第22話 仏間の記憶

※流血表現有り、注意。


この家には、仏間がある。

否、正確に言うと、仏壇があるから、ここは仏間なんだなと思っている部屋なのだが。

その仏壇は真っ黒で、いつも閉じられている。開いているところも、叔父さんがその仏壇に手を合わせているところも、見たことがなかった。誰の為のものなのか、写真さえ無い。

掃除をしていてちらりとその仏壇が目に入った時、叔父さんに聞いてみようと毎回思うのだが、忘れてしまっていた。

ある日の日中。

仏間の前を通り掛かった時、中の仏壇の扉が開いているのが見えた。叔父さんが開けたのだろうか。気になって、僕は部屋に一歩入る。真っ黒な仏壇から、真っ白な手が一本、伸びていた。

「えっ」

固まっていると、背後に気配を感じる。振り向くと、知らないフードの男が一人、手にナイフを持って立っていた。声を上げる間もなく、僕は男に腹部を刺された。熱と冷たさが遅れて伝わって来る。僕は力が抜けて、その場に倒れ込む。周りには、いつの間にか知らない男女が何人か、同じように倒れていた。この人たちは誰だろう。考えようとしても、寒くなってきて頭が上手く働かない。

僕の周りに、血溜まりがゆっくり広がる。これは、助からないだろうな。叔父さんは大丈夫だろうか。声を出しておけば良かったなと、ぼんやり思う。眠くなってきた僕の耳に、男の絶叫が刺して来る。

「やめてくれ!助けてくれ!!」

声の方を見れば、僕を刺した男が、仏壇から伸びた白い手に首を絞められている。しばらく格闘していた男は、やがてぐったりとした。それを見届けた後、僕は意識を手放した。


「旭!」

叔父さんの声が降って来て、僕は目を開けた。

叔父さんがいる。景色は、仏間のまま。

「腹痛いのか?」

叔父さんのその言葉で、僕は刺された腹部を、手で押さえていたことに気付く。でも、出血は無い。血溜まりも無い。もちろん痛みも無かった。

「あれ……?」

仏壇に目を向ける。扉は閉じられて、変わらずにそこにあった。

「……僕、刺されたと思ったんですが。死んだんですか?」

叔父さんは目を見開いた後、僕と同じように仏壇を見て、息をつく。

「死んでねぇよ。ーーつか旭、あの仏壇見えてたのか」

見えてた?分からないながら、僕は頷いた。

「はい。閉じた黒い仏壇がありますよね。叔父さんに聞こうと思って、忘れてました」

僕をゆっくり引っ張り起こし、叔父さんは苦笑いを浮かべた。何故かバツが悪そうに、後ろ頭を掻いている。

「あー……悪かった。話しときゃ良かったな」

「え?」

叔父さんは仏壇を指差しながら、言った。

「その仏壇な、実在しねぇから。俺と旭にしか見えてない」

「え!?」

僕はもう一度、仏壇を見る。黒いそれは、どう見てもそこに存在しているようにしか見えない。

「触ったら、すり抜けるんですか?」

「いや?普通に触れると思うぞ。その仏壇、強ぇから。俺も触れるし。もう滅多に触らねぇけど」

何だそれは……。呆然としてたら、叔父さんが笑い出す。

「旭に話したか覚えてねぇけど。この家、事故物件なんだよ」

「初耳です」

この家で奇怪な目にはたくさん遭ってるけど、事故物件とは聞いてないような気がする。でも悲しいかな、奇怪な目に遭いすぎているせいか、今更事故物件と聞かされても、あまり驚かないというか、怖くないというか。これで普通の物件、と言われた方が怖いかもしれない。悲しい。

叔父さんは笑ったまま、続ける。

「正にこの部屋で過去、殺人が起きてる。複数人殺されててな。犯人は一人だが、この犯人も死んでる。だから、この家に戻って来てまた事件を、みたいなことは無い。化けて出て来ることも無い。安心しろ」

「はぁ、」

どこから何を言えば良いのか分からないので、とりあえず頷いておく。叔父さんは、仏壇を指で示す。

「あれはな、殺された人間の持ち物だった仏壇だ。この家を片付けた時、処分されたらしいが。それ以上は、俺も知らん。何で閉じてんのか、誰の為のものなのか。何でここに在り続けるのか。知る必要も無いから、良いんだけどよ」

僕もまた、仏壇を見た。変わらず、扉はぴたりと閉じられている。

「で、だ。この部屋限定だが、この家はここで起きたことを追体験させてくる。この部屋で起きた殺人の記憶を見せて来ることがあるんだ。さっき、旭が体験したことだな。俺らにある害らしい害は、この辺だけか」

腕を組み、明日の天気の話みたいなノリで話す叔父さんに、僕はいよいよ何も返せなくなる。叔父さんは僕を見て、不敵に笑う。

「あとは。人殺しの経験があるヤツは、この家に入ったらとんでもないことになる」

「人殺し?」

物騒な言葉に、つい聞き返す。叔父さんは笑っている。

「もし、な。そうそう起こることは無いだろ、多分」

「叔父さんは、とんでもないことが起きたの、見たことあるんですか?」

「あるぞ。一回だけな。話すのは止めとく」

心なしか優しい声音で言われて、僕は頷いた。

それから、ふと思い出す。そういえば、

「仏壇から手が出て来ましたけど、」

「あの手は、犯人にしか害が無い。俺らには何もしないぞ。今まで何も無かっただろ?」

「ええ、まあ」

手自体、今日初めて見たから、実のところそこは何とも言えないが。

僕は、部屋をぐるりと見渡す。さっきまでの景色は、全てこの部屋で実際に起きたこと。今更、身体の奥の方が冷えて来る。深呼吸をした。

「……とりあえず。現実じゃなくて、安心しました。叔父さんもあの男にやられたのかと思ったので。声も出ませんでしたし」

叔父さんがくつくつと笑う。

「声なんて出せねぇだろ、あの状況で。ーー自分の心配しろ」

叔父さんに促され、僕は部屋を出た。まだ少し、目眩がする。振り向いた部屋の中には、変わらず黒い仏壇があった。

触るのは、僕もやめておこうと思う。












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