第4話 戸惑う距離感。バグる心

「わた――する――すき――の――つきあ――さい!」


『綿菓子、スルメ、大好きなの。どつき合ってください』

 ジェットコートの走行音、風切り音、皆んなの絶叫で何も聞こえない。

 そもそも聞き取れと言う方が無理だ。

 隣で絶叫してる咲良の叫び声を正確に聞き取れと言われても空耳レベルでしか聞き取れなかった。


「恥ずかしかったけど、言っちゃった。どうだった?」

「そうだね。僕はいいと思うよ」


 珍しく僕の前でもじもじとしおらしくしている咲良に対して、聞き取れなかったとは口が裂けても言えなかった。

 言った途端に般若の如く変貌して、頭から食べられてしまうだろう。


「そう? 駿河もそう思うの。良かった! 私だけかと思っていたから安心したわ」

「ふぇ?」


 不意に咲良から抱きつかれて、僕の口から間抜けな声が漏れた。

 僕も『綿菓子、スルメ、大好きなの。どつき合う』

 うーむ、なかなかにハードルが高い。

 ここは素直に聞き返すべきだろう。


「あのね、咲良――」

「どうかしたの、駿河?」

「えっと、あのね――」


 左腕に抱きついて顔まですりすりと押し付けていた咲良が不思議そうな顔で僕を見上げる。

 あざと可愛い。わかっていても可愛い。

 昔好きだった子に抱きつかれて、こんな顔を見せられて落ちない男がいるだろうか?

 いや、僕は瞬殺だった。

 自分の欲望のために、咲良に聞き返す事を諦めた。英断だと思う。


「いや、なんでもないよ。次に行きたいところとかあるかな?」

「駿河とならどこでもいいけど。そうね、静かな場所に行きたいから、観覧車とかどう?」


 僕は咲良にうなずき返すと、左腕を咲良に拘束されたまま観覧車に向かって歩き出した。

 柔らかな膨らみが歩くたびにグイグイと腕に押し付けられる感触は、まるに天国にいるような心地よさで、触れるほど側にある咲良の髪からはシトラスのいい匂いがした。



***



「えへへへ」


 到着した観覧車乗り場はそれほど混んでいなかった。10分ほど並んで僕たちの順番になり、先に乗った咲良の対面に座ると、咲良は少し頬を赤くしながら当然のように僕の左隣に移動してきた。


「えっと、狭くないかな? 大丈夫?」

「これくらいで狭いなんて言わないでしょう? その顔、何か言いたそうね」

「いや、別に。うん、何もないよ。気にしないで」

「そう? ならいいけど」


 突然の事に動揺する僕の左腕に咲良が右腕を絡みつかせてくると、そのまま僕の肩に頭を預けてきた。

 頬に当たる髪の毛がくすぐったい。さらにシトラスの香りに包まれてドキドキが止まらない。

 咲良の癖に、と思いつつも気がつくと握りしめた右手が汗でびしょ濡れになっていた。


「天気もいいし、街並みが遠くまで見渡せて綺麗ね。うちはあの辺りかな? それとも、もう少し先かな?」


 観覧車が頂点に近付いた頃、咲良が左手で二人が住んでる十時方向を指差した。

 咲良のささやきが頬にあたってくすぐったい。さらに髪の匂い、それだけじゃない良い匂いがした。

 咲良、普段から香水なんてつけていたかな?


「そうだね。あれが中学校だと思うから、そこから左に向かって、あの辺りだと思うよ」

「あら、そうかも。駿河もだいぶ地理に詳しくなったわね。そういえば駿河がこちらに来てからもう二年になるのね。これなら帰り道で迷子になる心配もしなくて大丈夫ね」

「ナビもあるから、大丈夫だよ。心配しないで。ちゃんと家まで送り届けるから安心して」


 うっかり、咲良とデートしていると錯覚してしまって軽口が出てしまった。あとは二人揃って帰宅するだけだというのに。

 いや、男女二人で出掛けているからデートといえばデートなのか?


「別に家じゃなくてもいいけど――」

「うん? 何か言った?」

「何でもないわよ。ただの独り言」


 言い終えると咲良は僕の肩に顔をうずめた。

 僕は自分でわかるほどに舞い上がっており、ぼーっとしていたせいですぐ側にいる咲良の呟きを聞き逃してしまった。


「いや、でも――」


 僕の肩に顔をうずめた咲良の息づかいが粗くなっている。鈍感な僕でもわかるほどだ。何もないわけがない。


「いいから、何でもないの! ゴンドラが下についたら帰りましょう」

「わかったよ。明るいうちに帰ろう。正直いうと、夜道を運転するのは自信がなかったんだ」

「その時は明るくなるまで……ううん、何でもないわ。そうね、明るいうちに帰りましょう。続きは家でも出来るもの」


 さらにきつく咲良に左腕に抱き付かれ、外からはどう見ても熱々のカップルに見えるのだろうな、とぼんやりと考えていた。



 帰宅途中の車の中、咲良は何か考えごとでもしているかようにおとなしくなっていた。それは初心者が車を運転する上でありがたかった。

 そりゃあ、嫌いでもない子に触れられて嫌がる男はいないけど、初心者がちゃんと運転できるかと聞かれたら僕なら『ノー』と答える。


 行きがけの際、咲良に話し掛けられたけれど、運転に気を取られて何と受け答えしたのか、僕はまったく覚えていない。その事を咲良も覚えていたのだと思う。


 何とか無事に家に着き、ほっとしていると助手席から降りてきた咲良が僕に近付いてきた。


「今日は買い物に付き合ってくれてありがとう。でも、終わりじゃないわよ。夕食後に部屋に行くから、ちゃんと待ってなさい。どこかに出掛けたりしたら許さないからね」

「ああ、わかったよ。おとなしく待ってる」

「素直でよろしい!」


 チュッ。

 咲良は僕の左頬に口づけすると、そのままくるっと180度身体を回転させて家に入って行った。

 何が起こったのかしばらく理解できなかった僕は左頬に手を当てたまましばらくその場に立ち尽くしていた。



***



 予告通り僕の部屋に訪れた咲良の頬はほんのりと、いや、かなり赤くなっていた。髪が少し濡れているので風呂上がりだと思うけど、それでも赤すぎる。


「どうしたの? お酒はやめたんじゃなかったの?」

「減らすとは言ったけど、やめるとは言ってないわよ。何よ、私がお酒飲んだら悪いの?」


 顔が赤い理由を確認する為に咲良にかまを掛けた。

 床に座っている僕は咲良を見上げる形になる。少しゆったりめの室内着とはいえ薄着の為に、一部は身体のラインがくっきりとわかる。そんな咲良の姿に僕はドキドキが止まらなかった。


「まだ若いんだし、身体に良くないよ。それに不用心すぎる。お酒を飲むたびにそんなんだと心配になる」

「あら、嬉しい! 心配してくれるんだ。普段の冷たい姿が嘘みたいね」

「そりゃあ、僕だって心配するよ。咲良はあまりお酒の飲み方が上手だと思えないしね」

「失礼ね。こう見えてもお酒に飲まれた事なんてありませんからね」


 僕の目の前で咲良が胸を張った。その胸の谷間が普段以上に開いた胸元から眩しく光っている。

 警戒心が薄れている。心配にならない方がどうかしているだろう。

 僕の心配をよそに、咲良は僕の隣に腰を下ろすとしなだれかかってきた。


「はい、駿河もどうぞ。一緒に飲もうよ」


 どこから取り出したのか、咲良はビールを取り出すと僕に差し出してきた。


「咲良がお酒飲んで楽しいならいいけど、僕は遠慮しておくよ。二人とも飲んだら誰が酔っ払った咲良の面倒をみるの?」

「失礼ね。それとも私の面倒がみたいの?」

「ははは、そうだね。面倒みさせて下さい」


 下心があったわけじゃない。どのみち咲良の面倒をみるハメになるならお互いに気分良く過ごした方がいいと判断しただけだ。

 勝負服でガチガチに固めた、普段の酔っ払いの咲良じゃない姿にほだされたわけじゃない。

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