マルゲリータ。

さんまぐ

第1話 8回目の生存確認。

余命宣告を受けた父の終活。

父の死後、父に頼まれた手紙を手渡した相手は、かつて父が惹かれた女性だった。


何も知らない俺は、その人から父の事を教えて貰った。

父が惹かれた女性も病に侵されていて、その後すぐに亡くなった。


父が惹かれた女性も父が存命していると思い、一人娘に父宛の手紙を持たせていた。

だが父は亡くなっていて、父の代わりに手紙は俺が受け取った。


父が惹かれた女性、萩生楓はぎゅう かえでさんは一人娘の萩生紅葉はぎゅう もみじに俺と過ごす事で、自身が父とどのように過ごしたのかを知って欲しいと遺していて、萩生紅葉は言われるままに俺の地元で働き先を見つけて引っ越してきた。


物のない広い住まい。

そこに通えと言う萩生紅葉の笑顔。

俺も父親の血が入っているからだろう、その笑顔に惹かれていた。




週に一度から二度、邪魔にならない範囲で萩生紅葉の家に顔を出す。

夜遅くは悪いし、勘繰る事になってしまうので警戒したのだが、萩生紅葉は「匠さんを信じています」と言うと、「逆に遅くにくる男の気配で私を守ってください」と続けてきて、どんなに遅くてもいいから来いと言う。


俺としてはパジャマ姿の萩生紅葉が、「お帰りなさい」と玄関で出迎えてくれる事が新鮮で、通ってしまうようになった。


だが、これはあくまで生存確認だと、自分に言い聞かせていた。

それは父に宛てた萩生楓さんの手紙にあった言葉、【両親を失ったあの子を背負ってとは言わないから、たまに生存確認だけしてよ。よろしくね。】に従っているだけだと自分に言い聞かせる。


そうでもしないとどうにかなりそうだった。


四月末、萩生紅葉がこの街に引っ越してきて、俺は8回目の生存確認にお邪魔をした。


新人の歓迎会で現在の時刻は21時手前。

朝一番にメッセージアプリで、[今日は遅いんですよね?お茶だけでも来てください]と送ってきた萩生紅葉。


俺は家からのんびり歩いても20分で、駅から遠回りをすれば顔の出せるこの家に吸い寄せられるように、それでも理性的に[明日はまだ平日だよ?]と返すと、[平気です。待ってますね。流石に日付を跨ぐのはアレなので、終電になりそうなら連絡ください]と入ってきた。


新人歓迎会は一次会で済ませて二次会は辞退する。

嘘でも寂しがる新人達、そして父の死から母1人、子1人になった我が家の事情を勝手に汲み取ってくれて、肯定的に見送ってくれる同僚と先輩に見送られて、俺は電車に乗り、萩生紅葉に[今からなので21時55分頃になります。起きてる?]と送ると、[はい。先にお風呂を済まさせてください]と返ってきた。


夫婦みたいな会話だと思ってしまう。

このやり取りを知っていたら会社の人達は何と思うだろう?

母1人、子1人。


心配の声が聞こえてくる。

それこそ坂上匠さかがみ たくみと付き合う女は、結婚と義母との同居を覚悟しなければならない、なんて勝手な話すら聞こえてくる。


だが心配は真逆だ。

母は怠惰に磨きがかかり自炊をほぼやめた。

食べたい物だけを買ってきて、作りたい物があると作るが、あくまで身勝手に自己中心的に作る。


俺の分もあれば無い時もある。

適当で自己中。


体格も何も無視をして、ただ買うだけの、作って余らせるだけの夕飯は、残飯となりゴミへと変わる。

それでも母はその暮らしをやめない。

恐らく今日は歓迎会だと伝えたから、自分はパック寿司とケーキでも食べて、ソファの定位置でゴロゴロしながらテレビを観ているだろう。


そんなだらしない姿に父は憧れてしまい、母と付き合い理想との乖離、孤独の果てに死んでしまった。

父は萩生楓とのメールやメッセージに支えられていたのだと、今になって知った。


俺と共になるとあの母がついてくる。

それは間違いではない。

一人息子で物理的に離れる以外は繋がりが生まれる。

だがあの母は同居は拒否してきて金だけを求めてくる。

父にしたように金だけを求める。


あくまで自分以外の存在は損か得、役に立つか立たないかでしか推し量れない人。

自身の暮らしを守る為に、金だけは求めてくる。


そうなると、今度は父と萩生楓の無茶振りの先、今の生活の先を意識した時に、萩生紅葉の事を考えると頭を悩ませる。


萩生紅葉はまだ若い。

今の暮らしの中で、別の人生を見つける機会もある。

最愛の母の言葉に従っていても、俺と過ごす日々を辞めたくなることもある。その時俺が足枷になる訳にはいかない。


そう思うと、この日々を手放さなければならない。

だが家に帰ると怠惰の象徴の母がソファで寝転がり、俺から「ただいま」と言うまで絶対に声をかけてこない苦痛と、遅くても俺を待ってくれていて「お帰りなさい」と言ってくれる萩生紅葉が待つあの家を思うと、手放したくない気持ちが芽生える。


俺は中途半端でロクでもない男だ。

そう思っていた。

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