第13話


         ※


「それでは! まずは、ダチと遊びに行く時に着るための服を探そう!」


 散発的に起こる拍手。最後に改札を抜けた俺の目には、摩耶が頭上の一点に人差し指を突き上げているのが分かる。……って、何が何だって?


「おいおい摩耶、今日の目的を忘れないでくれよ。目当てはカラオケで、お互いの親睦を深めるって話だろ?」

「んあ? あー、弦さんもそう言ってたけどなあ。でも小遣い貰っちまったしなあ」

「小遣い?」


 すると、摩耶は何かを取り出した。映画館のチケットでも取り出すような気楽な調子で。

 しかし、俺には確かに見えてしまった。その紙の束に、歴史上の偉人の顔が印刷されているのが。


「摩耶! お前、一体いくら貰ったんだよ!?」

「え? 十万円ジャスト」

「はあ!?」

「生憎、柊翔の分はないみてえだなあ。あー、お客って立場は何かとお得だな!」

「はあ……」


 見回すと、美耶は申し訳なさそうに、ルリアと希美は自信満々で、ちょこっと札束を見せて引っ込めた。


「おいおい、さっさと金を仕舞え! こんな人通りが多いんだから……」

「へいへい」


 危機感も緊張感も微塵も感じられない。そんな態度で、摩耶は無作法にも、十枚の一万円札をハーフパンツのポケットに捻じ込んだ。


 うーむ、摩耶のハーフパンツを始め、皆がセーフハウスで収納されていた女性用の衣服を纏っている。これだけでも、別に繁華街に出るのに違和感はないのではないだろうか?

 比べて俺は、ふらっとしたスラックスに半袖シャツという、見栄えも何も知ったこっちゃない服装をしている。それよりはマシだ。

 自分で言うのも難だが、俺はあまり外見を重視しない性質なんでね。


 改札出口から背伸びをしてみると、極緩やかな登りの坂道がある。この馬鹿みたいな日射に晒されながら、外出している人間は多いようだ。ま、日曜日だしな。


「で、お前ら、どこで服を買うのか決めてあるんだろうな?」

「はいはい! はーい!」


 真っ先に手を上げたのは摩耶だ。予想通りというか、何というか……。

 まあ、俺も別案があるわけではないので、ひとまず摩耶の意見を聞いてみよう。


「摩耶、お前の行きたい店はどこにあるんだ?」

「あれ! 全面ガラス張りの建物があるじゃん? そこに入ってるメタル系の服が欲しいんだ!」


 メタル系……。不穏な響きだな。


「何や、あたいが行こうと思ってたのと同じビルに入っとるやんけ!」

「おっと、希美、あんたも来るか?」

「望むところや!」

「よっしゃ! 競争だ!」


 あっ、待て馬鹿! ――などという声かけが通じるわけもなく、二人の背中はあっという間に人混みの中に消えていった。

 んで。


「美耶とルリアはいいのか? 服買って来なくても」


 するとルリアが、ふふん、と鼻を鳴らして上半身をのけ反らせた。こいつ、無駄に胸あるんだよな。なんかムカつく。

 それはさておき。


「あのさあ、ルリア。俺としては、お前こそ服を買いに行ってほしかったんだが」

「何故だい? ボクは着替える必要を感じませーんよ?」

「だからって、白衣そのまんま着てこいとは言ってないぞ。ほら、さっきからお前ばっかり目立ってるし……」

「ボクは日本、いや、世界のために、科学技術の発展に寄与しようとしているのでーす! 自分がどんな格好をしているかなんて、些末な問題なのでーす!」

「あっそう……」


 俺はガシガシと後頭部を掻きながら、間の抜けた息をついた。根っからの研究者気質だな、こいつは。何を言っても無駄だろう。


 高笑いするルリアを眺めていた俺の目は、しかしすぐさま美耶の方へと焦点を結び直した。


「どうした?」

「あの、えっと、柊翔さん。よかったら少し早いお昼ご飯、いかがですか?」

「昼ご飯?」


 俺はスマホで時刻を確認した。午前十一時三十分。少し早いが。

 そう言おうとしたところ、美耶はぎゅっと俺の手を握り締めた。結構な握力だ。

 そして、いつの間にやら反対の手には、弁当箱が握られている。


「駅前を右折して少し進むと、広めの公園があります。その……柊翔さんさえ、よろしければ」

「お、おう、そういうことなら」

「さあ、行きましょう、柊翔さん」


 より強く俺の手を握る美耶。いつもの美耶らしくないな。力づくで目的を達成しようとするあたりが。その時だった。


「あ、二人共! ボクを置き去りにするつもりでーすね!? 抜け駆けは許さないでーす!」

「結局こういうことになるよな……」


 やれやれ。ま、ルリアには近所のコンビニで昼食を用意してもらうしかないだろうな。

 そうすれば一応、俺、美耶、ルリアの三人は、食べ終わって、移動する準備ができる。


 と、現状を前向きに捉えようとした、その時だった。


 チッ。


 明瞭な舌打ちが、俺の鼓膜を震わせた。

 聞き間違いか? ルリアだって動揺している素振りは見せていない。いや、一人ではしゃいでいるから気づかなかっただけかもしれないが。


 かといって、俺は舌打ちなんてしてないし。

 ってことは、まさか、舌打ちをしたのって……美耶か?


 頭一つ分は小柄な美耶を、じっと見つめる。歩きながら、前方に注意しつつ。


「な、なあ、美耶……?」

「はい、何でしょうか」


 いつもの、いや、それ以上に元気そうな態度で、美耶は俺と視線を合わせた。


「えーっと、大丈夫か? 熱中症とか、罹りそうじゃないか?」

「そうですか? 私は特に危険を感じませんが」

「ああ、それならいいんだ、それなら」


 俺は美耶との会話を早々に切り上げ、後ろから来るルリアに歩調を合わせた。

 軽く手招きをして、耳打ちする。


「ルリア、今日は美耶の機嫌が悪いみたいなんだ。あんまり近づかないでおいてくれ」

「あら? ボクは構わないでーすけどね。でも、近づかずに放っておくだけでいいのでーすか?」

「ああ。事態はちょっと複雑でな」


 こうして、俺たちは公園でブルーシートを広げ、平和な日常を送る人々を見つめた。

 嫉妬ともやっかみとも取れるような、不穏なオーラを発しながら。


         ※


 それから約三十分後。楽しく語らっていた俺たち三人(ただし美耶は除く)の間に、聞き慣れた電子音が響いた。俺のスマホが甲高い音で喚いている。


「おっと。……って摩耶じゃねえか!」


 俺はがっくりと腰を折り、首をだらんとぶら提げた。


「どうかしたのでーすか、柊翔?」

「大丈夫ですか?」

「……待ってくれ、スピーカーを設定するから……」


 俺は指先でスマホを操作しようとして、しかしすぐに手放すことになった。摩耶の怒号が全身を震わせたからだ。


《こんのアホんだら! さっきの待ち合わせ場所にいねぇじゃんか! どこにいるんだよ!》

「バッ、馬鹿! 声がデカすぎ――」

《言い訳しようってのか? あぁん!?》

「お、お前の勝ち! お前の勝ちでいいよ! いいから黙ってくれ、スマホがお釈迦になる!」


 そんな脆いスマホ、流石に見聞きしたことはないのだが。それだけ摩耶の剣幕が凄まじかったものとご理解願いたい。


「あー、取り敢えず、俺と美耶とルリアの三人も、さっきの駅の改札前に向かうから! そこで合流だ、いいよな?」

《けっ、てめえに指示されるなんて、あたいのプライドが――》

「じゃあな!」


 俺は思いっきり腕を振りかぶり、手先のスマホの終話ボタンを押し込んだ。


「あ、あの」

「うおっ!? ああ、すまない、美耶か」


 やはり姉妹、声くらいは似ているんだな。てっきり摩耶が背後から迫って来たのかと思った。


「お、驚かせちゃって、す、すみません……」

「いや、俺は平気だよ」


 むしろ美耶には、生きていく上での図太さを身に着けていただきたい。


「またお姉ちゃんがご迷惑おかけしましたよね……。申し訳ありません」

「おいおい、いちいち謝らないでくれよ! 姉妹だからって、お互いのミスを引き合う必要はないんだぜ」

「で、でも!」

「大丈夫だって! 俺もルリアも何ともねえよ!」

「そう、ですか」


 ん? んん? 美耶のやつ、どうしてしょぼくれているんだ? 俺は積極的に、自身の無事をアピールしたつもりなんだが。

 今の美耶は、謝罪という行為を通して、なんとか俺の気を引こうとしている気がする。


「……気のせいかな」

「おっと、どうかしたのでーすか? 柊翔くん」

「なんでもねえよ、ルリア。ってか、その奇妙なニヤケ顔を引っ込めろ。警察呼ぶぞ」

「ええっ! ボ、ボクの微笑みが警察沙汰に!? 参ったなあ!」


 とか言いながら、ルリアは照れた様子でニヤニヤの度合いを高めていく。


「そうかあ、これだけの笑顔が泥棒に狙われたら大変でーすよね! 警察に守ってもらわないといけないでーす!」


 うわ、逆の意味に取りやがった……。やれやれ。

 俺は気分を変える意味も込めて、さっさと駅の方へと歩き出した。

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