君の想いを

福山典雅

私は北条東子

 私は北条東子ほうじょうとーこ、24歳。

 私の夫である3歳年上の神原伊月かんばらいつきさんは、事もあろうに「ど変態」だった!


 この衝撃の事実を知ったのは、新婚旅行の大切な初夜だ。


「なんで、荷物の中にパンティがあるの! しかもこれ幼児用じゃない! どんな浮気だ、この犯罪者がぁぁああ!」

「あっ、いや、これは……」

「うるさいロリコン! 変態! 伊月さんのばかぁ! 最低だぁああああ! 騙された! うわぁあああああああんんん!」


 私はこうしてその夜の内に、絶望して泣きながら彼の元から逃亡した。


 夫は外科医で、実家は大病院を経営する超お金持ち。ルックスは甘く、スタイルはモデル並みに抜群で、もう最高にイケメンだ。さらに性格も良くて人当たりも柔らかく、患者さんは元より多くの看護師さんからも絶大な人気を誇る。もうね、完璧、天はあらゆるものを彼に与えた。


 ただし、ロリコンのど変態だった。これは与え過ぎだよ、神さま……。


 私はこの衝撃の事実に心が折れ、翌朝一番の飛行機で実家に戻り、弁護士の兄に全ての問題を丸投げして山に籠った。


 修行である。


 あんなど変態に乙女の心を傷つけられたのだ。必ず復讐してやる。私は大学時代、空手の世界選手権で優勝をしている。一撃で奴を殺す事も可能だ。


 だが、ここ数年、空手とは別に子供の頃から夢だったパテシエの道にどっぷりはまり、ケーキ屋さんに勤めていたので身体がなまっていた。


 熊を倒すレベルまで必ず戻って見せる。


 私は強い決心で、全てを投げ打って伊月さんへの復讐心に燃えていた。


「セイヤ、セイヤ!」


 人も通わぬ山中、立つ事さえ困難な滝に打たれながら、私は正拳突き1万回を行なっていた。一撃一撃に怒りを込め、私は全盛期の力を取り戻そうと懸命だった。現在は深夜、真っ暗な闇の中で私は獣の如く拳を滝に打ちつけていた。


「はっ!」


 ゴロン、ドカン、バキバキ!


 全力で稽古に勤しむ中、突如凄まじい爆音が響いて来た。すぐさま私の脳裏に昨日の大雨の事が思い浮かび、上流から大量の流木が流れて来ている事を悟った。


「望む所だ!」


 私の闘争心に火がついた。


 逃げるなどと言う選択肢はない。この過酷な状況を打ち破った時こそ、私は全盛期以上の存在になれるはず!


「神様、ありがとう。ばっち来い! 流木共よ!」


 後で考えれば馬鹿だった。


 人間は時として自分を過信し、己を見失い、後悔を抱く生き物た。だが、この時の私は全身全霊て不条理な運命を叩きのめそうと燃えていたのだ。


 ゴロン、ドカン、バキバキ、ドッスン!


 二十メートルを超えるこの滝つぼ、激流の中で私はざぶんと前に飛び出し、素早く頭上を見上げた。一瞬、月明かりが陰ると同時に凄まじい量の流木が視界に映り、けたたましい轟音と共に空から降って来た。


 あっ、無理だわ、これ。


 馬鹿だった。もっと冷静に考えれば良かった。もう死んだ、これ。


 私は泣きそうになった。悔しい、ロリコンイケメンに騙され、人生を破綻させた最後がこれなの!


「こんなの、いやだぁああああああああああああああ!」


 絶叫する私めがけて膨大な量の流木が襲いかかって来た。







「へ?」


 ぎゅっと目を閉じて覚悟を決めていた私は、妙な違和感を察し瞳を見開いた。


 狂暴な流木が降り注がず、ましてやここは深夜の滝壺でもない。


 と言うかだ!


「なんで、街中にいるのぉぉおおお!」


 そう、私は何故かわからないが、明るい日差しを受けて、様々なビルが立ち並ぶ普通の街中に、ビショビショの空手着を着たまま立っていた。


 周辺を歩く通行人の方からよそよそしい奇異な視線を浴び、しかるに憐憫を含んだヒソヒソ声が遠巻きに私を囲う。


 待て、待て、待て、意味がわかんないぞ、と頭を抱えそうになった瞬間だった。


「やめてよぉおおおおお!」


 すぐ近くから誰かが襲われている声が聞こえた。状況はあまりに意味不明だか、空手家の矜持、私は弱きを助ける。


 すぐさま声の聞こえた雑居ビルの路地裏に駆けつけると、まるまる太った高校生くらいの男の子が、粗暴そうな輩男子達になぶられていた。


「弱い者いじめはやめなさい!」


 私は裂帛の気合いを込めそう叫んだ。


 と言うか、もう完全に問答無用でいきなり殴りかかり、「ぐえっ!」、「ひぎゃ!」、「ごぎゃっ!」などの呻き声を残し、瞬殺て輩な男達を屠ったてやった。


 実戦は先手必勝、正しく武道家である私だけど、ストリートでも最強を目指す。まぁ、もしかしたら何か理由かあったかも知れないが、その時は笑って全力で誤魔化そう、ははは。


「あ、あの、助かりました」


 大柄でまるまる太った男の子が、よたよたと近づいてきて、恐縮しつつ深々と頭を下げて礼を述べた。


「私は北条東子、男なら自分の身は自分で守れるくらいに鍛えなさい」

「す、すいません、僕は……」

「あっ――――――――――――――――――っ!」


 自己紹介をしようとする彼の言葉を遮り、私は大声をあげた。


 そうだ、何故、私は修行の為に籠っていた山中からこんな大都会に来ているんだ!


「ちょ、丸男まるお、ここはどこよ、答えなさい」

「へ? 丸男って? 僕は……」

「あんたの名前なんかどうでもいいの! まるまるしてるくせに口答えせず、聞かれた事を答えなさい! ここはどこなのよ!」

「なんか凄く横暴ですけど、あの、ここは天神です……」

「はぁあああああ! どこの天神なのよ!」

「どこって、博多です、福岡ですが?」

「なにいいいいいいいいいいいい!」


 私は驚愕した。思わず目の前の丸男を殴りそうになった。


 なんで茨城の山中にいたはずの私が福岡に来てるの? 意味がわかんないんですけど。その瞬間、ふと路地裏に捨てられていた真新しい新聞紙が目に入った。私は焦ってその新聞を拾った。


「どういうことよぉおおおおおお!」


 思わず絶叫した。


 その新聞紙の日付は西暦2013年7月20日、見出しには茨木のJ-PARCがミュー型ニュートリノの電子型への変化を記録したと書かれていた。


 2013年、つまりここは10年前の世界なの! まさか、これは偶々古い新聞じゃないの、そうだ、そうですよね!


「丸男! 今は西暦何年の何月何日なの!」

「へ?」


 困惑する私の気配に怯えながら、丸男はそそくさとズボンの後ろポケットからスマホを取りだして画面の日付を見せてくれた。


「あの、今日は2013年の7月20日ですが」


 私は瞬時にそのスマホを指差した。


「iPhone4だとぉおおおおお!」

「あっ、すいません、古いですよね、今は5ですけど僕は4がジョブスの傑作と思っているんでまだ使っているんです」

「じゃなくてだなぁ!」


 私は彼の肉付きのいい両肩をがしっと掴んで、ぐいっと睨んだ。


「いいか、丸男、よく聞け!」

「ちょ、こわっ、顔が近いんですけど!」

「いいから聞け!」

「は、はい!」

「私は2023年からタイムスリップして来たみたいなの!」


 私の真剣なまなざしをきょとんと見つめ返し、丸男はあっさり言った。


「あっ、そ、それはお疲れ様です」


 視線を逸らし知らん顔された、信じてないなこいつ。


 私は取り敢えず、一発殴っといた。


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