第31話 自称日本一面白いタレント

 まさかのキャッチコピーにしばらく放心状態だった五十嵐だったが、やがて「それ、本決まりなんですか?」と、うつろな目で訊ねた。


「ええ。ここで注目してもらいたいのは、『自称』と付いているところです。『日本一面白いタレント』だけだと、視聴者から反感を買う恐れがありますが、その前に自称を付けることによって、それらを緩和させる効果があります。なので、どうか心配しないでください」


「別に心配はしていませんが、素人同然の中年男のキャッチコピーとしては、大げさ過ぎませんか?」


「いえ、そんなことはありません。キャッチコピーというものは、とにかくインパクトが大切ですから」


「それはそうでしょうけど、ぽっと出の私としては、ハードルが高過ぎる気がするのですが……」


「そんな弱気にならないでください。五十嵐さんの能力なら、必ず乗り越えられますよ」


 そう言いながら強い眼差しを向けてくる山中に、五十嵐は観念したように「分かりました。有難くそのキャッチコピーを頂戴いたします」と返した。


「それでこそ五十嵐さんです。では明日の午前十時に事務所に来てください」


 山中はすっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干すと、契約書の入ったカバンを大事そうに持ちながら、意気揚々と出ていった。


(ああは言ったが、本当にこれでよかったのか? たしかキャッチコピーって、一生そのタレントに付いて回るんだよな……)


 一度はOKしたものの、そのことを早くも後悔し始めている五十嵐だった。





 翌日、五十嵐は山中プロダクションの社長室を訪れるなり、「キャッチフレーズのことですが、冷静に考えるとやはり私には荷が重過ぎます」と訴えた。


「このキャッチフレーズは誰もが付けられる訳ではありません。私は五十嵐さんがそれにふさわしいと思ったから付けたんです。なので、もう一度考え直してもらえませんか?」


「社長が私のことを高く評価してくれているのは嬉しいのですが、はっきり言って私はまだそこまで自信を持てません」


「正直に言うと、私はこのキャッチフレーズが大げさだとは思っていません。五十嵐さんはいずれ、このキャッチフレーズから自称の部分を取った『日本一面白いタレント』になれる素材だと思っています」 


「それは買い被り過ぎですよ。私にそこまでの力はありません」


「始める前から、どうしてそう決めつけるんですか? 実際にやってみないと分からないでしょ?」


「それはそうですが、芸能界には面白い人がたくさんいるじゃないですか」


「例えば?」


「代表的な人たちだと、お笑いビッグスリーと言われる、夕森ゆうもりさん、ブートこけしさん、おかしなサンタさんです」


「私は五十嵐さんのことを、その三人を超える逸材だと思っています」


「いやいや、過大評価もそこまでいくと笑えませんよ」


「いえ。これは決して過大評価ではありません。それでは今から担当マネージャーの小川を紹介しますので、そのまま待っていてください」


 山中は携帯電話で小川を呼び出すと、早速五十嵐に紹介した。


「こちらが今日から五十嵐さんの担当となる小川です。年齢は25歳と、まだ若いのですが、勉強熱心でいろんなことを知っているのが彼女の強みです。それでは小川さん、本人の口から自己紹介してください」


「分かりました。初めまして、小川のぞみです。動画を拝見して、私も五十嵐さんのファンになりました。動画と同じように、これからテレビの世界も席巻しましょう。僭越せんえつながら、私もそのお手伝いをさせていただきます」


 黒髪ショートの風貌とハキハキとした喋り方から、五十嵐は望が敏腕マネージャーと呼ばれていることを、即座に合点した。


「初めまして、五十嵐幸助です。テレビはまだ一度も出たことのない私が、席巻などできるのでしょうか?」


「もちろんできます。ただし、私の考えた戦略を実行すればですけどね」


「戦略?」


「はい。五十嵐さんの最初の仕事として、まずは私の指定する週刊誌のインタビューに答えてもらいます。この週刊誌は読者の年齢層が割と高めなので、五十嵐さんの感じたことを素直に話せば、読者に受け入れられると思います。その後は様々なバラエティ番組に出て、バラエティがどんなものかを勉強し、最終的にはМCを任せられるようなタレントになってもらうのが目標ですね」


「なるほど。最終的な目標は私と同じですね。あと、これは話半分に聞いてほしいのですが、歌や芝居に挑戦することは可能でしょうか?」


「なんだ、五十嵐さんは、そういうのにも興味があるんですか?」


 横で聞いていた山中が、思わず前のめりになって訊いた。


「経験はまったくないのですが、機会があれば挑戦してみたい気持ちはあります」


「分かりました。では、もしそういうオファーがあれば、すぐに報告します」


「ありがとうございます。でも、そうなるには、まずはバラエティで爪痕を残さないといけないんですよね?」


「そういうことです。では早速明日、先程小川が言った週刊誌のインタビューに答えてもらいます」


「えっ! 明日とはえらく性急ですね」


「言い忘れていましたが、その先もスケジュールは詰まっています。詳しいことは後で小川に聞いてください」


 そう言うと、山中はすみやかに退室して行った。


「では、明日のインタビューについて、今から軽く打ち合わせをしましょう」


「分かりました」


 五十嵐は望と打ち合わせをしながら、頭の中では山中の言った『スケジュールは詰まっている』という言葉がずっと引っ掛かっていた。


 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る