監督する。普遍的な役目を果たすために長期間生きる必要があった。だから基本的には歳をとらないし、寿命で死ぬこともない」

 ヨミはそこで一度言葉を区切った。

「だがしかし、不死というわけではない。病気や怪我、事故など、体そのものが傷つく場合は死ぬこともある」

「あーっと、ちょっと待って。混乱してきた」

 ごちゃつく頭を一度振って、アンナは目の前の男の背に声を投げかけた。

「あの、純粋な疑問なんだけど」

「なんだ」

「この冥界にも、死って概念はあるんだよね」

「無論」

 答えはいたってそっけない。

「稀人が死んだときは、転生して冥界に生まれ変わるんでしょ。それじゃあ、そもそも冥界に住んでいる人が死んだときは、どうなるの?」

「冥界に住まう者が死ぬと、次は現世に転生する」

「現世に!?」

 なるほど。つまり命が現世と冥界の間でぐるぐると循環している、ということか。

「でも、王族は基本的には不老なんだよね。体を傷つけたり病気にかかったりしなければずっと生きているっていうことだよね」

「ああ」

「それじゃあ王族はなかなか死なないんじゃないの?」

 何の気なしに発した言葉であった。しかし、ヨミはその問いにはすぐに答えない。

 どうやら回廊の一番奥まで来たようである。黒々と磨き込まれた廊下の奥にひと際立派な両開きの扉がでんと鎮座ましましていた。

 門扉は廊下と同じ黒に塗られている。その黒が灯りに照らされてきらきらと輝いていることから、塗料に金粉が混ぜられているのだと推測する。金の枠で縁取りされた扉は重厚かつ荘厳な佇まいで、明らかにここから先は違う空間であると言わんばかりである。

 ヨミはその扉の前で一度立ち止まると、素早く左右に視線を巡らせた。その警戒心のある動きに、アンナは身を固くする。

「お前の言う通り、王族は基本的には死なない」

 声を潜めて、ヨミは囁く。

「しかし、ここ最近、それが破られた」

「えっ……」

「今この冥界は混乱状態にある。これから話す内容は一般の神籍や平籍には伝えていない内容だ。それでもお前に話すのは、お前の協力が必要だからだ」

 重々しい前置きに、アンナは自然と居住まいを正した。ヨミの黒い瞳が鋭くアンナに突き刺さる。

「先日まで冥界の頂点に立っていた男がいる。その男の名はナギ、という。そのナギが死んだ」

「死んだ……? なんで?」

「毒を盛られた」

 アンナは息を呑んだ。

「更に。平籍の中に反乱の芽があるようなのだ。今まで何度か王族や有職の神籍が命を狙われたことがあったが……」

 ヨミはそこで一度言葉を区切る。

「そのことで皇后ザナは心を病み、療養中だ。そして次期王になる予定であったテラは、現在行方不明になっている」

 その時のアンナは――役者にあるまじきことだが――自分がどんな表情をしているか、全く分からなかった。

(つまり……ええと)

 先王ナギが毒殺され、皇后ザナは心を病んでしまっている。そして、次の王テラは行方不明……。

「ぐっちゃぐちゃじゃん!」

「だからそう言っているだろう。今、冥界は未曽有の危機に陥っているのだ」

 ヨミは心底困惑しているように溜息を吐いた。

「ナギ王の死の真相についても調査を進めなければならないが、最も大切なのは次期王テラを探し出すことにある」

 ヨミはアンナの目をまっすぐ見つめている。その黒い瞳に浮かんだ真摯な光は、真にこのことを憂いているように見えた。

「王の最初にして最後と言ってもいい重要な役目がある。それは、冥界の仕組みを作ることだ」

「冥界の仕組み?」

「勅命を持って冥界の仕組みを組み替える。その唯一の機会が代替わりのときなのだ。実際、神籍、平籍、稀人などを細かく制定した今の冥界は、ナギ王が即位した際に作り上げた仕組みだ」

 スケールの大きい話に、アンナは目を丸くする。

「この勅命をもってして、冥界の行く先が決まると言ってもいい。次期王テラにはそのお役目を果たしてもらわなければならなかった。しかし……」

 所在が知れないのであれば、王座につけようがない。

「俺はなんとしても次期王テラを探し出し、王座につけねばならん。しかし、現時点で王が不在であることは隠しておきたいのだ。平籍も神籍も、すでに先王ナギが亡くなっていることに気づき始めている。即位の儀を執り行い、正式に王を立てておかねば、不穏分子がこの混乱に乗じて何をするか分かったものではない」

 黒い瞳に決意の炎を宿しながら、ヨミはアンナの手を取った。

「その度胸。そして機転の利く頭脳。何より、誰にも違和を感じさせず、奥宮まで入り込めたその実力。それを俺は評価している。だから、これは取引だ」

 鋭い目が、アンナを射抜く。

「俺が次期王を探している間、王の身代わりを演じてほしい」

 アンナは目を見張った。

「王の……身代わり……?」

「幸いなことに、テラはほとんど宮の奥からは出ない生活を送っていた。その者が男か、女か、どういう容姿をしているのか。それらを知っているのは一部の者のみとなる。入れ替わるにあたって姿かたちを懸念することはない」

 ヨミはそこで一度言葉を区切る。

「もう一度言う。これは取引だ。無事に王が見つかり、次期王の座に据えられたらその時は、お前の望みをなんでもひとつかなえてやろう」


 信じられない、とアンナは目を見開いた。


 ここまで、自分が無茶をやっている自覚はあった。王に会えるかも分からない。生き返れるかも分からない。しかし、やらないよりはやった方が数倍ましだ、という信念に従ってここまで来たのである。

「勿論、危ない目にあうこともあろう。お前の護衛は俺が管理監督し、滞りなく行う所存ではあるが……ナギ王の例もある。無理にとは言わない」

 一筋の光がアンナの脳裏を照らす。暗転の中、舞台上で見上げたスポットライトの輝きにも似た、希望の光だ。

「なんでも……?」

「ああ」

「本当に? 約束してくれる?」

「二言はない」

 じわり、と涙が滲みそうになるのを、アンナはぐっとこらえた。

「私は生き返りたい。もとの現世に戻りたい。それでもちゃんと叶えてくれるの?」

「くどいぞ」

 ヨミは手をそっと離すと、そのままアンナの頬に触れる。冷たい指先の感触にアンナはびくりと体を震わせた。

「約束しよう。お前が王の身代わりを演じきったその際は、必ずお前を生き返らせると、ここに誓おう」

 アンナは拳を握りしめた。

(そんなの、答えはひとつしかないじゃない!)

 確かに、危険な目にあうかもしれない。しかし、この賭けに乗って仮に命を落としたとしても、乗らずに冥界で過ごしたときと同じ結果になるのは明白。それならば、少しでも可能性がある選択肢を選ぶべきだ。

 目に力を入れて、背筋を伸ばす。ヨミの鋭い瞳を真正面から見返しながら、アンナは高らかに宣言したのである。

「分かった。王の身代わり。しっかり演じさせていただきます!」

 ふわり、とヨミの瞳が和らぐ。思いもかけないやわらかな笑顔に、失ったはずの鼓動が少しだけ早くなったような気がした。


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