にこにこおじさん

@chased_dogs

にこにこおじさん

『――は、あい川、終点です。

 どなた様も、車内にお手荷物をお忘れなきよう、気をつけて、お降りください。

 本日は、――』

「あぁっ――?」

 蛍光灯の眩しさの中、窓の暗闇に目を凝らす。『鮎川【あいかわ】』、ホームの柱に掛けられた駅名を見る。鮎川だって?

「陸の孤島かよ」

 と言ったつもりだったが、「イグンクトゥオクォ」ほどの声が鼓膜に響いた。

 トントン、呟きとほとんど同時に肩を叩かれ、ビクリと叩かれた方を、自分でも驚くほど機敏に、仰ぎ見る。逆光の中に特徴的な台形の印象シルエットが映る。

「終点です」

『――この列車は、折り返し、車庫に入る、回送列車です。

 ご乗車は、できませんので、――』

「ぇあ? へぇ、すむません゛」

 喋りながら呂律の回らないことを、立ち上がりながら視点が定まらないことを自覚し、次いでゲロに塗れたブーツと、同じくギターケースとを思い出した。

「くっせ」

 エフェクターケースを持つ方の脚を引き摺るようにして、靴底を地面に擦らせながら歩く。身体の中心に沈み込むような吐き気に耐えながら、人気のないホームを中程まで歩く。柱にもたれかかり休む。オレンジの光沢を放つベンチまで歩く。前かがみに座り込む。吐き気。小康。立ち上がり吐き気。座り小康。吐瀉物ゲロの臭いが鼻腔をくすぐる。

「くっせ」

 目の前を貨物列車が、轟音を立て通り過ぎていく。


 ――§――


『残額不足です。

 精算機で、不足分をご精算ください』

 自動改札機はやわらかな調子でそう告げた。バンドの売り上げチケットバックはたしか一軒目の酒代で消えて、は二軒目で全員奢った分できっかりなくしている。「宵越しの銭は持たない」などと調子に乗イキっていた二・三時間前の自分を殴り飛ばしたい。

「はぁ……」

 臭い息を撒き散らしながら、駅員室へ向かう。

「すんません、いま現金ぁ゛なっくて。

 そこんコンビニぃって金ぉろしゅて来てぃっスか?」

「あー。はい。

 今日はこれで精算しときますから、いいですよ。

 置いてください」

 駅員は、面倒臭そうというより事務的な様子で、顔も見ず手振りで合図する。酔客は慣れたものとでもいうようだ。促され、ICカードを提示し、改札を抜ける。振り返ると、『本日の営業は終了しました』の字が電光掲示板を泳いでいた。


 ――§――


「全き夜だわこれ」

 駅舎を出ると、一面に暗闇が広がっていた。客待ちするタクシーは当然存在せず、そもそも停車場もロータリーもなかった。

 始発まであと四・五時間。バイトは体調不良で休む連絡をするとして、あとは五限と六限に間に合えばなんとかなる。全然余裕だ。

「よし、――呑もう」

 ビニール袋からストロングなロング缶を引き抜き、そのままの勢いでプルタブに指を引っ掛け蓋を開ける。階段に腰を下ろし、喉を開く。蒸留酒スピリッツ特有のアルコール臭が炭酸にまみれて雪崩込む。眼の前に紫や緑の光が染みのように広がっては霧散し、次第に夜の闇を見通せるようになっていくのを感じる。二度、三度と酒を呷るを繰り返すと、何か赤いものが近づいてくる。

提灯小僧ジャック・オ・ランターンかァ?

 ハロウィーンはもうとっくだぞ……」

 口元に酒を絶やさないようにしながら、睨めつけるようにそれを見た。

「だいじょぶ?」

 提灯小僧ジャック・オ・ランターン――もとい電飾を首に巻いたおじさんが、赤ら顔をにやつかせながら言った。

「?」

「だいじょぶ?」

「?――だいじょぶ?

 ああ、大丈夫、ね。

 大丈夫、大丈夫」

「ほんとに? 本当大丈夫?」

「や、ホント大丈夫っス。

 あ、呑みます? 酒」

 飲みかけのロング缶をぷらつかせながら言う。おじさんは清酒のように澄んだ瞳をキラキラさせながら、

「うん」

 と答えた。


「だいじょぶ?」

「だぁいじょぶっスよぉ〜〜」

 それからおじさんと酒を交互に回し飲みしながら何本か空けた。

「だいじょぶ?」

「だぁいじょぶっスよぉ〜〜」

 一本空けては生存確認。一つ積んでは俺のため。

「だいじょぶ?」

「だぁいじょぶっスよぉ〜〜」

 一本空けては生存確認。二つ積んではおじさんのため。同じくらいは呑んでいるはずだが、いくら呑んでもおじさんの目の輝きは変わらないようだった。

「だいじょぶ? ウチくる?」

「いくいくぅ」

 そうしておじさんの家に転がり込んだあたりでぷっつりと意識が途切れた。


 ――§――


 ――ピピピッ、ピピピピッ、ピピッ、ピピピピッ。

 タイマー音で目が醒める。タイマーを止めようとするが、変な寝方をしたのか、腕先が痺れる感じがして手が動かない。

 ――ピピピピッ、ピピピッ、ピッ。

 無骨な白い腕が視界を遮り、追ってタイマー音が鳴り止む。

「だいじょうぶ?」

 ギラギラした瞳がこちらを真っ直ぐに見つめる。

「ああ、なんかぁ、腕が痺れてっス」

「大丈夫、大丈夫。

 腕はね、

 ……? 嫌な予感がして、首を回す――この時はじめて、身体が何かに固定されていて動かないことに気づいた――視線の先にあるべきものがない。ついで反対側を見、

「ぅああ、アアアアァァァ!」

 起き上がろうと身体を捩る。イモムシのように短い脚がチラと見える。

「アアアアアアアァァァァァ!」

「大丈夫! おちついて、大丈夫」

「アアアァー! ァァ……?」

 脇の下あたりから注射針のようなものが引き抜かれる。意識が明晰クリアになっていくのをはっきりと感じる。落ち着きを取り戻すのを確認すると、おじさんは部屋の奥へと引っ込んでいった。

 そしてしばらくして、薄暗い部屋の奥から、何か椅子の足みたいな部品を提げおじさんが戻ってきた。

「それは……?」

 思わず訊ねるが、おじさんは「ンフゥン」と笑うだけだった。操作盤のレバーがパチンと上がると、

「だいじょぶ大丈夫」

 意識が朦朧としていき、そして途切れた。


 ――§――


 ――ブゥーーーン、コポポポポポポポ……。

 薄暗い天井を青紫色の照明が眩しく照らしている。天井の中では、水面や水草の影がゆれ、時折大きな魚影が通り過ぎる。

 ――チャパ、パャチャン。

 水音の方を見ると、40cm×80cmほどの棚の上に小さな水槽があり、中で拳大こぶしだいの金魚がその黄金色の尾びれを踊らせていた。

「おー、おー。おー、おー」

「あーーーーーーーーーー」

「いっ、いっ、いっ、いっ」

「ゅう、ぇう、ぉう、ぁう」

「ゅえーーー、ぃうーーー」

 不意に、ラバーチキンのような間の抜けた声が聞こえる。

「おー、とー、さー、んー」

「だー、すー、きぃいいー」

 段々と発声が明瞭になっていく。

「お父さん、大好き。りんごが食べたい」

 今度ははっきりと、少年の声に。

「腕の調子はどう? あと脚も」

 おじさんが顔を覗き込む。

「ーーッ、ーーッ!?」

 声を出そうとするが、低い風切り音が虚しく鳴るだけだった。

「あ、いま声出せないね。

 無理しないで、大丈夫。

 もうちょっとで調整できるから」

 立ち上がろうと手脚をバタつかせる。マネキンのように艷やかな肌が光を反射する。

「うん、ちゃんと動くね」

 固定が緩くなっていたのか、不意に腕が自由に動くようになった。起き上がり、手近にあった水槽になんとか手をかける。脚が何かに引っかかりつんのめり、棚ごと転倒する。眼の前を青臭い水が流れ、ドロリとした水草の上を金魚が滑っていく。金魚の瞳に自分の顔が映る。

「なんてこと!

 ああ、なんてこと……」

 おじさんは金魚を網で掬い上げると、ドタドタと足を鳴らしながら、どこかへ去って行った。脚を動かそうとしたが、いつの間にか両足首に布か何かが固く結び付けられており、逃げ出すことはできそうになかった。


 ――§――


 いつまでそうしていたろうか。水浸しの床は体温ですっかりぬるまり、冷たさを感じることはない。

 ――トトト、トトトト……。

 耳元を何かが通り過ぎる。

 ――トッ、ドス。

 背中に何かが乗っている。四つ脚の、

「ナォアーン」

 猫らしい。ゆっくり背中を踏みしめるように歩いていく。腰から肩、肩から首、首から頭。そしてジリジリと足踏みをし、跳躍。ピシャと水を跳ね上げ、慌てて駆け出し、振り返る。白黒の、作り物のような子猫だ。

「ナァオァーン」

 しきりに尻尾を床に叩きつける。

「ここにいた」

 頭上からおじさんの声。

「だめだろ、クレチェカ食べちゃあ。

 ベーしなさい、フリズイェーレク、ベー!」

「ナァァオォーン」

 猫――フリなんとか――は後ずさり物陰に隠れようとする。そこへおじさんが手を伸ばし、

「あっ!」

 指先に噛みつかれ悲鳴を上げる。そのまま覆いかぶさるように別の腕で猫を捕まえる。

「ナァァ!! ……」

 そのまま逆さ吊りにすると、ピチャ、と音を立てて何かが落ちた。金の中に赤い筋が幾本も広がっている。

「あー、あー。駄目だこりゃ。

 やっぱ生き物は難しいねえ……」

 拾い上げたものを矯めつ眇めつしながら、おじさんはまたどこかへ去っていった。


 ――§――


 空腹で目が覚める。

「あぁ――?」

 おじさんの顔が目の前にある。

「調子はどう? 喉の調子は」

 言われて、声が出せることに気づく。

「花巻食べる?」

 そう言いながら、おじさんはビニール袋をガサゴソやり、オイルか何かの染みついた手でそれを口元に押し付けてきた。覚悟を決め口を開くと、指の第二関節あたりまで押し込まれ、反射的に指を舐めた。

「うェ」

「そんなに急いで食べなくても平気だよ――」

 尻のあたりで手を拭きながら言い、

「――それにまだ入れたばっかりだから、飲み込みづらいと思うよ」

 と続けた。

「うェ」

 金気と練乳の混じった匂いを頬張りながら無心に飲み込んだ。喉に海老の殻が刺さったような違和感を覚える。

「うんうんうんうん、上手上手。

 食べっのもだいじょぶだね」

 おじさんはその様子をにこにこ見つめていた。

「何が大丈夫っスか、何が大丈、大丈夫なっスか……!」

 軽く咳き込みながら応える。

「安心して、ゆっくり深呼吸、スゥー、フゥー、ゆっくりぃー、ゆっくり。

 あっ、そうだ。暗いのが怖いんだね、そうだ、そうだ……」

 パッ、おじさんの首元に赤や緑や白の電飾が灯る。

「どうっ? 面白いでしょ!

 元気、出た? ヘヘハハハ」

「だがら、……ほんと、何がしたいんスか、本当に……!」

 自然と涙が溢れる。

「泣いちゃった」

 言い終えると、おじさんは電飾のスイッチを切った。

「うう、ううう」

「ハァー……。

 うーん。あれも駄目だったし、でもやっちゃったからなー。

 やっちゃったけどいっかなー。

 やっちゃったのはたまたまだけど、偶然なるってことは必然的に間違ってるってことだし、やっぱ駄目かな。

 うん……。

 あっ! あっ! あっ! いや、違う……。

 違うな、違うんだよなあー……」

 おじさんは時折、電飾を点けたり消したり、息を止めたり深呼吸したりしながら、独り言をむにゃむにゃと呟いている。おじさんはたっぷり二・三十分ほどの時間、そうしていたろうか。

「僕はね、――」

 おじさんは振り向き――その瞳には爛々と光を宿している――口を開く。

「――子供が欲しかったんだ。

 昔ね、僕はね、君のお母さんに恋をしてたの。

 まだ、若かった。僕は中学に通ってた。

 好きだと伝えたかったけど、できなかったんだ。

 だから卒業してからは会わずじまい、この話はおしまい。

 ああ、そう、そう。

 人づてに、どこかの誰かと結婚したって聞いたよ。

 まあ何にせよ、僕は中学の時に彼女に出会い、恋に落ち、そして君が産まれた。

 素晴らしい。

 君はまだ幼く、不完全だ。

 素晴らしい。

 だから僕が直してやらないといけない」

 おじさんは身振り手振りを交え熱弁し、そして慈しむように俺の身体を撫でた。

「ん、くっ……」

 くすぐったさに身体が熱くなる。

「すごくうまく行っている。

 順調だよ。

 腕も、脚も、身体も、新品そのものだ。

 内臓も順調に置き換わってる。

 声も思った通り、君にピッタリだ」

 身体を撫でる手が止まる。

「だが――」

 額と額が触れそうな距離まで、おじさんの顔が近づく。

「――その眼、その眼差しは、いけない。

 ぜんぜん息子らしくない。

 まだからなのか?

 直さないといけない……」

 ぶるぶると顔を震わせ、息を吐くとまた体を離す。それから自分に言い聞かせるように、また独り言を続けた。

「大丈夫、心配ない、大丈夫。

 魚のフレチェカでも、猫のフリズイェーレクでもうまく行ったさ。

 生きている。

 人間でも、うまく行く。

 大丈夫、うまく行く」

 そして鈍く光る何かを取り出し握りしめた。


 ――§――


 かつ、こつ、かつ、こつ、――機械式時計の規則正しい駆動音が聞こえる。

 目を開き辺りを見回す。水槽の中を魚が泳いでいる。その横で猫が水槽を覗き込んでいる。

 かつ、こつ、かつ、こつ、――機械式時計の規則正しい駆動音が聞こえる。

 水面から魚が跳び跳ねた。捕まえようと猫の前足が空を搔いた。

 かつ、こつ、かつ、こつ、――機械式時計の規則正しい駆動音が聞こえる。

 今は何時だろう? 時計を探す。

 不意にドスドスと大股の足音が聞こえ、ドアが開いた。

!」

 が帰ってきたと思い、ドアの方を見た。そこには赤ら顔のおとうさんが、電飾をピカピカさせて微笑んでいた。

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