第9話動き出す悪意
「あの白い化け物は、一体なにをしたの!」
「詳しく話しなさい!」
「……はい。数日前から、見慣れぬ女官達が出入りするようになりまして……」
「館の窓や壁もあっという間に修理されて、室内は寵姫の宮と変わらないと聞きました」
「家具や服の入った行李が、幾つも届けられたそうです」
「誰が手配したのか、すぐに調べて!」
癇癪を起こした美麗が、近くにあった花瓶を掴むと壁に投げつけた。
花瓶の破片が飛び散り、控えてた女官達が身をすくめる。
(一体誰がそんなことを?)
正直なところ、美麗は雪鈴の存在を忘れていた。
何をしても平然としている雪鈴に苛立ったが、着物や装飾品は取り上げたから、あの汚れた服で過ごすしかない。
身分も『事実を改めて確認する』という名目で保留されているので、寵姫候補に戻ることもないのだ。
けれど美しい着物を纏い、何食わぬ顔で厨房に出入りしている姿を下女が見かけたと小耳に挟んだのが先日の事。
不思議に思って女官に探らせたところ、館は様変わりしていたという訳だ。
報告を聞いた取り巻き達も、そろって首を傾げている。
(陛下? まさかね……未だに正妃候補ですら目通りが叶っていないのに……)
「美麗様。あの化け物など放っておいて、今は陛下の謁見に備えるべきです」
「わたくしもそう思いますわ」
口々にそう訴える取り巻き達の言い分は理解できる。
今朝方そろそろ正妃の選定があると、やっと女官長からお触れが出されたのだ。散々待たされた姫達は、選定の儀式で着る着物や装飾品選びで慌ただしくしている。
それは美麗も同じで、雪鈴などに構っている暇はない。
(ここまで順調に進めてきたわ。少しでも不穏な行動を取る女は、排除しないと)
正妃候補達は、後宮に入ると足の引っ張り合いに勤しむ。美麗は周囲を順調に蹴落としてきたが、だからといって安泰というわけでもない。
(あの簪の事、どうして気付かれたのかしら?……雪鈴は何者?)
お茶会で簪を「まがいもの」だと断じた雪鈴の目を、美麗は思い出して唇を噛む。
簪の件は雪鈴が「嘘を言って美麗を貶めようとした」という事で、その場に居合わせた者達は納得している。
事情を聞きに来た女官には、「雪鈴が簪ほしさに嘘をついた」と誤魔化した。その際、宝物の管理を任されている若い男が、簪の鑑定を行うという事で美麗の宮へ特別に入ることを許された。
だがその官吏は美麗の美貌に溺れ、あっさり自分の手に落ちてくれた。今では宝物庫から宝石を持ち出し、美麗の用意した偽物とすり替えてくれる優秀な駒として働いてくれている。
(体一つで言う事を聞いてくれるなんて、安い男)
ただその男も、町の質屋に入れてしまった簪を買い取るには難儀しているらしく、未だに美麗は偽物の簪を着けているのだ。
(あの簪さえ手元に戻れば……)
美麗が後宮に上がると決まった頃、実家は放蕩に明け暮れた結果、かなりの資産を失っていた。最大の収入源だった官吏からの賄賂は、新しい皇帝が厳しい法律を作ったせいで、僅かな抜け道すらも塞がれてしまったのだ。
貴族としての品格を保つために、両親は金目の物を質に入れ宝玉の類いは密かに模造品を作らせそれを美麗は身につけていた。
正妃になってしまえば、国庫のお金は使い放題。
質に入れた品も取り戻せるし、国庫の宝玉も全て美麗の物になる。
しかしそれは、簪の嘘が気付かれず無事に美麗が正妃にならなければ実現しない。
(白い化け物が寵姫候補に返り咲きでもしたら危険だわ)
美麗は苛立ちながらも、考えを巡らせる。
正妃として認められるまでは気が抜けないのは、他の姫達も同じだ。
互いに弱味を握ろうと必死になっている今、雪鈴の噂を聞きつけて簪で揉めた件を蒸し返そうとする正妃候補も出てくる可能性は高い。
やっとここまで上り詰めたのに、簪のことが気付かれたらまずいのだ。
(石の声が聞こえるなんて、あり得ない。からくりがあるに決まってるわ)
褥で官吏の男に尋ねたところ「その女は、恐らく宝玉に関して知識があるのだろう」と答えた。
もしも簪が偽物だと証明されたら、雪鈴の指摘が正しかったと知られてしまう。そうなれば疑惑の目は美麗に向けられ、他の正妃候補達は嬉々として、あら探しを始めるに違いない。
(家の借金が知られたら、これまでの賄賂の件も探られる……そうなったら、正妃候補どころか、後宮にいられなくなる)
「誰か」
「はい」
「あの白い化け物を、早く後宮から追い払って」
「雪鈴は正妃選定の日に、大臣の息子に下げ渡されると聞いてますが……」
怯え震えた声で、女官の一人が答える。
「生ぬるいわ」
大臣の子息と結婚すれば、正妃となった美麗と顔を合わせる機会も多くある。
公の場でまた余計な事を言われたら面倒な事になるだろう。
「絶対に皇都に立ち入れない身分にしないと……あの藍という女も、片付けた方がいいわね」
邪魔者は、徹底的に排除しなくてはならない。簪の事も賄賂の件も、決して露呈してはならないのだ。
(そうだ、よいことを思いついたわ)
美麗は楽しげに口の端を上げた。
「少し疲れたわ。横になるから、皆は下がりなさい」
取り巻きと女官達を下がらせた美麗は寝所に入ると、慣れた手つきで窓辺に置いてあった鈴を鳴らす。
暫くすると、知らせを受けた一人の男が寝所に入ってきた。
「お呼びでしょうか、美麗様」
「あなたに頼みたいことがあるの。聞いてくれるわよね?」
美麗は男の顔に手を寄せ、妖艶な笑みを浮かべた。
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