コスプレ時代

兎ワンコ

本編

「多田野くん、いつになったら君はやりたいことが決まるんだ」


 上司の困り顔に連鎖するように多田野郁人ただのいくとも困った。


「入社してもう三年。君の業務成績はとても良い。勤務態度だってぜんぜん悪くはないし、社員とのトラブルもなく、いたって真面目だ」

「はあ」

「だけどね、困るんだよ。そんな恰好で来られちゃあ」


 多田野郁人は胸元を見下ろした。ネクタイに皺ひとつもない背広にスラックス。ビジネスマナーの手本のような恰好だ。

 対する上司の畠山はたけやまは、四十年前に流行った特撮ドラマ『よろしく! 俺たちメカ忍者!』に登場するメカ忍者のリーダー・鈴木カゲトラの恰好をしていた。ネクタイに忍び装束。おまけに頭にはメカ忍者の印が刻まれた額当てを乗っけている。五十という歳をすぎ、部長という役職を得てもなお、子どもの時分からの憧れが忘れられないのだろう。その出で立ちは、まるで脱サラして開業したラーメン屋の店主のよう。


「新人の区間はもうすぎたんだよ。そろそろ、ちゃんとした格好で来てね」

「はい、申し訳ありませんでした」


 腑に落ちないまま郁人は自分のデスクへと戻る。

 

「お前も不運だな、多田野」と、隣のデスクの松山に声をかけられた。

「はあ」

「社長がまさか個人の価値観を重視する人とはな。今じゃお前のビジネスマナーも、死んだ文化だよ」


 松山は去年流行ったハリウッドのダークヒーロー映画『ドレイナー』に登場する悪役・アーバン伯爵の格好をしていた。燕尾服の襟を立てて、ドクロが散りばめられたネクタイをキュっと締めている。おまけに髪はヘドロのような緑色。

 世界は様々な価値観を認め続け、ここN国では『特定の業務を除く労働者の服装は自由なものとする』という珍妙な法案が可決され、大企業を筆頭に人々に推進した。法案が可決されてから約一年。いまやスーツを着ている者は少ない。


「郁人、お前も着替えちまえよ。ほら、前に話してた『ドレイナー』のアーバン伯爵の部下の切り裂きジョッカーなんてどうだ?」


 郁人は以前に見せてもらった画像を思い返す。仮面を被った怪人などまっぴらごめんだ。

 居心地の悪さを覚え、郁人はオフィスを抜け出して休憩所へと駆け込んだ。

 休憩所の自販機で缶コーヒーを買い、ベンチに腰をかける。


「仕事はしっかりやっているんだ。せめて、そこだけで評価してくれよ」


 誰ともなく吐き捨てる。着ているスーツはオーダーメイドで、初めてのボーナスで購入したもの。あまりにも気に入っているので、二着購入して着まわしするくらい。なぜ、これがいけないのか? 疑問と不満は尽きないが、缶の中のコーヒーに無理やり投げ込んで飲み干した。


「おや、これはこれは」


 顔をあげれば、緑色のツナギを着た初老の男。このオフィスビルの清掃業者で、いつも気さくな挨拶をしてくる橋本という男だ。


「まだ業務中じゃないのかい? どうしたんだい、上司にでも怒られたのかい」


 カッカッカと笑い飛ばしてくる。橋本のまさにいうとおりであり、郁人も「そんなところです」とぎこちなく笑ってみせる。郁人はいった。


「橋本さんはいいですね。着ている服にとやかく言われることがないですから。僕はこのスーツを着ているだけなのに、上司に怒られちゃいましたよ」

「なに、俺たちは仕方なくこの服を着ているんですぜ。仕事が終わったら『流星のゴースト』の主人公・星野レイの衣装で帰るんだ」


 郁人はまたも肩を落とす。『流星のゴースト』は郁人の父親世代のテレビアニメだ。老いぼれた清掃員はそれから如何に星野レイという架空の人物の偉大さやエピソードを熱く語ったが、郁人はこれっぽっちも共感はしなかった。


 ◇


 帰宅する電車の中で、学生服の子供たちが大人になったときになんのコスプレをするかで議論していた。つり革に身体を預け、スマホの画像を差し向けて先の橋本のように熱弁している。会社での叱責が尾を引いていた郁人は、その光景がどこか羨ましくもあり、耳障りでもあった。自分があの年頃のときはそんなこと、考えもしなかったなぁと俯瞰までした。


(俺が子どものときは、なりたいものより、やりたいことばかりであったな)


 物思いに耽りながら目を上にやる。ドアの上部に設置されたモニターにはニュースが流れていた。『D市議員の偉井仁子氏がU国王子と対談』というテロップ。

 映像に切り替わり、なんとも厳正な面会室に初老の女性議員が現れる。すると、満面の笑みを浮かべ、SF映画で見るような灰色の軍服衣装を着た王子が颯爽とやってきて握手を交わす。王子の腰にはおもちゃのビームソードが刺さっている始末。まるで、映画の試写会イベントのようだ。

 ニュースが終わる頃には目的の駅に着き、郁人は駅のホームに降り立った。するとどうだろう、視線の先に数人の駅員に羽交締めにされている裸の男がいた。


「違う、これは『さすらいの保安官』の主人公のマッパ・ライダーのコスプレなんだ! 断じて変質者ではないんだっ!」


 必死に弁明する男の腰にはガンベルトが巻かれており、ホームの端にはカウボーイハットが転がっている。確かにそんなヒーローがいた気がする。だが、それにしては貧相な体格だ。

 けっきょく男は駅員に抱えられ、駅員室へと引きずられて行ってしまった。


「まったく、今どきの若いもんは」と隣の中年の男が呟く。男は幼児たちに流行っているアニメ『ベジタブル! お野菜ごようだ!』に登場する人参婦人・キャロット姫の恰好をしていた。フリルのついた淡いピンクのスカートから伸びるすね毛だらけの足に、郁人は寒気を覚えた。


「ちゃんと礼節を分け前ないといかんよな、君?」と郁人に同意を求めてくる。郁人は返事もせず、脱兎の如く改札を抜けた。


「なんだって、みんなして恥ずかしげもなく架空のキャラにコスプレなんかするんだ。少し前までの統一ファッション時代はどうしたんだ」と独り言ちて改札を抜ける。

 見渡せば、どこもかしこも奇抜で珍妙な格好の連中ばかり。中世の女性貴族をモチーフにしたドレスにビジネス鞄を持った女や、身体のラインがわかるタイトなヒーロースーツのハゲ頭の中年。現実味のない、どこか疎外感すら覚える光景の中に放り込まれ、郁人の気持ちはだいぶ沈んだ。


(俺がおかしいのか、みんながおかしいのか)


 いや、きっと、俺がおかしいのだろうと郁人は思う。そう思うようにした。

 しかし、胸の気分の悪さは解消されるでもなく、足取りはひどく重い。人の多い繁華街を避け、普段は通らない下町の路地をフラフラと歩き始めた。

 だが、歩いたこともない下町の路地というのは迷路のようなもので、右に行けるかと進めば進めず、こっちならば戻れるだろうと入った細い裏路地は行き止まりだったりと散々であった。

 苛立ちと疲れが溢れ、誰かに当たりたいものだが、結局思い浮かぶのは自分の顔ばかり。それが余計に郁人を疲れさせた。

 やがて、ベンチと自販機の置かれた古びたタバコ屋を見つけ、郁人は冷たいお茶を買い、ベンチに腰かけて一休みしたのだ。するとどこからか腰の曲がった老婆が現れ、珍しく声を掛けられた。


「あら、あなたは普通な格好をしてるのね」


 老婆の言葉に郁人は複雑な気持ちであった。この恰好が変なのか。それとも、皆の恰好がやはりおかしいのか。割烹着に便所サンダル姿の老婆を見て、おそらくは後者だろう。郁人はいう。


「えぇ。僕はこの恰好が好きなんで。ところで、おばあさんはコスプレをしたりするんですか?」

「こすぷれ?」と要領を得ない返事。「なあに、こすぷれって?」


「えーと……コスプレっていうのは、なにかを真似するんです。映画の主人公だったり、アニメやゲームのヒーローであったり。悪役でもなんでもいい。みんな、違う誰かの恰好をするんです」

「はあ。劇みたいに、役を演じるってことかしら?」


 要領を得ないもどかしさに「まあ、そんなとこです」と適当な相槌を打った。仮装という言葉があったと郁人は後悔したが、そんなことはどうでもよかった。

 老婆は「はぁ。そりゃあ時代が変わったねぇ」といい、

「私はね、小さい頃から色んな役を演じたものよ。上京したての田舎の娘をやって、それから飲み屋の看板娘。初心な恋人もやったし、不安と期待で胸が苦しかった花嫁だってやったわ」


 感慨深げに語る。老人の戯言にすぎないと思うが、無碍にするわけにもいかず、郁人は黙って耳を傾け続けた。


「それから母親もやったわ。子どもは二人。やんちゃな男の子でいうことを聞いてくれなくって手を焼いたわ。母親っていうのは大変でね、いくら可愛いからって、甘やかすと図に乗るもんだから、心を鬼にして叱りつけなければいけない。不貞腐れたり、反抗してきても、グッと堪えてご飯を作ってあげてねぇ……。孫が生まれれば、孫の世話もしてあげたわ。お嫁さんにお節介だと思うけども、家事も教えてあげた。先生になったり、保母さんみたいなことよねぇ。そんな孫も、いまじゃああなたくらいの歳になったわ」


 老婆は照れくさそうに笑う。


「もうこの歳になって、なにか役を演じろ、なんていうなら、こんなおばあちゃんだけで十分よ。だから、コスプレなんてしないわ」

「そうですか」


 老婆の誤解を解くことはせず、郁人は微笑んだ。傾きかけた夕日なんかより綺麗な瞳をしている老婆にそれは無粋だと思ったからだ。

 お茶を飲み干し、空になったペットボトルをゴミ箱にいれると「それじゃあ」と一礼して郁人は立ち上がった。


「あら、もういくの」

「えぇ。なにしろ、僕もやるべきことがあるので」


 相変わらず家路に向かう道がわからぬ小路で、郁人は勘を頼りに歩いた。その足取りは、さきほどと比べてどこか力強いものだ。


 ◇


 翌日。

 郁人はいつもどおり、お気に入りのスーツにネクタイを締めて出社した。周囲を見回して見ても、スーツを着ているのは自分だけ。

 とうぜん、朝礼が終わるなり郁人は畠山のデスクの前に呼び出された。


「多田野くん、昨日いったはずなんだが……」

「部長、違います」

「なに?」

「これは多田野郁人というコスプレなんです」

「はぁ」

「多田野郁人は、D市の片隅でサラリーマンをやっているヒーローで、冴えない見た目ですが、いずれ皆を引っ張り、笑顔にするヒーローなんです」

「なにを言ってるのかね。君こそが多田野郁人じゃないか。意味のわからない――」

「その通りです。僕、多田野郁人は、‟多田野郁人”という恰好をしているんです。これこそ、立派なコスプレです」


 郁人はハキハキと、曇りのない瞳で言い切った。理解し難いと、部長は小言をブツブツいった後、郁人を返した。

 席に戻れば、松山が「よぉ」と気さくに声を掛ける。


「なんだよ、ヒーロー”多田野郁人”って」と嘲笑する松山。「そんなヒーロー、どこにいるんだよ」

「あぁ」と郁人。

「目の前にいるじゃないか」

 歯を見せつけて、ニッコリと笑って見せる。

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