三浦さんの髪形とそれに伴う天秤の変化について

降矢あめ

プロローグ

チリチリと音がする。接触不良のような音。

チリチリ、チリチリ。音はなくならない。どうやらそれは頭の中の音らしい。

チリチリ。音はとめどなく鳴り続ける。

この音の原因について、心当たりがあった。


放課後の美術室に入りいつもの席に着くと、みさとが隣に座り囁く。

「三浦さん、髪切ったんだね」

 予想通りの内容だった。きっとみさとは開口一番にこのことについて話すと思っていた。私も声を潜めて返す。

「うん。驚いた」

「ほんと。入学してからずっとロングだったじゃん」

「でも」

「似合ってるよね」

 私とみさとの声がぴったりと重なって思わず笑ってしまう。

今日、私のクラスにはほかのクラスからの見物客(いつものことだけれどいつもよりもやや多い)がちらほらやってきた。

目的はクラスメイトの三浦さん。彼女は先週まで胸くらいの長さだった髪をばっさりカットし耳にかからないくらいに短くしていた。

「朝教室に三浦さんが入ってきた瞬間、後光が見えたよ」

「それは言い過ぎ」

 みさとがけたけたと笑う。

 後光が見えたというのは大げさかもしれないが、三浦さんが入ってきたとたん教室に静寂が訪れたのは事実だ。彼女が教室の入口から席に着くまで、その場にいた全員が彼女の変化に驚きつつ見惚れていた。

もちろん以前の髪形だって似合っていた。長く艶やかな髪は三浦さんの神秘的な雰囲気を引き立てていたし、彼女の動きに合わせて美しく舞う様は広告を見ているようだった。しかし新しい髪形には以前とは異なる魅力があり目を奪われる。今まで隠されていた耳、顎のライン。短い黒髪の下には細く白い首が露になって美しい。

「また二人でこそこそと、何話してたんだ?」

 新しい三浦さんの魅力をどう説明しようか考えあぐねているところに和田先輩がやって来て私たちの正面に座った。

「お久しぶりです。なにしに来たんですか?暇ですね」

「相変わらず失礼だな。進路相談だよ」

 先輩はみさとに不機嫌な顔をして見せるけれど、ほんとうに不機嫌になっているわけではない。

「引退してからも毎月部活に来てるの先輩だけですよ」

「おおそうか。わざわざ感謝することないぞ」

「してません」

 みさとも不機嫌な顔をして見せる。もちろんこれも先輩と同様にほんとうに不機嫌になっているわけではない。

「中野先生だったら今日は会議ですよ」

 私がそう言うと先輩は「じゃあ少し待とうかな」と背負っていたリュックサックを机の上に置いた。

「福ちゃんも大変だよな。こんなツンデレと友達なんて」

 先輩がみさとを指して言う。

 福ちゃんというのは私のことで、部活に入って初めて自己紹介したときに福田という苗字から取って中野先生が考えた。

「そんなことないですよ」

「先輩にはわからない絆があるんですよ」

 みさとは優しい。優しいがベースにある。少し失礼なのは先輩に対してだけだ。

「私そろそろ帰るね」

 なんだかここにいない方がいい気がして私は言った。みさとが首を傾げる。

「もう帰るの?なんか用事あったんじゃないの?」

「ううん。ちょっと時間が空いたから寄っただけ」

 正確には違うけれど、嘘じゃない。

 お疲れ様です、と先輩に挨拶してスクールバックを肩にかける。

 立ち上がろうとするとみさとが私の制服の袖を引っ張った。案外強い。仕方なくかがんで「なに?」と聞く。みさとは顔を近づけて小さな声で言った。

「またスケッチするんでしょ。描けたら見せてね」


学校の最寄り駅から私の家の最寄り駅までは乗り換えなしで三十分ほどだ。

電車に乗ると私は空いていたところに座り、周りを見渡した。車内には数人の高校生と大学生と思われる若者、スーツを着たサラリーマンらしき人の姿もある。

私はそれらの一人一人にさりげなく視線を移して、それがいつも通り自分に見えていることを確認した。

私には見えてみんなに見えていないものがある。

 それは胸のあたりにある天秤、のようなもの。物心ついたころから私にはそれが見えていて、成長するとともに私にしか見えていないことを知った。

 その天秤は人によって左に傾いていたり右に傾いていたり、その傾き具合も異なる。また一人の人であってもある時は全く傾いていなかったり、ある時は大きく傾いていたり。

 それがどんな法則で動くのか私はわかっていない。何か特別な意味があるのではと躍起になって法則を見つけ出そうとしたこともあったけれど、好意の度合いとか悪いことを考えていると傾くとか、思いつく限り立てた仮説はすべてしっくりこなかった。

法則はわからなくても天秤に変化があるとやはり気になってしまう。

みさとの天秤はたいてい平行に近い右寄り。だけど和田先輩の前ではいつもより少し天秤が右に傾く。

対して和田先輩の天秤が動いたところを私は見たことがない。いつも同じ左に大きく傾いている。

私の経験上、和田先輩とみさとは両思いだと思う。仮にこの天秤がなんらかの感情によって動くのであれば和田先輩の天秤が動かないというのはこの二人は両思いでない可能性が高い。ということはこの天秤は感情には関係ないのか、それとも二人が両思いであるという私の勘が間違っているのか。

考えれば考えるほど訳がわからなくて頭が痛くなってきた。

それともう一つ私には気になっていることがある。この天秤に意味があるとして天秤を持たない人は一体どういう人なのか、ということ。

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