後宮の亡国公主 ~後宮の池で密漁をしていたら皇帝に見つかったうえに妃にされたのですが

水無瀬

第1話 魚も見惚れて溺れるほど美しい銀公主

「ねえ知ってる? 逃亡中のイン公主がまたから姿をくらまして、行方不明になったらしいよ」


 ここは金鸞国きんらんこくの後宮のとある場所。

 そこで、二人の下女が洗濯桶の前でしゃがみながら世間話をしていた。

 質問をされたほうの下女は、それを聞かなかったふりをしながらせっせと洗濯仕事を続けている。


「聞いてるの朱亞シュア! まさかあのイン公主を知らないなんてことないよね?」


「し、知ってるわよ明明メイメイ。銀龍国の銀公主でしょ」


 どこの国の後宮でも、下女が噂好きなのは同じなのだなと朱亞は呆れながら返答する。


「去年、我が金鸞国に滅ぼされた銀龍国最後の王族である姫。それが銀公主よ」


「なんだ知ってるじゃない」と、友人の明明は嬉しそうに話を続ける。


「その銀公主がね、またどっかに消えちゃったらしいのよ。国軍の厳しい包囲網から逃げたのはこれで何度目なのかしらね。まあ捕まったら殺されちゃうんだろうから、必死に逃げる銀公主の気持ちもわらなくはないけどさ」


「……銀公主は、次はどこへ逃げたのかしらね」


「わかんないよ~。でも銀公主はその美しさのあまり、川の魚たちが見惚みとれてしまって泳ぐのも忘れて溺れてしまうほどの美人って噂だから、きっと行く先々で可愛がられて上手くかくまわれているんだと思うんだよね!」


「さすがに美人すぎて魚が恋して気絶するのは、ふかしすぎじゃないからしら?」


「それがどうも本当らしいんだよ! 銀公主が潜伏していた川や池には、必ず魚が浮かんでいたって話だよ。本当に魚が恋をしてしまうくらいの美人さんなんだよ。でもそんなに綺麗なら、一度でいいからお目にかかってみたいと思わない?」


(いくらなんでも川魚が溺れるほどの美しさというのは、さすがに尾ひれが付きすぎよね……)

 

 ため息を吐きながら、朱亞は洗濯桶の水に映った己の顔を眺めてみる。

 そこには、黒髪の若い少女の顔があった。

 やっぱり川魚が溺れるほど綺麗ではないと思うんだけど、と首をかしげる。


「なに自分に見惚れてるのよ朱亞。私たちみたいな黒髪の地味な田舎娘は、逆立ちしたって公主様にはなれないよ。なにせ銀公主の髪は銀色に輝いているって話だから」


 友人の明明の髪は黒色だ。

 そして朱亞の髪も、同じくにごった黒色をしている。

 二人とも、装飾品など身に着けてはおらず、見るからに田舎からやってきた地味な娘というありさまだ。


 皇帝の妻である妃嬪ひひんたちとは違って、自分たちは下働きの下女。

 美しさとは縁がない別世界なのである。


「でも朱亞は私と同じ黒髪なのに、顔だけはすっごい美人さんだから、陛下の視界にさえ入れば妃になるのも夢じゃないよ!」


「そんなことないわよ……銀公主じゃあるまいし」


「いやいや、朱亞の髪が銀色なら、銀公主にだって負けないよ! 自信もっていいって。だから妃になったら、私を出世させてよね!」


 それが本音かと笑いながら、朱亞は内心不安になっていた。


(もしかして私の正体が銀公主だって、疑われている?)


 いや、それはない。

 この無駄に明るい友人は、これっぽっちも自分のことを逃亡中である亡国の公主だとは疑ってはいない。

 そこまで頭が良ければ、私が世間知らずの公主であり庶民のフリを必死で演じているということに、とっくの昔に気が付いているだろう。


(もしも目の前にいる私がその噂の銀公主本人だと知ったら、明明はどう思うのでしょうね……)


 朱亞の正体は、今は亡き銀龍国の最期の生き残りの王族である銀公主その人だ。

 なぜ一国の公主が、敵国の後宮で洗濯をしているのか。

 それは、銀龍国滅亡の日にさかのぼる。

 

 祖国である銀龍国の王都が金鸞国の大軍勢に落とされた。

 王族が次々と首をねられている時、朱亞は宮殿の外にいた。

 運良く下女の集団に紛れ込むことができ、王族として唯一国外へと脱出することができたのだ。


 問題はその後。

 王都から銀公主が逃げたことは、金鸞国もすぐわかったらしい。

 追っ手がかかったのだ。


 なんとか追っ手を撒いて暮らすこと数か月。

 とある荒野の山で、朱亞はついに追い詰められた。

 大きな水場もないような僻地へきちから、朱亞が一人で脱出することは不可能。

 その時、後宮の女狩りをしているところに出くわした。

 

(このまま逃げていても捕まって殺されるだけ……それなら逆に、あえて敵国の後宮に潜伏するのはありかもしれない)


 逃亡中の公主が、まさか敵国の王都に潜伏しようとするなんて誰が考えるだろうか。

 きっと想像すらしないだろう。


 このままこの場にいても、捕まるのは時間の問題。

 後宮に入ったら二度と外には出られないかもしれないし、危険がなくなるわけでもない。

 だけど生き残るには、もうこれしかない!


 そう決意した朱亞は、許婚がいるから後宮に行くのは嫌だとごねていたとある村の少女の代わりに、後宮に潜伏することを決めた。

 幸いなことに、銀の髪を黒に染めたことで、誰も朱亞のことを公主だとは気づかなかった。

 ボロボロの襦裙じゅくん、そして水仕事で荒れた指先を見れば、王族の姫であったなど思う者はいない。

 

(祖国の銀龍国にいたときも、この金鸞国にいるときも、やってることは同じなのよね。下女の格好をして、毎日洗濯。洗濯は得意だから別にいいんだけど)


 朱亞は訳あって、祖国では下女として暮らしていた。

 そのおかげで、王都が焼け落ちた時に王族として捕縛されることがなく、下女たちにまぎれてこうして落ち延びることができたのだけど。


 ひとえに朱亞が疑われなかったのは、手が下女のように荒れていたから。

 玉のように美しい姫の指先にはとうてい見えない。

 公主であるにも関わらず、朱亞の手先は水仕事に慣れていた働き者の下女の手だったのだ。 


(公主が洗濯が得意だなんて誰も思わないから、疑われたことはないのが良かったわ)


 昔から、水仕事はなんでも得意だった。

 同じくらい、水辺の魚を捕まえることも得意中の得意。

 そのせいで、変な噂が流れてしまったのは予想外だったけど。


 とにかく、そうして朱亞は敵国である金鸞国の後宮の下女となった。

 後宮で生活を始めて早ひと月、気前の良い友人もできて順風満帆じゅんぷうまんぱんである。

 運が良かったのもあるけど、よくも公主だとバレずに今日まで生きて来れたと思う。


(銀公主は美しいというのは有名になってるけど、誰も顔を知らなかったのが幸いしたわね)


 下女として隠されて生活をしていたため、金鸞国の人間は誰も朱亞の顔を知らない。

 だけど、それもやっぱり運が良かっただけ。


(この国の人間全員が、私の顔を知らないわけではないのだから……)


 幼いころに出会った、金鸞国の少年のことを思い出しながら、朱亞は密かになつかしむ。

 金鸞国の皇帝は、先ごろ崩御ほうぎょしたばかり。

 皇子たちは激しい後継者争いを行い、王都は荒れに荒れたという。

 人質に出されていたくらいだから、そんな彼が皇位争いの騒動で生き延びることは不可能だろう。


 だけど、悲しむことはない。

 彼が死んでいれば、この王都で銀公主の顔を知っている者は誰一人としていないのだから。

 

「それとこれは知ってる? 皇帝陛下の側近の宦官が次々と不審死したらしくて──」


「はいはい、無駄口はこのくらいにしないと、夕餉ゆうげに間に合わなくなりますよ。私のは終わったから、明明の分もやってあげるわ」


「あいかわらず朱亞は洗濯が早いよね~。まるで水が勝手に動いてるみたい」


「……馬鹿言ってないで、早く終わらせちゃいましょう。その代わり、わかっていますよね?」


「もちろんだよ! 手伝ってくれる代わりに、朱亞の夜の散歩については口裏合わせとくから安心して」


 この後宮で唯一の不満があるとすれば、それは食事!


 下女である朱亞たちは妃ではないため、貧しい食生活を続けていた。

 雑穀や汁物はもう食べ飽きた。

 それでも田舎出身である明明からすればご馳走なのだが、元公主である朱亞にとっては物足りない。

 

(ああ~、早く焼き魚が食べたいわ) 


 朱亞が公主だと気づかれないもう一つの要因。

 それは、朱亞が無類の魚好きだからである。


 それも、後宮の池の魚を勝手に獲って、女官長に怒られてしまうくらいの。



 そのことがきっかけで、故郷の銀龍国では川魚が見惚れて溺れるくらい美しいと変な噂が立ってしまった。

 だがその真実は、朱亞が川魚を密漁しまくっただけのこと。


(魚が好きなのは、生まれつきだから仕方ないわよね。私の髪が生まれつき銀色なのと同じくらい仕方のないことなんだもの)


 噂話は何事も尾ひれが付くもの。

 何がどうなったのか、銀公主は魚すらも恋してしまうほど美しいと評判になっている。

 おかげで、銀龍国どころか隣国の金鸞国でも銀公主の美貌びぼうは有名になっていた。

 大陸一の美女。

 

 その正体が、洗濯が得意で魚を獲ることが日課なだけの公主だとは、まだ誰も知らない。

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