第4話 聖女は勇者と手を取り合う

 案内された玉座の間にはほとんど人がいなかった。

 目に入るのはさっきよりも少ない近衛騎士たちと、赤鼻の王様にラッパを吹き鳴らしていた宰相様。

 あとは灰色の顎ひげをお腹まで伸ばしたおじいちゃんだ。

 聖衣姿だから、王宮に派遣されている神父さんだろう。

 なぜか目をしょぼしょぼさせていて、チラチラと私に視線を投げかけている。

 単独行動を咎めているのだろうか。

 身内を探して扉を振り返っても、案内してくれた近衛騎士たちしか見えなかった。


「教祖様、まだかなぁ?」


「……まだ、でしょうね」


 斜め後ろに控えるネネは、なぜか声が固くなっている。

 玉座の間に緊張しているのだろうか。

 そう思うと、ネネも年頃の女性なんだと思えてくる。

 広間の真ん中でぽつんと立たされたまましばらく。

 これなら控え室で待っていたかったなとぼやきかけた時、ざわめきとともに扉が開いた。

 教祖様や貴族様なら、もっと厳かになっていただろう。

 そうでないということは、私と同じ立場の人。

 自然と身体が後ろを向き、ほうっとため息が出た。


 その背は騎士たちよりも頭一つ分は高く。

 すらりと伸びた手足は武神のように勇ましく。

 凛々しいその表情に、私の胸がどきりと疼いた。


「聖女、並びに勇者、前へ」


 宰相様の言葉に、ネネがさっとドレスの裾を持ち上げてくれる。

 教祖様を待たなくていいのかな、なんて疑問は吹き飛んでしまった。

 だって勇者が……テオが、私のすぐ近くに来てしまうのだから。

 私と同じく着替えを命じられたのか、白と青を基調とした礼服姿になっている。

 海とも空とも呼べる鮮やかな色は、勇者たるテオによく似合う。

 後ろに付き従う戦士らしき男性は平服のようだけど、むっきりとした身体で礼服は難しいのだろう。


「シャーロット様」


 一歩、また一歩近づく中、ネネがそっと耳打ちする。

 ぼーっと見惚れるなと言われるのだろう。

 見惚れて当然と言おうと思ったのに、続く言葉は予想もしていないものだった。


「このままですと、この場で婚姻が結ばれます」


 ……誰と誰?

 なんて疑問は許されないのだろう。

 ドレスの聖女と礼服の勇者。

 神託の言葉も相まって、答えは一つに決まっていたのだ。


「あ、これってウエディングドレスだったんだ!」


「気づくのが遅すぎます」


 だって、今朝の今でそんなことがあるなんて思わなかったし!

 あまりにも強引な行動に、王族側の必死さがうかがわれた。


「教祖様と別れさせられ、近衛騎士どもに囲まれては逃げられませんでした。

 この結果を招いてしまったこと、謝罪します」


「ネネは悪くないよ。私は全然気づかなかったんだし」


「そうですね。わたしは最善を尽くしました」


 わたしは、という部分に力がこもったのは暗喩があるのだろうか。

 言われてみれば、権力者と離れた私たちに抵抗の術なんてない。

 私はお気楽なお客さん気分でいたけど、ネネや教祖様はそうじゃなかったんだろう。

 あまりにも迂闊……だけど、流されてしまいたい気持ちもなくはなかった。


 だって……このまま受け入れれば、私はもう一度テオといられる。

 突然貴族に連れ去られて、私も教会に連れて行かれて、離れ離れになってしまった。

 大人たちの身勝手な行動で絶たれたものが、こうして元通りになるのなら。

 淡い希望に身を任せかけた時、衣擦れより小さな声が耳に刺さった。


「本当に、よろしいのですか」


 勇者の姿はどんどん近づいてくる。

 夢にまで見た存在が手の届く場所にくる。


「でも、これを逃したら、もう……」


「それが神託によるものでも、ですか」


 ネネの鋭い一言に、浮かれていた気持ちがすっと冷やされた。

 そうだ……この結果は、神託が導いたものなんだ。

 ここに私の意思も、多分テオの意思も存在していない。

 少しずつ近づく姿に喜色はなく、その目は伏せられているようだ。

 お月さまでも、おひさまでもない、暗い瞳。

 そんなものは、私が見たいテオじゃない。


「ネネ……ごめん、やっぱり私、いやだ」


 小さなころはいつも一緒で、ずっと一緒にいると思ってた。

 いなくなってから気づいた気持ちは、聖女になった今でも変わらなくて。

 もう会えないと思いながらも、その姿を追うことはやめられなくて。

 ひと目見ただけでこんなにもときめく気持ちは、決して誰かに命じられたものじゃない。

 義務に縛られた関係になんてなりたくない。

 あちこちから向けられる緊迫感に身を縮めながらの決意に、ネネはほんの少しだけ口元を緩めた。


「では、ひとまず教祖様と合流しましょう。

 わたしが退路を作りますので、ドレスをたくしあげてでもお逃げください」


「絶対怒られちゃうね」


「淑女のマナーなどくそくらえです」


「くそくら?」


「失言でした。誓いの言葉の直前に合図をします。見惚れてお忘れなきよう」


 いよいよ近づく影を前に、きゅっと唇を噛みしめる。

 騎士たちの圧力を感じながらネネと離れ、玉座へ伸びる道に向かう。

 テオの付き添いらしい戦士も立ち止まり、二人で絨毯の上を進みだした。

 少し手を伸ばせば触れられる距離にいる。

 だというのに、その姿はヴェールのせいでよく見えない

 ううん、きっとそれだけじゃないんだろう。

 ようやく会えた嬉しさや、浮かれてしまった恥ずかしさや、この先の行動への不安。

 いろいろなものが視界も思考もぐちゃぐちゃにして、何もかもが非現実的に感じてしまう。

 本当はこれも夢なんじゃないか。

 今はお昼寝の真っ最中で、怒りの教祖様に叩き起こされる寸前なんじゃないか。

 そう思ったところで現実は変わらない。


 私の隣で一瞬足を止めた姿は、ほんの少しもこっちを見る気がない。

 それでも足並みは揃えてくれるらしく、小さな一歩を踏み出した。

 呼びかけたら、昔みたいに笑ってくれるかな。

 それとも、私が聖女になったってことも知らないのかな。

 だけど今はそれを伝える時じゃない。

 ヴェールの中で口を引き結んでいると、ついに玉座の手前に到達してしまった。


 急ごしらえの台に立つ神父さんが、うぉっほんとわざとらしい咳払いをする。

 さっきも今もチラチラと私を見ているのは、この事態への戸惑いを訴えているのだと分かった。

 分かってる、大丈夫だから。

 小さく頷いてみせると、髭がもごりと動いた。


「では……指輪の交換を」


 ……んん?

 それって誓いの言葉を交わしてからじゃなかったっけ?

 部屋の中にいる誰もが平然としているから、元から予定されていたことなのか。

 この人たち、私たちに一言も口を開かせないつもりなのだろう。

 無理矢理にでも結婚させようという強い意思を感じ、嫌な気持ちがこみ上げる。

 って、ネネ! どうしよう!?

 出鼻をくじかれ縋る思いで後ろに視線を向けると、さすがのネネも目を見開いていた。


 布張りの小さな箱を差し出され、無骨な手がそれを受け取った。

 ぱこんと開いた中には、銀色に光る指輪が二つ。

 ドレスと同じく大急ぎで手配したんだろう。

 だからきっと、その指輪ですらぴったりはまるに違いない。

 差し出されたら、逃げないと。

 夢にまで見た光景なのに、素直に受け入れることができないのが悲しい。

 ぎゅうっとドレスを握りしめ、ヴェールの向こうの姿を見つめた。

 子どものころと違ってごつごつとした指が、指輪に触れ、離れる。

 摘まむことなく閉じられた箱は、指先だけで遠くへ放られた。


「――――神託に従う気などない」


 こんっと床に落ちる音とともに、高らかな宣言が響き渡った。

 それは記憶の中にある子どもらしいものじゃなく、低く深く、身体を揺さぶるような力強い声。

 胸に響く声なのに、言われた言葉は私の胸を突き刺した。

 やっぱり……結婚なんてしたくない、んだよね。

 それが貴族側の考えだから、なのかもしれない。

 だけど、テオの本心だという可能性もゼロではない。

 考えてみれば、多分、この気持ちは一方通行なんだろう。

 そう思うと悲しくてたまらないけど、神託に踊らされるのは嫌だと自分でも思ってる。

 だから私もそれに続こうと思ったら、ガシャリと金属がこすれる音が響いた。


「……っ!」


 信じられないことに、王宮の守り手である近衛騎士たちが私たちに剣を向けていた。

 思わずネネを振り返ると、なぜかスカートの裾に手を突っ込んでいる。

 言っていたとおり、スカートをたくしあげて逃げろというのだろうか。

 だけど、四方八方、片手では数えきれない敵に、誰であっても成すすべなどないだろう。

 生まれて初めて向けられた切っ先は鋭く、身体中に恐怖が広がってく。

 ほんの少し動いただけでも斬り伏されてしまうのではないか。

 そう分かっているのに、震える脚から力が抜けそうだ。

 どうして、こんなことに……。

 じわりと涙が浮かんだ時、大きな背中が私の視界を覆った。


「テオ……」


 ぽろりと出てきた呼びかけに答えはない。

 だけど、この状況は初めてじゃない。

 妖精を探して夜の森に入り、野犬に襲われた。

 あの時だってこうして守ってくれた。

 まるで変わらない姿に胸がいっぱいになる。

 大きくなっても、姿が変わっても、テオはやっぱりテオなんだ。

 怖さからの涙が嬉しさに替わり、ぽろりと目からあふれでる。

 だけど、決して状況が変わったわけではない。

 私とネネと、テオと戦士。

 たった四人でどうすればいいのかと思っていると、大きな扉が壊れそうな勢いで開いた。


「シャーロット! 無事かしら!?」


「テオバルド! 婚姻など結んでいないな!?」


 それはそれぞれ大勢の護衛を引き連れた教祖様と貴族様だった。

 なだれ込んだ人たちで玉座の間はいっぱいになり、剣を抜いた近衛騎士たちすらも身動きが取れないようだ。

 ただ、それは私たちも同じ。

 わずかたりとも動揺していないらしいテオの後ろで、ただ縮こまっているしかできなかった。


「静粛に! 神聖なる婚姻の儀をなんだと心得るか!」


「騙し討ちの婚姻などに意味はないわ! 勇者とだなんて許せません!」


「それはこちらの台詞だ! 聖女め、大人しそうな顔で誑かしおって!」


「なんですって!? そちらこそ聖女を拐かすつもりでは!?」


「静粛に、静粛にっ! 世界が滅びてもいいというのか!?」


「貴様はそれしか言えぬのか! ええい、無能な玉座など壊してしまえ!」


 教祖様と貴族様と宰相様が怒鳴りあい、三つ巴の三すくみ状態だ。

 それはそれぞれの護衛たちにも広がっていき、肩を寄せ合う距離で剣を突きつけあっている。

 こんなの、世界より前に国が滅びるんじゃ?

 思い至ったことにぞわっとすると、突然七色の光があふれだした。


 それは、勇者だけが使える特別な魔法。

 あの日の夜に私を包んだ光は、一瞬のうちにその場を支配した。

 平和の礎となるべく与えられた魔力が、圧倒的な存在感を突きつける。

 眩く光る輝かしい色は、血の気が上がりきった人々の意識をしっかりと引きつけた。

 けど、それだけじゃ足りない。

 一触即発の空気を変えるためにも、胸の前でぎゅっと手を組み合わせた。


「女神様……お願いします」


 聖女としての私の力は浄化だ。

 それは穢れた気だけでなく、人の悪しき心にも効果がある。

 だから、こうして怒りに燃えた人たちにも効くはず……!

 身体に満ちる神聖力を解き放ち、隅々まで届くよう祈りを込めた。

 

 それから数秒か、数分か。

 時間の感覚が曖昧になりながら、そっと目を開く。

 振り上げていた剣はすべて床を向き、つかみ合っていた腕はだらりと降りていた。

 こんな大勢に向けるのは初めてだけど、きちんと効果はあったらしい。

 暴動が止まったことにほうっと息を吐くと、眼の前の大きな背中が一歩踏み出した。


「世界樹は、まだ朽ちていないんだろう」


 朗々と響く声に、一番早く持ち直したのは宰相様だった。

 取り乱したことをなかったことにするかのように、しゃんと背筋を伸ばして襟を正す。


「それも時間の問題でしょう。

 世界樹は穢れた気に侵され、周囲は魔物が跋扈しているのだから」


「ならばそれらを払えばいい」


「そのように簡単な事態ではない!」


 激高する宰相様の姿に、ことの深刻さが突きつけられる。

 なのにテオはまるで気にした様子もなく、さらりと言ってのけた。


「勇者が魔物を倒し、聖女が穢れた気を浄化すればいい」


 言われてみれば単純なことだった。

 ただ、それを思いつけない環境だっただけ。

 教会と貴族は手を取り合えないし、王族もそれを命じることができない。

 その考えは私たちにも植え付けられていたはずなのに、先入観なく言うことができるなんて。

 確固たる意思を持つ姿は、誰よりも正しく清廉に見えた。


「新たな種を作り、芽吹き、育つことを待つよりいいだろう」


「……神託を無視するというのか」


「限られた人間が知る神託より、創生の伝説になぞらえるほうが民衆の関心を引くんじゃないか」


 神に選ばれし勇者と聖女が悪しき魔物を討ち滅ぼし、世界を平和に導いた。

 それは子どものころから聞く創生の物語で、近隣諸国にすら知れ渡っている。

 伝説の再現となれば、誰だって頷き応援するだろう。

 まさか、そんなことまで考えていたなんて。

 どこまでも冷静な姿に驚いていると、カツンと靴を鳴らす音が響いた。

 それは髪を振り乱したままの教祖様で、冷たい視線を投げかけている。


「聖女を魔物が蔓延る場所に連れて行くというの?

 危険すぎるわ、何かあったらどう責任を取るのかしら!」


「危険だと? 教会で祈っている間にもそこかしこで魔物は暴れ回っている。

 隠居女には分からないだろうがな!」


 この人たちには浄化すらも無意味なのか。

 変わらずいがみ合う代表者を前にげんなりしてしまう。

 けれどテオは呆れることなく、胡乱な視線に立ち向かった。


「聖女は俺が守る」


 はっきりとした宣言は、反論を一切許さない迫力があった。

 周囲を取り巻く人はテオの姿に恐れおののくけれど、私はそうはならない。

 だってそれは、あの日に言われた言葉だったから。

 前よりもずっと大きな背中に、疑いの気持ちなんて抱きようがなかった。


 すぐ目の前の姿が、ゆっくりと私に振り返る。

 大きな手がヴェールを取り払い、開けた視界の中にはまっすぐに私を見る色があった。


「行くなら俺と一緒……いいな?」


 自信に満ちた瞳はあのころと同じ。

 ううん、お月さまのような優しさに、おひさまのような力強さが加わってるんだ。

 ようやくかけてくれた声を前に、私の答えなんて一つに決まってる。


「……うんっ!」


 差し出された手をぎゅっと握りかえすと、恋しい勇者は小さく笑ってくれた。


 世界の命運は私たちの手にかかっている。

 それでも、聖女と勇者は契らない。

 勝手にくだされた神託なんかではなく、私たちの意思で。

 二人で世界を救うんだ。

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